民衆の選択
~承前
「そんな考え込んだって……答えなんか出ねぇぜ」
「だけどさぁ……」
ホットコーヒーの入ったカップを押し付けて言ったロック。
バードはそのカップを受け取りながらも口を尖らせた。
余りに衝撃的な言葉がこぼれ、バードはバードなりにショックを受けていた。
「まぁ、言ってる事に概ね間違いはないがな」
シラフ郊外の今は使われていない集会場を宿舎にしているBチーム。
その宿舎にはテッド大佐がやって来ていて、バードの話を聞いていた。
「ちょっと……ショッキングでした」
「シリウスの歴史そのものだ。まぁ、地球育ちでは理解しにくいだろうがな」
かつて見た通り、テッド大佐はリョーガーの平原地帯で牛飼いに育った男だ。
自警団とか呼ばれる暴力組織との抗争を経験し、幾多の涙を見てきたはず。
そんな大佐が遠い目をして笑う内容は、つい今し方聞いた老人の告白だった。
――――我々は独立でも従属でも良いのだ
――――ただただ、この地に命の花を咲かせたいのだ
――――幾多の者たちがこの地で土へと還った
――――その鬼哭の地に花を咲かせたい……
「自分の思慮の浅さを……恥じます」
「いや、恥じる事は無いさ。ただ、覚えておくと良い」
コーヒーを口へを運び、テッドはホッと一息吐いた。
連日連夜の激務が続いていて、生身で有れば今頃は生臭い息を吐いている筈だ。
だが、サイボーグにはそんな身体の変調などなく、同じように任務をこなす。
実際の話として、今日も朝5時からパトロールを始め、つい先ほど終えたのだ。
時計の針は深夜3時を回っていて、事実上24時間ぶっ通しだった。
「かつて、このシリウスは開拓者達の楽園だった。だがな――」
訥々と語られるテッドの言葉には、怒りや憎しみでは無い感情が溢れた。
それをどう表現して良いのかバードは混乱するが、一番近いのは哀しみだ。
―――― 人が増えると同時に階級闘争が起きた。
―――― 各地に地球政府からの警察権力が根を下ろした。
―――― それらはいつの間にか特権階級のように振る舞った。
―――― だが、それに異を唱えた者達は、自警団を組織した。
―――― それらはいつの間にか強力な軍隊規模となってしまった。
―――― やがて、皆が気が付いたときには……
テッドは目を閉じて天井を見上げた。
この宿舎となっている集会場にも、その痕跡があった。
血で血を洗う権力闘争の嵐は、シリウス開拓で見捨てられた地にも届いていた。
「――自警団が地球の警察権力を追い出していた。最初は皆、それを歓迎した。誰もが叫んださ。SRA万歳ってな」
SRA。シリウス解放軍。
かつての自警団は、そんな名を自称していた。
ブリテンと血みどろのテロ闘争を繰り広げたIRAと同じだった。
「アイルランド闘争とは役回りが違うだけで、中身は何も変わらない。SRAは地球軍とシリウス支配政府の権力を追い出し、自治権の拡大を図っていた。だが、その中身は……ただ支配する側が切り替わっただけだったのさ」
肩をすぼめてテッドは恥ずかしそうに笑った。
だが、そこには隠しきれない自嘲の念が混じっていた。
「エディに口説かれたって……話ですね」
「そうさ。エディは言ったよ。俺と一緒にシリウスの社会を変えようってな」
「エディらしいと思います」
「だろ?」
父と娘ほどに年の離れたテッドとバード。
だが、今この二人は、同じ人物の件で心を通わせて笑みを交わしている。
それを横目に眺めていたロックは、不思議の何の腹も立たなかった。
本気で惚れた女が自分以外の男の話で満足そうに笑っている。
普通なら嫉妬の炎に焼かれるような心境の筈だ。
だが……
「まぁ。エディにゃかなわねぇってな」
クククと笑ってロックも天井を見上げた。
ロックにとってのテッドはもう一人の父であり、エディはもう一人の師だ。
そんなエディの話をテッドがしている以上、怒る要素は無かった。
「でも……」
バードが不意にロックを見た。
何かの同意を求めるような視線を、ロックはもちろん解っていた。
「俺と一緒に来ないか?なんて言葉。言われてみたいよな」
「そうだよね」
息子夫婦か娘夫婦かは解らない。
だが、魂で繋がった若いふたりから羨ましそうに眺められるのも悪くない。
テッドはここまでの人生が間違いで無かったと再確認した。
「まぁ、いずれにせよ……だ」
ソファーの背に背中を預けたテッドは、上体の力を抜いて腕を組んだ。
静かな部屋の中、身体の内部からプシュッとエアシリンダーの音が聞こえた。
サイボーグゆえの音だが、もはやそれに違和感を感じなくなってきている。
バードが見つめる先の男には、堂々とした威厳があった。
どう表現して良いのかわからないバードは、それを父の威厳だと思った。
「選挙まであと少しだ。どう転ぶか解らないが、悪い方向には行かないだろう」
――えっ?
バードは思わず『悪い方向とは?』と聞いてしまった。
それを瞬間的に把握出来なかったのだ。
頭の何処かでは自分の脳が機能低下を引き起こしていると感じていた。
疲労と眠気でどうしようも無い所まで来ているのだ……と。
「ジュザは見事に分裂した。ジュザの中にも穏健派が居て、それらはそもそもが犠牲者と言う事がわかった。つまり、大義名分を得たって訳だ」
軍務にある者の性として、適度な要約と主眼主点の強調。
そして、目的をハッキリさせると言う見事なセンテンスだ。
ロックとバードは一瞬だけ顔を見合わせてからテッドへと視線を戻す。
「あー。そう言う事ですか」
「つまり、ヘカトンケイルの要請って大義名分ですよね?」
テッドは満足げに笑みを浮かべ首肯した。
ジュザ指導部は何処かへと逃げ出すのだろう。
市民はもう、戦争にも強権的な支配体制にも飽き飽きとしている。
そんなジュザの社会へ地球軍は介入する。
憎きインベーダーではなくリベレーターとして……だ。
ジュザの市民は、それにより再びシリウス社会の一部となる。
そして、地球との連邦国家が樹立する事になる。
その時、エディは……
「ビギンズは……戴冠するんでしょうか?」
ロックは率直な言葉で聞いた。何となく胸騒ぎがしたからだ。
エディは戴冠しない。いや、出来ないのかも知れない。
考えて見れば、エディの顔を見なくなって既にかれこれ3ヶ月。
一時的な疲労過多による機能不全と説明を受けていた。
だが、誰だって同じ事を思う。
サイボーグとはいえ、生命の摂理からは逃れられない。
――――エディの寿命が迫っている
声にして言わぬだけで、誰もが同じ事を危惧していた。
長年にわたりシリウス開放の為に突っ走ってきた男の人生が終ろうとしている。
「さぁな。それは俺にもわからない。ただ、何となくだが――」
テッドはどこか寂しげに笑った。
バードやロックが聞きたい事は痛いほど良く分かる。
「――大丈夫だろうって思っているよ。何の根拠も無いがな。それに……」
一度言葉を切ったてっどは、テーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。
ハンフリーのガンルームとは違い、ここは一般の集会場だ。
どこに盗聴器があるかわからないのだから、迂闊な事を言うわけにも行かない。
上手の手からも水は漏れる訳で、それならばとこっちが上手く振舞うしかない。
機密情報取り扱い心得と言うレクチャーは、こんなシーンでこそ役に立つ。
故に、エディではなくビギンズと言ったロックの深謀遠慮が際立っている。
そしてそれは、立派に育ったと言う満足感をテッドに与えていた。
「ビギンズの代わりはいくらでも居る」
『そうだろ?』と同意を求めたテッドは、それ以上の言葉を口にしなかった。
ただ、唖然としているロックやバードの姿に、テッドは『あっ』と思った。
まだ大事な事を教えていなかった……と、気が付いたのだ。
「……選挙まで残り一週間だ。ここからは本当に酷い事がおきるかも知れない。爆弾テロだけじゃない。ひき逃げなどの暗殺にも要注意だ。現状では穏健派の声が強くなっている。独立強硬派が暴発する危険性もある。こんな時には民族浄化だの規律維持だのでひどい事が起きるもんだ」
遠い目をして言うテッドの姿に、バードはそれが実体験を伴う物だと思った。
動乱の時代に多感な少年の日々を送った男は、その際来を苦々しく思っている。
「何が起きても平気なように準備しておこう。我々501中隊は――」
コーヒーカップをテーブルに下ろしたテッドは、神妙な顔で言った。
「――エディの切り札だ。必要な時に必要な結果を上げられるようにな。抜かりなく準備しておかねばならない。で、いま現状における具体的な目標は……」
一つ間を置いたテッドは『寝る事だ』ともったいぶって言った。
そして、その場は御開きになった。
――――――それから1週間後
『おぃおぃ……』
その光景を前に、ライアンは無線の中へぼやいていた。
宿舎となっている集会場は投票所に姿を変えていた。
投票は締め切られ、投票所のなかでは開票作業が進んでいる。
既に大勢は判明していて、概ね予想の範囲に収まっている状況だった。
その投票所を囲むようにして、Bチームは展開を続けていた。
周囲には502中隊の地上戦向けシェルがやってきていて、周囲を圧している。
武装こそ周囲へ向けてはいないが、そのセンサーは周辺を監視していた。
『皆、期待してるのさ
『期待? 独立の完了ってか?』
ビルの言葉にペイトンが軽口を叩いた。
だが、その選挙は投票が始まって間もなくから既に趨勢が判明していた。
最終投票率は90%に迫っていて、その大多数が地球との共存へ舵を切った。
58の議席に対し、共存派だけでも30議席を伺う勢いだ。
そして、独立は希望するが地球との対話を選ぶ穏健派も25議席程度の勢い。
当選確実と言う情報を鵜呑みにするなら、強行派は事実上敗北した。
いや、敗北と言う言葉も正直おこがましい状況だ。
58議席のうち55議席が穏健派による当選確実状況となっている。。
だが、問題はそこでは無い。なぜなら……
『穏健派の派閥以外とか言ってもなぁ』
『あぁ。3議席のうち2議席は無条件降伏を求める無所属だ』
視界の中に選挙速報を表示しつつ、ジャクソンとドリーはそんな会話をする。
何があっても独立を求める強行的な独立派は、1議席を取るのが精一杯だった。
『しかしなぁ――』
スミスは複雑な心境をこぼすように呟いた。
投票所の周りには夥しい市民が詰め掛けていて、戦争の終りを祝っていた。
停戦協定の類は全く交わしてなく、まだ法的には交戦状態だ。
『――気が早いにも程があるだろ。これじゃぁ足元すくわれるぜ』
中東のゴタゴタは3世紀を跨いで延々と続いている。
原則論以外は一切受けれない強硬派同士が激突し、血で血を洗い続けていた。
そして、美しい街並みは徹底的に破壊され、市民は明日をも知れぬ命だった。
だが、市民はわかっていた。
地球軍はヘカトンケイルを保護し、人質だった子供達を解放した。
出来る限り市民の犠牲を減らす作戦を取っていて、その犠牲は驚くほど少ない。
また、シリウス軍が投降すればそれを歓迎し、その名誉を守っていた。
古来からの習いに則り、武人に帯剣を認め、交渉の席へと招いたのだ。
『……注意するべきは何ですか?』
アーネストはそんな質問をぶつけてきた。
それは、常に注意を払わねばならない士官としての振る舞いだ。
『単純さ。思うようにならねぇ!って癇癪起す奴は、古今東西何処へ行っても同じ事をしやがる。要するに、テロでもって社会不安をあおるのさ』
誰だって不安に駆られれば心細いし、命の危険があれば夢など忘れてしまう。
社会的に不安定となれば、僅かでも安定する方法を探して奔走する事になる。
『この投票所を含め、あっちこっちの投票所で厳重な警戒態勢がとられているが、上手の手からも水は漏れる。その漏れた水がテロリストだったら問題って事さ』
ジャクソンはそう説明しアーネストに警戒レベルの引き上げを促した。
警察官だった男だけに、そう言う視点があるのかとバードも感心するくらいだ。
『どんなに注意したって、相手はそれを掻い潜って事を成そうとするはず。そもそもテロリストは自分が信じる正義以外は一切認めないからな。臨む形にならない社会など、いくら破壊しても構わない。自分が望む社会事が正しいって本気で信じてるキチガイってこった』
――荒れてるな……
ジャクソンの物言いには鋭い棘があった。
ただ、バードだって良く分かっている。
愛する妻と子を失った男は、テロリストを射殺する事に抵抗が無い。
つまり、この場においてのジャクソンは、自分自身の復讐に駆られていた。
話し合いによる合意や、すり合わせの結果の共存を受け入れない奴らだ。
ならば、最終手段を取るしかないと、ジャクソン自身が本気で思っていた。
『まぁ、まだ気を抜くなよ。あと5時間だ』
いつの間にかドリーが隊長らしい物言いになっていた。
それは、まさにテッド大佐の隊長時代そのモノだった。




