訓練・訓練・猛訓練
ヘカトンケイルの3少女救出作戦から3週間。
Bチームは相変わらずニューホライズンを周回していた。
母艦ハンフリーの艦内は段々と緊張感が薄れ始め、些細な事故が増えだした。
人的被害こそ出ないものの、だからといって見過ごせる物では無い。
ハインリッヒの法則にある通り、些細なヒヤリ事例の積み重ねが危険なのだ。
やがて手痛い被害が発生する。如何なる時代でもそれは変わらない。
それを防ぐ為のマネージメントも士官の努めの一部と言えることだ。
Bチームは二日に一度のペースでパトロール出撃しつつ、それを行なっていた。
シェルや武装の整備に関して完璧を求め、クルーに厳しい注文を付けてのだ。
ただそれだけなのだが、整備クルー達もまた気を引き締め治していた。
「夜の側だと地上がよく見えるね」
140ミリを抱えたバードは、編隊の右隅を飛んでいた。
ニューホライズンの地上は大規模な引っ越しが続いていた。
「ラウにいたジュザ軍だろ?」
その声にバードは無意識レベルで左を見た。
荷電粒子砲を構えたロックのオージンが飛んでいた。
3週間ほどの間に着々と改良が進んだらしく、砲は体積を減らしている。
僅かな差でしか無いが、重心点が若干動きシェルの運動性は改善していた。
高速高機動を最大の武器とするシェルは、運動性が何より重要だった。
「ノミの軍隊のお引っ越しってな」
ロックの前方にいたライアンが軽い調子で言った。
ライアン機は280ミリを抱えていて、重装甲兵器対策要員だった。
「ノミの軍隊ってなに?」
「結構前にジョンソンが言ってたんだよ」
バードの反応にライアンが明るい声で返した。
気楽な調子で軽い会話をしている二人に、アナとダブが反応した。
「……ノミって、あの寄生虫に近い昆虫ですか」
「ノミとかダニとかって、あんまり歓迎しないですね」
バードのやや後方で、バードと同じく140ミリを抱えたアナとダブ。
まだどこか余所余所しい部分があるが、こんな会話に入れるようになった。
段々とBチームに溶け込んでいる。それはバードやロックが感じている。
そしてきっと、自分もかつてはそう思われていたんだと思っていた。
仲間という言葉が、ただの言葉から心の灯りに変化していた。
「ノミの曲芸ってな。小さな部隊の上でポンポン跳ね回るのさ」
そんな言葉を返したのは、その小隊の先頭を飛ぶジャクソンだ。
チームの半分を預かって東廻りでパトロールに出ているBチーム第2小隊。
彼らはいま、ニューホライズンの自転を追いかけつつ、ラウの上空にいた。
「そういや、ジュザのスィンポールが完全に包囲されたらしいな」
ロックは出撃前のブリーフィングで聞いた内容を思い出した。
ガンルームの中で行われた戦況説明では、ドリーから地上の戦況が知らされた。
ジュザ共和国の首都スィンポールは、周辺人口含め500万の大都市だ。
その都市が地球軍により包囲されていて、アリの這い出る隙間も無いという。
ただ、その包囲も、街を貫く大河シラフの部分だけは切れていた。
「アレじゃ包囲もザル以下ですぜ」
「仕方ねぇさ。どこかに緩い部分が必要だ」
ダブの声にジャクソンが返した。
交渉というものは、押すだけで無く引く事も重要だった。
地球軍指令本部とジュザ政府指導部との間で厳しい交渉が続いているらしい。
「あの街は首都だろ?」
ライアンは少しばかり呆れた様な調子で言った。
言いたい事はバードにだって良く解る。
巨大都市と言う事もあって、民間人の方が遙かに多いのだろう。
「民間人は脱出させるのでしょうか?」
アナの言葉には警戒感が滲んだ。民間人まで含めての戦闘は歓迎しない事だ。
人類史を紐解けば、派手な市街戦をやった結果をいくらでも見る事が出来る。
都市部の全てを破壊し尽くす戦闘の後、100年単位で禍根を残すことになる。
故に、軍の指導部は出来る限り市街戦を避け、軍機関同士の決戦を求める。
軍人は死ぬのが仕事だが、その相手は民間人では無い。
民間人まで含めた、血で血を洗う凄惨な戦闘は、次の戦争の導火線でしか無い。
「あの隙間から脱出できりゃ重畳だけどなぁ……」
言葉尻を濁したジャクソンは、地上を凝視した。
ラウからジュザ上空に入った第2小隊は、スィンポールへ続く光の帯を見た。
ジュザ軍は民間人を運び出すため機材を搬入中と説明していた。
その実態を知りつつ、地球軍も黙認している。
都市に居る500万の民間人は、双方にとって人質のようなものだ。
出来ればこっちの手は汚したくない。汚れ仕事は相手に押し付けたい。
双方が同じ事を狙う壮大なババ抜き状態の中で、バード達現場は苦労する。
とっとと降伏して欲しいとバードは願った。民間人を殺さずに済むように。
――――――――2300年12月27日 シリウス協定時間 午前10時
ジュザ大陸 スィンポール上空 高度800キロ
ジュザ共和国の首都スィンポールへと迫った地球軍の総戦力は、凡そ200万。
都市部の人口は500万を越え、そこにジュザ軍凡そ40万が合流している。
中心部へと抜けられる唯一の切れ間はシラフ川で、その川面にも光があった。
「あの川の光って……脱出船でしょうか」
アナはそれがどれ程に希望的観測であろうと、口に出して言いたかった。
甘いと言われればそれまでだろうが、やはり民間人相手の戦闘は歓迎しない。
血で血を洗う壮絶な地上戦を経験していない兵士は、みな同じ事を思うのだ。
もっとも、それを経験したバードだって歓迎しない。
もっとヴェテランな者達だって歓迎しない。
どれ程経験したとて、怨嗟の目で見詰められる事には慣れないのだ。
「ラウの戦力が流れこんでんだろうな……」
吐き捨てるように言ったライアンは、それでも僅かな希望を捨てていなかった。
ラウは完全に戦闘を停止し、シリウス連邦からの離脱を宣言していた。
つまり、ジュザは単独でハシゴを外された形になっている。
連邦を形成していたリョーガーは既になく、ラウも共存に舵を切った。
シリウス連邦は事実上崩壊し、ジュザは総戦力を減耗しつつある。
そもそも、重機材の生産や整備と言った部分はラウに依存していたジュザだ。
補給の見込みは全く無く、食料すら滞り始めているのが解っていた。
「あの類いの連中が得意な奴。もう始まってるだろうさ」
ジャクソンは遠回しに批判的な言葉を吐いた。
ジュザの内部では強行派と穏健派の啀み合いが始まっている。
古来より、熱病のような夢に浮かされた者達は、ほぼ全てが同じ道を辿る。
ごくごく僅かな方針の違いを双方が乗り越えられず、諍いを起こすのだ。
そして、赤化革命の夢を見た強力な指導者は、だいたいが粛正の嵐を起こす。
人類史に燦然と輝く虐殺系独裁者の御三家は、そのどれもが共産主義者だった。
「ポル・ポトかスターリン張りの大粛正でしょうか?」
割とインテリっぽいダブは、控えめな口調でそう尋ねた。
ただ、その答えは誰も知らないし、知りたいとも思わない。
自国のインテリ層300万人を容赦無く殺したポル・ポト一派。
自分に刃向かう可能性のある全てをチェキストに殺させたヨシフ・スターリン。
或いは、この二人ですら生ぬるい事を平然と行った毛沢東の様に……
「勝つ為なら何でもする。強行的独裁者ってのは、だいたい同じ道を辿るもんさ」
ジャクソンはボソリとそんな事を呟いた。
どう頑張った所で、勝てないと解っていてもそれをせざるを得ないのだ。
何故なら、負ければ全てを失うのだから。そして、自らの身が危なくなる。
人間の愚かな性として、一度手にした物を失いたくは無いものだ。
ましてや、一国の権力を掌握し、やりたい放題が出来たのだ。
半ば独裁体制にある国家では、その傾向がどうしても強くなる。
「独裁者……だよね。話しに聞く限り」
バードも暗い調子で本音をこぼした。
シリウス進出作戦における資料の中で、幾度も目にした名前があった。
ジュザ共和国の国家指導部は、国家主席と、それを補佐する委員会が全てだ。
そして、その委員会の正式名称は、中央政治局常務委員会という。
総勢12名でしかないその委員会は、それぞれに産業や軍事を司る大臣級だ。
そんな彼らが素直に権力を手放すとは到底思えない。
間違い無くジュザ指導部は粛正に熱を上げているだろう。
そして、市民の脱出を許さず、最後の一兵まで徹底抗戦を命じているだろう。
「まぁ、なるようにしかならねぇ」
刹那的な言葉を吐いたジャクソンは、進路を大きく変えて旋回した。
所定のコースを回った第2小隊は、ジュザ大陸上空から南太洋へと出た。
地球と同じく、広大な大海原が広がっていて、その青い水面に白い雲が浮かぶ。
「やっぱ実際に飛ぶのは良いな」
海を見ながらボソリと呟いたライアン。
その声にロックが応える。
「シミュレーターはどんなに作り込んであっても……飽きる」
「だよなぁ」
パトロールの出撃が無い日は、シミュでの訓練を重ねているBチーム。
想定される空域での戦闘シミュでは、何度も何度も撃墜の屈辱を味わっていた。
「まぁ……愚痴を言ってもはじまらねぇぜ」
「それもそうだ」
軽い調子で会話のラリーを重ねるライアンとロック。
サイボーグの宿命として、高G環境での戦闘を繰り返せば身体が減耗するのだ。
可動部分に通常ではあり得ない力が掛かれば、どうしたって摩耗が早くなる。
生身と違って、サイボーグはその手の摩耗が自然治癒しない。
それ故に、彼らはシミュレーターでの訓練を積み重ねることになる。
複雑な重力の影響は計算出来るが、正解かどうかは飛ぶまで解らない。
だからこそ、シミュと実機の訓練は両輪を為すのだった。
『ジャクソン。パトロールご苦労』
無線の中に響いた唐突な声。
それがテッド大佐の声だと気が付き、バードの胸が高鳴った。
『あ、オヤジ。コース中は問題なしです』
ジャクソンは軽口レベルでそんな報告をした。
だが、そんな言葉とは裏腹に、全員が警戒レベルをひとつあげた。
――やばい……
バードも思わず身体に力が入る状態だ。
レーダーのエコーには輝点が四つ浮いている。
そして、IFFの情報は、全て友軍のシェルだった。
――テッド隊長が出て来てってことは……
想定される事は一つしかない。
この日のパトロールにはオプションがあると言う事だ。
つまり、ただの遊覧飛行では終わらず、ちょっとしんどい事になる……。
『久しぶりに稽古を付けようか』
ウッディ大佐の言にバードは一瞬だけ引きつった表情を見せた。
何故なら、その後ろに続くシェルは、ヴァルター大佐だったからだ。
そして、その後ろにはロナルド大佐が飛んでいた。
――あちゃぁ……
模擬戦とは言え、テッド大佐とウッディ大佐が顔を出した。
つまり、訓練の成果を見せろと言うことではなく……
――隊長達のトレーニングだ……
――でも、なんで第2グループの隊長が……
そう訝しがったバーディーは無意識レベルでコックピットのモニターを点けた。
地上からの放送がキャッチされたモニターの中では、ラウ政府指導部によるシリウス連邦からの離脱宣言が流れていた。
――また1ページ進むんだ……
バードはこの瞬間に歴史が動いたことを感じた。
そして、自分自身がそれに立ち会っていることを実感していた。
『なに、大した事じゃ無い』
『そうさ。ゲームばっかじゃ飽きるだろ?』
ヴァルター大佐もロナルド大佐も軽い調子だ。
だが、軽いのは言葉だけで訓練はヘヴィだろう。
『手順を確認する。編隊を大きく取って……』
音吐朗々に説明するテッド大佐の声を聞きながら、バードは直感で思った。
近いうちにあのワルキューレとやり合う事に成るのだ……と。
だからこそ隊長達が出てきて、リハビリのように腕を確かめている。
言葉では説明出来ない直感的なあれやこれやを再確認する為だ。
どれ程シミュレーターで訓練を重ねても、所詮それはパターン化された物。
――さて……
気が付けばバードも笑みを浮かべていた。
ここまで積み重ねた訓練の成果を確かめたい。
自分の実力と欠点を客観的に見詰める良い機会だった。
『それぞれに課題を見つけて帰ると良い』
ヴァルター大佐が遠慮のない口調でそう言った。
それに続いてロナルド大佐も言う。
『逃げを打たず、だけど、特定にこだわらず、流動的に手近な所からさ』
――あ……
――論理的だ……
そう思ったバードだが、乱戦状態の訓練は唐突に始まった。
先ずはハンフリーへ五体満足に帰ることをバードは目標とするのだった。




