深夜のHALOは危険な香り・後編
~承前
深夜2時のジュザ上空は、墨を流したような闇が目の前に広がっていた。
慣用表現としての言葉を思い出したバードは、それが事実だと実感した。
ただ、目を凝らせば地上では次々と眩い光が産まれては消えている。
深夜だというのに、地上掃討戦は休み無く続いているのだ。
痛みも疲労も知らぬ機械の兵士は、24時間休み無く闘い続けられる。
サブコンに戦闘を任せ、意識だけが眠っているなんてのも朝飯前だ。
――大丈夫かな……
チラリと目をやったアナスタシアは、安定した空中姿勢を取って降下していた。
思考手順がまるでAIそのものなアナスタシアは、恐怖に鈍感な部分がある。
ただ、夜間降下はそれだけで痺れるミッションだが、今回は高度もあるのだ。
訓練を積み重ねたはずとは言え、シミュ訓練だけの初心者には難しいだろう。
『しっかり風を受けて速度を落として』
『はいっ!』
バードのアドバイスにアナの声が上ずった。
高度5万メートルからのHALOともなれば、減速無しだと音速を超える。
さすがにこの速度で真っ暗闇を降下していると、本当的に怖いのだろう。
『大丈夫大丈夫。安定してるよ。問題ない。基本に忠実にね』
どれ程にサイボーグの身体が強靱でも、音速の壁はやはり手強い。
吹雪の中を降下したカナダの一件を思い出し、バードも身体を大きく広げた。
最大効率で風を受け、速度を殺して降下速度を抑制する。
言葉では説明できず、場数と経験とがモノを言う領域の話だ。
それでもアナスタシアは冷静に対処して上手くやっていた。
やや離れた位置でホーリーの支援を受けるメイファの方が不安定だった。
『高度3万。順調よ』
ルーシーの優しい声が無線に流れ、メイファの姿勢が安定した。
絶妙のタイミングで声を掛けるルーシーの心配りが凄い。
――気配り……ね
『やっぱりパラ降下は面白い!』
ミシュリーヌの声が無線に流れ、第2グループの女達が笑った。
長らく外太陽系を活動領域にしてきた筈だが、パラ降下も経験があるらしい。
――ヴェテランだなぁ……
何となく嫉妬に近い感情を覚えたバード。
だが、視界に浮かぶパラメーターはその心を現実に引き戻していた。
徐々に気圧が上がっているので減速率も向上しているが……
『平均降下速度は時速換算360キロを越えてるね』
『まもなく高度1万!』
バードの声にホーリーが返した。
大気密度の向上による空気抵抗の増加は速度の低下を引き起こす。
事実、HALOで降下する隊員が加速している時間は僅かだ。
降下艇を飛び出してから10秒と掛からずに降下速度は頭打ちになる。
そして、その後は僅かな減速Gを感じている。
事に彼女らは高性能な機体を使うサイボーグなのだ。
高精度なジャイロセンサーによる加速度検知は、彼女たちに安心をもたらす。
『予備減速! 小型の方のパラを使うよ 間違えないで』
バードは小型パラを展開し速度抑制に入った。
ニューホライズンの成層圏から対流圏へと突入したら空気が変わった。
『ウッ!』
鈍い声を誰かが漏らし、その声が生身っぽくて皆がくすくすと笑った。
そう言った『生々しい反応』を漏らすのは珍しいからだ。
『アナ! 大丈夫?』
『へっ 平気ですッ!』
アナスタシアが強がりを言った。バードにはそれが手に取るようにわかった。
あの、初めて火星の空を飛んだときを思い出し、ヘルメットの中で笑った。
いきなり高度5万のHALOをやったアナスタシアには度胸と根性がある。
間違いなく大物になると確信し、自分と同じにしてはいけないとも思った。
画に書いたような猪武者では命が幾つあっても足りないのだ……
『雲ね』
『白いドレスも素敵よ』
第2グループ側の女達が笑っている。
ただ、雲の中が酷い乱流なのは言うまでもない。
『ルーシー 突き抜けるの?』
確認の言葉を掛けたホーリー。
だが、その返事が返ってくる前に全員が雲の中へと入った。
『あー 視界ゼロ』
『どうせ真っ暗よ』
『そうね』
誰かがそんな会話をするなか、幕のような雲を一気に突き抜けた。
高度7千を切った辺りの高度で視界が開け、眼下に光の海が現れた。
ただ、その光は街明かりでは無く、幾多の砲火や閃光。そして爆発だ。
『遠くで見てる分には凄い奇麗……』
アナが感嘆の言葉を漏らし、自分もそうだったとバードは思い出した。
ただ、その光の海は全て敵基地だと言う事実が頭をよぎった。
光の海の中心には、一際光を集める施設があり、それを囲んで基地がある。
――さて……
改めてその基地を凝視したバード。驚く程にぶ厚い城壁が施設を囲んでいる。
そして、オープントップ構造なのか、屋根は掛かっていないらしい。
『水平射撃じゃ戦車砲クラスでも撃ち抜けないわね』
『高出力な荷電粒子砲が必要ですね。それでも無理かも知れません』
スナイパーであるホーリーがそう呟き、メイファがそう応えた。
酷いHALOを経験したが、ここまで来たら多少は落ち着いたらしい。
たいした度胸だと感心するしかないバードだが、状況は刻々と変わっている。
『高度三千! 無音降下!』
ルーシーの声に弾かれ、バードは予備減速パラを電動収納した。
そして、それに代わって広がったのは、本降下用の大型パラ。
ただし、このパラはつや消しの黒に塗られた、音が出ないタイプだ。
『着地地点は各個視認! あの施設の中央広場へ降りる!』
超高々度降下だったが、強い風を受ける事もなく楽な降下だった。
そんな事を思っていたバードは、自分の油断と慢心を知った。
第一作戦グループは地球を中心とした内太陽系での活動が多い。
それは当然の様に、パラ制御の精度や錬度の違いとなる筈。
つまり、ここでミスをすれば第1作戦グループ全体が甘く見られる。
仲間達やテッド隊長や、そう言った面々のメンツが掛かっていると言って良い。
――――バーディー! トップバッターだ。いい女は優雅に降りろよ
――――そうだぜバーディー ドレスの裾は踏まねーようにな!
――――ヒール折るのも減点だぜ!
耳の中にテッド隊長の言葉がよみがえった。
ジョンソンとライアンの楽しそうな声をも思い出す。
『アナ! 優雅に格好よく降りるよ! 足を揃えて着地を予期せず、ふんわりね』
ふと、ODSTスクールで散々やった自由降下のトレーニングを思い出した。
着地地点を確認し、大きく両手を広げ、パラを引き絞って速度を殺した。
『バード着地!』
無線の中に着地報告を上げたバード。間髪いれずホーリーが着地報告を上げた。
そして、ミシュリーヌの声が聞こえ、まだ名前を確認していない声が聞こえた。
――アナ!
パラの始末をしながら振り返った時、アナがふんわりと着地を決めた。
見事と言って良いレベルでの無音降下で無音着地。
『上手い上手い! エクセレント!』
ルーシーもアナスタシアを祝福し、その直後にメイファがタッチダウンした。
同じようにハイレベルな着地を決め、ルーシーが同じように祝福した。
――こんなミッションで初降下か……
ふと、自分は恵まれていたんだとバードは思った。
難しい条件での降下や作戦の遂行が実力を鍛えると言うが……
――――凪の海は船乗りを鍛えない
エディが常々言っている言葉を思い出す。
そして、それと同じ事を平然と行ったルーシーを思う。
「さて……」
感心している暇がないのは解っている。
パラを畳んで収納し、同時に降下用のワンピースを脱いで身軽になる。
その下に着込んでいたのは、野戦向け戦闘用の装備一式だ。
「地上戦なんて久しぶりだわ」
「新米に若返った気分ね!」
「ババァがなに言ってンのよ!」
第2グループの女達が騒がしい。
だが、この時点でバードは自分の認識の甘さを思い知った。
第1グループから来た自分やホーリー、アシェリーや新人二人はみな少尉だ。
だが、第2グループはミシュリーヌ以外が中尉や大尉の階級章を付けている。
そして、ミシュリーヌは少佐だった。
――向こうの方がヴェテランなんだ……
勝手に同階級だと思い込んでいたバードは、己の認識の甘さを知った。
それと同時に、見事な着地を決めていたミシュリーヌの正体を思案した。
ドッグタグには少佐のマーク。どう考えたってただモノではない。
――何者なのだろう……
死を待つばかりだったバードも、いつの間にか随分と海兵隊に染まっていた。
ブレードランナーとして積み重ねた経験は、相手を探る能力になっていた。
だが、まだまだ知らない事があるのだと、その事実を受け入れるしかなかった。
「ご苦労さま。子供たちの宮殿へようこそ」
深い思索の底へと沈んでいたバードだが、その声で瞬時に警戒態勢となった。
僅かに腰を落とし、視野を広くとり、辺り全てを全バンドでサーチする。
――え?
そのバードの視覚センサーに映るのは、あどけなさの残る少女だった。
ブレードランナーとして活動した経験から、バードは常に気配を探る癖がある。
だが、その全てのセンサーを掻い潜り、いきなり目の前に現れた少女……
――ヘカトンケイル!
そこに立っていたのは、ヘカトンケイルに属する永遠の少女のひとり。
季節の三姉妹と呼ばれる娘、ディケーだった。
「あらあら。管理者がいきなり姿を現して平気なの?」
ルーシーは軽い調子で言葉を返した。
だが、その足元を見れば、用心も警戒も解いて無いのがわかる。
背中に漂う緊張感は、ルーシーもまた修羅場を乗り越えてきた人間だと言う証。
「そう警戒しないで。ヘーラ姉さまから指示が出ていますから」
ニコリと笑ったディケーは、クルリと踵を返し、施設の中へと進んで行った。
そして、暗がりへ半分ほど消えた所で立ち止まり、振り返って言った。
――――どうぞこちらへ
離れたところからの声に導かれ、ルーシーは一歩を踏み出した。
その後ろにはミシュリーヌが続き、第2グループの女達が付いて行く。
鷹揚とした姿のルーシーとミシュリーヌ。
だが、その裏では無線が飛び交った。
『エレン。バーディー。左右を慎重にチェックして。レプリの自爆が怖い』
ルーシーの声に緊張感がある。
バードはそこにもルーシーとエディが重なるのを見た。
『了解です。バード少尉、左手を見て』
『了解しました』
『ところでバード少尉』
『はい、なんですか?』
『月面基地のNSA隊員なデッカードとレイチェルは元気にしてる?』
久しぶりに名前を聞いたバードは、心の中が懐かしさで一杯になった。
あのキャンプアームストロングの中で経験した事は、いまでも輝いていた。
『えぇ。もちろんです。あのふたりから沢山教わりました』
『……そう。よかった』
『あの……』
『積もる話しは後にしましょう』
少し前を歩いていた女性が振り替えてウィンクした。
この人がエレンなのかとバードは初めて知った。
そして同時に、自分が随分と油断していた事に気がついた。
――人物識別アプリ……
ブレードランナーである筈の自分が職能を忘れていた。
ニューホライズンをグルグルと回る退屈な日々で完全に抜け落ちていた。
視界に浮かぶプロパティタブを視線入力で開き、人物識別アプリを起動する。
そのプロパティ画面から、人物の立体情報をも得るようにした。
――ヴェルディアーナ大尉…… エンツァ大尉……
――エレン中尉…… リザ中尉…… マイコ中尉……
――ミシュリーヌ少佐……
そのミシュリーヌの人名脇には柏葉のマークがあった。
それはつまり、何処かの隊長を意味する……
――Fチームだ!
バードはそう直感した。ヴァルター隊長が第2グループリーダーなのだ。
元Eチームのミシュリーヌは少佐になってFチームを預かっている事になる。
その重圧と責任の狭間でミシュリーヌは優雅に振る舞っていた。
――凄いな……
目の前に見習うべき手本がいて、理想的な振る舞いを見せている。
その事実に、バードはあれだけ呪った神に感謝したいとすら思った。
そして、この特別チームに送り込まれた事をも感謝した。
目指すべき成長の未来が、ここに有るのだと実感したのだった。




