恐怖に震える退屈な日々
モニターを見つめるバードは、酷く不機嫌だった。
表向きは平然を装うが、内心は荒波逆巻く太洋だった。
士官の矜持として、常に泰然と、鷹揚と振る舞う事を普段から心掛けている。
ただ、どうしたって内心は漏れてしまうもの。必死で取り繕っても漏れるのだ。
それは、指先の僅かな仕草だったり、或いは、デスクの下の足の様子だったり。
「では、この支援降下は取り消しですね?」
ドリーが確認する様に言った言葉は、紫色の煙になって士官室を漂った。
言葉は目に見えない風と同じだが、バードにはそう見えたのだ。
『あぁ。そうだ。取り消しだ。降りる必要はない』
無線の向こう側。テッド大佐の声もどこか沈んでいた。
張り切って降下するつもりで居たのだ。自らのレゾンデートルを掛けて。
サイボーグは生身を護る為に存在する。
僅かな怪我や負傷で動けなくなる生身の為に、先頭切って突入する。
汚れ役も痛い役も進んで引き受けて、そして自分の存在価値を証明する。
それこそがサイボーグであり、そして、Bチームだ。
だが、その隊長だったテッド大佐は、元締め的なポジションに昇格した。
そして、いつの間にかBチームは暇を持て余す暇人集団に成り下がった。
「あ~ぁ 今回も高みの見物かよ……」
ライアンは露骨に嫌そうな声音でそうぼやいた。
ジュザ大陸の地上では、相変わらず激戦が続いていた。
支配地域の面積は着々と拡大し、橋頭堡を中心に半径200キロ圏内は安全だ。
部分的に突出してる場所もあったりして、シリウス軍は大きく後退している。
だが、それでもジュザ大陸はシリウス軍の最大集結地だった。
各所に頑強な抵抗拠点が存在し、降伏などあり得ぬと抵抗を続けている。
その抵抗は最後の一兵までが銃を持って戦い続け、攻める側にも負担が大きい。
――――絶対に降伏などしない!
その意気や良しよ言うべきか。それは誰にも分からない事だ。
ただ少なくとも、攻める側には大きな重圧だ。
最後の一人になるまで、狂気に駆られた目で襲い掛かってくるのだ。
精神を病むと言うだけでは済まされないプレッシャーに晒されていた。
「……地上の最前線が広すぎるんだ」
ペイトンも苦虫を噛み潰したようにぼやいた。
とんでもない戦闘能力のBチームだが、逆に言えば所詮12名の小所帯だ。
現在、地上のジュザ大陸では、最前線の総延長だけで600キロを軽く越える。
各所に頑強な抵抗拠点があるが、その全ては迂回して後方を遮断してしまった。
つまり、完璧な干殺し状態となり、抵抗拠点は立ち枯れしていく。
降伏を3度勧告し、その全てを拒否した場合は艦砲射撃だった。
「抵抗拠点は…… 12カ所か」
「そのうち、最低でも3カ所は民間人が居る一般市街だぜ」
ジャクソンは指を折って勘定し、スミスは市街地を気にした。
都市部での激しい戦闘を見てきた男にしてみれば、市街戦は歓迎出来ない。
そしてもちろん、あの戦闘訓練で街ひとつを皆殺しにしかけたバードも……だ。
老若男女の全てを鏖殺した恐るべき戦闘マシーンな自分自身が恐くなる。
先の降下では初めて戦闘中にダミーモードに陥っていた。
――市街戦はやだな……
そんな事を思うのも致し方ないのだろう。
激しい戦闘が続いていて、幾多の死傷者が出ている状況ではある。
だが、そんな中でもBチームは暇を持て余して待機を続けている。
ブリッジチップ廻りの疼痛は治まったが、心の中の痛みは増しつつあった。
自分がただの役立たずなんじゃ無いか?と言う恐怖に駆られているのだった。
――――――――2300年10月25日 午前11時
ニューホライズン 周回軌道上 高度800キロ
強襲降下揚陸艦 ハンフリー艦内 ウォードルーム
誰かが溜息と共にコーヒーカップを置いた。
地上では今この時も『なんで増援がこねぇんだ!』と叫んでいるかも知れない。
敵に撃たれ、痛みと共に血を流し、呻きながら死にかけているかも知れない。
その血が肺にたまって、自分の血で溺れているかもしれない。
凄まじい膂力を持つレプリが大暴れして、生身を撲殺してるかも知れない。
今すぐ助けに行きたい!
その感情が囃し立てている状態だ。
「なんだか……」
「あぁ。落ち着かねぇ」
バードの吐露した本音にロックが反応した。
ロックは相方が何を言いたかったのかを正確に理解し、答えたのだ。
たったそれだけの事だが、バードの心がグッと動いた。
通じあってある心地好さに悶えた。
「しかしまぁ…… なんだな」
身悶えるバードを他所に、ライアンはモニターへの悪態を忘れてなかった。
腹立たしげに舌打ちしつつ、地上の様子を見つめていた。
「参謀本部のお偉方は、俺たちの使い方を忘れちまったのかな」
ライアンに続きペイトンが悪態をはいた。
焦燥感に駆られる面々にしてみれば、そんな言葉の一つもこぼしたくなる。
ただ、実際の話として本音を言えば、地上に降りたいのだ。
毎日毎日ニューホライズンを周回するだけの日々に飽いているのだ。
死と隣り合わせな危険を承知で、それでも出撃したいのだった。
「そりゃねぇだろ」
ペイトンを指差しながらジャクソンは言った。
「地上の連中だって際どい所でやってんだろうぜ。それに、だいたいもって俺たちが降りて大暴れすりゃ、えらい事になるぜ」
ジャクソンは手にしていたカップを空にして、新しくコーヒーを注いだ。
馥郁たる香りが漂い、バードは思わず鼻を鳴らす。
「そりゃそうだろうけどよぉ」
「まぁ、なんだ。物には使い時と使い頃ってモンがある。今は待つのが重要さ」
元警察官であった男は、待機にも意味がある事を理解していた。
出番の時を袖で待つように、じっとしているのも重要な事だ。
「まぁ、なんだ」
チームの面々の中で最後に口を開いたドリーは、淡々とした口調で言った。
嘆くでも諦めるでもなく、ただただ、淡々とした姿だった。
「今は艦全体が白けている。俺たちだけじゃなく、艦のクルー自体が暇を持て余している。やってる事は一日おきにシェルでパトロール出撃だけ。実弾を撃つ事も無いし、派手な戦闘をする事も無い。だから――」
ドリーはスッと腕を組んで天井を見上げた。
それは、かつてのテッド隊長が良く見せていた仕草だ。
長らく副長を務めたドリーの中に、テッド隊長のDNAが残っている。
ふと、バードはそんな事を思った。
「――俺たちはいつもと同じようにテンションとモチベーションを維持し、艦のクルーが緩まないように。全てのポジションの乗組員が自分の持ち場でベストを尽くすように。そう煽ってやるのが今の任務だ。必要な時にスッと動けるようにな」
ドリーの言葉に全員がハッとした様な表情を浮かべた。
批判している場合じゃないと思い出したのだ。
士官としての矜持や有りかたをドリーは全員に再確認させた。
それは、間違いなく隊長としての矜持であり、理想像だった。
――――同じ頃
戦闘指揮艦 ネルソン 作戦検討室
「今頃は彼らも荒れ狂ってるぞ?」
何ともイタズラっぽい言い方でエディが笑った。
その言葉を聞いたテッドは、複雑な表情を浮かべていた。
「……理由を聞きたがってると思うよ」
「だろうな」
実際問題として、エディやテッドも歯痒い部分がある。
ジュザ大陸における占領地域は着々と拡大している。
進行している軍団の減耗も、想定より低いのが現状だ。
各部の抵抗は下火になりつつあり、全てが順調かに思われた。
だからこそ、エディもテッドも慎重になっていた。
「そろそろ足元を掬われるだろう」
「一回はあるだろうな」
エディもテッドもそれを予測していた。
何時ぞやのバードではないが、上手く言っている時ほど罠に注意だ。
そして、調子に乗らず、欲を掻かず、堅実に確実に進まなければならない。
「ところでラウの方はどうだろう?」
テッドは目の前の端末を弄りながら、呟くように言った。
ラウ大陸で懐柔作戦を繰り広げている第2作戦グループの情報が知りたいのだ。
アリョーシャとマイクの2人を派遣したエディは、黙って様子を伺っている。
それは、全幅の信頼を置く2人に全て任せていると言う姿だった。
「特段厳しいと言う報告は来ていない。順調に進んでいるようだ」
アリョーシャ発の分析詳報は、ラウが予想以上に疲弊していると書かれていた。
また、マイクの書いた戦闘報告には、戦闘らしい戦闘が全くないとある。
そしてむしろ、戦闘を回避しようとする穏健派の姿が浮かび上がっていた。
「まぁ…… 向こうは順調だろう」
「ジュザの情報が適宜拡散されている状態か」
「その通りだ」
そんなエディとテッドの目があった。微妙な表情で見つめ合っていた。
二人とも、何も言わなくともわかっていたのだ。
まだ彼女たちが出て来てない。
それの意味するところは一つ。彼女たちはジッと出番を待っている。
最高のタイミングで飛び出し、こちらの横っ面を力一杯引っ叩くためだ。
「どのタイミングですかね……」
テッドはボソリとそんな言葉を漏らした。
ただ、その答えは聞かなくとも分かるのだ。
大気圏外にいる国連軍の戦力が地上に降りきるまで。
言い換えるなら、大気圏外の戦力が彼女たちの手に負えるレベルになるまで。
彼女たちは宇宙の何処かでじっと息を潜め待っているはず。
地球からの定期輸送船はひと月に一度程度のペースでしかない。
つまり、定期船が来る直前が一番危ない。
定期輸送船が到着する直前に宇宙戦力を撃滅し、定期船を待つのだ。
そして、ワイプインした直後に撃沈する。
戦力の展開が間に合わない段階で、一気にカタをつける。
そして、その後に地上戦において形勢逆転を図るのだろう。
ジュザの戦力は適宜後退し、主力はまだ無傷だ。
ラウの方も穏健派の都市などが降伏を選んでいるが、まだ抵抗する地域はある。
「嫌な展開だな」
「まったくです」
エディとテッドは深い溜息をこぼした。
古来より、男は女に振り回されるのが宿命だ。だが、今回は違う。
本当に酷いことになるまでのカウントダウンが始まっていたのだ……




