極秘任務
――――地球周回軌道上 高度七百キロ
アメリカ東部標準時間 0530
Bチームのシェルを収容したハンフリーは地球周回軌道の上をステルスモードで航行していた。ふと地上に眼を落とせば大きなモンスーンの雲が広がるインド洋の上空だった。
チームの面々は装備を解き、ハンフリーのウォードルームに揃っていた。熱いコーヒーを飲みながら、ペイトンやジョンソンはちょっと不機嫌だ。
「私の訓練に付き合わせちゃって……ゴメン」
バードはメンバーに謝った。
とりあえずそうするのが一番良いと思ったから。
だけど、ジョンソンやペイトンの怪訝な表情がバードを射抜く。
だが、怪訝であると同時に、どこかニヤニヤと下卑た笑いを浮かべても居る。
状況を掴み斬れていないバードの所へビルがやって来た。
「今回はバードの訓練なんかじゃ無いぜ」
意外な言葉がビルの口から出た。
「え?」
不思議がっているバードに気が付いてドリーが耳元で説明を始めた。
まるで内緒話をするようにヒソヒソ声だった。
「要するに、こりゃただ事じゃないって事だ」
「え? なんで?」
「なぜならまず、訓練なのにブルが居ない」
「あ、そっか」
戦術将校であるブルならば、こんな時は一緒に出てきて訓練に参加するはずだ。
おまけにブルはバードの戦闘センスに惚れ込んでいる部分がある。
そのバードがメインベルト外側向け兵器なシェルの訓練をすると言うのにだ。
「そんで、通常出撃だとしたらエディが居ない」
「そうだね」
ODSTのサイボーグチームが出撃するときは、必ず付いてくるエディ少将が姿を見せていない。つまり、統合作戦本部を経由した公式な作戦ではないと言う事だ。
「おかしいだろ? 高級将校はアリョーシャだけだ。ついでに言うと……」
ドリーの眼がチラリとジョンソンを見た。
コーヒーカップを弄びながらジョンソンがぼやく。
「なんでボスはバードにリンクしたんだ? 実戦シェルドライブならそんな事するわけ無いだろ?」
「そう言えばそうだ」
「つまり、ボスもグルだよ。全部承知でやりやがった。つまり」
「つまり?」
「……極秘出撃だ」
バードの顔に緊張の色が浮かぶ。
なにそれ?と聞きたげだが、質問したって全部教えてくれる訳じゃ無い。
タイミングと進行状況如何で、やっと全体像を漏らしてくれるのが関の山だ。
ドリーはニヤリと笑いながらバードを見ていた。
「隊長どうしたんだろう?」
「アリョーシャ捕まえて話をしてるさ」
「殴ってるんじゃ無くて?」
バードの心配にジョンソンが答える。
「今頃は襟倉掴んでダンスしてるさ。隊長は大人だからな」
何時も皮肉を忘れないブリテン人らしいジョンソンの言葉にメンバーが失笑する。
ビルは間を持たせるようにバードを指さしながら言う。
「今回はスクランブル訓練という大義名分で俺たちだけ月を離れている。月面航空管制がわざわざ船を退避させて目撃者が出ないようにしてまでだ。生身のODSTは一切居ない上に艦内はもぬけの空。基地の出航ファイルを読んだら、新型機器の作動チェックという名目でハンフリーはここまで来てるらしい。途中で俺たちを収容して、ついでにバード達新任少尉のシェル訓練」
ビルが上目遣いでニヤリと笑う。
「だけど実際、情報担当のアリョーシャが直々に俺たちを呼び出してるって事は、相当ヤバイ相手にドンパチやる事になるだろうな。普通に考えたって、まともじゃ無い方法で俺たちは月を離れている。出撃では無くスクランブルで緊急出動し、空振りだとわかってハンフリーへ収容された。そしてここには外太陽系向け戦闘兵器がある……」
次に何かを言おうとした時、士官室の扉が開いてアリョーシャが姿を現した。
ビッシリと作戦コードが書き込まれていたファイルを両手に持って。
「そんな訳で諸君。寝てる所をたたき起こし、手荒な方法で呼びつけてすまないね」
まだシールドされている機密書類を持ったテッド隊長も姿を現した。
「まだアリョーシャを殴ってないから手を出すんじゃ無いぞ」
隊長の珍しい軽口にメンバーが失笑を漏らす。
高級将校同志の打ち合わせでテッド隊長も間違いなくグルだ。
メンバーはそう理解した。
「さて、まずはブリーフィングだ。説明が欲しいだろ? 画面を見て」
バードは大型モニターに目を移した。チームメンバーも同じように見ている。
ゴツゴツとした大きな岩といった印象の少惑星が表示されていた。最大直径点で35キロ。最小直径点で17キロの菱形を回転させたような構造だ。各部に大型のパラボラアンテナを装備し、それ以外には大容量太陽発電パネルと、対隕石迎撃用レールガンを装備している姿がモニターへと表示されている。
「諸君らも映像くらいは見た事があるだろう。地球のラグランジュポイントL4に浮かぶ大型通信拠点。ルナⅡだ。名前は皆も知ってる事と思う。ここはNORADから発信される内太陽系通信網の最大中継点だ。カナダ西部の山荘に偽装したアンテナ拠点2236と直結された最重要拠点だ」
画面が切り変わり、地球からの情報ネットワーク接続ルートが内太陽系全域に延びていて、地球を出発した主回線を含め、その全てが一旦L4のルナⅡへ集まってから、再度拡散する構造になっていた。
広大な太陽系全域を結ぶ無線情報ネットワークの広がりと大きさをイメージしながら、バードは距離感がどこか麻痺している。
「実は以前から我々の情報回線網が継続的にハッキングされている。様々な場所から散発的に。しかし、毎回確実に防壁を突破し、我々の内緒話を盗み見ている。我々も情報の管理には細心の注意を払っているが、上手の手からも水は漏れる。情報と言うものには二種類ある。漏れても良い情報と、漏れては困る情報だ。そしてどうやら、あまりよろしくない情報が漏れているらしい」
アリョーシャは画面に表示されている情報のページを捲った。
「公式発表に使うオフィシャルインテリジェンスなら何も問題なかったんだが、どうもこのハッカーはアンオフィシャルな情報を専門に収集しているらしい。地上側に居るインサイドツーリストなら探すのはたやすいが、宇宙空間で活動するサーキットライダーだと、見つけてもそこへ到着する前に逃げられる」
公式に発表しても良い情報など店先に並ぶ商品と同じで、幾らでも眺めて良い。しかし、情報の中には知られては困る物や漏れ出ると不利益になる物もある。巨大組織宇宙軍のネットワークは様々な意図で侵入してくる者が後を絶たない。
古今東西。相手方の情報を100パーセント得たままの戦争など有った例がなく、その多くは半分以上不確定な情報を元に、慎重な腹の探りあいをしながら戦う事になる。双方がこの状態ならばあまり問題は無い。向こうも慎重に戦争するからだ。
しかし。
「我々とてシリウス側の情報を100パーセント集めているわけではない。したがって、このハッカーがシリウス側であれば全力で排除しておかないと困る。今回はそう言う作戦だ。ただし、相手が見えない。ネットワーク上に存在する幽霊のような存在だ」
画面が切り替わった。盗人装束のいけ好かない男がファイルを担いで逃げていくイラストだ。真剣に眺めていたBチームから失笑が漏れる。
バードはチラリとペイトンを見た。苦々しい表情を浮かべてペイトンが画面を見ている。顎を擦りながら、ハッキングの手順でも考えているのかも知れないと思った。
「実際笑い事じゃ無い。イラストは……ちょっと下手だけどな」
画面を見たアリョーシャも苦笑いしている。
「こいつの尻尾を掴む為に随分と冒険をしたが…… 一番問題なのは、いつ活動するかわからない上に、動き出してから行動完了までに6時間以内なんだよ。それも毎回だ」
再びアリョーシャが画面を切り替えた。概念的表現だが、僅かに違う情報の同時送信を複数の拠点から行った事が示された。相手方に渡しても良い情報で、しかも重要度が高く、価値を感じさせる偽情報。
僅かな仕草から本質を見極めねばならない情報当局者同士の腹の探り合い。嘘や紛らわしい情報をいくつか混ぜ、その中に真実を挟み込む。古典的手法だが効果は抜群にある。
相手が飛びつきそうな偽情報を混ぜた手札を作り、見え見えの悪手でそれを切る。しかる後に、確定情報に見せかけた正反対の情報を流し、わざと相手を混乱させる。それを幾つも組み合わせて相手が切るカードを読む。
その中に相手の本質が含まれているのならば、ゲームはチェックメイトだ。どこから情報が漏れ、どう対処するかを考えれば相手の手の内が見えてくる。
「我々が流した偽情報により、おそらく数時間以内にベルトの中継拠点が一つ消える筈だ。ベルトに浮かぶ基地。B4873とナンバーの振られたデータ中継端末拠点だが、全くの無人ながら高速通信中系拠点として使っている」
ケーブルで有線出来ない宇宙空間では、複数系統の無線通信を行わざるを得ない。
その関係で同じような通信中継拠点が幾つも用意されている。
「問題の多い捕虜を冷凍睡眠にして幽閉してあるとシリウス側に情報を流した。予想通り彼らは動き始めている。しかし、その拠点は無人で、しかも爆薬をたっぷりと詰め込んである。そしてご丁寧に、その爆破コマンドをNORADから直接送る事になっている。ルナⅡを経由してな」
メンバーが一斉に『ウヘェ』と呻いた。
「アリョーシャ。もしかしてラグランジュポイントでシェル使うのか?」
冗談めいた口調でジョンソンが抗議した。もちろん、命令とあれば遂行するだけだが、冗談を言うくらいの余裕は許されている。闊達な意見は重要だ。
「まだ使うと決まった訳じゃない。連中がベルトに手を出してからだ。それに、ルナⅡへ手を出さなければ、シェルドライブする事も無い。綺麗な惑星を見ながらブレックファーストに来ただけだ。訓練再開という形で月面へ帰れば済む。まぁ、コーヒーでも飲みながら優雅に待とう」
ニヤリと笑ってアリョーシャが応えた。
「手を出さなかった場合は?」
ライアンが挙手して質問した。同じ事をバードも思っていた。
「その場合は大人しく基地へ帰る。もう一度シェル訓練をしてな」
「訓練?」
テッド隊長が確かめるように聞く。
何でも知っていると思っていたバードは、その姿がちょっと不思議だった。
「あぁ。そうだ。腹いせに幾つか人工衛星を突っついて帰る。おそらく、ルナⅡへの回線を監視し枝を付けてる人工衛星だ。いくつかの機能休眠衛星がピンポイントで活動しているのをNORADの監視センターが掴んでいる。要するに、高度に自動化されたハッキングプログラム付きだろうな。まぁ、行ってみない事には解らんが」
アリョーシャが書類を配り始めた。【TOP SECRET】とスタンプされた赤い文字が見える。士官向けの機密書類だ。バードは思わず身構えた。
配られた封筒の封を切って書類を取り出す。切られた封のしたには『開封済み』の文字が出る。
「中をかいつまんで読んで理解しておいてくれ、全部は読まなくても良いだろう」
要約すれば長年追いかけてきたスパイの尻尾をようやく掴んだ――と。
バードは窓の外を見た。窓枠からあふれ出る程の大きさで地球の地上が見える。推定距離700キロ位だろうか。大きなハリケーンの雲が見えた。
「向こうが動くのはどれ位だ?」
ペイトンが声を上げる。今回の作戦ではおそらくペイトンとライアンが主役だ。通信担当で暗号スペシャリストでもあるジョンソンも参加するだろう。
専門分野にめっぽう強い人間が集まったODSTの特色の一つでもある。器用貧乏より一点集中スペシャリストを揃えるチーム作り。潰しの効く人選と能力水準は、ちょっとした自慢のタネだ。
「ベルトの4736拠点に何処から船が近づくだろう。我々はそれがどこから来たかを確かめてから爆破する。それまでには推定で二時間から四時間程だ。つまり」
アリョーシャはにんまりと笑ってメンバーを見回した。疑心暗鬼に怪訝な表情を浮かべるメンバーを見ながら、自信たっぷりに言いきる。
「ゆっくりと朝食をとっても良いと言う事だ」
ハハハと笑ってアリョーシャがウォードルームを出て行く。その後ろ姿を見送りながらバードは思う。超高速のシェルでL4を飛んだら、僅かなミスで人工衛星に激突して即死だな……と。
「考えても仕方が無い。ダイスが転がるのを待つしか無い」
面倒臭そうに笑ったテッド隊長が壁際に立っていた当直下士官へ指示を出した。まもなく幾人もの給仕担当がやってきて、ウォードルーム中央の大きな打ち合わせデスクの上に真っ白なテーブルクロスを掛け食事の用意を始めた。
軍隊という階級社会において、士官は絶対的権力者だ。全く手伝う事無く、バードは黙って書類を読みふける。あっと言う間に目の前のテーブルへ皿が並ぶ。
「少尉殿 失礼します」
書類を読むポジションが邪魔だったらしく、暗に移動を求められた。ハンフリーはそれほど大きな軍艦では無い。オフィサーズギャレーを持たない中型船は、一般兵卒向けのチャウホールと同じキッチンからワゴンでやって来る。
しかし、ロールアウト方式のチャウホールと違って少人数向けに丁寧な調理が成される物だ。味は良いし質も揃っている。
「お待たせしました」
バード達士官の前に用意された朝食は厚切りのベーコンにハッシュポテト。ターンオーバーで焼かれた目玉焼きとボイルソーセージ。そして、チーズの乗ったシーザーサラダ。
「どちらにしますか?」
メインディッシュの隣に控えるサブソーサーは選択式。五枚程重ねられたパンケーキにはメイプルシロップがたっぷりと掛かっている。だけど、朝から甘いものを食べたくないバードは、パンケーキではなくシリアルを選択。
「少尉殿は甘い物を食べても太りませんよね??」
一瞬ムッとするが、悪気のある言葉では無いと思って割り切る。給仕の者は不思議そうにしているが、ふと目をやったまわりの士官達が露骨に怪訝な顔をしていると気が付く。そして、間髪入れず自分のやらかした失言に思い至り、手の内側にジッと嫌な汗を流す。
聞く者によってはサイボーグを馬鹿にする言葉だ。しかもソレは、女性にとってデリケートで気を使う部分に対し無思慮に傷を抉るような仕打ちとも言える。
「……甘い物は控えてるの。虫歯になるでしょ?」
精一杯なバードの強がりにメンバーが大笑いを始める。釣られるようにしてバードも笑った。だが、問題はそこではない。
朝から砂糖たっぷりな食事を平然と平らげ、おまけにデザートでバニラアイス。そんな食事が当たり前な欧米人と違い日系人は塩気と旨味の食文化だ。どれほど経験してもこの甘さ優先な食事体系は慣れる事が出来ない。
だけど、それについて文句を言う事も出来ない。仕事としてそれを行う者が居る以上、士官は黙って受け容れる。オーナーコード違反は恥ずべき行為だ。ウフフと笑って話をごまかす位でちょうど良い。説明するのも面倒だし。
結局のところ。サイボーグは有機体なら何でもいいのだ。有機リアクターで電源変換してしまうし、糖などの栄養分はリキッドで補充する。
だから。ミミズでも芋虫でも、タンパク質あれば何を食べて平気だし、味は味覚切断する事が出来るから、不味かろうが苦かろうが問題ない。
地上展開時で切羽詰まった時には、下士官や兵卒に美味いモノを喰わせ、自分達はリキッドで食事を済ませてたり、或いは、半分腐ったようなレプリの死体を焼いて食べたりしてポイント稼ぎする事もある位だとバードは聞いた事がある。
幸いにしてそこまで酷い状況に陥った事はまだ無いのだけど、いつそんな時が訪れるかは誰にも解らない。それ故、こんな時は主計科要員の心尽くしを味わっておくべきだし、むしろ義務を帯びる。
「バード! 飯の時くらいは書類を読むのを止めろよ!」
呆れるような笑い声でジャクソンが声を掛けてきた。ある意味で神経質なバードは一言一句読み込まないと安心できない性質だ。真剣に読み込みつつ反芻して内容を確かめないと気が済まない。
「だけど、バードだけが気がつく事も多いからな」
ロックがそれとなく助け舟を出した。
その僅かな機微にリーナーがニヤリと笑う。
「昔々の赤軍じゃ、大隊付き政治将校には仕事熱心な奴をつけたらしいな」
ヘーと言わんばかりに話を聞くチームメンバー。
虎の尾を踏み掛けたばかりな主計科のスタッフは、話が聞こえないふりをして黙々と給仕を進めている。
「仕事熱心な政治将校だと督戦隊か?」
ハハハと笑うドリーの言葉に皆がつられて笑う。
「いずれにしろ迷惑な話だな。こんな時の将校はいい加減なくらいでちょうど良いさ」
テッド隊長が珍しく駄々話に加わった。考えてみればサイボーグに付き合って、とんでもない所へ送り込まれる生身が居る。手抜きやいい加減は良くないが、適度に緩くしてやらないと下の者が勤まらない。
だけど、その言葉の裏にある物にバードはやっと気が付いた。下士官の前で士官向け機密書類を読むのはよろしくない。
「いま読み終わった! お待たせ!」
実際まだ半分も読んでない、だけど、バードは慌てて書類を封筒へ収めつつ、努めて明るく振舞っていた。
「トピックは?」
ライアンが話を振る。
意地悪だなぁと言う眼でライアンを見返したバードは苦笑いだ。
「今日のラッキーカラーは青。上手く行ってる時ほど罠に注意だって」
冗談を飛ばしたバードの言葉でもう一度皆が笑った。
「さて、与太飛ばしてないでサクサク喰うぞ。どうせ飛ぶ事になる。味わっとけ」
隊長が最初に食事に手をつけ、チームの朝食が始まる。
皆で楽しく食べる食事は、バードにとって一番の楽しみだった。
―――太陽系 メインベルト エリアⅢ
周回少惑星 NO.3-4736
Bチームが朝食を終えコーヒーを飲んでいる頃、木星のトロヤ群から一席の船が出発した。それを最初に捉えたのは、メインベルト最大の小惑星ケレスにある国連宇宙軍の中継拠点観測所だった。
パッシブレーダー観測による監視が続く中、トロヤ群にあるシリウス連合の秘密基地を出発した小型宇宙船は、驚くような速度でメインベルトへと到達。情報部が流した偽情報を真に受けた工作員と思しき者達は、最大径僅か3キロほどのジャガイモのようなB4873へと張り付く。
大きなアンテナを持つ岩石の塊と言っても良い存在。
かつてはアステロイドベルトと呼ばれたメインベルトの中でも、取るに足らないサイズでは有るが、主成分として鉄鉱石や希少金属を大量に含んでいる関係で、採掘企業による争奪戦が繰り広げられた小惑星だった。
「これか?」
シリウス側の工作員三人が張り付いた所には、巨大な空洞を利用した反応炉が有った。
「どうみてもリアクターだな」
この時点で工作員は騙された可能性を考慮した。
しかし、巧妙な偽装の可能性を考慮して、念のため突入を試みている。
地球のシンボルマークが付いた国連軍の紋章付きドアを慎重にハッキングして解錠。
音も無く開いたドアの奥には制御パネル群が見える。
「灯りを付けろ」
それぞれがライトを照らして内部へと侵入を開始。
まさかリアルタイムでそれを見られているとはつゆ知らず……
「あった」
制御室の奥にある小さなホールには、複数の円筒形物体がチェーンでロックされて置かれていた。完全シールドされたその物体の側面には極低温警告と電源切断禁止のピクトサインが描かれている。工作員達はそれがコールドスリープボックスで有る事を確認した。
「よし、回収しよう」
複数の電源供給ケーブルが繋がる冷凍棺桶から、一つずつ丁寧にケーブルを抜く。手慣れた手つきだが、それを咎める者などここには居ない。警備員や警察官が巡回してこない自動販売機が安全で居られる場所などごく僅かだ。
だが、電子の目は監視していた。
最後のケーブルを抜いた瞬間。
ありとあらゆる周波数の無線回線に一斉警告が流れた。
【緊急爆破モードスタート】
内部へ侵入していた三名程の工作員が一斉に顔を見合わせる。
誰が最初に叫んだかは解らない。ただ、ハモった様に声が響く。
「罠だ!」
冷凍棺桶を投げ捨て、出入り口へと急いだのだろうけど――
数分後。
ケレスの観測センターは小規模なガンマ線バーストを観測した。
冷凍保存カプセルにタップリと詰め込まれた小型反応弾による連鎖爆発は、焦点温度十万度を越える熱線となって周辺5キロの空間全て焼き払った。僅かに残った岩石や熔け残った小型宇宙艇の一部が、新たなベルト群に加わった。
――――地球周回軌道上 アフリカ大陸南部地域上空700キロ
アメリカ東部標準時間 0830
「諸君。ビンゴだ。彼らは動き始めた」
ずらりと揃って作戦検討室の大型モニターを見つめていたBチームの士官たち。アリョーシャは満足そうにニヤニヤしつつ眺める。事前に描いた画の通り事態は転がっている。
「で、アリョーシャ。俺達は?」
テッド隊長の渋い声音が響いた。
「あぁ。とりあえず準備だけはしてくれ。ただ、すぐに出撃は無い。まずは向こうに動いてもらう。彼らがどこから来るのかを見たい」
「で?」
「舞台の袖から役者が出てきたら、まずは裏方を襲う。その後に役者にも消えてもらって幕引きだ。茶番劇はこれで終わり」
演劇や歌劇と言った文化の揺りかごだったロシアの人らしい表現だとバードは思った。いつも黙って聞いているのだけど、時々感心するような言葉が出てくる。ただ、合いの手を入れる側にいつも問題が多々あるようで……
「演目はなんだ?」
ビルの言葉にスミスが答えた。
「くるみ割り人形だろ?」
ニヤッと笑ったライアンが続ける。
「割っても喰えないけどな。かち割ってやろうぜ」
随分と好戦的な言葉が飛び交うなとバードは思う。だけど、それぞれに痛い記憶を持ったメンバーだ。あまり深くは聞かなかったけど、思う所が多いのだろうと思った。
片隅で露骨に嫌な顔をしているジョンソンと目が合って、困った様に微笑んだ。そんなバードの表情に、ジョンソンも少しだけ笑っているようだった。
――――同時刻 カナダ西部
ブリティッシュコロンビア州
猛吹雪の中、二台のビジネスバンが雪煙を上げて走っている。降りしきる雪をモノともせず、猛スピードで坂道を駆け上がっていく。
宇宙と地上の両方で事業を展開する通信大手ST&AT社のサポートバンは、除雪のされていない道へと突入しバンパーで雪を蹴散らして走る。自家用車ですら空中を移動する方式が多いこの時代だが、このサポートバンはタイヤをころがして走っていた。
眩いライトが真っ暗な森を照らし続けている。吹雪が収まる気配は一切無い。このエリアには暴風雪警報が出ている。明日の朝まで酷いコンディションだろう。
雪を被った山荘に到着したビジネスバンから幾人もの男たちが降り立った。様々な道具を持った以下にも職人といった風体の人間たちだ。手順に従って道路封鎖のカラーコーンを立て、作業中の看板を出す。
誰が見たって普通の作業員。
どこにも違和感は無い。
顔を見合わせた男たちは手馴れた手つきで山荘の鍵を開けた。無人の山荘へと侵入し秘密の地下室へのドアを開ける。複数のセキュリティチェックを突破し、最後のドアを開けた先。赤い非常灯の燈るサーバールームには膨大な量の光ケーブルがあった。
恐ろしい速度で瞬くブリッジルーターのLEDが、大量のデータ送受信を語る。男たちは一言も発する事無く、黙々と手持ちの機器へケーブルをつなぎ始めた。コンテナラックに何台もノートパソコンを並べ、何事かの工作を始める。
「吹雪が収まるまであと六時間よ。急いで」
最後に入ってきたのはリーダーと思しき女性だった。鋭い声音で作業を急かしている。それを聞いた五人程の男達が僅かに頷く。何事かの工作が進行する中、作業を見守っていた男は腕を組んでジッと黙考する。周囲にあるブリッジルーターの点滅がだんだんと遅くなり始めた。一分程の間に明滅が目で追える程になってきて、やがて灯りが全て失われた。
アンテナから中継サーバーへと繋がる回線に介入し、吹雪の影響で一時的に信号が途絶えたとコンピューターに錯覚させる。一旦通信を控えたコンピューターは、回線状況が回復したと判断するまで通信を控える事になる。
その間に回線介入するハッキングPCを挟み込み、回線状況が回復したと見せかけてやる。これで機械は簡単に騙せる。再びパイロットランプの明滅が始まった。
「よし。後は私の仕事」
先ほどまでの激しい明滅と同じ状態で何事かをやりとりしている。データを送り出す側だけで無く、受け容れる側のパイロットランプも明滅する。膨大な量のデータがやりとりされているのは、眺めているだけで何となく解る。
「システムチェックを入念に。カウンターハッキングに注意。プロテクションウィルスの自動散布開始。地雷ウィルスの多段敷設と進入阻止迷路の多重化を急いで。ここから忙しくなるわよ」
ノートパソコンのモニターに表示される情報を目で追いながら、リーダー格の女性は着々と仕事を進行させていた。




