おかえり
~承前
テッドは黙って立ち尽くしていた。
その目の前に広がる光景に言葉を失っていたのだ。
教会の尖塔から響く鐘の音は、あの頃のまま胸に響いた。
街中の雑踏の立ち並ぶ店も、どこか見覚えがあるものだ。
通りを行く人々の服装こそ変化した物の、その街並みは大して変わっていない。
「テッド。いやさ、ジョニー」
「……あぁ」
「ただいまを言いに行こうか」
テッドと並んで立つエディは、静かにテッドの背を押した。
その先には、一軒のパブがあった。
パブ・ギリーの足跡
グレータウンの街にある一番の集会施設であり、最も古いパブだった。
そのお店の入り口では、先ほどの女性がニコニコと笑って待っている。
そして、まるで賓客をもてなすように戸を開けた。
お店の中からは充満していた懐かしい匂いがあふれ出してきた。
「ウィル! テッドさんがみえたわよ!」
店の戸を開けて中に声を掛けた女性。
その直後、店の中からワラワラと人が飛び出してきた。
「本物だ! 親父! 本物だよ!」
ウィルと呼ばれた若者が喜んで声を上げる。
そして、ややあって中から出てきたのは……
「……トニーか?」
驚きの表情を浮かべたテッド。
その眼差しの先には、背の高い初老の男がいた。
「ジョニーだよな?」
「……そうだ」
「会いたかったよ! 良く帰ってきた! おかえりジョニー!」
そこにいたのはジョニーの幼馴染みであるトニーだ。
そして……
「親父! ジョニーが帰ってきたぞ!」
「え? まさか…… おい、本当か?」
驚くテッドは数歩前へと歩み出て足を止めた。
店の中から車椅子で出てきたのは、トニーの父ダニエルだった。
「……ジョニーか?」
「あぁ、そうだ。セオドアの倅のジョンだ」
「そうか…… 立派になったな…… おかえりジョニー」
ダニエルはヨロヨロと立ち上がって数歩だけ歩いた。
ただ、もはや足に力はなく、ガクッと膝の力が抜けた。
テッドは慌ててそれを支える。その向かいにはトニーがいた。
「帰ってきたよ。この街へ。長い旅だったが、帰ってきたんだ」
「そうか。その姿を見れば苦労も重ねたんだろう。ただ、多くは言うまい」
「あぁ。細かい事は聞かないでくれると嬉しいね。とりあえず――」
テッドはそのダニエルを抱き締め、万感の思いを込めて言った。
「帰ってきたんだ……」
テッドはすっかり老成したダニエルと抱き合って再会を分かち合った。
もうすっかり遠くなってしまった2245年の、まだまだ寒い早春の夜。
この街の中で見たエディ達の手際が、ジョニー少年の旅の始まりだった。
「思えば随分とアチコチへ行ったよ」
「少年は旅をして大人になるんだ。良い旅をしたか?ジョニー」
「あぁ。良い旅をしたと思う。誰も経験できないような、良い旅をね」
「……そうか」
車椅子へゆっくりと腰を下ろしたダニエルは、黙ってジョニーを見上げた。
そして、その後ろに付いたトニーが車椅子を押し始めた。
「積もる話もある。店に入ろう」
「あぁ。そうだな」
「ウィル! エールを用意しろ。人数分だ」
店へと入っていくテッドは、スッと振り返り手で指示を出した。
その立ち振る舞いには一分の隙も油断もなかった。
『ドリー。中隊にビールを振る舞う。若い連中に注意しろ』
『サー』
こんな時、パブに入っていけるのも士官の特権だ。
だが。
『ダブ、ビッキー。アナ。3人は外で留守番だ』
ドリーの言葉に3人は苦笑いの声で『イエッサー』を返した。
下士官以下の兵士たちは、車輌で待機というのが原則だ。
だが、ドリーはまだ半人前な新人3人にも留守番を命じた。
パブの中からトレーが出てきて、そこにはエールの入ったグラスがあった。
大き目のグラスには1パイントのエールが注がれ光っている。
兵士たちが一斉に歓声をあげ、階級順にグラスが配られた。
『テッド隊長。私も車輌に残ります』
やや恥ずかしそうな声でバードはそう言った。
中隊の中でも指折りで酒好きなバードだが……
『そうだな。バーディーには悪いが……』
『いえ。仕方が無いです』
『あぁ』
実は、バードの使うT-500には摂食機能が付いていない。
有機転換リアクターでは無く反応電池を使っているのだから仕方が無い。
生体パーツである脳の分は、カートリッジ化された栄養パックが受け持つ。
つまり、食べる事、飲む事の大好きなバードが、その楽しみを封じられている。
バードからすれば、好奇の目で見られる羞恥心よりもこれの方が辛い。
ついでに言えば、そんな条件で目の前でバクバク食べたりされるのも辛い。
『隊長。俺も残ります』
ロックはバードと残る事を選択した。
小さな声で『行ってくれば良いのに』と言うバード。
だが、ロックはスパッと言い切った。
『相方ですから』
バードの肩をポンと叩いてロックが笑う。
ただ、それに対するエディの言葉は少々辛い。
『ロック。必要な電源は維持できているか?』
あくまで作戦行動中だとエディは釘を刺した。
惚れた張れたで作戦行動に穴を開ける訳には行かないのだ。
その厳しさに触れたロックは一瞬だけ言葉を失う。
バードはロックを見上げ『行っておいでよ』と目で訴えた。
だが。
『電源は問題ありません。必要ならアンプルで補えます』
毅然とした声音でロックはそう答えた。
ロックの見せた男気の強さに、バードの心が震えた。
『そうか。別った。とりあえずここから先の状況に付いて情報収集してくれ』
『イエッサー』
その短い会話にライアンとダニーが口を挟んだ。
『俺もロックの手伝いしますわ』
『あ、自分もそうします』
結果的に少尉7人は全員が外に残って作業を行なっていた。
その姿を見れば、兵士たちはエールを飲んで浮かれて良い場面じゃないと知る。
部下統率の場面では、時に気を緩めさせ、気を使ってやる事も重要だ。
何より、率先して働く姿を見せる事で、敬意と信頼を勝ち取る事が出来る。
「ロック少尉! 何か手伝いを」
曹長の肩書きを持つ男がやって来た。
もう十分にヴェテランと思しき男で、その腕には善行章を4本もつけていた。
特技章には稲妻マークがあるのだから、電気関係だとわかるのだが。
「いや、曹長は一杯やっててくれ」
ロックは笑顔でそう言った。
士官は兵卒が出来る事を全て出来なければならない。
その上で指示を出し、検討し、方針を決定して責任を取る。
その為には部下を大事に扱わなければいけない。
いつの間にかロックはその領域へ片足を入れていた。
「……良いのですか?」
「俺たちでフォローするよ。この先もちょっとハードな移動が続く」
心配するなと言わんばかりにヴェテラン曹長の胸を突いたロック。
そんなサイボーグ士官の気の配り方に、曹長は黙って敬礼して離れた。
「さて……」
アンプルを一本飲み込み地図を広げたロック。
その隣にバードが立ち、反対にはライアンが立った。
地図を挟んで反対の面にはダブとビッキー。
その両脇を挟むように、バードの隣にはアナが。
ダブの隣にはダニーが入った。
「さて、ここから先は――」
そう切り出したロックだが、そこへバードが口を挟んだ。
「みんな…… ごめんね」
バードに気を使ってエールを遠慮した仲間達。
その気遣いにバードは震えた。
「バカ言うな。バーディーじゃねぇって」
相変わらずぶっきら棒なライアンが先頭を切った。
その口調はいい加減で辛い調子だが、同時に優しさが溢れるモノだ。
「士官が全員揃って酒飲んじまったら、こっから先がやべぇぜ」
「安定してきたとはいえ、まだまだ戦闘区域と思っていた方が良いからな」
ライアンに続きダニーがそう言った。
それがバードへの気遣いなのは言うまでも無い。
ただ、同時にそれは本音でもあるのだとダブやビッキーが気が付いた。
地図をジッと見たアナスタシアも、ここから先のルドウへと続く道を見ていた。
かつては激戦地だったと書いてあるそのエリアには、ゲリラ注意の文字がある。
「銃撃戦…… でしょうか」
アナはニコリと笑ってバードを見た。
いつの間にか打たれ強くなっている彼女は、含み笑いのような表情だ。
――随分と好戦的ね
お前がそれを言うか?と、バードは自分を棚に上げてアナをそう評した。
ただ、その地図に書かれた内容を見れば、それもまたむべなるかなと痛感する。
ここグレータウンからルドウまでは凡そ400キロほどの距離。
その道中に街らしい街はなく、小さな集落がいくつかと個人宅が散在する。
「牧場がほとんどか」
「待ち伏せされるには遮蔽物がありませんね」
ダブとビッキーはそんな所見を述べた。
凡そ牧場と言うところはフラットな構造だ。
銃列を敷き敵を待ち伏せするのは不可能に近い。
ならば予想されるのは、浮遊系兵器かドローン系兵器だ。
消耗を考慮せず自立戦闘するものが使われると、足止めされる公算が高い。
「結構な難航になりそうな――
何かを言い掛けたロックだが、その声を掻き消すように歓声が沸いた。
パブの中が大盛り上がりしていて、ややあってからピアノの音が聞こえてきた。
――あっ!
そのピアノの音に効き覚えのあったバードがロックを見た。
ロックは表情を変えずにバードを見て、ウィンクした。
その流れてくるメロディに耳を傾けていた中間達は、ロックとバードのごく自然なやり取りに誰も気が付かなかった。
「……へぇ。名曲じゃないですか」
「知ってるのか?」
ビッキーがそう漏らし、ライアンが効き返した。
独特のリズムで進んでいたメロディを追いながら、ビッキーが答えた。
「ビリージョエルの歌ったピアノマンって曲ですよ。歌詞はなんだっけなぁ……」
そんな事を呟いたビッキーは、自前のデータベースを走査したらしい。
ややあって、『あぁ、あった。これだ』と言いつつ、その場で転送した。
視界の中に浮かび上がった歌詞列は、全員がニヤリと笑うようなモノだった。
「世界中何処へ行っても、宇宙を何処へ行っても、結局同じ事を感じるんだな」
「人間の性って奴だな」
ライアンとダニーがそんな言葉を吐く。
同時進行で甘く切ないメロディが歌詞と共に流れていく。
「人生の悲哀って、どこに行っても変わらないものなのかも知れないね」
バードもそんな言葉を吐いた。
パブの中から次々と沸き起こる歓声は、ピアノの音と相まって楽しげな空気だ。
ただ、その歓声の中に混じる歌声は、間違いなくテッド大佐のモノだった。
「隊長が歌ってるぜ」
ライアンがボソリと漏らして笑う。
バードも笑いながら言った。
「だって、ここは――」
チラリとロックを見てからバードは仲間達を見た。
まるで作り物の様にも見えるバードの表情は柔らかかった。
「――テッド隊長のマザータウンだから」
その言葉を聞いたダニーとライアンが『えっ?』と呟く。
そして『だから街の住人がおかえりって言うのか』と合点が言ったようだった。
「随分前に聞いたんだけどね――」
バードはあのハーシェルポイントで聞いた話を切り出した。
ソロマチン少佐の件は細かく触れない事にして、この街での出来事を話した。
若き日のテッド隊長とエディとの関係や志願兵になった事を……だ。
その間もパブの中からは歓声が沸き起こっていて、楽しげな空気だった。
ジョン・ガーランドと言う人物の帰郷を街中が祝福していると思っていた。