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機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第12話 オペレーション・ビッグウェーブ
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バードの内側

~承前






 ハンフリーの着艦管制に導かれたロックは、バードを抱えたまま着艦を決めた。

 ボロボロになったバード機はテッド隊長が牽引しての帰投だ。


「通してくれ!」


 バードを抱きかかえたロックがシェルのコックピットを飛び出す。

 流体金属装甲をもつシェルの搭乗服込みでバードの重量は140キロに達する。

 無重力な環境ゆえに何とかなっているのだが……


「こっちだ!」


 ライアンが先導しロックはハンフリーの通路に足を下ろした。

 重力補償装置の効果で全身に重量を感じ始めるのだが……


「手伝うぞ!」

「いや! このままで良い!」


 バードの重量をズシリと感じたロックは、構わず抱きかかえて前進した。

 各部のアクチュエーターを大幅に強化してあるロックなら、問題では無い。


「メンテナンスルーム!」


 指を差して叫んだドリーは、通路のスタッフを全員壁に張り付かせた。

 メディカルルームではなくメンテナンスルームな所にサイボーグに悲哀がある。

 だが、ロックもライアンもドリーも、そんな事を考えている余裕はなかった。


「まだエマージェンシーは出てるか?」

「ビンビンだぜ!」


 途中から合流したダニーがバードの頚椎バスと直結しての診察を始める。

 バードのサブコンは自己診断で緊急事態を宣言していた。

 サブコンが出している警告は脳波の消失と信号の途絶。


 この場合、予想できる事態は三種類だ。

 脳死を起こし生体部分が死亡した可能性。

 ブリッジチップが機能不全に陥り頓死した可能性。

 サブコンの故障により身体制御不能となっている可能性。

 とにかくこの場合は誰かが直結して内部診断するしかないのだが。


「FUCK!」


 ダニーが珍しく荒々しい言葉を口にした。

 元々余り育ちの良い人間では無いが、口汚く罵るような事をする男でも無い。

 そのダニーがそんな言葉を言うのだから、あまり良い事態ではない……


「サブコンに異常なし! ブリッジチップ正常! 脳だ!」


 メンテナンスルームへと飛び込んだロックは、バードを慎重にベッドへ乗せた。

 すぐさまサイボーグのメンテナンスチームがバードの頭部構造体を分解する。

 人工皮膚を剥がし、脳殻部を収納するチタン製の強靭な頭蓋を開ける。


 中には脳を収めた脳殻ユニットが入っていた。

 常識ハズレな圧力でチタンをプレス加工した装甲部分を剥がすと、透明な硬質ガラスの中でやや黄色く濁った脳髄液に浮かんでいるバードの脳が現れた。


「……バード」


 ロックにとってはそれこそが『愛する女』そのものだ。

 今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られるのだが……


「脳波はプレズ様相。生体レベル低下……」


 ダニーの声が震えている。

 医学に従属する生命の監視者は、その灯火が消え様としているのを見ていた。


「ロック! お前がやれ!」


 ダニーは自らの頚椎バスに刺さっていたプラグをロックへと渡した。

 そのプラグを自らのバスに差し込んだとき、視界の中に警告が浮かんだ。


「これ、どうすりゃ良いんだ?」

「ゴーストラインまでは入れないが、すぐ近くまではいけるだろう」

「やった事ねぇからわからねぇ!」

「とにかくリンクすればいい!」


 ロックの視界には精神リンクの文字が浮かんだ。

 脳と言う生体コンピューターの意識野における作業フィールドだ。


「ロック!」


 エディの声が室内に響き、驚いて振り返ったロック。

 そこにはエディとテッドの二人がやってきていた。


「名前を呼べ」

「呼んでます」

「バードじゃない。お前は知っているだろ」


 テッド隊長の顔には笑みがあった。

 その笑みにロックは意味を理解する。


「お前が呼びかけろ。ただ、何があっても手は離すな」

「……手?」

「そうだ。手だ」


 横たわるバードの手をとったロックは、精神リンクを開始した。

 ロックの視界が一瞬にして暗転し、真っ暗闇の中に放りこまれた。


 ――ん?


 鬼が出るか蛇が出るか。

 そんな暗闇の中、ロックは歩き始めた。


 ――どこだここは?

 ――あ、そうか

 ――バードの心だ……

 ――いや……


 ロックは胸のうちで呟いた。


「恵……」


 その一言が漏れ出たとき、ロックの前に酷い顔をしたナースが現れた。

 完全防護服を着たそのナースは、汚らしいモノを見るようにこっちを見ていた。


 ――――だいじょうぶ

 ――――良くなりますよ

 ――――きっと良くなります

 ――――たぶんね


 なんだこいつ……


 グッと拳を握り締めたロックは、そんな幻を掻き消して前に進んだ。

 足元には粘りつくような、タールのような液体があった。

 それほど深くは無いのだが、足首までつかっている状態だ。


 やや進んだとき、そこには長い白衣を着た医師が姿を現した。

 ニヤニヤと気持ち悪い顔で笑っている医者は興味深そうにこっちを見ていた。


 ――――検査してみましょう

 ――――まずはそこからです


 ロックは内心のウチに恥かしさと異常な気持ち悪さを覚えた。


 ――――隠しちゃダメですよ

 ――――良くなりたいんでしょ?

 ――――ほら、全部見せて

 ――――恥ずかしいところも隠さないで


 その顔はペドフィリアかロリコンかと思わせるような、異常な性欲の塊だ。

 抵抗出来ないままに身体中をまさぐられ、指を突っ込まれ、それでも耐えるしかない屈辱の中に震える錯覚だ。


「ふざけんな!」


 裏拳を振ってその幻を掻き消したロックはさらに前進した。

 だが、あのタールのような液体は膝下まで水位を増していた。

 ただ、止まるわけにはいかない。


「恵!」


 愛する女の名を叫びながらロックは前進を続けた。

 ただ、完全な暗闇の中では、何処に進んでいるのかすら分からない。

 水位は段々と増してきて、思うように前進する事すら出来なくなり始めた。

 だが……


「ふざけんなバカやろう! 恵! 何処にいるんだ!」


 そう叫びながら前進し続けるロック。

 ややあってどこからか声が聞こえてきた。

 口さがない女たちの噂話のような、そんな声だ


 ――――2018号室の子 やっぱりダメみたいね

 ――――え? あの石化病の?

 ――――そうそう あれ シリウス病よね

 ――――え? うそ! ほんと??

 ――――シリウス人よ あの子

 ――――やっだぁ~ シリウス人なんだ

 ――――地球に持ち込むなっての

 ――――なにを?

 ――――シリウス病よ

 ――――あぁ、あの土着病

 ――――そうそう 薄汚いシリウス病よ

 ――――だから隔離されたんだ


 3人か4人か、そんな数の声だ。

 それほど若くは無いが年増でも無い。

 遠慮なく人の悪意の全てを曝け出す声。

 それを聞いていれば、自然に腹を立てる言葉。


 そして……


 ――――早く死んでくれれば良いのに

 ――――地球に持ち込まなかっただけ褒めてあげないとね

 ――――でも地上で発症したのよ?

 ――――うわっ 最悪……


 ロックの視界の先には、ボンヤリとナース姿の女達が浮かんだ。

 人の悪意が顕現化したような醜悪な表情で、顔を寄せ合ってヒソヒソ話。


 ――――総合化のJ先生がご執心なんですって

 ――――え? なんで?

 ――――石化が完了したら持って帰ってオブジェにしたいらしいわ

 ――――ほんとに?

 ――――今だって誰も見てないときは最悪よ?

 ――――うそ……

 ――――身体が動かないのをいい事に嘗め回したり指入れてみたり


 ロックは呆然と立ち尽くしていた。

 これはバードが、恵が受けた記憶だった。

 話しにしか知らなかった宇宙病院での日常だった。

 苦痛と死の恐怖を塗りつぶして余りある屈辱感と敗北感、そして無力感。


 その全てがフラッシュバックしたのだとロックは思った。


「恵! どこだ! 恵! けいぃぃ!」


 大声を張り上げて進むロックは、やがて胸までタールに沈んでいた。

 だが、引き下がるのは間違いだと直感で思った。

 進むしかない。とにかく進むしかない。


 自分の内側へ落っこちている恵を、バードを連れ戻さなければならない。

 これが俺と恵の黄泉比良坂(よもつひらさか)だと覚悟を決めてロックは進んだ。

 後戻りする理由はなかった。


 ……ここで死ぬなら本望だ

 ……惚れた女の中で死ねるぜ


 グッと奥歯を噛んで進むロックだが、タールのような液体は首元まで来た。

 このまま進めば溺れる危険がある。


「ハッ! 舐めんじゃねぇ! サイボーグが溺れるかよ!」


 サイボーグの身体は水に浮かない。

 当たり前の話だが、そればかりはどうしようもない。

 ただ、意地を張って進んでいくと、遂に口元が水に隠れ始めた。

 なんとなく甘くてしょっぱくて、でも、酷いとは思わない味だ。


「俺はお前に溺れてんだ!」


 時々はジャンプして視界を確保しようと進んでいくロック。


 ……これ

 ……なんだ?


 だが、そのまま進んで行ったロックの目が水にもぐり始める頃だった。


 ――――もう諦めなさいよ


     ――いやよ


 ――――もう無理だって


     ――絶対いや!


 ロックの視界の浮かんだのは、二人の恵が言い争っている姿だ。

 病院着を来て経っている恵と、ほぼ全裸でうずくまっている恵。

 嘲笑って立っている恵と、なきながら首を振っている恵。


 ――――あなたはもう死ぬのよ


     ――死にたく無いの


 ――――もう良いじゃない


     ――まだ生きたい!


 ――――なんで…… 世界はこんなに残酷なのに


     ――街を歩いてみたい 恋してみたい 光を浴びたい


 ――――そんなの幻想よ


     ――うそよ


 ――――こんなわたしを愛してくれる人なんていないよ


 諦観を形にしたような声がロックの耳に届いた。

 そして、ロックは思わず飛び上がって叫んでいた。


 ――ここにいるぞ!


 ふたりの恵がはっと驚いて辺りを見回している。

 だが、深い水位のそこに沈み掛けたロックは、完全にもぐった状態だ。


 ――――居やしないわよ


「ここにいるんぞ! 恵!」


 それを叫んで再び沈みきったロック。

 意地になって水底を進んでいき、ふたりの恵の真下まで進んだロックは、一度沈みきってから強くジャンプした。


 水面を突き破って姿を現したロックは、うずくまっている恵に手を差し出した。

 だが、その姿はフッと消え去り、ロックは再び沈んでしまった。


「なぜ!」


 その手を全くつかめなかったロックは激しく憤る。

 再び深く潜って力を溜め、強くジャンプして身体を浮かび上がらせた。


「恵!」


 飛び上がって叫んだロックは、冷たい表情で自分を見る恵と目が合った。

 一瞬だけ焦ったロックはタールに沈み始めたが、何かが脚に当って止まった。

 顔だけが水面から出ていて、恵を見上げていた。


 ――あなた…… だれ?


 その一言にロックは胸が苦しくなって息が止まった。

 だが、そんなのは年中だった。

 精神的でなく物理的に息が出来なかった事もある。


 グッと奥歯を噛んで気合を入れたロックは、まるで戦闘中のような貌だ。


「俺を忘れたのか?」


 僅かに首をかしげた恵は無表情にロックを見ていた。


「徹雄だ」


 ロックは迷う事無く自分の名を、その本来の真名を口にした。

 信頼する仲間たちにも明かしたことの無い真名を。

 心から惚れた女にだけ明かした己の真名を。


 ずっと嫌いだった、だけど、恵にそう呼ばれた日から好きになった真名。


 ――徹雄


 ボソリと呟いた恵は不思議そうにしていた。


 ――知らない


「おぃおぃ 冗談はやめてくれ」


 ――本当に知らない


「じゃぁ、ロックって名はどうだ?」


 ――知らない


 呆然としている恵は、静かにロックを見つめていた。

 ただ、当のロックは少し驚いた表情だ。


「お前は誰なんだ?」


 ――わたしは小鳥遊恵


「まちがいねぇさ。俺の惚れた女だ」


 ――わたしはあなたを知らない


「そんなの関係ねぇさ 俺は惚れてんだ」


 ――じゃぁ……


 恵は無表情に水面を指差した。


 ――あなたが言ってる女は……

 ――そっち……


『え?』


 驚いたロックが水面に顔を突っ込んで足元をまさぐった時、そこには何かが沈んでいた。その手触りに何かを思い出したロックは、慌ててそれを引き上げた。


「そんなバカな!」


 自分の身体が水に沈んででも強引に持ち上げたロック。

 強い粘性の液体に動きをとられ、恵の身体がゆっくりと水面に上がってくる。


「恵! けい!」


 ――もう無理よ

 ――もう死んだの

 ――もう楽になったの

 ――もう苦しまなくても良いの

 ――もう自由になったのよ 全てから


 そんな声が聞こえる中、ロックは力一杯に『それ』を持ち上げた。

 手にはボキリボキリと嫌な感触が伝わり、ややあって鈍い衝撃が伝わった。


「けいっ!」


 半ば溺れつつ全裸の恵を持ち上げたロックは、その顔を水面へと上げた。


「俺だ! ロックだ! 徹雄だ! 目を開け! 恵!」


 まるで幽霊の様に蒼白な恵は、正体が抜けきった姿だ。

 そのまま呆然とロックを見ているのだが……


 ――だれ?


「恵!」


 ――だれなの?


 リアクションを取れず固まっているロックは再び水に沈んだ。

 その粘性は益々増していて、やがて思うように体が動かなくなり始めた。

 だが……


 ――下らない茶番劇やってんじゃねぇ!


 再び顔を自ら出したロックだが、その頭を病院着の恵が蹴りつけた。

 一瞬だけ頚椎の辺りからグギリと音がしたのだが……


「悪いな。サイボーグはこれくらいじゃ死なねぇのさ」


 ハハハと笑ったロックは再び水に沈み、もう一度飛び上がった。

 素っ裸の恵を抱きかかえ、その顔だけが水から浮かび下がるように。


 ――どいつこもいつも!

 ――みんな嘘だ!

 ――デタラメだ!

 ――みんな嘘っぱちだ!


 病院着の恵が怒り狂っている。

 それはまるで、あのシリウスシェルとやりあっている時のバードだ。

 狂ったようにロックの頭を蹴りつけ、そして水面から顔を出している恵を殴る。


「無抵抗の者を攻撃するな!」


 ――わたしは無抵抗だったのに散々辱めを受けた!


『あ……』と、ロックは小さな声で漏らした。

 バードが見せているコンフリクト(精神的葛藤)の正体が見えた。


 散々とやられたはずの事。辱めを受けたこと。

 それを誰かに行なうのを禁じられる理不尽さ。

 そして、死にたいとすら願った辱めと同じ屈辱をバードは受けた。

 どうしようもない憤りと悔しさとそして悲しみと怒りに恵は分裂していた。


 ――この偽善者!

 ――このペテン師!

 ――この嘘つき女!


「けい!」


 ――みんな殺してやる!

 ――みんな壊してやる!

 ――みんな焼き払ってやる!

 ――みんな苦しめばいいんだ!

 ――なんで私ばっかり苦しまなきゃいけないんだ!


「苦しんでいるのはお前だけじゃないぞ!」


 思わず言い返したロック。

 だが、病院着を着た恵は力一杯にロックの抱き抱える恵を殴りつけた。


 ――みんな死ねばいいんだ!


 ブンッ!と音を立てて振り下ろされた裏拳は、抱き抱えられていた恵に当った。

 その瞬間、バキリと音を立てて恵が砕けて行って、まるで砂の様になった。


「恵! けぇぇぇぇぇーーーーーい!!!!!」


 グッと抱きしめたロックは、まだ砕けてない恵の手を握った。

 まだ柔らかくて熱を感じるその手にロックはハッと驚く。


 ――――その手を離さないで……


 ソロマチン少佐の声がリフレインしてきた。

 この手を離してはいけないんだとロックは思った。


 ――みんなデタラメだ!


 再び殴ろうとした恵の手をロックが止めた。

 幾多の鉄火場を乗り越えてきた男にすれば容易い事だ。


「やっと届いたぞ」


 水面から飛び上がったロックは、病院着の恵を捕まえた。

 そのとき、ロックは水面に立っていた。


「やっと捉まえたぜ。バード!」


 ロックが漏らしたその言葉に、恵はグッと厳しい表情を浮かべた。


 ――あなた……

 ――だれ?

 ――知ってる……

 ――その名前を知ってる……

 ――私はその名前を知っている……


「当たりめぇだろ。俺が安心して背中を預けられる奴は、お前しかいねぇんだ」


 ――え?


「だから連れ戻しに来たんだよ。もう一度修羅の庭へ出て来いってよぉ!」


 砕けた手を抱えたまま、ロックは力一杯に恵を抱き寄せた。

 その胸にはまるで彫像のような感触があった。


 ――いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!


 恵は力一杯に叫んだ。

 大声で叫んだ。


 そして……


「おっ! おぃ! 恵! バード!」


 ロックの腕に抱えられていた恵がサーッと砂に砕けて流れて行った。

 粘性のある水の中に沈んで行って見えなくなった。


「恵! 恵! けい!!!」


 沈んでいく砂をロックは眺めるしかなかった。

 ただただ、呆然と眺めるしかなかった。

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