突入!
~承前
「どうする?」
ライアンが撒き散らす緊張の度合いが一段上がった。
ゲルは確実に近づいている。ズリズリと音を立てて迫っている。
その速度は取り立てて驚く程では無いが、着実に接近していた。
「目標まで30メートル」
バードはレーザー計測による数字を読み上げた。
先ほどと比べ、およそ1メートルほど距離が縮まっている。
時速にすれば、推定で5メートル少々だろうか。
この速度であれば、恐らく数時間はかかるはずだが……
「あのゲルの正体は…… なんだろうな?」
ドリーはジッとゲルを見ながら言った。
その正体を把握するには情報が少なすぎる、
そして、兵士にとって最も重要な情報。
―――― 敵か
―――― 味方か
それを判断するには情報がなさ過ぎる。
「セトの攻撃開始はいつだ?」
「予定じゃ11時だ」
ペイトンの質問に答えたドリーは、無線の中に一つ溜息をこぼす。
視界に表示されているシリウス標準時間は11時まであと5分。
とっとと初めてくれと願う心があり、一方では正体を見極めたいと思っている。
後方を気にしながらの突入では気が重い。
機能を無力化し帰ってきた時に牙を剥かれるのはたまったモノでは無い。
「とりあえず……」
振り返ったドリーはモコモコに泡だったエマルジョンを見た。
些細な火種で大爆発するのは間違い無い。
「先ずは突入しよう。任務が最優先だ。その上で――
ドリーはもう一度ゲル状物質を見た。
相変わらずそのゲルは、ズリズリと移動していた。
――あれの対処を考えよう」
ドリーの言葉に含まれた緊張のギアが一段上がった。
コロニー周辺に展開していた国連軍艦艇は、ざっくり勘定するなら三万隻だ。
その大半がセトに向かって出て行ったが、まだ五千隻近い数の船が居る。
その火力を一言でいうなら、コロニー丸ごとロースト出来る程。
今頃はこの毒ガス装置の内部にあるシリウス軍本部へ特使が行っているはず。
穏便な形で退去を願い、向こうが同意すればここを平和裏に接収する。
拒否を示すなら、セトを焼き払うと脅迫し、その後に突入する。
どっちへ転んでもセトは焼き払う事になっているが、出来るなら……
「穏便にこれを撤去したいよね」
「だよな」
バードの漏らした言葉にライアンが返答した。
そんな姿を見ていたアナは、ロックとバードが出来ているだけで無いと知った。
実はライアンとも良い仲なのかも知れない。そして、それで上手くやっている。
複雑な人間関係にやや混乱しつつも、アナは周りを観察し続けた。
新人の定めとは言え、やはり最初は控えめが肝要だ。
「……動いた」
ジョンソンの言葉が無線に流れ、全員が一斉にゲルを見た。
だが、そのゲルは先ほどから殆ど動いていない。
「動いてないぜ」
「違う。中だ」
「なか?」
素っ頓狂な言葉を発したロックにジョンソンは毒ガス装置を指さした。
内部で交渉中な筈の面々が何かしらのサインを送ってきたようだ。
「やはり決裂だな」
そう漏らしたジョンソンの言葉の直後、広域戦闘無線に参謀本部の声が流れた。
――――地域国連軍全勢力に通達
――――毒ガス装置内部のシリウス軍は交渉を拒否
――――流星作戦を遂行せよ
「流星作戦?」
不思議そうな声で復唱したアナ。
それに応えたのはドリーだった。
「事前に聞いてなかったと言う事は架空作戦だな」
アチコチから失笑が漏れ、ドリーも肩を揺すった。
シリウス軍が傍受している前提で無線に流れた流星作戦と言う言葉。
それは彼らに混乱と疑心暗鬼をもたらすのだろう。
「さて……」
時刻表示が11時になった。
ややあってから一斉に空域通信量が跳ね上がり、電波の渦になった。
「おー すげーな」
ジョンソンが笑い声をこぼす。
同じ通信手であるアナは混乱を来し始めた。
「通信無線が一気に増えました」
「こんな時はまず、敵と味方を切り分けろ。で、敵の通信で緊急ヘッダを探せ」
ヴェテランであるジョンソンがアナにレクチャーを始める。
あれやこれやと一つ一つ丁寧な言葉が流れ、アナは都度都度に首肯していた。
その姿にバードは、ジョンソンの懐の深さと情の厚さを垣間見た。
「敵側の通信が緊急情報なら、こっちには都合が良いケースが多い。だけど……」
積み重ねた実戦経験の中から痛い思いをして覚えていく物がある。
致命的な失敗をしてしまい、何故の理由を身に染みて理解することもある。
兵士が育つのは教育と伝承が半分。残りの半分は自らの経験だ。
「ん?」
ジョンソンとアナが顔を見合わせた。
ヘルメットを被っているので、顔を合わせる方向になったと言うのが正しい。
違和感を覚えたジョンソンの漏らす声に、バードは事態の進行を知った。
「始まったな」
「いまのが?」
「そうだ。今のが緊急ヘッダだ。覚えとくと良い」
「はい」
ニヤニヤと笑うジョンソンは通信内容の再デコードを試みていた。
デジタル暗号変換されているだけに、鍵さえ見つけてしまえば簡単だ。
「ははーん…… こりゃまた陰湿だな」
「どうした?」
誹り笑いのジョンソンにドリーが声を掛けた。
話の中身を察したドリーが暇を持て余しているのだと思った。
「シュトラウスにしてそっちへ送る」
「よしきた」
送られてきた暗号の塊を前に、ドリーのデータ解析が本領を発揮し始めた。
推定される暗号鍵を片っ端から総当たりで試すやり方だが、こういう部分でドリーは本当に強いといつも思う。
「あぁ。二重暗号化してるのか」
「ご丁寧に違う鍵でだ」
「こりゃ手間取るわなぁ」
ドリーは僅かに首を傾げて解析を続けている。
その間にも事態は進行しているらしく、無線が盛んに飛び交っている。
そのトラフィックが立て込めば立て込むほど、解析の糸口は増えることになる。
ドリーは間違い無くニヤニヤしながら解析しているとバードは思った。
「お! できたぞ!」
ややあってから嬉しそうに漏らしたドリー。
推定される鍵をジョンソンへと返せば、ジョンソンは早速無線を流した。
突入メンバーの近接無線にはシリウス軍の広域無線がダダ漏れだ。
――――プラチナドックよりエリア041全域の戦闘艦艇へ!
――――現在当ドックは地球軍の攻撃を受けている!
――――これは演習に非ず! 繰り返す! これは演習に非ず!
――――救援を求める! このままではドックが全て灰になる!
――――これは演習に非ず!
半べそでもかいてるんじゃないかという声が無線に流れた。
必死になって救援を求める声だ。切羽詰まった泣き言状態と言って良い。
「必死だな」
「間違い無く猛砲撃だろうからな」
ドリーもジャクソンも笑いを噛み殺すのに必死だ。
悲鳴混じりの絶叫が続々と飛び交っている。
セト全域が炎に包まれている状態だと思われた。
「さて、こっちもそろそろ……」
辺りを確かめたペイトンは、やはり例のゲルを見ていた。
相変わらずズリズリと近寄ってきている。
「アレはいったい何だろうな……」
スミスの声には警戒の色が在り在りと浮かび上がった。
普通に考えてまともな代物では無いのは明確だ。
ゲル状物質が地力で動くとは思えない。
「自立思考してるのかな……」
「そうで無ければなんで近寄ってくる?」
バードの疑問にドリーは明確な声を出した。
普通に考えて、アレが機械的な反応を示しているとは思えない。
AIを走らせる電子回路一つ無いのだから、あり得ない事だ。
「……静電気とか微弱電波に反応してるとかな」
なんとなく嫌なイメージを持ったライアンは、そんな言葉を漏らした。
それがどれ程あり得ない事だとしても、現実に目前で事態が進行している。
明らかな敵意は無くとも友好的とも言えない存在だ。
「アレによる被害があるとしたら?」
一つの思考実験をロックは提案した。
全ての可能性を考慮して対策を立てる事を努力というのだから。
「……細部に入り込まれて電流がリークするとか?」
「自立呼吸が必要ないとは言え、呼吸器系機器を破壊される可能性もあるな」
ペイトンとスミスがそう返答した。
首を傾げていたライアンは『関節の固着による擱座』と言う。
ロックは『うーん』と唸ったまま押し黙っていたのだが……
「何らかの手段で脳殻内に侵入して、生体部分の侵食を試みるとか」
誰もがゾッとする言葉を言ったロック。
バードは背筋にゾッと寒気を感じた。
「バードは?」
「ウーン……」
ドリーの言葉にうなり声を返したバード。
正直に言えば、気持ち悪いのは事実だが敵意は感じていなかった。
そして、率直に直感を言うなら、敵や味方と行った存在では無いと感じている。
「意思の疎通を試みているだけじゃないかと……」
「……意思の疎通?」
「うん。もしかしたら、何らかの生物なんじゃないかな」
バードの言葉は無線の中から音を消すのに充分な威力だった。
不思議な言葉を吐いたバードだが、地球の常識が通用しないだけかも知れない。
シリウス系には独自の生体系があるのだから、アレは何らかの未知の生物かも。
そんな仮説を立てるのに十分な条件が揃っているとも言えるのだが……
「残り距離28メートル」
ゲルは確実に距離を詰めている。
全員が明らかに警戒レベルを上げた。
「アレに意志があるかどうかはともかく、一つの可能性として生物なのは――
ドリーまでもが妙な事を言い出した
アナスタシアはBチームの面々の自由闊達な論議に驚いていた
――それは否定しない。自立して動いてるからな」
「サンプルを取って持ち帰ろうぜ。正体の究明はその時の仕事だ」
ジョンソンはパッと話を切り替えて場面チェンジを促した。
それもやはりヴェテランの所行と言えることだ。
事態が好転しないなら、悪化しない限り後回しにする。
出来る事から行っていくのもまた大切な事だ。
――――カミナリグモよりクロイイナヅマへ
広域戦闘無線に声が流れた。
無線封鎖しているのだから返答はしないのが鉄則だ。
――――プレゼントの包みを解け
――――状況を開始せよ
――――繰り返す
――――状況を開始せよ
キタッ!とバードは思った。
ミッションの本格進行だ。
モコモコに泡だったエマルジョンに向けドリーは銃を向けた。
発火させる体勢になり、改めて言う。
「開始する。神のご加護が皆にあります様に。エイメン」
ドリーが構えているのは11ミリ光景の年代物な自動拳銃だった。
テッド隊長の持ち物であるピースメーカーと同じく、歴史に名を残した名銃だ。
『GOVERNMENT』と意味するその銃は、国家の意思を象徴するものだ。
――――ダンッ!
鋭い銃声が響いた。
ほぼ同時にエマルジョンが爆発的な燃焼を起こし、扉の周辺が融解して落ちた。
瞬間的な高温により、部材その物が溶け落ちたのだった。
「ヒュー!」
「やっぱこれスゲェは」
ペイトンとライアンが奇声を発して驚いている。
コロニーは巨大な魔法瓶なのだから、外壁に穴が空けば全員死亡一直線だ。
それ故にブラスター系の兵器は使えない。
不意に無線の中へ生唾を飲み込む音が響いた。
そんな生理的な反応を示す者など居ないはずなのに……だ。
「アナ?」
「すっ スイマセン」
「緊張してる?」
生唾の音はアナだった。
バードの直感は正鵠を得たらしかった。
「怖い?」
「……えぇ」
アナの恐怖をバードは我が事の様に理解していた。
あの、カナダの上空で吹雪の平原へ飛び出した時を思い出し、苦笑いだ。
恐怖に身を堅くしていたバードに対し、ビルは楽にさせようと言葉を吐いた。
だが、バードにはそんな気の利いた言葉を吐く様なセンスも能力もない。
どうして良いのか分からず対処に逡巡していた時、ドリーが言葉を発した。
「死ぬのは大した問題じゃない。そうじゃないか? アナ」
小さな声で『えっ?』と言葉を返したアナは、それ以上何も言えなかった。
だが、ドリーはたたみ掛ける様に次々と言葉を発する。
不必要なまでにプレッシャーを掛けているとも思ったバードだが……
「本当に問題なのは、この任務を失敗した場合、どうリカバリーするか?だ」
ドリーは毒ガス装置自体を指さした。
つまり、これがあると困ると言う意思表示だ。
「アナも教育を受けたはずだ。任務を果たす重要性や、その意義について」
「……はい」
「俺たちがしくじれば、他の誰かがその尻ぬぐいをしなきゃならない。だろ?」
アナは言葉もなく首肯した。
ドリーはその反応を確かめて更にたたみ掛けた。
「これは俺たちしか出来ないってミッションだ。だから俺たちが来た。アナはもうその一員なんだ。だから……」
ドリーはアナへ歩み寄って、その肩をポンと叩いた。
その一撃はまるで電撃の様にアナの身体を駆け抜けた。
憑き物が落ちたかの様に身体が軽くなったアナ。
ドリーは遠慮無く続きを言い放った。
「逃げられないし泣き言も言えない。それも分かってるだろ?」
「はい」
「じゃぁ、どうすれば良いか分かるな?」
「でも……」
ガックリと肩を落としたアナは小さな声で言った。
「失敗して迷惑を掛けるのが……『そんなの平気よ』え?」
プレッシャーから弱音を吐くアナに対し、バードは気楽な調子でいった。
「死ぬのは生身だけだし、死んだって生き返るわよ。あなたも一度は死んでるんだから分かるでしょ?死にたては生きが違うのよ」
バードのとんでも無い問題発言にアナは唖然としていた。
だが、何より唖然とした理由は、その発言に対し仲間達が大笑いしたことだ。
「だいたい、俺だってバードだって、一度はただのクソ袋だったのさ」
バードの後を受けたロックは、遠慮無く酷い言葉を口にした。
それは、アナにだって覚えのある事だ。
自らの意志では無く機械に生かされた日々。
傍観者になる事しか出来ず、ただただ、毎日を過ごした。
そんな経験をバードもロックも持っているのかと驚いたアナ。
だが、更に驚いたのはAチームの副長であるジョンソンの言葉だ。
「まぁ死ぬのは運が悪い奴らさ。運が良ければ生き残るぜ。サイボーグだけどな」
遠慮無くそんな言葉を言ったジョンソン。
その言葉にメンバーが大爆笑した。
「じゃぁ…… わたしも?」
「そうさ。一度は死んで生き返ったんだ。次は死なねぇし、万事上手くいく」
ジョンソンもアナの肩をポンと叩いた。
なにか、不安の種を押しつぶして払い取るように。
「……サイボーグ中隊って便利屋なんですね」
アナの発した言葉に、再び全員が大爆笑した。
そして、そんな緩い空気の中でなんとなく自分が置かれた状況を理解した。
「それだけじゃなくて、汚れ役も兼ねてるの。だから、仕事がハードな分だけプライベートはリッチでエレガントにね」
それは、かつて配属されたばかりのバードがルーシーから掛けられた言葉だ。
約1年半の経験を積み重ね、バードはその言葉の意味を深く理解するに至った。
「……はい」
小さく返事をしたアナだが、その言葉には力があった。
そして、バードはアナがそれなりに楽になったと思った。
「じゃぁ、始めよう」
最初にハッチを潜ったのはペイトンだった。
ライアンとロックがそれに続き、バードとスミスが一歩踏み入れる。
続いてジョンソンとドリーが入り、しんがりにアシェリとアナが入った。
「宇宙でも突入戦やるとは思わなかったぜ」
ボソッとこぼしたライアンの言葉。
それが戦闘の始まりを告げる合図になるのだった。