毒ガス発生装置への突入
~承前
巨大なシリンダー型コロニー『ナイル』。
その外壁は厚さ2キロに及ぶ複数の装甲と作業デッキを持つ巨大な宇宙船だ。
外宇宙を旅する為に考えられた強靱な構造は、100年の歳月を経ていた。
一部に細かな補修の痕跡があるが、隕石などの被害にはまだあっていない。
そんなコロニーにとって最大の被害は、外周部に突き刺さったガス生成器だ。
巨大なドリル構造のそれは、自己回転力によってコロニーの外壁を破壊した。
そして、内部へと貫通したその先端には、いつでもガスを放出できる体勢だ。
「こういうのも久しぶりだね」
「あぁ」
コロニー内部のガス発生器にほど近い休戦地帯の建物内部。
国連軍側施設の一室でバード達は装備を調えていた。
接近戦と言う事で反応速度に優れるメンバーが集まっている。
「出戻りだな」
「再出張だろ?」
ペイトンの軽口のジョンソンが応えた。
かれこれ20年を過ごしたBチームだけに、気心は知れている。
「違う違う。ここが大事」
アシェリに手伝われ、アナは突入装備を調えていた。
シミュレーター上での訓練のようにガッチリと装備を決めたアナだったが……
――――それだと死ぬぞ?
メンバー全員の駄目出しが待っていてアナは面食らっていた。
幾度も突入戦闘を経験している面々は、装甲服まで軽量化している。
「脳が一撃でやられねぇ限り、俺たちに即死はねぇからさ」
軽い調子で言うライアンの言葉が全てだ。
身体の方が吹っ飛ばされても、即死にはなりにくい。
5分以内に生命維持装置へ接続すれば死なずに済む。
故に、重装備を決めるのは胸から上と頭の部分だ。
「ヘルメットごと撃ち抜かれたら死ぬしかねぇからさ」
「だからそうならない様に、俊敏性を追求するのよ。躱せるように」
ロックとバードの装備にアナは驚きを通り越し、唖然としていた。
ヘルメット以外では胸部への装甲を追加しただけのロック。
主兵装は自動小銃だが、その背中には戦闘用ロングソードを背負っていた。
その隣で笑っているバードは、同じように胸部と下腹部への装甲だ。
主兵装はドラムマガジンを付けた自動拳銃を2丁。
「それで…… 行くんですか?」
「そうよ?」
アナの言葉にドリーやペイトンが大笑いした。
「バーディとロックは特別なのさ。イカレてるんじゃねぇ 経験的な厳選装備だ」
ジョンソンの言葉にアナはもう一度驚く。
そして、自らが配属されたBチームの果たしてきた激戦に思いを馳せる。
「色々経験したが」
「結局こうなるのよ。メンバーそれぞれがフォローしあう形ね」
いつぞやの火星戦闘で経験した拳銃の打撃力不足は、今回だと問題ないだろう。
エアボーンでは無くコロニーの外壁を通り、ガス生成器に穴を開けて侵入だ。
「ヤベェと思ったら後退する。無茶と無謀は死に直結さ」
ニヤリと笑ったジョンソンとドリー。
その隣ではペイトンとライアンが笑っている。
ロックは素早くバトルソードが抜けるかどうかを確かめていた。
「バード少尉」
「バードで良いよ。言いにくかったらバーディーで」
「でも……」
困った様な表情のアナにバードは微笑みかけた。
ドラムマガジンのビュレットストッパーを指で開け、弾が出てくるのを確かめて居るバードは、装備点検に余念が無い。
この僅かな差で死ぬかもしれない。直撃弾を受けて擱座するかもしれない。
構えた銃が火を噴かず、十字射撃を浴びて鉄くずに成り下がるかも知れない。
「しっかり準備して、事に望む。私たちは生身よりも遙かに戦闘力があるからね」
「……はい」
「場数と経験と痛い思いの回数よ」
アナの背中をポンと叩いたバードは、スペアのドラムマガジンを3つ持った。
これだけあれば爆撃機並だと自画自賛していたのだが……
「バードもそれだけ持てば心強いな」
装備を調えてやって来たスミスの姿に全員が息を呑んだ。
M-518ミニガンと呼ばれる小型のチェーンガンをスミスは持っていた。
本来は電源を別に必要とする銃だが、サイボーグなら自己給電出来る。
「挽肉を量産してやらぁ」
へへへと笑うスミスの笑顔には鬼気迫る物があった。
危険な突入が始まろうとしていた。
「では……」
全員の準備完了を確かめたドリーは面々を見回した。
気合いの入った表情をしているメンバーがヘルメットを被り、無線同期を取る。
「聞こえるな?」
右手を挙げて返答し、一人ずつ声を出す。
無線チェックを怠ると痛い目に遭うからだ。
「先ずは爆破準備だ。ペイトン、ライアン、やってくれ」
「イエッサー!」
国連軍施設の地下部分からコロニーの外壁構造部へ出ようとしたドリー。
そのタイミングで『あっ』と声を出した。
早速トラップかと身構えたバードは銃に手を掛けるのだが……
「大事な事を言い忘れた」
振り返ったドリーは右手を挙げて待てのサインを出し、振り返った。
完全密封のヘルメット越しだけにその表情は見えないが様子は分かる。
――ドリー……
――笑ってる……
なんだ?と一瞬訝しがったバードは、身構えたままだった。
「神のご加護を」
一瞬の間が開き、その言葉に、全員が小さく『プッ!』と吹きだしていた。
テッド隊長が突入前に必ず言う台詞だ。
最後は神頼みなのだから、真摯に祈っておくしかない事だった。
――――――――1月29日 午前10時
施設からの地下通路は真っ暗だった。
ただし、赤外線紫外線と言ったトラップは一切無い。
「随分静かだな」
ボソリと呟いたジョンソンは、ライアンとロックの後ろに陣取った。
先頭を歩くライアンとロックは、慎重な足運びで前進していく。
何処にどんなトラップがあるか分からない場所だ。
まだコロニーのエリアだが、警戒していて損する事は無い。
「生成器まで残り120メートル」
バードは視界の情報を読み上げた。
みな知っているはずだが、改めて読めば視線を切らずに済む。
先頭を歩く二人は視野の中の戦闘支援情報を見る余裕すら無い筈だ。
「赤外で見られてたら対処出来ねぇな」
スミスはボソリと呟いた。
アクティブでは無くパッシブな対処法だと、事前発見はかなり困難だ。
おまけに自動対処型の場合には機械が半永久的に活動し続ける。
「お星様にお祈りしておくか?」
ジョンソンの言葉に失笑が漏れた。
ただ距離は着々と詰まっている。
「……残り70メートル」
完全な闇の中故に自由な視界を得る事は難しい。
だが、こちらだって赤外で見ているのだ。
レプリなどの対処であれば……
「なんかいるぜ!」
ライアンが叫んだ。
視界の中にうすらボンヤリと熱を発するものが見える。
まだ距離が有るのでディテールの全てを掴むことは出来ないが……
「……なんだろう?」
ここまで黙ってきたアシェリがぽつりと漏らした。
アナとアシェリのふたりは、突入チームの最後尾に陣取っている。
そのアシェリの呟きにバードは微妙な感触を持った。
命を危険に晒す者達の直感は、大概が意識の慮外にある部分の警告だ。
自らはコントロール出来ない自律神経系にあるセンサーが捉えた僅かな違和感。
それを脳が処理出来ずに違和感という形で処理しているに過ぎない。
ただ……
「ゴーストとか?」
妙な事をアナスタシアが言い出し、一瞬全員の足が止まる。
今さらになって怖いという感情が全てを支配する様なことはない。
不気味などと言った恐怖の根源は、今さら気にしない程度の問題でしかない。
「ゴーストなら歓迎するさ」
ライアンがぽつりと漏らし、無線の中に失笑が漏れる。
間髪入れずに『だよなぁ』とペイトンも呟く。
そして、スミスまでもが『その方が良いぜ』と笑った。
「え? なんで……」
「そりゃ決まってるぜ」
ジョンソンが相変わらずな調子で言うと、ドリーまでもが笑い出した。
それは、何とも楽しげな笑いだ。
「だって、アナ。幽霊は撃ってこないし、撃っても撃ち返してこないだろ?」
ジョンソンの説明にチームは再び笑い出した。
視界に浮かぶ熱源が段々フォルムを帯びてきているが……
「あぁ…… そうか」
妙に納得した様な声音のアナは、もう一度、銃のグリップを握りなおした。
指は引き金では無く無意識にセーフティーへと掛かっている。
それは、銃火器取り扱い訓練が身体に染みこんでいる証拠だった。
「これ…… なんだ?」
熱源へと接近したジョンソンは、その正体不明のものに言葉を失った。
それはゲル状の塊だった。大柄な人間ほどのサイズで床に固まっている状態だ。
ほんのりと熱を帯びているらしく、表面温度は外気よりも若干高い。
通年21度なコロニー内部だが、これはもう少し暖かいようだった。
「触って平気か?」
「迂闊に触れねぇ方が良いと思うぜ」
手を伸ばしたライアンをジョンソンが咎める。
これと言って危険性を把握しているわけではないが……
「これなら……」
ナイフを抜いたペイトンがそっとゲル状の塊にナイフを差し込んだ。
全く抵抗なく、ツプリと刃先が飲み込まれた。
「全く抵抗がねぇ」
「正体を探るのは後にしよう」
ドリーは場面転換を選んだ。
ペイトンは無造作にナイフを引き抜き、ナイフシースに納めた。
その刃先に若干のゲル状物質が残っていたようだが、気にすることなくだ。
「外壁まで20メートル」
「見えてきたな」
すっと近寄って外壁に手を付いたライアン。
ロックも壁に触れて構造を確かめている。
「相当固そうだな」
「コロニーの外壁をぶち抜く代物だぜ」
「だな」
ふたりは周辺部を探りハッチを探す。
内部からしか開けられないハッチがある筈だ。
かつてテッド達がここから侵入したらしい。
その跡を探したのだが……
「これじゃねぇか?」
ライアンが見つけたのは、男ひとりが何とか通れそうなレベルのハッチだ。
外部には一切の開閉器具が見当たらず、内部からしか開かないのが見て取れる。
「よし、爆薬を設置しようぜ」
「リーナーの仕事だったんだけどな」
ドリーとジョンソンが率先して動き始める。
リーダーはまず動けと言うスタンスだ。
こういう部分にこそテッド隊長のやり方が継承されているとバードは感じた。
まめに動き、結果を出し、文句を言わずに次を見据え、後に残さない。
その精神こそは、テッドという人物が過ごしてきた人生の結果なのだろう。
「どうだ?」
「問題ねぇだろ。上手い細工だぜ」
2種類のエマルジョンをミックスし、壁にスプレーで吹き付けるタイプだ。
リーナー好みの爆薬は、酸素に触れるとそれを取り込んで発泡する。
酸化剤自己調達型というタイプで、水中でも問題なく爆発するものだ。
「あとは……」
「例の第5惑星攻略待ちか」
いつでも爆破出来る体勢となって一息ついた面々。
壁際に腰を下ろし、連絡を待つ状態だ。
なんとなく先ほどのゲルを見ていたバードは、そのゲルが動いた様な気がした。
背中をガス発生装置に預け、身体を固定してモーションキャプチャを起動する。
――動くわけ無いよね……
あり得ない話では無いが、警戒しなくても良いと言う事では無い。
そもそも、あのゲルが何故熱を持ってるのか。
どうしてこんな場所にあるのか。
何故あんなに大きいのか。
それを合理的に説明出来る理由が思い浮かばない。
――そう言えば……
ふと、バードはつい先だって聞いた話を思い出した。
テッドとソロマチン少佐の会話だ。
――――この3週間で一気にゲル化しちゃって……
ソロマチン少佐は確かに人間がゲル化していると言っていた。
それも、おそらくはテッド隊長の親族だ。姉と言っていた様な気がする。
人間のゲル化などあって良い話では無い類いのものだ。
化学変化の常として、特定の媒体なりを必要とするはず。
だが……
――私だって細胞の珪素化を経験しているし……
普通に考えればタンパク質の珪素化などあり得ない。
そこに絡むのは、マイクロマシンの暴走とシリウス系レトロウィルスの存在。
つまり、外的要因があれば、あり得ない事があり得る事態になってしまう……
「おぃ!」
思慮を巡らせていたバードの意識をライアンが呼び戻した。
ただ、話の中身は分かっている。
「……動いたよね? いま」
「あぁ。気のせいかと思っていたが、間違い無く動いた」
ライアンとバードの会話に全員が警戒レベルを一つあげた。
9人全員の眼差しの先。青白い半透明なゲルは、間違い無くびくりと痙攣した。
「……なんかの震動を増幅してるのか?」
警戒する声音でドリーが言う。
その動きは、震動による震えにも見えたからだ。
「粘菌系の巨大コロニーとかじゃないだろうな」
「その手の気持ち悪い話は止めようぜ」
フンフンとペイトンは首を振った。
ただ、間違い無くあのゲルは動いていると全員が確信した。
「……どうする?」
ジョンソンの声音がこれ以上無いくらいに緊張していた。
高出力無線は機能封鎖中で、近接無線だけで会話しているメンバーだ。
本部へ判断を依頼するわけにも行かない。
だが……
「こっちに来たな」
ジッと見ていたスミスは、手元にハンドグレネードを取り出した。
素材的な問題として銃火器の銃弾でどうにか成りそうな代物では無い。
一気に熱と衝撃を加えて焼き払うしかない代物だ。
「意志があるのかな?」
バードはテッド隊長の言葉から一つの仮説を立てていた。
アレは人間のなれの果てで、何らかの理由によりここへ残されていた……と。
そして、自己消化と自己再生のバランスで、ここまで生き残ってきた……と。
つまり、アレは『エサ』を求めて接近してきている……
「歓迎したくねぇな」
吐き捨てる様なロックの言葉にバードは首肯を返した。
全員が真剣に見ている先、ゲルは確かに動いていた。
ズリ……
ズリ……
小さな音を立て、静かに接近していた。