アナスタシア
アナ達3人の新人が配属されて約一月。
10月終わりの30日もあと数時間で終わってしまう。
グングンと加速を続けるハンフリーは、ワープ航法用の超光速航行機関『ハイパードライブ』を起動させるべく、着実に速度を積み増しし続けていた。
艦内は各所でワープの準備が進み、秒速7万キロを越え8万キロに手が届き始めていて、艦内各所では光速不変の原理を感じさせる現象が起き始めていた。
──アナ!
――暇だからコーヒーでも飲みに行こうよ!
バードは明るい声でアナを誘った。
自らがそうであったように、アナもどこか気後れしているとバードは感じた。
彼女がどんな人生を歩んできたのかは、まだ分からない。
ただ、よりにもよってBチームに来る以上、まともな人生とは思えない。
アナを伴って歩くバードは、見晴らしの良いエアデッキへと向かっていた。
艦速がありすぎて航空機の運用限界を超えてしまったのだから、航空機訓練は出来ない、艦橋の最上部にある航空管制用のコントロールデッキは、人気のない展望デッキとなっていた。
「すごい!」
感嘆の言葉を漏らしたアナは、漆黒の闇に光る星々の耀きに目を奪われていた。
宝石箱をひっくり返したと形容される事も多い宇宙の景色だ。
奇麗なものが好きならば、誰だってそのシーンに心奪われる。
「かなり速度が乗ってきたから……」
バードは後方を振り返った。
彼方に見える太陽は、黄色を通り越し赤方偏移してオレンジ色に見えている。
進行方向を見れば、彼方に輝くアンタレスが赤ではなく黄緑に見えていた。
光ですらもドップラー効果を起こす速度で航行するハンフリーは、超光速船の能力を遺憾なく発揮していた。
「で、どう? 少しは馴れた?」
バードはそこから切り出した。
配属から1ヶ月が経過し、アナは幾度かの出撃を経験していた。
まだODSTらしく地上戦をやったと言うことは無い。
ただそれでも、海兵隊とODSTを理解しつつあった。
「もっと酷い組織かと思ってました」
自嘲気味に言ったアナは、バードに申し訳なさそうな顔をしていた。
ただ、バード自身も同じことを思っていたのだから、中身は良くわかる。
「私もそうだったかな」
「そうなんですか?」
苦笑いしつつそう言うバードは、肩を窄めて小さく息を吐いた。
サイボーグは能動的なガス交換を必要としないのだ。
それはつまり、会話のテクニックのひとつでしかない。
「私は契約する時に、生身が死なないように最初に送り込まれるって聞いたから」
自らが経験したありのままを言ったバード。
アナは驚きの表情を浮かべた。
「……酷すぎですね」
「でしょ?」
バードは出来る限りアナに自分の経験を伝えようとした。
ブレードランナーであるバードは、実際いつ死んでもおかしくない環境だ。
酷い言い草だが、彼女から見れば通信手など生ぬるい仕事にしか見えない。
ただ、アナには隠しきれない翳があった。
それは、酷い人生を送ってきたと言う証拠のようなもの。
自分がそうだったようにアナもまたどこか翳があるんだと思っていた。
だからこそ、ありのままを伝えて赤心を見せる事が大事だ。
「私ね……
バードが語ったのは、高度医療センターで経験した5年間だ。
男性にはわからない、女性にしか共感できない話。
それを、ありのままに、そのままに。バードは包み隠すこと無く言い切った。
数多くの男性医療スタッフに囲まれた状態で、一糸まとわぬ生まれたままの姿にされ、そのままモルモットのように扱われたのだ……と。
話を聞いていたアナは辛そうなため息と表情でバードに共感を示した。
小さな声で『良かった』と呟いたバードは、単刀直入に聞いた。
「アナは何でサイボーグに?」
「実は……」
一瞬の間をおいてから、アナは訥々と語りだした。
おそらく、誰にも言ったことの無い話なのだとバードは直感した。
「……5歳の頃、アナはテロにあいました。シリウス派ゲリラによる政治的な爆弾テロでアナの両親が爆死したんです。その時、実はアナも一度死にました」
アナはにっこりと笑ってそう言い切った。
唖然とするバードを前に、アナは恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
「半死半生のまま病院へ担ぎ込まれたのですが、医師の診断は脳死状態だったそうです。自立反応が停止し、一度は死亡判定が出ました。ただ、小脳より下の部分は生きていたらしいんです。ですから、その時点でアナは……」
アナは恥かしそうに肩を窄めた。
「脳神経企業の研究材料として引き取られました。脳だけですが」
アハハと笑ったアナは、ジッと自らの両手を見ていた。
健康的な肌色を見せるサイボーグの手だが、中身は機械だ。
なんとも表現出来ない表情でそれを見ていたアナは、ふと顔を上げた。
「ラザロ兆候ってご存知ですか?」
「もちろん」
脳死判定された者が最終的判定の為に人工呼吸器を外された時、一切の外的要因が無い状態で自立反応を示す事がある。その多くはベッドの上で両腕を突き上げ、胸の前でその手を合わせるような動きだ。
新約聖書の中で、イエスにより蘇ったラザロの逸話に由来するその反応は、脳死を人の死としない人々の拠り所であり、また、多くの脳構造研究企業にとっては貴重なサンプルとして高価で取引される脳死状態脳の判定に使われるモノだった。
「アナにもそれがあって、アナの脳は一旦レプリ研究企業の用意した身体に入れられました。意識は無いのですが身体は自立反応を示します。ですから……」
「生体アンドロイドだ……」
「そうです。生体ガイノイドで仕立て上げられました」
アナはニコリと笑ってバードを見ていた。
サイボーグとはいえ、眼差しに力を感じる事がある。
だが、バードはアナの眼差しを『機械だ……』と思った。
「意識は無くとも脳は機能しています。脳構造にチップを追加され、AIによる擬似人格が与えられたのです。ですが、それから10年を経たころ、その脳が自律動作している事をメンテナンス中のエンジニアが気がつきました。そして、あれこれセッティングを調えているときに、アナは自らの自我に気が付いたのです」
表情を失ったバードは、ジッとアナを見ていた。
その眼差しの先にいるアナは、他人事の様に自らを語っていた。
「アナの仕事はシミュレーターの中のモブだったんですが」
「……嘘でしょ?」
「ほんとです」
恥かしそうに笑ったアナは話の続きを語り始めた。
「シミュレーターに接続された時は、複数の身体を使い分けて様々な役割をこなしていたんです。ところがある日、アナは企業の弁護士にアクセスしました」
「……どうして?」
「うーん……」
しばらく考えたアナはややはにかんだ様子で首を僅かにかしげた。
「私は何者なんですか?そう聞いてみたかったんです」
アナはあっけらかんと笑っていた。
それは、自らの権利や生存権のための訴えではなく、自己探求だ。
「言われた事をこなすだけの毎日。そこに自分の意識が介在する事はありませんでした。アナはそれが当たり前だと思って成長したんです。だって、姿かたちは大人でも、脳はまだ5歳の子供だったんですから」
「でも、よく弁護士の所へアクセスしたわね」
「シミュレーターの中で弁護士事務所の受付をやってたんです」
「……なるほど」
アナが言うに、この時弁護士は、すぐに金儲けを思いついたのだと言う。
雇用されていた企業を告発し、アナの権利を援け、主任弁護士としてアナを一人前にして企業からアナ向けの慰謝料をむしりとり、それを掻っ攫う作戦だったらしい。
「ですが…… 国連軍がそれに絡んできました」
「え? なんで?」
「私が担当していたシミュレーターは、エディマーキュリー中将閣下肝いりのシステムだったんです」
「……なるほど」
この1年で社会の仕組みや水面下の見えない部分をだいぶ見てきたバードだ。
エディと、そしておそらくテッド隊長がアナを保護していたのだと思った。
「それから8年。私はシミュレーターのメインシステム担当でした」
「メインシステムって言うと?」
「天候や大きな社会の流れを担当する役です」
ふーん……
バードはなんとなくその全体像を知った。
あのシミュレーター上で経験した様々な事の管理にアナが関わっていた。
まぶしい太陽も、意識を覚醒させる冷たい水も、鼻を突く土の匂いも。
厳しい訓練の中で経験した様々な事のパラメーター調整を担っていた。
つまり……
「……もしかして、私の事も?」
「もちろんですよ。バード少尉と……」
「私の事はバードで良いよ。むしろバーディーって呼んで欲しいくらい」
「良いのですか?」
バードは気が付いた。アナは人間でありながらAIだ。
自らがAIである可能性にサイボーグは慄く。
自分自身がただの戦闘マシーンであることを認めたくが無いゆえの事だ。
だが、アナは違う。アナは逆の手順でここへ来ている。
「アナはコンピューター? AI?」
「え?」
一瞬アナは固まった。論理的エラーとでも言うのだろうか。
質問に対する回答候補に適切なものが無く、選択ループエラーでフリーズした。
だが、すぐにアナの『人格』の部分が顔を出した。
「アナスタシアはAIです」
「……そうなの?」
「私はアナスタシアと同居する誰でも無い存在なんです」
「じゃぁ、アナって言うのは?」
「AIに付けられた名前がアナです。酷いですよね」
ウフフと笑ったアナ。
だが、バードだって負けていなかった。
「まぁBチームにいる面々は、だいたいとんでもない過去持ちよ」
「では、バード少尉も」
「だからぁ」
「はい。バーディー少尉も」
「そうじゃないって」
「すいません。長らくオペレーターだったものですから」
困ったように笑ったアナは、朗らかにバードを見ていた。
「アナだって人間だよ」
「私は長らく機械扱いだったものですから」
「それを言うなら、私はモルモットだった」
「モルモット?」
「うん」
バードはここから語り始めた。
珪素化してしまう病で苦しんだ間、世界の全てを憎み、呪い、怨む事で生きてきたと。5年を掛けて身体中を削りきり、もう死ぬしかないところまで行って、そしてレプリ化する直前まで行ったことも。
「じゃぁ、バード少尉も」
「そうね。もしかしたら、私もただのAIかも知れない」
ウフフと笑ったバードは、恥かしがる事も無く続けた。
レプリになる筈だった自分が、何の因果かレプリではなくレプリハンターになった事。そして、この1年の間にとにかく酷い戦闘ばかりだった事。
「そんな死線を乗り越えてきた仲間だから、みんな遠慮なくニックネームで呼び合うのよ」
「そうなんですか」
「だから、他人行儀は、ここじゃ失礼に当るのよ」
ニコリと笑ったバードはアナに続きを促した。
「私は23歳の時点で国連軍と仮契約しました」
「あぁ、サイボーグ化リザーブね」
「そうなんです」
国連軍の舞台裏を知るアナは、サイボーグ化のリザーブ組みに組み込まれた。
高性能な機体を宛がわれる前にシミュレーターの中で訓練が開始されていた。
「ありとあらゆる訓練のシステムコントローラーでした。ですから……」
「ある意味、私よりヴェテランだわ」
「でも、シェルは参りました。実物があんなに凄いなんて」
「それが分かれば一流よ」
アハハと笑いあった二人。
「アナも色々大変だったのね」
「でも、バーディーさんほどではありません」
「なんか余所余所しい」
「これが基本のまま18年を過ごしてしまいましたから。申し訳ありません」
「そのうち慣れるよ」
「そう願っています」
そんなとき、艦内放送でワープに向けた訓示が流れた。
バードとアナの2人は顔を上げて無意識にスピーカーを見た。
――――ハンフリーの全クルーに通達する
――――本艦は24時間後にハイパードライブ起動速度へ到達する
――――全員ワープ準備を進めてくれ
――――11月1日午前0時きっちりでワイプアウトする
――――ワイプインは3000年1月23日の午後8時前後だ
――――目標座標は確認された。後は跳ぶだけだ
――――シリウス系第4惑星、ニューホライズンの公転軌道上
――――ラグランジェポイントL4のコロニー群周辺へワイプインする
「艦長の声だ」
「擬似ワープは何度も経験していますが……」
ニコリと笑って顔を見合わせたバードとアナは、揃って視線を窓の外へ向ける。
通常動力での加速を続けるハンフリーは既に秒速8万キロを越え、速度計の針は9万キロに手を掛けていた。光速の半分に到達した時点で亜光速領域だと規定されているが、この速度では艦載機等の訓練は一切行なわれないし、出来ない。
太陽のバウショックを抜けた国連軍艦隊は広大なボイドへと躍り出て、艦隊の陣形を大きく広げながらグングンと進んでいた。何処までも続く漆黒の闇にバードは本能的な恐怖を感じていた。
「この船がトップバッターだね」
「そうなんですか?」
「だって先頭にいるから」
「あそっか」
「今のは素の言葉でしょ!」
「……そうかもしれません」
苦笑したアナにバードはペロリと舌を見せた。
「上手くやってね。アナ」
「はい」
「無理しなくても良いけど、努力はしないとダメらしい。私も散々怒られた」
ニコリと笑ったアナは少し小さな声で『バーディーも?』と言った。
それはアナにとって途轍もなく大きな一歩だ。
全てに控えめなAIでは無く、アナと言う人格が発した言葉。
AIによる設定の書き換えではないとバードは信じた。
「……そうね」
「頑張ります…… いや、うん、そうだ」
もう一度自らの手を見たアナは呟いた。
『頑張る』と。
その姿を見ていたバードは、アナの着実な一歩を感じていた。
――――翌日
着実な前進を続けるシリウス進出艦隊のなか、ハンフリーの艦内はワープの支度で一日中大忙しだった。艦内の全てに施錠が施され、重機材などは徹底的に固定された。
戦闘機や輸送機はラッシングで徹底的に締め上げられ、シェルにいたってはまるでSM嬢の如き固定され具合だった。そして、乗組員はシートベルト付きの座席へと座り、進行方向へ背を向けていた。艦の前半分から人がいなくなり、万が一の激突に備える状態だ。
ガンルームの中の座席は全て撤去され、ガッチリと固定された座席の上にバードは腰をおろした。生身よりも重量がある関係で、厳重にハーネスで固定したバードは、隣のロックへと微笑みかける。
「楽しみだな」
まるで遠足前の子供の様に笑ったロック。
バードはロックの手に自らの手を重ねた。
「うん」
そんな2人をアナが不思議そうな顔で見ていた。
人の中で揉まれた経験の無いアナには、恋愛と言った要素が理解出来ないのかもしれない。ふとバードはそんな事を思った。
ただ、それに付いて何かを言う前にドリーが口を開く。
「向こうに着いたら早速出撃命令が出るだろう。まぁ、楽しみにしていよう」
「ドリーは飛んだことあるのか?」
ジャクソンの言葉にドリーは頭を振った。
誰もドリーの事を隊長とは呼ばず、ドリーもそれに付いて異論を唱えない。
Bチームは今もテッド隊長のものだ。書類上とかどうとかは関係ない。
「隊長の里帰りだ。かっこよくやろうぜ」
ドリーの言葉にバードはニヤリと笑った。
同じタイミングで艦内放送がワープへ向けたカウントダウンを開始した。
――――諸君
――――旅立ちの時が来た
――――イエスでもマホメットでもブッダでも良い
――――皆が信じる自分の神に祈ってくれ
――――これより本艦は時間と空間を飛び越える
――――道中でアインシュタインを見つけたら私の変わりに挨拶を頼む
――――このクソッたれってな
――――最初から不可能って結論付けていてくれれば……
――――我々はこんなに苦労しなかった
艦長の訓示に皆が大爆笑した。
バードはロックを顔を見合わせ、朗らかに笑っていた。
そして、いよいよカウントダウンが10を告げ、それが減り始めた。
「8! 7! 6! 5! 4! 3! 2! 1!」
全員が声を合わせて叫んでいた。
ゼロの声を聞いたような気がしたが、その瞬間に全てが暗くなった気がした。
そして、何ごともなかったかのように明るさが戻り、バードは完全ブラックアウト時間を計測した。
「うそ……」
「どうした?」
バードの言葉にロックが返す。
ロックの顔を見たバードはポツリと漏らす。
「完全ブラックアウト時間、マイナス0.0000004秒だ」
「マイナス?」
「うん」
不思議そうに呟いたバード。
ビルは笑いながら言った。
「俺たちが乗ったのはタイムマシンさ」
「え?」
「バーディーが言ったとおり、俺たちは0.0000004秒前の世界に飛んだ」
太古より理論だけが存在する時間退行は、時代と技術が理論に追いつき、超光速飛翔を行った際にのみ発生が確認されている。それは、猛烈な磁場の渦に包まれ、ありとあらゆる『場』から遮断された時にのみ発生する事象だ。
「で、今はいつなんだろう?」
もはや本能的なレベルで恐怖を感じてしまうバード。
なぜなら、視界の隅に浮いている時刻表示が『NON』を表示しているからだ。
10秒か15秒ほどの重い沈黙が流れた後、その表示がパッと切り替わった。
その表示がESTからCSTに切り替わり、3000/1/23/に変わった。
時刻表示は一瞬遅れ20/19/42から1秒ずつのカウントがスタートする。
「座標把握は出来たかな」
「おそらくこれで間違いないな」
スミスの言葉にペイトンが座標情報を返した。
バードは視界に浮かぶ空間地図の中に情報をプロットした。
周辺には巨大なコロニーが幾つも浮いている。
地球圏では既に使われなくなった円筒形のシリンダー型コロニーだ。
それは地球側国家群の前線基地として、また、地球派市民の逃げ場として機能している地球側独立領の宙域へと到達していた。
「これがシリウス……」
言葉を失ってモニター映像に釘付けになっているバード。
太陽と違い青白く鋭く輝くシリウスが宇宙にポッカリと浮いていた。
EST:地球標準時刻
Earth Standard time
CST:シリウス協定時刻
Coordinated Sirius Time
地球側正当政府とシリウス独立政府の間で交わされた、時刻に関する覚書により制定された事実上のシリウス標準時刻。