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機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第2話 サイボーグ娘はイケメンアンドロイドの夢を見るか?
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宇宙空間へ


 ウォ-ドルームの雑談がお開きになったのは22時に近いころだった。

 自室へと戻ったバードは、シャワーも浴びず一心不乱に日記を書き始めた。


 士官学校のファースティ(4年生)時代に経験した事も、初降下のときまでに経験した事も重要なのは間違いない。

 だが、たった今ウォードルームで感じた本当に重要なことを先に書いておかないとダメだと。

 きっとこれから。辛い任務や難しい決断や、手痛い犠牲を部下たる兵士に強いる命令を出さねばならない状況になる。


 そんな時の為に、自分の原点を書いていかないといけない。

 自分が潰されそうな時、振り返って支えにするために用意しないといけない。。

 妙な確信にも似たものがバードを突き動かしている。

 急げ急げとはやし立てている。

 今やらなければ、間に合わなくなる。


 そんな心境だった。









 ―――― 西暦2298年11月22日 地球標準時間2200

       月面 バード少尉自室










 ―――それは、サイボーグセンターで目を覚ましてからおよそ3週間が経過した、16日目の朝だった。


『おはよう!今から月面へいくよ!』


 と、あまりに唐突ではあったが、広瀬さんは私へそう告げた。

 いきなり海兵隊士官向け正装のブルードレスを渡され、さすがに驚いた。

 でも、士官学校の中で制服の着こなしやら月面の意味は散々教育されていたのだから、既にそんな事を不思議に思う事はなかったし、そろそろだろうなと覚悟を決めていた――







 6







 出発の準備を整えた軍用シャトルの士官向けVIP席。

 並んで座る広瀬は矢継ぎ早に質問を浴びせかける。


MOS(軍事特技区分)は?」

「今のところ戦闘中隊指揮(カンパニーコマンダー)まで取りました」

「そうか。エアボーンライセンス(空挺資格)は?」

HALO(高高度降下低高度開傘)と気密降下ポッドまでなら扱えます」

セキュリティ(機密取扱資格)クリアランスは?」

「最後の審査でレベルα(戦闘機密保持許可)を貰いました」


 本当に申し訳無さそうな広瀬を、恵はちょっとだけ気の毒に思っていた。

 まるで腫れ物に触るような扱いなのは、後ろめたい所が有るからだろうか?

 一瞬でいろんな事を考えたのだけど、とりあえず無表情で頷いた。


 真空中では音は伝わらない。

 だが、機体後方で頑張るメインエンジンは轟音をキャビンに伝えていた。

 サイド6の軍専用ポートを離れた軍用シャトルは、恐ろしい勢いで加速し、いつの間にか月軌道へ入った。


 恵と広瀬の座る席には小さな窓。

 その窓枠一杯に見えていた月がはみ出しつつあった。


「こんなに近くで月を見るのは初めてです」

「あれ?育ちは地球上だっけ?」

「はい。サイド1は身体が動かなくなってから来ましたから」

「そうか」


 シャトルの機体各所にあるバーニアが噴射され、軌道修正が行われている。

 どうやら月面にある宇宙港への進入を開始したらしい。

 窓の外には軍用や民間を問わず、様々な所属の宇宙船が飛び交っている。


 地球上の海運会社をルーツに持つ流通大手のコンテナシップが、巨体を加速させながら地球へ向かっていった。


「あのサイズで大気圏突入するんですか?」

「しないしない! コンテナだけ投下だよ。大気圏へ落ちて行ってパラシュートで着陸。精度は誤差数メートルだ」

「軍用輸送コンテナと同じなんですね」

「まぁ、基本的技術は同じだからね」


 誘導ビームの黄色い光が月面から発射されている。

 シャトルは逆噴射バーニアを吹かしながら速度を落としていった。

 マイナス方向へGを感じて、恵は少しだけ踏ん張って耐えてるのだけど。


「緊張する?」

「なんでですか?」

「いや、足が伸びたから」

「あ、いや、あれです。減速Gに」


 膝の上で握り締められた恵の手へ広瀬が手を重ねた。

 その手にほんのりと温もりを感じて、恵は笑みを浮かべる。


「やっぱり緊張します。ちょっと震えるくらい」

「大丈夫だよ。今の君と闘って勝てる地球人類なんて碌に居やしないさ。上位百傑の中でもかなり上位だ」

「でも…… 全く望んでませんでしたけど」

「そりゃ仕方が無いさ。なんせ、サイボーグ適性でこんなに高い人間なんて滅多に居ないんだよ」


 広瀬も笑みを浮かべた。

 僅か三週間の間だけど、恵は広瀬を家族のように感じていた。


「でも、強制徴募とか酷すぎます。ましてや…… 軌道降下強襲歩兵なんて……」


 ちょっと冗談めかした口調で抗議する。

 

「そうは言ってもね。貴重な人材なんだし、それにG20シリーズをこれだけ使いこなしてくれるとね」


 恵の身体は宇宙軍サイボーグ部隊が使う屈強な機体よりも更に高性能な物だ。

 G20と呼ばれるシリーズの中でも、ブレードランナー用にカスタマイズされたG21。この機体は適応率90パーセントを越える逸材にしか与えられない特別仕様。


「技術者冥利に尽きますか?」

「そうだね。その通りだ。適応率95%なんて数字は超エリートだよ。ただのエリートじゃ無い」

「海兵隊はエリート中のエリートの集まりだって教育されましたよ」

「その通りだ。そして、その中でも選りすぐりって事さ」


 二十世紀の古来より、海兵隊の任務は一貫して厳しく激しく壮絶だった。

 シミュレーター上の士官学校で、三百年に及ぶ海兵隊の全てを教え込まれた。

 ほんの三週間前まで、ベッドの上で死ぬのを待つだけだったはずなのだが。


「本音を言えば、なんで寄りにも寄って、こんな危険な隊へ……ですよ」

「ははは!そりゃ仕方ない。自分の生まれを呪うが良い!って奴だ。あ!見えてきたよ!」


 窓の外を指差した広瀬が嬉しそうにしている。

 この人にしてみれば、私は『作品なんだ』と。

 そんな風に恵は解釈していた。

 でも、やっぱり釈然としない。


 袖を通していた海兵隊士官サービスドレスの、その裾をグッとつかんで、恵は悔しさを噛み殺して小刻みに震える。そんな姿を見た広瀬は恵の耳元で囁く。


「一般的なサイボーグユーザーの適応率って知ってる?」

「いえ」

「平均して65%なんだ」

「65%?」


 恵は一瞬、自分の感情を忘れて広瀬を見る。

 どこか悪戯っぽい笑みの広瀬は、窓の外をチラリと見た。


「ほぼ100%だと実感無いと思うけどね。でも、65%未満だと国際障害者ハンディ二級扱いなんだ」

「それだとどうなるんですか?」

「まぁ、満足に動けるようになるには、最低でも半年はリハビリが必要だね」

「リハビリ?」

「そう。だから普通ね、サイボーグの体を使い始めて三週間なんて人は、震えるなんて出来ないんだよ?」

「え? そうなんですか?」

「そうだとも。歩くとか立つ座るとか、あと喋るってので精一杯なんだ」


 生身の頃より余程良く動く身体になったせいだろうか。

 恵はこの身体に一切違和感を感じないし、むしろ、病気が治ったて元気になったと思い込んでいた部分が有る。


「君はね。とにかく特別なんだ。何から何まで特別なんだ。地球人類で十億人に一人の特殊で特別な人間」

「特殊で特別」

「そう。その君に地球人類はとにかくお願いするしか無いんだよ」

「何をですか?」

「護ってくださいってね」


 恵の肩に手を乗せて。

 ジッと瞳を見ながら口説くように広瀬は話をする。


「でも、そんな事言われたって……」

「まぁ、基地へ付いて色々見てるうちに分かってくれると思うよ。あ、そうそう、これは君のIDカード。まぁ、君の場合は基本的にどこでも顔パスになるだろうけどね」


 シャトルは更に速度を落とし、ボーティングドックへ接岸した。

 円筒形のゲートパイプが延びてきて、シャトルのハッチへ気密接続を開始する。

 ガチン!と金属音がして、それからシュッと鋭い音。

 シャトル内の気圧が上がった。

 基地側のほうが気圧が高いようだ。


「さぁ、行こうか」


 広瀬は恵を促してハッチを出た。

 小さなハッチを出た恵の視界には、超低重力環境警告が浮かぶ。

 だけど、そんな物は目の前の光景に圧倒され意識の外へ吹っ飛ぶ。


 宇宙軍シャトルの到着したアームストロング宇宙港は、人類最大の月面拠点だ。

 見た事も無いサイズの巨大宇宙船が幾つも係留され、その間を小さなランチが行きかっている。

 補給を受けているらしい船舶のサイドには、大型の人型ロボットが張り付いていて、よく見ればオペレーターは簡易宇宙服でコントロール席に座っていた。


「あの辺りのオペレーターは大体適応率70%とか80%くらいのベテランサイボーグだよ」

「あ、そうか、サイボーグだと真空でも動けるんだ」

「そう言う事だね。それに、水や食料を朝補給したら夜まで動き続けられるし」

「大変な現場ですね」

「港湾労働は宇宙も地上も今も昔も大変だよ。それだけに給料は良いし待遇も良い」

「じゃぁ、あの人たちの身体は会社がメンテナンスを?」

「そう。会社がやってくれる。レバーとかペダルとかじゃなくて神経レベルで接続されるから動きが良いんだよ」


 広瀬は楽しそうにしている。

 やっぱりこの人は技術屋さんなんだと恵は気付く。

 それも根っからの技術屋でエンジニアで、子供のように純粋で。

 そして悪意がない。


 自分の好きな事をやっている限り、文句も愚痴も言わず、喜んで朝から晩まで研究室に篭れるタイプ。


「なんだか、19世紀くらいのSFの世界ですね。空想冒険小説の世界」

「そうだよねぇ。まぁ、人類って奴は自分達が空想した物は実現させないと気が済まないんだよ。何世紀かかってもね」

「あ、それ、安藤さんも言ってました。鉄腕アトムから三百年経っても完全自立ロボットが出来ないのが悔しいって」

「いや。実際はそうでもないんだよ。ただ、傍目には解らないのさ」

「わからない?」

「そう。完全自立AI型ロボットの場合、自分自身ですらロボットだと理解していないケースが多々ある。そういう風に作ってあるからね」


 なんとも不思議な表情で広瀬は恵を見ていた。


「その場合、ロボットは自分をなんだと理解してるんですか?」

「人間だと思ってるのさ。自分の脳を自分で確かめる術は無いんだから」

「……ですよね」


 透明なチューブ状のブリッジを渡ってメインフロアにやってきた。

 チューブの中は月面と同じ低重力だから、歩くより飛んだほうが早い。

 女性向けのサービスドレスがスカートではない理由を恵は理解した。


「ここから先は地球標準面と同じ1G環境になってるよ」

「はい、Gセンサーがそう警告しています」

「視界に見える?」

「はい。この手の警告表示も慣れました」

「うん。ソッチも良好だね。まぁ、まだ3週間だしなぁ 正直、君の場合はちょっと早すぎる気もするよ」


 フワフワと舞っていたのだけど、急に重力を強く感じて床へ足をつく。

 重力センサーが1Gを表示し、普通に歩ける環境になって、恵は月面に立った。

 巨大な宇宙港のカーゴセクションにある軍用エリアだが。


「さて、では入域審査だ」


 恵は広瀬に背中を押され歩き始めた。

 UNのマークが付いているセキュリティゲート前。

 世界中全ての国家のローカル政府から独立した国連機関の持つ領土。

 地球大気圏外にある人類生存拠点は全てUNの管理下におかれている。


 広瀬は胸のIDカードにある二次元バーコードをかざし、セキュリティチェックを受けた。国連職員の識別IDがあるのだから、ここは普通に通過できる。ただ、恵の場合はちょっと勝手が違った。


「あなたは?」


 厳しい装備の警備官がジロリと恵を睨んで凄んでいる。

 随分と背が高くて黄色人種系の人だ。腰には9ミリ弾を撃つ自動拳銃。

 ベレッタ系だとすぐに理解する。


 士官学校の銃火器教育で取り上げられた、世界的なベストセラーだ。


「今日着任する新人さんだ。あまり苛めないでやって。本当に新人なんだから」


 広瀬は何処か嗾けるような言葉を吐いた。

 警備官が怪訝な表情を浮かべる。


「へぇ…… こんな線の細いお嬢さんがねぇ…… 宇宙軍士官服だけど階級章無しか 事務方さん?」


 ちょっと呆れている警備官がヒョイヒョイと手招きしている。

 それに釣られて恵は一歩前に出そうになって、で、怒鳴られた。


「違う違う! IDカード! 覚えとけ!」


 カチンと来た。

 だけど、すぐにぶち切れるほど子供じゃ無い。

 少しだけ機嫌の悪そうな表情を浮かべて、先ほど渡されたIDカードを手渡す。


 警備官はそれを奪い取るように持って、そしてスキャナで二次元バーコードをスキャンした。


 ピッ!

   ピー! ピー! ピー!


 しかし、何度スキャンしてもアクセス不許可の表示を繰り返すばかりで、らちが明かない。なんだこりゃ?と怪訝な顔で広瀬の顔を見た警備官。


「これ、偽造じゃ無いの? アクセスできないんだけど」


 一瞬チラリと恵へ視線を送った警備官は、恵の機嫌の悪そうな顔に驚いた。

 明らかに不機嫌そうな恵は、きつい視線でジロリと睨んで警備官を足元から睨め回している。

 プリーブを唸りつける上級生よろしく、きつい眼差しでジッと見ている。


 何の因果か知らないけれど、海兵隊のブルードレスに袖を通す女の子に睨まれている。なんだかそれだけでもう、ただ事じゃ無いと気が付くのだけど。

 どうするべきか、警備員がちょっと不安になり始めた時、遠くの方で慌しくドアを開ける音が聞こえた。ちょうど、三回目のスキャンをかけた時だった。事務室から赤線二本の腕章を腕に巻いた警備官がすっ飛んできた。


「おい! その方は良いんだ! 通して差し上げろ!」

「え? 隊長? 良いんすか?」

「俺が良いと言ったら良いんだ」


 奪い取るようにIDカードを取り上げた隊長は、慇懃な姿勢で恵にカードを差し出した。そっと受け取って胸の部分にクリップで留めたのだけど、恵の目だけは相変わらず警備官を睨みつけている。


「部下が大変失礼しました。どうぞお通り下さい。基地指令がお待ちです」


 軽く冷や汗を浮かべるようにして、隊長は背筋を伸ばし敬礼した。

 それを不機嫌そうに見ている恵の背中を広瀬は再び押した。


「さて、じゃぁ先に行こう。まぁ、良くあることだ」

「……はい」


 まだ何処か不承不承な風な警備官を横に、ゲートを通過した。

 背中側からの小さな声を、恵の耳が捉える。

 高感度センサーは小声までキチンと拾えるのだった。


「おまえ。あの人、サイボーグの士官でブレードランナーだぞ」

「……え? まじっすか?」

「辞表書く準備しとけよ。事故扱いにして殺されるぞ」


 広瀬が悪戯っぽく笑った意味を理解し、フフンと鼻を鳴らして、恵は通路を歩いた。なんか凄く物騒な事を言ってる様な気がするけど、聞かなかった事にしておこう。そんな気分だった。


 ――――ブレードランナーって恐れられてるのかな?


 そんな取り留めない思考の堂々巡りをしている間に、恵と広瀬の二人は月面宇宙港の一般向けエリアへと躍り出た。


 たくさんの人が歩いていて、テレビドラマで見た地球上の空港のようだ。

 建屋の外にはムーンベース内を走る民間バスが横付けされているのが見える。

 着飾った観光客たちがフロアを移動していく。

 月面土産(?)と声を張り上げている売り子がチラリと恵を見た。

 なんだか凄く楽しそうな場所だと恵は思った。


「街ってこんなに楽しい場所なんですね」

「やっと君の笑顔を見た気がするよ」


 楽しそうにしているつもりはなかったのだけど。

 でも、恵は自然と笑顔になっていた。


「これが君の護るべきものなんだよ」

「護るべきもの?」

「そう。卑劣なテロがここでも起きる可能性がある。それを防ぐのが君の仕事」

「そうなんですか。こんな楽しい場所がテロの対象に」


 教育の一環で学んだテロの現実が頭をよぎる。

 世間や社会に『異分子に対する嫌悪感を植え付け、全体から切り離そうとさせる事が目的』なテロの存在。


 地球から独立しようと画策する人たちが、まず地球連邦政府から切り離され、殲滅の対象になろうとしている、と。そんな内容を恵は思い出した。

 そして、殲滅されず生き残れば、晴れて独立を勝ち取れると。なんとも子供じみた理論だと思ったのだけど、これもまた思考のループだと気が付いて詮索するのを止めた。

 

「ここから先は軍用エリアだ。この港は軍民共用港だからね。さっきみたいな事が起きる」


 唐突に広瀬が喋りだした。

 言われて見れば周囲から広告などの類がだんだんと消えていく。

 人通りが少なくなって、まるでオフィス街のような、サイボーグセンターで見たような。乾燥した無機質な材質の壁に変わっていた。


「さっきみたいな事って、なんですか?」


 周囲の変化を確かめながら恵は尋ねる。

 ちょっと不機嫌だったんだけど、いつの間にか気分転換を完了していた。


「本来は軍用エリアのポートに入るはずだったシャトルが民間エリアに到着したり、或いは、プライオリゾーンに到着する」

「プライオリゾーンって?」

「軍向けとか国連機関向けの貨物便が接岸するポートだよ」


 しばらくフロアを歩いていくと、まばらに並ぶ人工樹と大きなタペストリ。

 いくつかの角を曲がって尚も歩くと、壁から下がる宇宙軍のシンボルフラッグ。


「そして、軍向けしかデータの無いIDカードをだして、民間の警備がパニくる」

「じゃァ、さっきの警備の人たちって」

「そう。君のデータが無いから不法侵入を試みたテロリストと勘違いしたんだよ」


 全部承知でやりました!と。広瀬の顔にそう書いてある。

 やられた!と思いつつ、悪戯っぽい笑みを理解する。


「さて、いよいよだね」


 広瀬はどん詰まりの壁の前に立った。

 その壁に小さな窓の付いた大きな扉が有った。

 見るからに丈夫そうな材質だと思った。


「IDカードを用意しておいて」

「はい」


 広瀬は壁にある小さなセンサーへIDカードをかざした。

 やや間をおいて小さな窓のカーテンが開いた。

 ジロリと様子を伺う目が見える。


「技術士官の広瀬だ」


 ややあって、中から何人かの軍関係者と思しき人が出てきた。

 手に銃を持っているから、間違いないんだろうけど。


「あれ?お嬢さん連れですか? 基地見物なら時期が悪いですよ」


 ハハハと笑っているスタッフが手を差し出した。


「とりあえずIDカードを見せて」


 銃を持ったスタッフは恵のIDカードをスキャンした。

 電子音が響きその途端、顔色が変わって直立不動の姿勢になった。


「大変失礼しました少尉殿。こちらへどうぞ」


 チラリと恵を見た広瀬がウィンクした。

 やっぱり茶目っ気のある人なんだと恵は安心する。

 ちょっとだけホッとしたが、意を決して壁に付いている小さなドアをくぐった。

 

 民間エリアと同じ様に長い廊下が続き、いくつか角を曲がって歩いていくと大きな吹き抜けになっているホールへ出た。

 いま恵が立っているのは四階建て相当の巨大な吹き抜けホールにある、四階部分のフロアデッキ。広瀬は気にせず歩みを進め、エスカレーターで下へと降りていく。


「軍のほうはもう君のデータが来てるから一発通過だよ」

「さっきの方も私がブレードランナーだから緊張したんですか?」

「あ、違う違う。階級の問題」

「……そういえばさっきの方は軍曹でしたね」


 足を止めて見回した大ホールの中は、何処か緊張した空気と緩んだ空気が共存していた。壁には様々な掲示と共に、観葉植物や花が飾られている。


「広いですね」

「軽く一万人が並べる規模だからね。ここで全体集会やったりするんだよ」

「基地のスタッフ全員ですか?」

「いや、兵士だけだね。事務方や職員は出てこない」


 改めて中をぐるりと眺める。壁には勇ましい海兵隊員のポスター。

 もう一枚にはレプリカントWANTED!の文字が入っている啓発ポスター。

 四方の壁には複層のフロアデッキが並ぶ。


 巨大空港の中央ホールのようだと恵は思った。


「そういえば広瀬さんに伺いたいことがあるんです」

「なに?」


 ふと思い出したように恵は切り出した。


「レプリカントとはいったいどういう存在なんですか?」

「ん? 変な事を聞くね。学校で教育されなかった?」

「あ、いや、生い立ちとか役目とかじゃ無く」

「……あー ウン解った。そう言う事か」


 ふと足を止めた広瀬はホールの天井を見上げた。

 なにか、話の取っ掛かりになる言葉を探してるんだと恵は直感した。

 形にならない色々な思いを言葉に変換する作業。

 どこかちょっと悲しげなまなざしで広瀬は恵を見た。


「二十世紀の後半だったかな。人造人間を造って惑星開発に当たらせるって映画があったんだ。その映画の中でね、人造人間は四年しか寿命を与えられなくて、ある日、人造人間の兵士が地球へ脱走を試みたってストーリーなんだけど」

「ブレードランナーってタイトルですよね。レプリ狩りを専門とする特捜刑事の話」

「その通り。見た事ある?」

「はい。まだ入院中に古典映画の中で見ました。面白かったです」

「そうか」


 広瀬は再び歩き始めた。民間エリアの何倍も広いらしい軍用エリアだ。

 歩いても歩いても、目的地に着かない気がするんだけど。


「レプリカントはそもそも、医療分野における臓器提供源として生み出されたクローンボディからの発展なんだ。腎臓や肝臓と言った臓器だけで無く、心臓や肺や骨髄と言った重要臓器。果ては脾臓とか胸腺とか免疫系を司る臓器とか、普通は移植が効かない臓器をクローンから提供させて本人が生きながらえると。かなり古くから行われている、そんな所がスタートラインだったんだね」


 歩きながら自分の身体を指さして臓器の位置を説明する広瀬。

 高度な専門知識を持った上級技術者だけの事はある。

 サイボーグをはじめとする生体工学の教授は医師の頂点でもあるのだ。


「重要臓器を抜き取ったドンガラをどうするか?これは決行ナイーブな問題だった。なんせ、本人のクローンに人格はあるのか?人権はあるのか?そのまま自然死させたら殺人罪になるんじゃ無いか?法律関係のお偉方が頭を抱えた訳だよ。そもそも最初から、クローンに人権なんか認めなければ良いと言うだけの話なんだけど、クローンは本人のコピーなんだから、それに人権が無いとおかしいって話だったんだ」


 なんだか変な方向へ話が転がりつつある。

 そんな風に恵は聞き続けたのだけど。


「そして話は更に進む。ドンガラに人権を認めるんじゃなくて、元の身体を潰せば良い。新しい身体に乗り換えるんだよ。僕のクローンを造ろうとデータを抜き取って、無事クローンが造れたから、脳を移植する。これで問題なし」

「はい」

「それに成功し次はこう考えた。ある程度年齢を重ねて、老いた身体が辛くなった頃、若い身体でクローンを造ってそっちへ乗り換えよう。そうすれば脳の細胞が死に始める時まで長生き出来るだろう。理屈の上では二百年か三百年は生きられるはずだと」

「なんか無茶苦茶な話ですね」

「そうだね。だけど、意味も無く長生きしたい人は居るもんなんだ」

「そうなんですか」


 少し呆れて恵は話を聞いた。

 確かに自分自身も命永らえる事を望んだのは事実だ。

 でも、無駄に長生きまではしたくない。


「老いた身体から脳を抜き取って新しい身体へ移植して、で、古い身体と新しい空っぽの脳みそはどうしよう?そう考えない?」

「あ、それは思います。二個一ですよね」

「そうなんだよ。古い身体を有効利用する方法をみんなが考えたんだね」

「そうなりますね」

「所がね、年寄りの身体だけ有っても仕事にならないし病気だらけだし。使い物にならない」

「でしょうね」

「でも、脳は余っている。それも若くて健康でまだ教育のされてない新鮮な脳だ。」


 なんだか話が変な方向へ進んでるぞ?

 ちょっと困った事態に恵も対処が解らない。

 だけど、広瀬はかまわず淡々と話を進める。


「その新鮮な脳をサイボーグに載せて自立AI的なロボットにしようと考えた企業が有った。レプリを作るよりサイボーグの方がうんと安いし、それに、メンテとかで企業の方も儲けられる。気がつけばサイボーグはドンドン高性能になっていき、最初からクローンではなくサイボーグに乗り換える人が増え始めた。保険屋とかとセットでメンテの面倒を見ますよ!って企業も増えた。当然、レプリ製造会社は困ったわけだ。商売上がったりってね」


 恵はうんうんと頷いた。

 言われてみればもっともな話だ。

 

「だから逆にサイボーグと違ってメンテナンスフリーを売り文句に、最初から遺伝子をデザインして造られる人造人間が造られた。なんせ生身の人間と同じで怪我したり病気したりしても寝かせておけば治癒する。重症の場合は構わず使い潰せば良い。そもそも生身より遥かに強靭で抵抗力のある存在だもの。人権を最初から与えられてない奴隷だったんだよ。そこに目をつけたのは限界環境で働く極限産業の企業たちだ。彼らはこう考えた。普通の人間が生きて働ける環境ならレプリカントも生存できる。メンテの必要なサイボーグじゃなく、メンテフリーなレプリカントを有毒ガスとか環境改変生物の送り込まれるテラフォーミング中の惑星へ労働者として送り込もう!とね。そこで死んだらタンパク質に分解して、まだ活動しているレプリの栄養源にしてしまう」


 つまり……

 話のオチが見えてきた。


「そしてアストロテクニカルと呼ばれる惑星環境改変労働向けに新しいシリーズが生み出された。誰かのクローンではなく、一定の乱数で遺伝子情報の揺らぎを持たせた量産型のクローン。古い映画に有るように、誰か特定の一人をホストにして、そのコピーを大量生産するんじゃなく、最初から遺伝子的に複数の組み合わせを持たせて一から作り上げる人造人間だ。最初はそんな存在をキャラクターと呼んでいた。映画や漫画などに出てくる架空の存在だから。でもね」


 広瀬が凄く楽しそうに喋っている。

 笑顔を浮かべて喋っている。


「まだ二十世紀だった時代。宇宙が今のように生活の場になる前の時代。宇宙へ夢を馳せた人々が沢山の映画やドラマを作った時代。大型宇宙船で宇宙を飛び回る人気作品があった。そのストーリーに出てくる主役の宇宙船は名をエンタープライズ号と名付けられていた」

「あ! スタートレックですね!」

「そう。そのとおり。所がね、時代が進んで最初の地球往還機(スペースシャトル)が作られたとき、その作品のファン達だけではなく、多くの人々がこう願ったんだよ。最初の宇宙船はエンタープライズ号でなければならない! ってね。エンジンを持たない滑空しか出来ない試験機だったけど、その初号機はエンタープライズと名付けられた。それと同じ事が起きたんだ。キャラクター達はいつの頃からか、レプリカントと呼ばれるようになった。誰かのレプリカ。クローンではなくレプリカを改変して作られた人々。だからレプリでカント」


 予想通りの説明が続く。

 レプリカントの生み出された時代の空気をなんとなく感じる。

 ふと目をやったレプリカント注意の啓蒙ポスターに恵は足を止め眺めた。


「こっちこっち。いくよ!」


 気が付けば広瀬が数歩先へ行って振り返っていた。

 恵は慌てて走って行って追いつく。


「そのレプリが映画のとおりに暴れ始めた。最初は軍や警察が個別対処したんだけど、だんだんと高性能になったから、ならば、レプリに専門対処する機関が生み出されるのは普通の展開。そこへサイボーグ産業が強力に支援を始めたわけだ。要するにレプリカント産業とサイボーグ産業の代理戦争だね。で、まぁ、レプリ対処のハンターが生まれたなら、それは自然にブレードランナーと呼ばれるようになる。一番最初にそれを言い出したアメリカの国家安全保障局のレプリカント対策部門は、最初からコードネームがブレードランナーだった位だしね」


 結構大股で歩いている広瀬と一緒に歩いていくと、重厚なダークブラウンのドアの前に立った。その前には銃を持った歩哨が二名。左右に並んで立っている。


「ここから先は士官専用エリア。下士官や一般兵卒は基本的に入れない」


 もう一度IDカードを見せて中へ入ると、床には豪華な絨毯が敷き詰められているエリアだ。壁の色がクリーム色のペンキ仕上げから、難燃系の木材風な材質に代わる。通路には所々に本物の大きな観葉植物が置かれていて、その脇には消火器が置いてある。


「さて、いよいよデビューだ」


 広瀬が指差した先には国連宇宙軍のシンボルマークが付いた扉。

 そこには二つの柏葉が交差したすぐ上に四つの星が付いていた。

 

   コンコン


「宇宙軍技術研究本部 ファースト(一級)テクニカル(技術)オフィサー(士官) 広瀬です 新任少尉をお連れしました」


 威厳のある声で淀みなく喋りきった広瀬。

 今まで一度も見なかった軍人らしい姿に恵は驚いた。

 士官学校で教えられた、理想とする士官の姿そのものだった。


 だが、部屋の中から落ち着いた声で『カミン!』の声が聞こえた時。

 広瀬の声も周りの音も恵の耳へ届かなくなった。


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