旅立ち
9月の後半。
月面、アームストロング港にハンフリーが入港していた。
巨大構造物であるハンフリーが月面まで降りる事は珍しいのだが、月面の基地内ではシリウスへ向け出航する各艦が出航に向けたささやかなセレモニーを開いているのだった。
比較的小型艦艇は地球から直接出発出来るのだが、総質量10万トンを越える大型艦は月面から出発する事になる。
そして、それを更に越える30万トンオーバーの超大型艦は火星軌道上にある中継施設での出発式を行う事になっていた……
「案外少ないな」
「長い旅なはずだが……」
エアロックで仕切られたギャングウェイの港側にはたくさんの人々が集まり、思い思いに「別れの挨拶」を交わしている。
「見送ってくれる家族がいる者は……」
「かえって辛いかもしれんな」
ジョンソンとドリーの二人は、ハンフリーの接続されたギャングウェイの付け根辺りで見送る人々を眺めていた。
強力なエンジンを持つ恒星間飛行宇宙船だが、それでも惑星の重力に直接捕らわれる着陸接岸は避けることが多い。だがそれでも、この日は接岸していたのだ。もしかしたら今生の別れになるかも知れない。
──パパ、行ったよ
──やだ! 行っちゃやだ!
幼児を抱える母親が涙ながらに父親の出征を見送っている。
ギャングウェイに消えていく父親は名残惜しそうに振り返って手を振った。
母親は涙に暮れていた。
その隣では、屈強な海兵隊の男性隊員が我が子を抱き締めていた。
そっと額にキスした後で、息子へ自らの首にあった(それは父親の形見になるかもしれない)シルバーのチェーンを掛ける。
――気をつけて……
――あぁ、大丈夫だ。サムを頼むぞ
もう一度キスした父親はギャングウェイに消えていく。
その背中には、言葉にならない寂しさがあった。
やや離れた場所。
フェンスで区切られたセキュリティゾーンの境目では、何処かの少佐が同じ歳なくらいの男性と握手を交わしている。
──息子を頼む
──あぁ、任せてくれ
もう良い歳になった息子を見送りに来た父親の目には涙があった。
誰かがやらなきゃいけないことだ。だけど、誰もやりたくないことだ。
それを、誰もが尻込みする事を買ってでた立派な息子だ。
父親は祈るしかない。
自慢の息子が、生きて帰ってくる事を。
誰かが始めた戦争は、誰かが終らせなければ成らない。必要な血の犠牲と魂とを祭壇に飾り、尚も欲望に牙をむく獣の生贄とならなければならない。
その獣の正体が何であるかを、ここにいる人々は良く分かっている。それは政治家ではなく企業でもなく、思想家や宗教家と言った『人々を導く存在』ではないのだ。
「今頃はニューホライズンでも」
「あぁ、きっと似たような事が繰り広げられているさ」
外見的には全く若々しいジョンソンとドリーだが、その実は二人とも軽く40に近い数字だ。
普通の人間であれば、それこそ息子なり娘なり、自らの子孫を持っているような年齢の二人だが、彼らは名も知らぬ誰かの最も大切な物を預かる責任に震えていた。
――――――――――月面 キャンプアームストロング宇宙港
軍用ポート 第7桟橋付近
地球標準時間 2299年 9月 25日
この日、バードはハンフリーのボーティングデッキに陣取っていた。
隣には自動小銃を肩からさげた警備員がいて、ハンフリーに乗り込んでくる者達を一人ずつチェックしていた。
「さすがに数が多いな」
「大体六千人だからね」
バードと一緒にロックが立っていた。
レプリチェックが出来るわけではないロックは、バードのガードだ。
未だどこかにレプリカントの工作員が居るかも知れない。
安全宣言は出したが、上手の手からも水が漏れると言う諺も有るのだ。
バードは緊張感を持って任務に当っている。
集中力の深さと根気の良さは、テッド隊長以下、チーム全員が共通して褒めることだ。だからこそチームの中でも一定の居場所を築いていると言えるし、また、男性ばかりの組織の中で一目置かれているのだ。
そんなバードの目が、見送りの場にやってきた新たなグループを見つけた。最初は気に留めなかったのだが、どこかで見覚えがあるとバードは思っていた。
――えっと……
――だれだっけ……
イメージ検索で過去に出会った人物サーチを掛けると、意外な名前が浮かび上がった。一瞬だけどうするかと考えたバードだが、ふと気がつくと近くに居た筈なロックの姿がなかった。
『ロック どこ?』
『あぁ、わりぃわりぃ、いまガンルームにいる』
『どうしたの?』
『機密書類の開封チェック入れろって来てて……』
『あぁ……』
出航前の重要書類は受け取り確認を要するのだ。
なんだかんだ言って、まだまだ書類の重要性は失われていない。
機密書類は見た後で焼却処分すれば良いのだから、情報管理の上ではありがたいことだった。
『どした?』
『いや……』
一瞬口ごもったバード。
だが、変に気を使わすのもどうかと思って単刀直入に言う事にした。
『ロックのお母さんと弟さんが来てるよ』
一瞬だけ無線の中が静かになった。
逡巡するロックが手に取るように分かった。
そして恐らくは……
『関係ねぇ』
バードの予想通りな回答が無線に流れた。
――ッもう!
せっかく会いに来た親の顔を見ないとかどういう事よ!とバードは一瞬憤る。
だが直後に、バードが過ごしてきた日々を思えば素直に喜べないと気がついた。
「ちょっとここよろしく」
直接ロックの首に紐でもつけて引っ張っていこうと、バードは基地のガンルームへ向かって歩いた。そして、少々手荒にガンルームのドアを開けたとき、そこには見覚えの無い人物が立っていた。
「ロック少尉に面会ですが…… どうされますか?」
識別マークは軍の事務官だ。
特技章は弁護士になっている。
「……身分を隠している俺に面会なんて有る訳がねぇ」
どんな理由かは知らないが、有り得ないものは有り得ないのだ。
501大隊に参加した以上は、その身分を完全に秘匿されてしまうはず。
『ありえねぇ』と一笑に付したロックだが、そこにアリョーシャの声が入った。
『すまんロック。言うのを忘れていた』
『アリョーシャ?』
『安全宣言以降、地上に家族が居る者は連絡が入っている』
『え?』
『お前の家族には弁護士が全て説明したはずだ……』
素っ頓狂な言葉を吐いたロックは、それっきり言葉を飲み込んでいた。
だがその直後、仲間達から次々と叱責の言葉が飛んだ。
『おいロック』
『ジャクソン?』
『逃げんじゃねーぜ』
『逃げてねぇけど……』
ロックにしてみれば会いたくない存在の筆頭ともいえる。
だが、そんなロックの背中をスミスが叩いた。
「会いたくても会えない者だっているんだ。会えるなら会っておけ」
「そんなこと言ったって……」
「会わずに後悔するな。会って後悔しろ。そうすれば死ぬ時に一つだけ楽になる」
スミスは相変わらずな物言いだった。
ただ、アラブの男の優しさが滲んでいた。
「会いたくても会えない俺の代わりに会いに行け」
そっとロックの背中を押したスミスは笑っていた。
肉親の全てを失って復讐のためにだけ存在しているような男だ。
その男が背中を押した以上、ロックは歩くしかない……
「わかったよ……」
「そうか」
ウンウンと首肯したスミスは静かに言った。
「アッラーフアクバル。神は全てを見ていらっしゃる」
スミスの声に押し出され、渋々と歩き出したロック。
ふと気がつくと、その隣にバードが立っていた。
「バードも行く?」
「もちろん」
ニコリと笑ったバードはロックと並んで歩き始めた。
どこか気合の入っている顔をしているバード。
ロックはそれは少々不思議だった。
「……なんで?」
「だって、ロックの義父さんに嫁って言われたから」
一瞬だけ『あ……』と言う顔になったロック。
ただ、一瞬だけ床を見た後、ロックもニコリと笑った。
「そうだな」
月面基地の中を歩いていくバードとロック。
その最後の試練が迫っている事を、二人は理解していなかった。
エレベーターを上り、再びハンフリーの接岸するポートへと出たバード。
ロックと共に歩いていくと、各所で警戒に当っている兵士達は、一斉に敬礼で出迎える。その光景は二人が置かれた立場を雄弁に物語るものだ。
そしてそれは、ロックの母と弟には十分な説明だった。厳しい眼差しで歩いてくるロックの姿には一部の隙も無い。辺りを警戒し伏せ目がちに各所を確かめる仕草に、背負った責任の重さを垣間見ていた。
『ビックリしてるね』
『あぁ、こんなところにゃ縁がなかっただろうからな』
『……普通はそうだよね』
楽しそうに歩いていくバード。
口元には僅かに笑みなど浮かべている。
だが、ロックの母親と弟に何ごとかを説明している長身の男を見つけ、それが一年近く前にバードを口説いた宇宙軍のバンホーラだと気がついた。そして、人影で見えなかった側、ロックの親族からバンホーラを挟んだ反対側にいた夫婦を見てバードの足が止まった。
「うそ……」
表情の消えたバードの顔をロックの手が捉えた。
「知ってたの?」
「いや? 知ってるわけがねぇ」
「……参った」
「ここでケツまくるんじゃねーぜ」
「え?」
「気合い入れろよ?」
ニヤリと笑ったロック。
『意地悪!』と言わんばかりの表情になったバード。
だが、そこには兄、太一も立っていた。
そして、バードの専任事務官だったバンホーラは、その場を離れバードとロックの元へとやって来た。なんとなく、満足そうな笑みを浮かべて。
「やはり私の見立ては間違っていませんでしたね。バード少尉」
「しばらくですね」
握手を交わしたバードとバンホーラ。
ロックも続いてバンホーラと握手した。
「まさかあんたがバードも担当してたとは知らなかったよ」
「だから言ったでしょう? 宇宙軍と契約すれば損は無いって」
「予言どおりってか?」
「まぁ、そんなもんですね」
ニコニコと笑っているバンホーラは両手を広げ言った。
「お二人に何があったのか。すべてをご説明しました」
『全て?』と呟いたバード。
バンホーラはそれ以上一言も発さず一歩引いた。
その向こうにはバードの。恵の母親と父親が立っていた。
涙を浮かべて、娘の姿を眺めていた。
「……もうちょっとちゃんとメイクして置けばよかった」
セキュリティゾーンから一般ゾーンへと出たバード。
いかなるセキュリティチェックもバードはフリーパスで通れる。
その事実に、バードの両親は娘が背負っているものを理解した。
「恵……」
何も言わずに母は娘を抱き締めた。
「許しておくれ」
父は妻と娘を抱き締めた。
「……えっと」
なんて言って良いのかわからず、言葉を飲み込んだバード。
その心の中には、表現出来ないどす黒い感情が渦巻きわき上がってきた。
――何を今さら……
どれ程取り繕っても、一人宇宙に捨てられた思いは消える事が無い。
悲しみ、嘆き、苦しみ、もがき、そして世界の全てを憎んだ日々。
謝られて済む事では無い。どんなに謝られても、もう取り戻せない事がある。
ただただ、心の中に残っている黒い炎を知って欲しいだけ。
いつも心の中の何処かで燃え盛っている、世を怨む心を認めて欲しいだけ。
その炎は絶対に消せないのだ。
だが、バードの心に、ふと言葉が浮かんだ。
一人で基地の中を歩いたあの夜、エディから聞いた言葉を思い出した。
――総体としてそこに存在する者
――それこそが君なんだ。
――きっと正解なんて無いのさ
バードの心に燃え盛っていた炎がふっと消えた。
そして、泣きじゃくっていた母がやや落ち着き始めた時、バードは気が付いた、
――このひとも苦しんだんだ……
バードは母親の両肩を抱きしめた。
「久しぶりだね」
そう呟いて、もう一度ギュッと抱きしめた。
そんなバードに、父は静かに切り出した。
「お前はもう知ってしまったかも知れないが」
「なにを?」
「お前は……いや、父さんも母さんもシリウス人だ」
「……やっぱり」
吹っ切れた様な笑みを浮かべ、バードは父を見ていた。
この世の全てを恨んだのは昔の話だと、割り切ったのでは無く、自分の1ページにファイルして整えたのだ。
「2248年から始まったシリウス脱出作戦で、母さんと一緒にシリウスを離れたんだが…… あのザリシャの街を離れて、往還船の中で20年の極低温冷凍睡眠に入った。そのまま長い航海を経て地球へとたどり着いたんだ」
父親は衝撃の過去を堂々と語り始めた。
なんとか火星まで到着したのだが、その火星ももはや受け容れる場所が一切無く、更に10年近く眠っていたままだったと。そして、目覚めた後でも行き場など何処にも無く、最後は難民として日本へ入ってきたのだったと。
「わしも母さんも、元はと言えば日系だ。そういう事もあり、割とスンナリと日本への入国を果たしたのだが……」
言葉を濁した父は頭を振ってうなだれた。
バードだって、言いたい事はもちろん解る。
地球上で散々とやり合ったシリウス軍の影響だ。全土で文字通りなシリウス差別があったのだろう。そんな環境下で産まれて来た長女が、シリウスの風土病とも言うべき硬化病を発症したとなれば大問題になったのだ。
「わしも母さんも怖かったのだ。このままここに居られなくなる事が……」
だからといって、モルモットの様に引き取られ、言葉に出来ない様なアレコレまでされて、文字通りの人体実験を行われた屈辱と恐怖は消えるモノでは無い。
本人に知らされぬまま『安全のため』にと大気圏外へと放り出された恵。放り出された先の施設で過ごした5年間をつぶさに聞いた父母は、さらにはこの1年をすごした海兵隊での出来事全てを聞き、恵にわび続けたのだった。
「お前になんと言ってわびて良いか分からん。だが……」
「それはもう良いから」
「だが……」
「本当にもう良いのよ」
ニコリと笑ったバード。
母と父を抱き締めたバードは、ニコニコと笑いながら一歩下がった。
「いまの私は宇宙軍海兵隊と契約した軌道降下強襲歩兵隊の士官。名前はバード。いまは恵じゃないの。バードなの」
バードにしてみれば『全て済んだ事』でしか無く、むしろ、わだかまっていた根本が全て消え去ってさっぱりとしたようなモノだった。
「色々あってお兄ちゃんとは一回遭遇してるんだけどね……」
バードの言葉に太一がぎくりとした表情を浮かべた。
だが、バードの眼差しに二の句を付けないで居た。
「言ってくれれば……」
涙ながらに抗議した母親の言だが、バードは即座に否定した。
「言えない事が沢山あるのよ」
「……でも」
「背負ってる責任や、守らなければならない事が沢山あるの。ありすぎるの。だからお兄ちゃんも黙って居ざるを得なかったし、私も……ね」
同意を求めたバードの言葉は脅迫と同じ意味を持っていた。
軍隊と言う超絶に上下関係の厳しい所では、それぞれのポジションで守るべきルールとマナーが余りにも多い。
「それより…… 紹介するね」
ちょっと恥ずかしそうにロックを見たバード。
「ご無沙汰しております。訳あって本名の儀はご勘弁ください。同じチームに所属していまして、太一さんとも一度お目に掛かっています」
背筋を伸ばしキチンと敬礼したロック。
その姿は匂う様な男ぶりだった。
「お察しの通り、自分もサイボーグです。色々ありまして……」
ロックは少し離れた自分の母と弟を見た。
「ここに自分の肉親も来ています」
「それは先ほど、バンホーラさんから伺いました」
バードの母は一歩進み出てロックの母の手を取った。
「どういう訳か、ちょっと余所様と違う娘ですが…… よろしくお願いします」
「こちらこそ。責任感の強い方です。私より余程」
ロックとバードの親は始めて顔を合わせた筈なのだが、すでに旧知の仲の様になっていた。
そんなシーンを見たバードはロックをチラリと見た。
『上手くいくかな?』
『上手くいって欲しいぜ』
『じゃぁ、上手く振る舞っておかないと』
『……だな』
ロックとバードの話がまとまった。
僅かな沈黙の間に二人の表情が変わったのを見て、太一は何事かの会話があったと気が付いた。そして、ただ黙ってバードとロックの言葉を待った。
「海兵隊の契約は10年単位だけど……」
「多分一回は更新して20年勤めないと全部終わらないと思うんだ」
バードとロックは笑顔で視線を交わし、両方の親へ説明した。
フと見れば、ごった返す一般エリアの中で二人は手を繋いでいた。
何よりも雄弁に二人の関係を示すその姿に、二人の母親が微笑む。
「その契約が満期になったら……」
「ちょっと先だけど結婚しようと思います」
手を繋いで笑みをかわしていたロックとバード。
二人を家族が祝福し、全てのわだかまりが水に流れた。
「月並みだけど、生きて帰ってきてね」
バードの母親が静かに言った。
その言葉を聞いたバードは僅かに首肯した。
「せっかく来たんだから、色々紹介したい人が居るのよ。でしょ?」
ロックに同意を求めたバード。ロックも笑っていた。
「そうだな。少なくとも隊長くらいは紹介しておきたい」
ロックの目は、セキュリティゾーンの中でインタビューに答えているエディ少将とテッド少佐の二人を捉えた。二人とも礼装で立っていて、幾多のテレビカメラが取り囲んでいた。
「私たちの直接の上司。そして……」
「知ってるわ。あのお二人はザリシャで見たから」
バードの母親はとんでもない事をサラッと言った。
そして父親もまたエディとテッドを見ていた。
「会って直接お礼を言いたい。何とかなるか?」
「まかせて。こう見えても私は……
楽しそうに笑ったバードは、グッと顎を引いて傲岸な笑みを浮かべた。
まだうら若い一人の娘は姿を消し、狙った獲物は逃がさないハンターの顔が浮かび上がったのだった。
……ブレードランナーだから」
両親とロックの親族と、そして兄太一を連れバードはセキュリティゾーンの中へと入っていった。全ての責任は士官である自分が取る。そんな矜持だ。インタビューの続く二人の『公式な時間』が終わるのを待っていたバード。その後ろ姿を両親が頼もしそうに見ていた。
宇宙軍海兵隊の第1遠征師団がシリウスへ向け100日の航海へと旅立つ、3時間前の光景だった。
予定より長くなってしまいましたが、ほぼ全編新たに書き下ろした幕間劇はこれで終わります。少しだけ時間をおいてしまいますが、第12話 オペレーション・ビッグウェーブに続きます。
ここまでお付き合いありがとうございました。