海兵隊士官学校
休暇だった日の夜は士官サロンも閑散としている。
NOC以下の士官応対給仕役も居ない夜だ。
こんな晩はロールアウト方式で自分のコーヒーや寝酒を用意し、雑談に興じる事になる。
上級下士官などが士官の招きでこっそり立ち入って雑談に加わるのも、こんな夜だけの事だった。
―――― 海兵隊 キャンプ・アームストロング
ウォードルーム 地球標準時間 2000
その静かな筈の士官サロンの片隅。
人が集まって大笑いしている一角が有った。
椅子に腰掛けるBチームの面々。
そして、月面に駐屯する海兵隊下士官の長。
最先任兵曹長のバリーボンズをはじめとする上級下士官たち。
笑い声の輪の中には、ロックとバードを中心にライアンとダニーが加わった新任少尉たちが居た。今宵の話題はシミュレーター上の士官学校苦労話。
バリーボンズ兵曹長などは生身の士官学校におけるドリルサージェント経験が有るから大体解るのだけれど、でも、サイボーグ向けに作られたシミュレーター上の物は勝手が掴めない。
「本当にもうさぁ、時間が無いのよ。プリーブは」
プリーブ。それは士官学校の1年生を意味する言葉だ。
宇宙軍海兵隊の士官学校は一般の大学と同じく四年制だが、その中身は天と地どころか太陽と木星軌道くらい違う。
士官学校におけるPLEBEとは靴裏の小石扱いだ。
四年生を神輿に例えるなら、三年生は担ぎ棒。二年生はその担ぎ手。そして一年生は担ぎ手に踏まれる土。何でこんな事をするのかといえば、それは全てが軍隊なる特殊機関の悲しさと言う点に尽きる。
例え話に有名な物がある。
ある日、連隊士官は参謀本部から月面に旗を立てろと命令を受けた。
何でも月周回軌道にある船が無線故障で通信不能に陥ったらしい。
旗を見せて誘導するらしいのだが、月面は一面砂と岩だらけだ。
当然、旗を立てるべき樹も柱も無い。ある訳が無い。
ではどうするか。
士官は振り返って統率してきた連隊の曹長にこう命じる。
『ここへ旗を立てろ! 大至急だ!』
どんな理不尽な命令でも不条理な指示でも、軍隊とは上位下達の絶対君主制組織だ。命令を受けた以上は絶対に果たさなければならない。
士官とて上から命令を受ける中間管理職でしかないのだ。それ故にどれ程不本意でも下士官や兵卒は、消耗品のように扱われ、犠牲よりも目的達成を優先される事になる。上からの命令だから拒否は出来ない。口答えも許されない。しかし、恨まれるのは士官の役だ。
果たして兵曹長以下の部下達は、何も無い月面砂漠の中で人間塔を作り、その上で旗を振るわけである。どれ程に理不尽で無駄であっても、命令は実行される。士官はそれを見届けなければならない。
つまり、徹底的にこき使われる側を経験する事によって、統率の基礎を学ぶ。
支配される側の苦労や憤りやストレスを学ぶ。それらの経験が将来、統率する部下のヘイト管理をする上で非常に重要な経験に成るわけだ。
「朝起きたら五分で着替えしてラックを整理してグランドへ飛び出して行って、朝一番の基礎運動。帰ってきてから室内検閲。着替えて隊列組んで朝食だけど、それがまた大変で。食事のメニューを五分で全部覚えて次の五分で雑誌とか新聞に眼を通してニュースのヘッドラインを全部覚えて、最後にテーブルへ座るはずの上級生の名前を全部暗記して」
バードが笑いながら思い出しているのは、士官学校時代の苦労話。
「椅子は先端部分十センチだけに腰掛て、背筋は真っ直ぐ。皿を見てはいけない。スプーンもフォークも真っ直ぐ持ち上げ真っ直ぐ手前に引いて食べるスクエアミールで、しかも、同時進行の質問攻め。特にカウの質問が意地悪くてな」
苦笑するロックの言葉にライアンもダニーも笑っている。
「メニューは何か?から始まって、調理法とか素材産地とか栄養価とか。あ、あと、消化進行速度の違いにおける摂食順序考察とか意見表明しろって始まるんだよな」
ダニーは医者らしい知見を求められていたんだとバードは気が付く。
「オマケにさ、昨日の夜のヤンキースとマリナーズのゲームはどっちが勝った?とか聞いて来るんだよ。野球なんて見た事も無かったのに嫌でも覚えたよ。次の大統領選の論点考察とか、政情不安な地域政府の今後の展開予想とか、とにかく何でも聞いてくる」
北欧出身のライアンにしてみれば、野球など縁の無いスポーツなのは間違いない。だが、士官と言う生き物は興味の無い情報でも見聞きして分析して知識として蓄えなければならない。どんな情報がいつ役に立つか一切わからないから。
「少しでも言いよどむと十字砲火浴びるんだよね。で、気が付くと食事してる時間が無くなって、スープだけ飲み込んで午後の授業に出席でさ。そんな日に限って午後が銃火器取り扱い習熟訓練だとか、地上航海法の実地訓練な長距離行軍で絞られてお腹空いてお腹空いてフラフラになって、それで授業が終わっても直ぐ食事にはならないから、ロッカールームで必死になってシリアル食べたりして」
興味深そうに聞いている上級下士官を見ながら、バードやロックが饒舌に語っている。
「ただ、本気で厳しいのはアレだよな」
「そうだな。バリーに絞られたプリーブサマーのブートキャンプが本気できつかった」
ダニーとライアンがジッとバリーボンズ兵曹長を見た。
「自分が監修しましたが、体験してないもんですから」
バリー兵曹長も困惑している。
『プリーブサマー』とは、士官候補生の候補生を鍛える為の入学前訓練だ。
士官候補生とはいえ、その時点ではただの一兵卒である。
士官軍服を着る事は出来ずセーラー服に身を包み、徹底的にしごかれプライドをへし折られ、そして軍隊と言う組織の中で均一化した人材を量産するシステムに順応するよう躾を受ける。
「プリーブサマー八週間のうち、最初の二週間でサイボーグの基礎を全部バリーに叩き込まれるんだよ。超熱血指導なんだけど、本気で泣きたいのはあの時だけだったぜ。俺達はシミュレーターだから関係ないといえば関係ないけど」
ロックが語るプリーブサマーの真実。
「生身でもプリーブサマーの間にだいたい三割は脱落するんだってな」
「そうですな。自分がドリルサージェントをしていた時でも、良くて二割。酷い時には五割が脱落して入学辞退した時もありました」
バリー兵曹長の言葉に少尉たちが驚く。
しかし、実際には無理も無い話だ。
士官学校教育を受ける為の訓練を受けねば、士官学校はまともには勤まらない。
筆舌に尽くしがたい様々な困難を乗り越え、晴れて士官に進級昇進する。
そして、士官候補生は士官学校へ入学とは呼ばない。
士官候補生は士官学校と言う任地へ着任するのだから、着校と呼ばれる。
「ついでに言うと実は、俺もバードもネイティブが英語じゃ無いから」
「そうそう。プリーブサマートレーニングの前に徹底的に英語漬けの生活したし、基礎学力も足りない状態だったから基礎学力向上教育で都合四日間、シミュ上で四年分くらい徹底的に絞られて勉強したなぁ」
バードはコーヒーカップを持ったまま笑っている。
話を聞いているライアンもビルも笑っている。
シミュレーターの上では一日で一年を経験出来るほど時間が加速している。
その中で濃密な英語力向上教育を受けると、朝五時半にシミュレーター接続して夜九時に切断時点で頭の中身がすっかり英語思考に切り替わっている。
「英語ネイティブ圏で育った人間とそうじゃ無い人間の差は酷いよな」
そもそも北ゲルマン諸国語圏で育ったライアンなどは、母国の言語政策もあってアメリカ式英語は基礎教育などを受けずとも意思の疎通が可能であった。
だが、軍隊と言う場所特有の言葉の重要性もあって再教育は行われる。これはアメリカなど世界標準英語圏の人間も同じで、地域言語の残滓方言を矯正する意味でも重要な事だった。
「で、少尉殿もプリーブサマー時代はセーラーでしたか?」
バリーボンズの言葉にバードが頷いた。
「着校前は普通の兵卒だから、私もセーラー服でしたよ。もっとも、スカートではなくパンツスタイルでしたけど」
「フィメールはディキシーカップがちょっと違うんだよな」
ダニーが違いを思い出してジェスチャーを始めた。
「うん。髪留めが付いてた」
「男は坊主だけど女はボブカットだしな」
ライアンも頭の回りに手をかざしてジェスチャーを加える。
ちょっと酒が回ってきたライアンはテンションが高い。
でも……
「でも私、プリーブの時に罰ゲームで坊主にされたよ?」
何気ないバードの一言に話へ加わっていた男たちが一斉に『えっ?』と驚いた。
その場に来ていた技術下士官のセイラー上級曹長までもが驚いていた。
「いくらシミュレーターでも酷いなそれは」
片隅で話を聞いていたマット大佐も怪訝な表情を浮かべている。
テッド少佐と一緒に寝酒を飲んでいたようだが。
「まぁ、プリーブなんかそんなもんだ」
ドリーの一言に、再び笑いが溢れたサロン。バードも笑っている。
「で、バードは何やったんだよ?」
ジョンソンがイジワルな眼差しでバードへ質問した。
バードの表情に『それ聞くの? 意地悪!』と言わんばかりの困ったような笑みが浮かぶ。
「ルームインスペクションの時に……」
「大ポカやった?」
「うん。靴墨を棚の上に隠しておいたらバレて、ディテイラーの服が」
それだけでジョンソンが大笑いを始める。
室内検閲。それはプリーブにとってもう一つの非常に重要な教育だ。
軍隊と言う特殊機関に居る以上、徹底的に整理整頓と用意周到の意識を躾けられる。
服にしわやホコリや糸くずが無い事。
真っ黒の靴には、顔が映りこむくらい磨かれて光沢がある事。
部屋の中が綺麗に片付けられ、ゴミもホコリも無く清潔である事。
シャワールームはゴミも石けんカスも無く、金属部分は徹底的に磨かれ顔が映るのが当たり前のレベル。
ベッドのシーツはシワ一つ無く整えられ、毛布とシーツの間にはコインがやっと一枚挟めるレベルの隙間しかない事などなど。
仮想空間の中とは言え、清掃監督である二年生にどやされながら準備して、監督生による検閲を受けることになる。
つまり、普段の生活の中で、散らかさない、汚さない、片付ける、掃除する、整える。これを徹底的に覚える。怒られ叱られ精神的になじられ、プライドをへし折られ、しかも、落ち込んでる真っ最中に力尽くで精神を叩き直される。軍隊の基本である『即応』と『完遂』を深層心理に植え付ける教育。つまり『鉄は熱いうちに叩け』を地で行く熱血教育だ。
「それで坊主か」
「うん。ディテイラーだった四年生のエミリーが靴墨を被って、それで怒り狂って怒られて」
「だろーなぁ」
「だけどブロードライする手間が省けるから便利だったよ」
それが精一杯の強がりである事など、皆解っている。
士官とは常に威厳を持っていなければならないし、少々じゃへこたれない根性が必要とされる。
そんな現場なのだから、意地を張って生きている事は賞賛の対象なのだった。
「でもさぁ。プリーブは三日間やったんだけど、二日目の夜、終わった時なんか」
ライアンもロックもビルも笑った。
「俺は三十分位立てなかった」
「俺もだ。施設の教官役だった人に引っぱり上げられて怒鳴りつけられた」
「あ、それ多分、施設科のおっさんじゃないか?」
三人の言葉にバードも参戦する。
「リアルでウェストポイント卒らしいよ。私のときは笑ってたもん」
バードはシミュレーターの回線が切断されてから、三十分近くも立ち上がれなかった。サイボーグセンターのシミュレータールームに設えられた専用区画の、見るからに特別なつくりを思わせるその場所は『MACHINE-MIDSHIPMAN-ONLY』の文字があった。
プリーブ経験の二日間を終わり、シミュレーター終了後に立ち上がれなかったのは仕方が無い。年々緩くなるとは言え、アナハイムもウェストポイントも、人を厳しく鍛えるという意味では良き伝統を残していた。一般社会では全く相手にされない特殊な伝統ではあるが。
「なんだか夢と現実の境目が解らなくなってて『お疲れさん。大丈夫かい?』て言われて、そう問いかけられた瞬間に飛び起きてさ。顎がのどにくっつく程引き絞った体制で『大丈夫です!』と大声で答えて。そしたら、教官役だった士官学校経験者の国連職員さんが、昔を思い出したとか言って笑い始めてさ『士官精神が組み込まれつつある証拠だ。実に素晴らしい』とか言われたよ」
コケティッシュな表情でウヘェと言わんばかりのバード。
その仕草に皆がまた笑った。
「プリーブって本気で死ぬかと思うよな」
ライアンの本音が漏れた。
その言葉にロックとダニーが笑った。
もちろんバードも笑い続けていた。
そんな中、不思議そうに首を傾げたジャクソンはロックに尋ねた。
「なんでプリーブは三日間やるんだ?」
「三日間やるってのが重要なんだろ。だって、多分一日だと乗り切れちゃうと思うんだ」
「え?なんでだ?」
「シミュレーターじゃなくてリアルでベッドの上で泣く経験が必要なんだろ」
「あぁ…… なるほど」
ジャクソンも苦笑している。
「どんな職業学校でもそうだけど、悔しい思いしないと覚えない事が有るからな」
遠い眼をして苦笑いしたジャクソンが続きを催促する。
「進級するとどうなるんだ?」
その問いにロックが答えた。
「士官学校二年生はヤングスターって言うんだけど、それがもう、まんま中間管理職最下層でさ。上からの指示を受け、考え、指示を出し、それを評価する悲哀って奴だな。もう嫌と言うほど味わう訳よノイローゼになるくらい」
バードもライアンもウンウンと頷く。
「胃が痛くなるよね。胃なんか無い筈なのに胃の辺りがギリギリしてくるの」
「そうそう。俺なんかシミュレーター切られてから『故障してませんか?』とか言ってメンテナンスルーム直行したぜ。指差されて担当に笑われたけどな」
あっけらかんと笑う姿に、テッド少佐ら中間階層の士官が苦笑いを浮かべている。
バリーボンズら上級下士官もまた、苦虫を噛み潰したように笑っている。
軍隊の中間管理職は徹底的にストレスの溜まるポジションと言って良い。
上手く行かなければ原因を究明し、上から嫌みの一つも言われても我慢して次に向けた指導をしつつ下を守ってやり、『お前達は充分立派にやったんだ。今日はハードラックだった。次は上手く行くさ』と慰める。
上手くいけば上手く行ったで浮かれたり喜んだりせずに、『下士官以下、部下の功績です。彼らは立派です。自分ではなく部下を褒めてやってください。彼らを誇りに思います』と立ててやって、下からのポイントを稼ぐ。
軍隊に限らず巨大な上位下達組織の中では、これが出来るかどうかで立ち位置や扱いが大きく変わってくる。上に立っただけで無駄に尊大な振る舞いをする者など軍隊では絶対に生き残れない。
それ故に、士官学校におけるヤングスターの教育目的は果てしなく重い。三年生四年生の指示を聞き、意味を考え、実行し、その上で自分は空気に徹する。仮想空間の中。自分が空気のようになって上と下をつながなければならない。
下士官の言葉に出来ない苦労を疑似体験し、組織を上手く回す為には何が必要であるかを嫌という程体験し、そして、我慢する事を覚えなければならない。
人の社会がどれほど複雑で微妙なバランスの上に成り立っているのか?を経験する事こそ、二年生の最も重要な内容だった。
「でも三年目ともなるとだいぶマシになるだろ?」
ペイトンの問いに少尉四人が一斉に首を振った。
ライアンは手まで振って否定した。
「いや、それがさ。三年はある意味一番やべぇ」
だよな?と言わんばかりにライアンがロックを見る。
ロックはロックで顔を手で押さえる程の苦笑いだった。
「なんせプレッシャーが全然違う。判断をマズッたら一年二年の候補生まで全部連帯責任で罰ゲームだから、恨まれなうように慎重に慎重に」
ロックの目がバードへうつる。
どうだった?と尋ねるように。
5
シュッと音を立てて入り口のドアが開いた。
午前五時四十五分三十秒。判を押したように決まった時間で入ってくる男性。
「おはようございます 教官」
「おはよう どうだ?」
「心身ともに異常ありません。充電を完了しています」
「よろしい。今日は三号生だ。三年生と言う事になる。ニックネームはカウと言う」
「はい」
「三年生は実は非常に重要な意味を持つ。四年生が参謀本部だとするなら三年生は現場の頂点だ。つまり」
「兵卒を引率する士官と言う事ですね」
「そう。つまり、上の指示を聞き取って、それに基づき下へ指示する。その下を考えながらな。その経験が重要なんだ」
「はい、解りました」
「じゃぁ早速行こうか」
恵は宛がわれた士官候補生専用の個室へと入り、首のバスから専用のハーネスで接続を開始した。視界の中に個人確認のダイアログが現れ、その後、恵の意識は士官学校の中へと飛ぶ。
朝五時五十分。
士官学校のベッドの上でパッと目を覚ます。
女性士官候補生ばかりが集まった八人部屋だ。
起床チャイムと同時に中にいるプリーブは飛び起き、争うようにドアを蹴り開け『グッドモーニング・サー!』を廊下へ叫ぶ。
まるで競争でもしているかのようにベッドの上を片付け、毛布を丁寧に畳み、それだけで無く、身支度を整えてグラウンドへ飛び出していく。
所要時間は五分以内。女の支度は時間が掛かるなどという部分での考慮など一切無く、一秒たりともまけてはくれない。
十分後の午前六時。四年生のケイトが寝巻き代わりなオーバーオールの上からジャケットを羽織って打ち合わせに出て行く。寝起きでも睡眠中でも緊急事態に即応する訓練の一環。その日の課業内容をメンバー分全部覚えて帰ってくるのだが。
「バード ホーリー 部屋をよろしく」
「イエス!マァム!」
女性型サイボーグの四年生は、この部屋に二名。
その二人が部屋を出て行く所からバードの。いや、恵の戦いが始まる。
もう一人の三年生、ホーリーと協力し、まずプリーブの畳んだ毛布を確かめる。
まだ温もりの残っている毛布の角がピッタリ合わさっているか。
寝ていたベッドのシーツにしわ1つ残らず伸びきっているか。
まるで計ったように中央に毛布が乗っているか。
その全てを確かめなければならない。
枕の位置までキチンと片付けるのだから気が抜けない。
「ホーリー そっちは?」
「NoGood 5ミリずれてる バードの方は?」
「どう見ても失格ね 5ミリどころじゃ無い」
部屋にいた五名のプリーブのうち二名の毛布に五ミリ少々のズレがあった。
ヤングスターに毛布をわたし、窓から投げ捨てさせる。
ダメだしされたプリーブは朝の基礎体力向上運動中、窓から続々と投げ捨てられる毛布を眺める事になる。寝起きで自分が片付けた毛布を思い起こし、自分のだと思ったら拾って部屋へ帰り畳みなおし。自信を持って部屋に手ぶらで帰って、自分のベッドに毛布が無い場合は、後でヤングスターの恐ろしい制裁が待っている。
自ら行った行為に対する客観的自己評価を行い、成功か失敗かを正直に報告する。恵も散々同じ事をした。落ちている毛布から自分の番号を散々探したのだった。
その後、プリーブとヤングスターへ部屋掃除の重点指示を出し、平行してファースティの身の回りを片付ける。ベッドを綺麗にメイクし、衣類を片付け、朝礼へ向かうフォーメーションの支度をする。
ファースティが朝の打ち合わせから戻ってくるのは三十分後。それまでに部屋を全部片付け、完璧なレベルで清掃を行い、部屋の外へ一年生二年生を整列させ、その前に立って四年生を待ち構える。そして、室内検閲を毎朝行い、百点満点中に各所の減点を積み重ねる。
年間二百五十日の間に二万五千点満点中二万三千点を取らないと落第。
本来、士官学校に落第はなく、生身がこれをやると無条件で放校だ。
ただし三年時四年時で放校となると、上級下士官として二年間の軍役が義務付けられる。シミュレーター士官学校の場合はプリーブからやり直しと聞いていた。
「準備を完了しました」
四年生の室長と副長を迎える前に最後の確認を全部やった。絶対問題ない。
そう自信を持ってファースティを迎えなければならない。
打ち合わせから帰ってきた四年生は着替えを済ませ、部屋の中を確かめる。
「問題なし。教官を」
室長からこの言葉が出たら教官を呼ぶ。
四年生だけが部屋に残り検閲を受ける。
その間、バードら三年生以下は廊下に出て整列し、判決を待つ被告のように震えながら結果を待ち続ける。教官がNGを出した場合、四年生が点数評価をし、教官がそれを確かめる。
相互に信頼し、助け合い、仲間を援護し、補い合う。
だけど時には厳しい評価を下さなければならない。
士官が置かれる立場は厳しく辛い事を嫌でも学んでいく。
この朝の評価九十五点。
シャワールームにある姿見の側面に僅かに指紋が残っていた。
僅かにくぼんでいる箇所。掃除しにくい場所だった。
これが減点対象であった。一点や二点ではなく五点の減点。
四年生の指導について教官のお小言があり、その教官が三年生も指導を行う。
二年生一年生は、その後に上級生から恐ろしい『指導』を受けるのだが……
「バード。良くやっているのは認めるがこれはオママゴトじゃ無い。他に責任者がいるボーイスカウトのキャンプでもない」
「はい」
「君がスタンバイし遂行するオペレーション中のささやかなミスで、宇宙船が吹っ飛ぶかもしれない。たった一箇所見落としただけで、大気圏外からとんでもない物を落っことして地図から街が消え去るかも知れない。ほんの僅かな気の緩みで君の率いていた小隊が全滅し、そして戦線が崩れ三万人が死ぬかも知れない。フォローできない致命的なミスで歴史の教科書に残るような出来事が起きるかもしれない」
「はい」
「無理・不可能・不可避の案件は先に報告しろ。それ意外は絶対に見落とすな。上は出来ると思って命令してくる。出来ないなら先に言わねばならない」
「はい」
「以上だ」
「ありがとうございました!」
教官が部屋を出て行ってからホーリーと一緒に場所を再確認する。
たしかに窪んでいて掃除のし難い場所ではある。
だが、自分はここを掃除していた
。一年二年の時はここを普通に掃除していた。
教官とあれこれ討論した四年生がやって来た。
「ここは私も見落としたわ」
「申し訳ありません。ケイト室長」
「まぁ、仕方が無いわね。次は気をつけましょう。ちゃんと指導しなさい」
「はい」
室長と確認した後、恵は廊下へ出る。
居並ぶプリーブとヤングスターが心なしか青ざめている。
「シャワールームを掃除したのは?」
「私です」
一年生が一歩前に出た。
ネームプレートには[スーザン]とあった。
手招きして一緒にシャワールームへと行く。
だけど、プリーブはシャワールームの前で直立不動だ。
「スージー ここに爆薬が仕掛けられていてそれを見落とした場合はどうなる?」
「もうしわけありません!」
「どうなると聞いている。聞かれた事だけ答えなさい」
「……爆発し死傷者が出ます」
「それが最前線の最も重要なポジションの場合は?」
「戦線に穴が出来ます」
一年生はシャワールームの入り口で直立不動になっている。
その周りをゆっくり回りお説教タイム。
人に言われるだけではモノを覚えた事にはならない。
自分の中にそれを溜め、考え、深く理解したうえで人にそれを指導する。
そうする事によってそれは初めて人の一部となり血肉となり能力となる。
つまり、士官にとって重要な能力を恵はこうやって学んでいく。
「戦線に穴が出来た場合、もちろんそこを突破されるわよね。その後はどうなる?」
「……味方が後方から撃たれます」
「あなたのミスで数え切れない味方が死体袋直行ね」
「はい」
涙目になっているが、そこで手を緩めるようなら士官には向いてない。
駄目な時はしっかり叱責し、責任を実感させ、改善を促す。
恵自身がさんざんとそれをやってきた。
己の至らなさが悔しくて震える経験こそ人間を最も良く成長させる。
褒めてやらねば人は育たないというが、それはすべて二度同じ失敗をしないという部分を褒めなければならないのだ。初めから褒めてばかりでは歪に育つ。
例えそれが偶然の産物や不幸なミスだったとしても、その失敗を殊更攻め立てた上で同じ失敗をしなかったと褒めてやるのが一番良い。
「申し訳ないと謝っても死んだらおしまい。死体袋に入った生ゴミ扱いで地上直行よ」
「はい!」
「今日は私たちの減点で済んだけど、戦線なら死人が出てるわ。わかる?」
「はい!」
真後ろに立って耳元で唸り付ける。プリーブには人権など無い。
アムネスティに訴えれば改善されるという類いの物でも無い。
ひたすら怒鳴られ叱られ失敗を責め立てられ、そして悔しさの中から学ぶ。
「今日は五点減点。私を含めカウ二人とファースティ二名が全員五点減点。つまり二十点ね」
「はい!」
一年生二年生の失敗はどんな事象でも全て連帯責任。
だからこそ、相互にフォローし複数チェックを行い、絶対に抜かりなく行う重要性も学ぶ。なにより、連帯感を育成する。
「腕立て伏せ二十回! はじめ!」
「Sir! Yes Ma'am!」
女性だろうと生身だろうと関係ない。
全員並んで部屋と廊下で一斉に腕立て伏せが始まる。
男女平等の社会であるからして、失敗すれば男性も女性も同じように罰ゲームとなる。
ただ、黙ってみているだけでは無い。それを確認しなかった三年生。
カウも同罪と言って良い。恵も一緒に廊下で腕立て伏せ二十回。
その間にファースティは問題のあった箇所を綺麗に掃除し直している。
「スージー ちょっとこっちへ」
「はい!」
ファースティに呼ばれシャワールームへ直行するプリーブを見送って、それから部屋を最終点検。全員宿舎前に集合し、隊列を組んで食堂へ移動した後の空室を、もう一度教官が検閲する。
その際、僅かでもミスがあると、今度は本当に大変なことになる。
三年生は胃に穴が開くようなプレッシャーを毎日毎日経験する。
生身だったら間違いなく胃潰瘍一直線なんだろう。
「全員宿舎前へ 行軍隊列展開」
最終チェックを終えた室長の号令により宿舎前の広場で隊列を組み、マーチングバンドの演奏にあわせ行進する。こんな毎日を延々と一年分。丸一日掛けてシミュレーターで体験する。士官が背負う責任の重さと気配り目配りの重要さ。これが出来なければ士官にはなれない。
シミュレーターの外。リアル世界の時計が二十二時をさす頃。
太いケーブルにつながれていた恵の身体に意識と自由が帰ってくる。
ぱっと目を覚まし左右を確認。教官役がにっこりと笑っていた。
「お疲れさん。三年生は大変だっただろ?」
「はい。ギリギリ23015点でした」
「通過すれば良いんだ。明日はファースティを学ぼう」
「はい」
「ゆっくり休んで置くと良い。充電を忘れないようにな」
「ありがとうございました」
■ ■ ■ ■ ■
「なんだよ。女の子だと随分扱いが丁寧だな」
ダニーがケタケタと笑い出した。
そんな風に笑うダニーをバードは初めて見た。
いつも冷静な医者としての顔を見ているせいか、気を抜いてリラックスしている姿自体が珍しいとも言えるのだけど。
「なんだかんだ言ってカウって面倒なのよね。責任の所在もなんか中途半端だし、それに結局は自分の意思を押し殺す訳でしょ。だからストレスが溜まって溜まって」
溜息混じりにこぼすバードの言葉を聞きながら、カウンターの側で静かに呑んでいたテッド隊長がニヤリと笑う。テッド隊長の笑みの理由を理解したのか、マット大佐が話を切りだした。
「その内、もっと昇進して責任が重くなったら意味が解るようになるさ」
「あの、とんでもない跳ね返りなジョニーだって立派な大佐殿だ。経験を重ねれば嫌でも学んで行くし、それに、世渡りも上手くなる」
茶化すように言うテッド少佐をマット大佐が苦笑いで見ている。
「少佐。そう言う事は内緒にしてください」
「そうだな。まぁ、今も昔も、いちいち噛みつかれたもんさ。だけどな」
テッド少佐が指でマット大佐をこづいた。優しさを感じる笑みを浮かべながら。
そんな不思議なスキンシップをマット大佐も嬉しそうにしている。
「俺たちは現場責任者だ。現場で起きている事は現場が責任を取らなきゃ駄目って事さ。その上に居る連中はその立場の責任を負っている。最後は大統領なり主席なりが国民に帯する責任を負う。皆が責任を背負ってるって事だ。まぁ、そんな訳で」
グラスに残っていたウィスキーをぐいっと煽って一気に飲み干した少佐。
「お前らあんまりジョニーに面倒を掛けるなよ。俺たちと違ってジョニーはそのうち円形脱毛症になって丸い禿が頭に出来るし、胃袋には穴が空いて胃痛に悩む事になる。内臓が腐るから口から出る息が臭くなってしな。事務所勤めのホタル暮らしで、まぁ、そうだな三年もすれば頭まで光り出すさ」
テッド少佐の軽口にジョンソンやドリーが大笑いを始めた。
サイボーグには関係の無い事なのだが、逆に言えば羨ましい事でもある。
「少佐……」
マット大佐が苦笑いを浮かべている。
「ジョニー。俺たちから見たら、生身ってそんな部分でも羨ましいって事だ。まぁ、悪く思うなよ。これも階級が上の者が持つノーブルオブリゲーションだ。階級に応じた責任を果たさなけりゃ成らんってこった」
椅子に腰掛けて楽にしていたマット大佐が椅子に座り直した。
「また一つ少佐に教えられた。まだまだ学ぶ事が多いな」
少佐の言葉を謙虚に受け止めたマット大佐。
その姿を見たバードは、まるで父親でも見るようにテッド少佐を見つめていた。
自分自身の意向を全く無視して一方的に送り込まれた海兵隊という苛酷な現場。
だが、少なくとも自分は最高の環境にいるのだと。
何の根拠も無いが、でもソレは絶対間違いないと。
バードの中にいる恵は、そう確信していた。