ハーシェルポイントのピアノマン
天王星最大の衛星『チタニア』
ここには国連宇宙軍の中継拠点『ハーシェルポイント』が存在している。
カイパーベルトを抜け外宇宙を目指す船は、ここへ立ち寄るのが伝統だった。
遠い日。
ここからシリウスを目指したエンタープライズも立ち寄っている。
栄光のポートナンバー1は、エンタープライズポートと呼称されていた。
人類の宇宙開拓史と共に歩んできたハーシェルポイント。
故郷である地球は、虚空の彼方の小さな点に過ぎない。
母なる太陽から吹いてくる風も、ここでは希薄なモノだった。
カイパーベルトの向こう。
バウショックの向こう側は、本当の真空がある巨大なボイドだ。
過去、何度もシリウスを目指した船の経験がここに集まっている。
座標を決める指針が無い空間ゆえに、完璧なプログラミングが要求される。
大航海時代に未知の大陸を目指した船乗りたちと同じことだ。
現代の船乗りもこの湊街で『地球の神』に敬虔な祈りを捧げるのだった。
金星攻防戦の終了宣言から早くも3ヶ月。
内太陽系から一掃されたシリウス派の生き残りもだいぶ少なくなった。
この港は中立扱いと言う事でシリウス派工作員も逮捕されずに済んでいる。
だが、ここから先、シリウスまでは民間船を待たなければ成らない。
片道約80日の航海を要するシリウスは遠い。
次の船がここへ来るのは1週間後だった。
現在のハーシェルポイントは定員の3倍強にも人々が集っていた。
シリウス派だけでなく、シリウスへ進出する準備を進める国連軍もいるからだ。
そしてこの日、ハーシェルには強襲降下揚陸艦ハンフリーの姿もあった。
シリウスへの航海に向け超光速飛行デバイスの整備を受けた後の試運転だ。
長い旅になるのだから、様々な機材の整備調整も欠かせない。
細々とした故障の全て修理し、伝統に従って外太陽系までの試運転だった。
だが、実際はハーシェルポイントにまとまった数の人を送り込む算段だ。
シリウス派が事実上占領下に置かない為に必要な措置だったのだが……
――――――――――天王星 第3衛星 ハーシェル
国連共同管理国際宇宙港 ハーシェルポイント
地球標準時間 2299年 9月 2日
地球標準時間で週末土曜日の夜9時。
ロックとバーディーはハーシェルポイントのバーへとやって来た。
契りを交わしたあの夜から、二人はプライベートの時にはいつも一緒に行動すると言う約束を交わしていたのだった。
「今夜は飲みたい!」
「あんまり飲むなよ」
そんな会話をしながらバーへと一歩踏み入れた二人。
バーの壁には巨大なスクリーンがあり、はるか彼方に輝く地球の姿が見える。
「凄いね」
「あぁ、ちょっと驚くぜ」
星々の大海は漆黒の闇に輝いている。
大気の無いハーシェルでは、星は瞬かないのだ。
二人して乾杯し、あれやこれやとおしゃべりし続ける。
このひと月も徹底的にシェルトレーニングに励んでいる二人だ。
口を突いて出る言葉は、典型的な愚痴と溜息だった。
「しんどい」
「まぁ、仕方がねぇな」
ロックもロックで弱音を吐きかけグッと飲み込んでいる。
常に余裕風を吹かせろと教育されてきた現代の侍なのだ。
飯は喰わねど爪楊枝を体現している。
「でも、だいぶ向上しただろ?」
「……うん。多分」
少しはにかんだバードは、上目遣いにロックを見た。
徹底したスパルタトレーニングの成果だろうか。
ロックもバードも隊長軍団と互角に渡り合える程度の技量になってきた。
テッド隊長は『ハリボテ勇者』などと笑うのだが、その意味は分かる。
どれほど訓練を積み上げても、実戦のピンチでなければ度胸はつかないのだ。
数々の絶体絶命なピンチを経験しパイロットは技量を向上させていく。
この訓練期間中、バード達はテッド隊長ら隊長軍団から様々な話を聞いた
シリウスの惑星上をロケットエンジンで飛んだ話。
僅か12機で500機以上のシリウスシェルを撃退した話。
極限戦闘の真っ最中に、テッド機が敵のシリウスシェルを助けた話。
――本当ですか?
眉根を寄せて驚いたロックに、テッドは笑って言った。
――卑怯な手で勝っても夢見が悪いだろ?
隊長たちがゲラゲラと笑う中、ロックは『そうですけど……』と呟く。
テッド隊長は隣に座っていたヴァルター隊長と顔を見合わせ笑う。
――どう考えても合理的じゃ無いだろ?
嗾けるように言うヴァルター隊長は、テッド隊長を小突きながら言う。
――この男はどう考えたって不条理な事をプライドの為にやるのさ
――覚悟しとけよ? これから本当に酷い目に遭うぞ?
アハハと笑ってテッド隊長をいじるヴァルター隊長。
その楽しそうな姿を、ロックとバードも笑ってみていた。
「隊長にも人並みの青春があったんだよね」
「そう言うことだよな。ちょっとハードだけど、でも……」
笑いながらグラスを傾けるロック。
その横顔を見ていたバードは、随分と離れたカウンターにテッドを見つけた。
星の海が見えるカウンターで一人、静かにグラスを傾けている姿だった。
「テッド隊長だ」
「……ホンとだ。独りだぜ」
宇宙の深淵を眺めながら一人グラスを傾けるテッド。
バードはロックの手を引いてテッドの隣へとやって来た。
「隊長」
「おぉ、バーディー。ロックも一緒か」
「隣、良いですか?」
「あぁ」
二人ともグラスを持ってきているのだから、飲んでいるのだとすぐに分かった。
「……程ほどに飲めよ」
娘に語りかける父親のようなテッド。
その姿にロックは父の最後の笑顔の意味を知った。
立派に育った次の世代を見るのは、何よりも楽しいことなんだと。
そして、それに自分が関わったという事を誇りに思うのだろう。
「金星の奥で何が有ったんだ?」
はにかみつつグラスを傾けるバードとロック。
報告書には書かなかった事が山ほどある二人だ。
「実は金星の地上基地で……
父親に語り語りかけるように話しだす二人。
テッドは満足そうな笑みを浮かべていた。
「あの死亡した隊員に申し訳なくて……」
バードから情報を引き出すべく拷問の上に殺された隊員を思うバード。
テッドはそんなバードの頭をポンポンと叩く。
「過ぎたことだ。仕方が無い」
「はい……」
バードとロックはそこからタイムラインに沿っての出来事を語り出す。
偽の自分と対峙した話では、『よくやったな』と小さく褒めた。
偽のディージョ隊長と対峙した話では、遠くを見ながら溜息をこぼした。
ロックが父親と決着を付けた話では、黙ってロックの顔をジッと見ていた。
「良い経験を積んだな」
「そう……ですか?」
「あぁ、良い経験だ。父親を誇りに思うか?」
「今は……」
「そうか」
遠い目をしたテッド隊長はポツリと漏らす。
「俺の父親も…… 良い背中をした立派な男だった」
僅かにシンミリとした空気が流れた。
身内を大切に思うのは誰だって一緒だ。
まだ生きている身内がいる事にバードは感謝した。
再開出来ないかも知れないが、それでも身内なのだ。
「ところで、隊長はなぜここに?」
ふと、バードはそんな話題を振った。
ただ飲んでいるにしては不思議な空気だ。
「あぁ、新型のシェルをここでテストしているんだが……」
テッドの口から出た『新型』と言う不思議な言葉にバードは何かを気付く。
先ほどからはるか彼方で何かが動き回っていたのだ。
テッド隊長は将官向けの回線を使ってそれをモニターしていた。
そんなバードの推測は正鵠を得た。
「……もう戦争は終盤戦なのに。でも、なぜ今になって新型を?」
率直な言葉にテッドは意味深な笑顔を見せた。
娘にものを説く父親のような姿だった。
「なぜだと思う?」
バードはロックを顔を見合わせ、二人揃って首を傾げた。
その完全にリンクした姿に、テッドはニコリと笑っていた。
「シリウスとの戦いは最終局面なんかじゃ無い。海兵隊を含め宇宙軍は続々と戦力を増強している。もうすぐここに新しいODSTが来るだろう。約一万の大軍団が到着する事になっている」
意図しない戦力拡大に慄く二人。
全てを見透かしたようにテッドは続けた。
「この戦争は第3クォーターが終ったところだ。地球側の先制攻撃は第1クォーター。シリウスの反撃と反攻作戦が第2クォーター。太陽系からシリウスを追い出した今次計画が第3クォーターって事だ。そして最終の第4クォーターは」
ハッとした表情のバードはテッドの顔を見る。
その驚きの眼差しを受けたテッドは僅かに首肯した。
「我々の手が再びシリウスに伸びる。これでゲームセットだ」
隊長の口から『ゲーム』と言う言葉が出た。
ロックはその言葉に僅かでは無い不快感を覚えたが、現実にはその通りだった。
「全ては計画通りって事なんだ」
「計画……ですか?」
「そう。遠大な計画だ。我々はそのプレイヤーに過ぎない」
グラスに残っていたウィスキーをグッと飲み干したテッド。
カウンターの向こうに居たバーテンは、空いたグラスへウィスキーを注いだ。
「人類は……同じ愚行を繰り返す。それを断ち切るための……ゲームだ」
そう呟いたテッドは窓の外を見た。
モニターの向こうには、見慣れないデザインの船が到着した。
随分と古いデザインにも見えるし、近代的なデザインにも見える船だ。
「……見かけない船ですね」
「あぁ、今は地球側の船じゃ無いからな」
ぽそりと呟いたテッド。
ロックとバードは揃って『え?』と聞き返した。
新しく注がれたぐらすをグィッと傾け、テッドはニヤリと笑う。
「アレはシリウスの軍艦さ」
遠い目をして船を見つめるテッド。
その眼差しは懐かしモノを見るように目を細めている。
「隊長はあの船を知っているんですか?」
「あぁ。知っている。知っているとも」
テーブルに乗っているチーズなど摘みながら、テッドは笑って言った。
「そこらのシリウスの船乗りより余程知っているとも」
バードとロックの二人は、驚きの眼差しでテッドを見る。
だが、テッドはそんなのを無視してピアノマンへ声を掛けた。
「ピアノマン! 手が空いているだろ? 奏ってほしい曲があるんだ」
「はい、なんでしょう」
「さっきからタイトルをど忘れしていて思い出せなくてな」
困ったように笑うテッド隊長が腕を組んで考え込んでいる。
「どんな歌ですか?」
「甘くて切ない歌詞だった。若い頃の曲だからな。君は知らないかも知れないが」
「メロディは覚えてますか?」
「あぁ、もちろんだとも」
♪ラーララー ラリラー ララー ラリラァー……
驚くほど透明な歌声がバーに響いた。
音階の正確さと音量の豊かさにバードが驚く。
だが……
「……もしかして、これですか?」
ピアノマンはピアノを弾き出した。
ブルースハープを添えて奏でるメロディにテッドは笑みを浮かべる。
「あぁ、そうだ、これだ、これだよ」
「あの失礼ですが、お客様はお幾つでいらっしゃいますか?」
「なぜ?」
「もう300年近く前の名曲ですが」
ハハハと笑ったテッドは話をごまかした。
「まぁ、その半分くらいだな」
「またまた、ご冗談を」
目を閉じてピアノに聞き入るテッド。その姿を二人が見ている。
「歌に酔いたい夜もあるんだよ。酒じゃ無い。歌なんだ」
3拍子独特のリズムで続く歌声を聴きながら、バードも歌に酔った。
ロックにもたれ掛かり、肩に頭を乗せた。
そんな時、バーの扉静かに開き、妙齢の女性が二人、静かに入ってきた。
堅い靴音を響かせて店内を歩くのだが、バードはその足音に鋭く反応する。
――え?
正確無比な歩行のリズムに『作り物』の臭いをかぎ分けたバード。
無意識に銃を確かめるのだが、その手をテッドが止めた。
「随分なつかしい曲が掛かってるじゃない」
「こんな良い趣味の男が地球にも居るのね」
――何処かで聞いた声だ……
薄暗がりのバーゆえに、まだ顔は見えない。
だが、その声は何処かで聞いた声だと確信している。
「シリウスも地球も変わらないさ。男はどこでも男で、女はどこでも女だ」
まるで旧知の仲であるようにテッドが口を開く。
振り返る事無くそう話すその姿に違和感を覚えつつ、バードは警戒を崩さない。
「久しぶりね坊や」
「あぁ、そうだな」
息をこぼしてグラスのジントニックを一気に煽ったテッド。
「マスター ブラッディマリィを二つ。ジントニックを一つ。あと、チェイサーをグラスに半分くれ。ツレが来た」
オーダーを出してからロックとバードにもグラスを進めるテッド。
「お前達も遠慮無くやれ。ここは中立非武装で非戦地帯だ。喧嘩はするな」
驚くばかりのバードとロックは言葉を失って様子を伺う。
だが、そんな二人を無視して店の入り口から唐突な言葉が繋がった。
それは聞き覚えのある声だ。
そして忘れる筈の無い声。
「時には戦わないって選択肢もあるんだ」
その声の主は、私服で現れた背広姿のエディだった。