ディスカッション・後編
~承前
「諸君らも知っている事と思うが、先の渋谷ビル襲撃事件に付いて一言述べたい」
胸を張った吉田は会場が静まるのを待った。
ぶ厚いコンクリートに囲われた室内に静寂が戻り、外部との接触が再び立たれるなか、吉田は静かに胸を張って切り出した。
「この場に、先の渋谷事件の関係者が多いのは承知している。政府の方針として強力に容疑者を洗い出し、不穏分子をあぶり出し、受身ではなく攻勢の組織として機能している機関の関係者も多いだろう」
吉田の言に多くのものが僅かな首肯を行なった。
事件が起きてから解決に動くのではなく、事件が起きる前に関係者を洗い出して事前に防ぐ為の組織。そういう攻勢の機関は、常に法との整合性で問題を抱えてしまうのが常識だ。
「多くの犠牲者を生み、血と痛みの経験で日本政府を動かした先の事件だが、極僅かに突入チームの生き残りが居るのは諸君らも知っている事と思う。また、突入チームで殉職した者たちの親族などが優先的に配属されている組織だ」
吉田の言葉にバードは僅かの表情を変えた。もしやと思ったのだが、これで確信が得られた。案内に付いた谷口少尉は、あのビルの中で凄惨な拷問の果てに死んだ谷口警視生の親族だ。
それだけじゃなく、兄である太一の隣に居る男は、あのビルの中で太一の隣に寝転がっていた男の兄弟だろうと思った。
「我々はあの事件で多くの事を学んだ。そして、次はあのような事件を発生させないと、固く誓った。そうだね」
同意を求めた吉田の言葉に皆が頷いた。
吉田は更に畳み掛けるように話を続けた。
「諸君らも薄々は感づいていると思うが、ここにいる海兵隊少尉は、あのビルに突入した特別降下隊の一員だ。そして、あの地獄のなかで多くの人を救ったのだ」
吉田の一言で会議室の中から音が消えた。
室内にいた者たち全ての視線がバードへ降り注ぐ。
だが、そのバードは苦虫を噛み潰したような表情で吉田を見ていた。
――言うなよ……
そう言わんばかりの表情でだ。
「おそらく、これは完全な部外秘情報だろう。それどころか、少尉自身をして口止めされているはずだ。国家間の問題になりかねない微妙な問題だからな。しかし。しかしだ……」
吉田は室内をグルリと見回してからぽつりと言った。
「困難を乗り越え任務を果たす姿を。それに努力している姿を諸君らは学んで欲しい。私はあのビルの中で彼らが、海兵隊の降下チームがどれほど激しい戦闘をしたのかをつぶさに見た。そして、それを誇るでも自慢するでもなく、ただ黙って努力する姿を今日になって知ったのだ。どうか、それを手本としてもらいたい」
吉田が言いたい事を皆が知った。
愚直に努力する姿でもあり、そして、例え捨石になろうとも捨て鉢にならず任務を果たす姿だ。この室内に居る者たちが背負う義務と責務は想像を絶する程だが、それに負けないでくれと吉田は発破を掛けた。
「シリウスの情報網は恐ろしく深く浸透している。もしかしたら、この中に工作員が潜んでいるかもしれない。だが、どうかそれに負けず努力して欲しい。以上だ」
言いたい事を言い切った吉田は、バードに僅かな目配せをした後で一方的に部屋を出ていった。しばらく沈黙の時間が続き、バードは困ったように笑って室内をグルリと見た。
「本来なら機密事項ですが、今さら隠すのもどうかと思いますので、ここで公開しておきます。ただし、情報の取り扱いには充分注意してください。それと、視覚情報記録機能はここで一旦切ってください。外に漏れると私が処分されますから」
バードは声音を変えて切り出した。
どこか凍りつくような冷たさを含んだ言葉に、皆は緊張のレベルを一つ上げた。
「これは、例の渋谷のビル内部であった件です」
バードが自らの視覚情報を再生したのは、あのロックと斬りあった銀の血を流す剣士だった。ロックの父が見せた振る舞いと剣捌きに、警視庁側の関係者が絶句する。今も昔も警視庁は武道を重視する。そして、警視庁抜刀隊の伝統をそのままに伝える今も、多くの警視庁職員が剣の道を一度は歩んでいた。
――岩尾さんだ……
誰かがボソリと呟き、漣の様に広がっていく。ながらく警視庁剣道の指導教官を務めていたらしく、多くの職員がその門下生だったらしい。隠しきれない動揺と戸惑いの密やかな声は、全てバードの耳が拾っていた。
「この剣士と私のチームメイトが複数回戦闘しています。次は火星のレプリ工場でした。この時はなす術無く仲間が敗れています」
一方的に攻め立てられロックが敗北するシーンが再生された。最初は優勢に見えて、実はその全ての手順を封じられている様が見て取れる。その姿を見ていた太一もまた、総毛立った様な表情で映像を見ていた。
「その次は地球の中国領内奥地でした。場所は伏せますが、ここでも激しい戦闘でした。やはり敗れてしまいましたが、相手はレプリとは全く違う存在でした」
バードの言いたい事が何で有るかをみなは知った。どう頑張っても人間では太刀打ちできない存在が居る事をだ。ロックの激しい戦闘シーンは、見る者の手に汗を浮かべさせるほどだ。
汗をかかないサイボーグとて、眺めていれば身震いするようなシーンとも言えるのだが、それでもバードは一切遠慮しなかった。
「この後、金星で何度か再戦しますが、私は直接見ていないので結果しか知りません。結果は連敗だったそうです」
バードは最後に金星の基地でロックと父が切りあったシーンを再生した。
もはや言葉にならず呆然と眺めていた参加者たちは、『ありえない……』感嘆の言葉を漏らして絶句している。人間では出来ない剣術での戦闘は、なまじ剣術指南を受けた者達だけに嫌と言うほど分かるのだった。
「これは決着を見た金星のシーンです。仲間はパーツの交換と反応速度の向上をはかって最後に勝ちました。ですが、問題はここです」
バードが再生したのは、父の独白のシーンだった。
――最後に一つ教えてくれ
――なんだ
――アンタは一体何者になったんだ?
――……どういう意味だ?
――私の識別センサーにもレプリかどうか判断不能のエラーが出るんです
――……仕事熱心な事だな
――ワシも良く知らん。ただ……
銀の血を流して苦しむ父の姿をバードは直視出来なかった。
何度も何度もこの手でレプリを殺しているはずなのに……だ。
――今レプリカントを作っている企業に対抗するべく、
――別の企業が作った実験体だそうだ
――ワシは人間を遙かに超えると言う謳い文句で誘われてな……
ロックの父親の言葉が見えない衝撃波となって会議室を突き抜けた。
そして、まんじりともせずバードの言葉を皆が待っていた。
「人間を越える存在はレプリとサイボーグだけではありません。この第3の勢力にも注意が必要です。いずれ何処かで遭遇するかも知れません。この存在は驚くほどに撃たれ強く、また、傷の再生力も高いです。一体や二体なら、火力で押し通すなど何とかなるでしょう。けど、もっと増えると、それこそビルごと破壊しなければなりません」
バードはあえて崩落するビルの上で手を振っていたシーンを再生しなかった。
余りに苦手意識を受け付けるのも問題だと思ったからだ。
――こっちは具体的にどう見つけたら良いですか?
――あと、どう対処したら良いですか?
誰かの質問に対し、バードは困ったような表情で肩を窄めた。
その質問の答えはバードも知りたいからだ。
「この擬装体にはレプリチェッカーが効きません。酸化アルミニウム反応も出ません。当人が自己申告するしかないようです。ですから、出会った時点で最善の対処を考えるしか有りません。おそらく正解は無いでしょう」
突き放したようなバードの言葉に皆が絶句する。ただ、バードだって『絶句されても困る』と言うのが本音だ。対処の仕様が無いのだから、最善の処置をするしかない。
結局のところ、レプリハンターの肝はここに尽きる。
デッカードだってレイチェルだって、もちろん、シティチームの責任者であるブライアントだって、出会ったときにどうするか?で振舞っているのだ。理屈や理論ではなく、勘と経験と観察眼が全て。その考察を確実な物とするために実戦を積み重ね失敗から学ぶしかない。
「出会った時の為に、勘と経験を養ってください。それしかありません」
マニュアルに則った訓練はマニュアル外の事象に遭遇した時、システムのハングアップを招く。想定外の場面に遭遇した時、どう判断しどう決断するかは訓練では身につかないことだ。
定められた訓練を繰り返す事は、作業ルーティンを身体に擦り込む以外のなんの効果ももたらさない。未知との遭遇時における対処行動とは、自分の頭で考え判断し決断を要するのだ。
つまり、自分で考えるという部分は教育や経験の受け渡しで身につくモノでは無く、自発的・能動的に獲得する行動様式であり、生き方にも通じるモノだった。
「これも私の上司の…… いや、上官の受け売りですが、自分を疑うな……と。俺達はピースメーカーだ……と。いいですか、ピースメィカーなんです。平和と安定を作るんです。そこに一片の疑念や逡巡を挟む余地はありません」
きっぱりと言い切ったバードは女性らしい笑みを浮かべ、室内をグルリと見回した。参加者達の表情がガラリと変わったのを見て取って、そしてバードはそろそろ〆に掛かる。
「そろそろ良い時間です。私がお話できる部分は以上です。何か質問は?」
ふと時計を見れば5時近くになっていた。ただ、その質問募集が地雷であった事をバードは知った。まるで襲いかかるように様々な質問がやって来た。量や質の両面で難しい部分を孕んでいるものばかりだ。
海兵隊の手の内を明かしすぎない事は言うまでも無い。ただ、それでも出来る限りの情報を公開するべきだとバードは確信している。出来る限り丁寧な答えを返し続け、同時にバードの精神は大きく疲弊していた。
「諸君。そろそろ時間だ」
バードの疲れ切った様子を見て取った仁藤は、慌てて場の〆を言い出した。
ほっとけば明日の朝までディスカッションしそうな雰囲気だったのだが、仁藤は話をまとめて全員を強引に納得させた。皆が解散の準備を始め、バードはこのディスカッションが成功だったと祈りたい心境だった。心地よい疲れと共に、頭痛も覚えはじめている。
「バード少尉。長らくご苦労でした。諸君らもここから先は自分で考えて行動して欲しい。失敗から学ぶ事は多い。だが失敗は恐れず突き進んでいこう」
〆の挨拶にしては手短だな……
そんな事を思ったバードだが、仁藤は改まった声で呼び掛けた。
「さて、少尉」
少しだけ油断していたバードは、首筋のケーブルを抜きながら笑顔を浮かべた。
「なんでしょう?」
「いや、実は君の送別会を企画しているのだが、問題なければ参加して欲しい」
「え?」
送別会を企画しておいて、問題なければと言うのも変な話だ。だが、それもまた仁藤の深謀遠慮かも知れない。バードの予定を確定させてしまうと問題になる。
そんな部分を配慮したのだろう。
「いきなりでスマンが、もう少し付き合ってもらって良いかね?」
驚きの表情を浮かべたバードは、それでも精一杯の笑顔で僅かに首肯した。
そのすぐ近くでは、様子を伺っていた谷口が小さくガッツポーズを浮かべた。
そんな僅かな機微にバードは送別会の企画者が谷口である事を知った。
「なにか気を使っていただいた様で……」
すいませんと言いかけたバードの目は、会議室の入り口に向かった。同時に、室内にいた多くの者の眼も、部屋の入り口を見すえた。そこには、地下の案内にいた若い女性が立っていて、室内へと入ってきていた。
「お疲れさまでした。車の用意が出来ています」
「あぁ、いつもすまないねぇ、みどり君」
仁藤がニコリと笑って手を上げた。
みどりと呼ばれた女性はバードをじろりと見てニコリと笑った。
一瞬だけ視線が交わったのだが、バードの視界には何の反応も無かった。
ただ……
――ん?
バードの心の何処かに、言葉では表現出来ない何かが引っかかった。
透明な水の中にあるガラス製品とでも言うような感触だ。
――まさか……ねぇ
こういう違和感は理屈では説明出来ないものだ。
長く現場にいる者だけが体得する、勘の様なものであり、如何なるセンサーも捉えられない極々僅かな矛盾や違和感を脳のどこかが識別して反応するモノだった。
「……大佐殿。あの女性は?」
「あぁ、受付嬢をやっている一等陸曹だ。秘書課に属しているが……
仁藤の言葉を半分聞き流していたバードは、そっと歩み寄ってみどりと呼ばれた女性の肩に手を置いた。驚いて振り返ったその女性は胸のネームプレートに翠の文字があった。
――ッ!
瞬間的にバードの見ている世界がスローモーションになった。クロックアップしたのを理解すると同時に、翠の右手がバードの頸椎部目掛け振られたのを認識したのだ。
――なっ!
徒手空拳でも戦わねばならない兵士にとって、接近格闘術は使えて当然の芸の様なモノだった。精一杯のタッキングでかわしたバードの目の前を、鋭いペン先が通過した。その直後には抉りこむ様な左の拳が上から襲い掛かってくる。
無意識レベルでの防衛反応かと思ったバードの予想を上回る対応に、バードは事の是非を考える間も無くYackを抜き、銃撃を加えていた。まず当てることを優先する射撃は、兵士の本能とも言える部分だ。
そして、死体は反撃してこないことを何より深く理解している証拠でもあった。
「ウッ!」
短いうめき声を撒き散らし、白い血を撒き散らして翠が倒れた。両胸からドクドクと血が流れている。ただ、その流れる血を見ていた翠は、引きつった表情になっていた。
「うそ…… うそっ! 嘘よ……」
自分の身体から流れ出る血を呆然と見ていた翠は、ぽとりとペンを落としバードを見ていた。驚く程の出血をしつつ、涙を流していた。流れ出る血は真っ白だったのだ。
「あなたも…… 偽者だったのね」
警視庁関係者や防衛省関係者が眼一杯引きつった表情になった。
ただ、そんな事を考慮せず、バードは翠の襟倉を掴み、グッと踏ん張って身体を放り投げた。すぐ目の前で自爆でもされたら後が困る。そんな思いだった。
「バード少尉!」
多くの者が駆け寄ったのだが、その全てを止めてバードは一人接近した。
その立ち姿にも身体捌きにも一切の逡巡が無く油断も無い。
皆の前に立っていたのは、数多くの鉄火場で敵を屠ってきた、純粋無垢な戦闘マシーンと言うべきサイボーグの姿だった。
「あなた、いつからここに?」
「……うそ ……うそよ ……うそ」
通路に蹲り、首を振って涙を流す翠は、両手を伸ばしてバードに救いを求めた。
「あなた…… コピーされたスパイユニットね……」
「わたしは……」
「オリジナルは殺されたのかしら。それにしても……
バードの言葉を遮って鋭い銃声が響いた。
振り返った先には、谷口が銃を構えて立っていた。
白い血を撒き散らして、翠と呼ばれた女性の頭を吹き飛ばしていた。
「レプリは生かしておかない。そう言う原則ですよね」
バードは僅かに首肯した。
そして、見開いたままの瞼を閉じた。
「もう一つ、出来れば覚えて置いてください」
「なんでしょうか?」
「レプリにも愛を注いでください。彼ら彼女らは、ある意味で犠牲者です」
「……犠牲者?」
「本来レプリは人間の良き協力者だったはずです。ですが……」
僅かに目を伏せたバード。
その言葉の続きは仁藤が言った。
「敵にも敬意を払え。そう言う事だね」
「その通りです」
通路には国防省の調査班がやって来て、翠の検証を始めた。
その姿を横目に見ながら、バードは『そろそろ帰りたい』と思い始めていた。
防諜体制のザルっぷりな現状に、心底呆れつつあったのだ。
────1時間後
新宿の歓楽街は、この夜も賑やかに盛り上がっていた。
多くの飲食店が並ぶ一郭の1階。外履きのまま入れる居酒屋にバードとロックの姿があった。ディスカッションの最中、ロックは警視庁の道場で剣術指南の稽古をしていたらしい。
──おもしろかったぜ
楽しそうに遊んだ子供の見せる笑顔その物なロック。
バードは剣術指南を受けた警視庁剣道部の面々に同情を送った。
「では! ことり君といわお君の健勝と健康を祈って!」
仁藤が音頭を取り、全員が『カンパイ!』を行った。
金星の苦い教訓以来、アルコール分解能力を再び上げたバードだ。その飲みっぷりはザルの輪っかを通り越しているのだが、こんな席では士官の矜持を持って上品に飲むのを心掛ける。
いつの間にか太一がロックの隣に来ていて、何事かを話し込んでいるのだが、バードの耳には届かない音量なので会話はうかがい知れない。
──なんの話だろう?
そんな事を思っていたバードの前に、あの谷口が姿を現した。
「バード少尉」
「谷口さん」
「……伯父がお世話になったそうで」
「……伯父?」
「えぇ」
谷口は外を指さした。
「例の渋谷のビルで収容された伯父の遺体は、正直目を背けるレベルでした」
バードはハッとした表情で谷口を見た。この人物は、あの壮絶な拷問の跡を全身に残していた谷口警視正の甥だったのだ。
「もう少し早ければ助けられたかも知れません」
「それは結果論です。私は感謝しています」
「そう言って貰えると、苦労した甲斐があります」
ニコリと笑ったバードは次々と杯を重ねた。
中盤戦辺りから会話の内容があやふやになってきて、酔っていることを知った。
ただ、それは決して嫌な良いでは無く、むしろ地上に降りて良かったと。
代えがたい経験をしたんだと言う満足感のモノだった。
──まだやってる……
ふと気が付けば、ロックと太一は肩を組んでガンガンと飲み続けている。
ロックもロックで、地上では辛い経験をしている。だが、それを乗り越えていかねばならない立場なのは、太一もよくわかっているはずだった。
「最後にトリさんから一言貰おう」
谷口の言葉に会場が静かになる。
バードは一瞬どうするべきか迷い、素直な言葉を述べることにした。
「全てが終わるまで、皆さん必ず生き抜いてください」
拍手が沸き起こり、その後の事はバード自身もよく覚えていない。
数件の飲み屋をハシゴして宿舎であるホテルへ帰り、珍しく泥の様に寝た。
宴会中の居酒屋でニュース速報が流れ、内太陽系安全宣言が出たのだった。