決着
音の消えたカフェの中、バードは片膝を付いてレプリカントを見つめた。
母親はメリーゴーランドの様にバードとレプリを見ていて、明らかに混乱していた。ただ、だからといって自分の仕事を忘れるほどバードも惚けちゃいない。どんな時にも任務を忘れずに遂行するよう育てられた、生粋の士官だ。
「あなた…… ネクサスⅩⅢなのね。ただ……」
グッと握ったアゴを左右に揺らし、虹彩のバイナリ情報を読み取ったバード。
僅かに首を傾げ思案に暮れたが答えは出なかった。
「あなた、どこ製なの? 私のデータベースに無いタイプだわ」
ネクサスⅩⅢは火星で胚を育て、地球で成長したタイプが多かったはずだ。
中国は酒泉の巨大工場で次々とハンガーアウトしていた中に、このレプリも紛れ込んでいた可能性が高い。
そもそも、ネクサスシリーズは誰かの姿形をコピーして作っている物では無い。
一定の遺伝子的なデザインの揺らぎを利用して姿形を作り別けている筈だ。
オリジナルな小鳥遊恵の身体的デザインをコピーしたとしても、ここまでそっくりに成長することはあり得ない。
「私は……『あなたは恵じゃ無い』
冷たい声で宣告したバードはレプリのアゴをグッと持ち上げ、のど笛の辺りへ銃口を突きつけた。身を震わせる様な冷たさに恐怖の表情を浮かべ、そして遂に涙を流して泣き始めた。
「あなたで二人目よ? 私の偽者は」
「二人目?」
「でも大丈夫。仇は取って上げる」
「え?」
レプリは驚きと絶望の表情を浮かべた。
回避出来ない『死』を思ったのかも知れない。
そしてその最大級の危機を実感したのか、超人的な運動能力で覆い被さっていた母親を跳ねとばしたレプリカントは、バードの腕を払って飛び起きると、動かぬ両脚に鞭打つようにして走り出した。死の影から逃げようとしたのだ。
ただ、両脚の傷は想像以上に深く、想像を遙かに超える運動能力も影を潜めた。それでも、ここで逃げねばいつ逃げるのだと言わんばかりにレプリは加速した。両脚から白い血をまき散らしながら、強引に走り出していた。
『ロック!』
『任せろバード!』
速度の乗っていないレプリの前に再び剣士が立ちはだかった。
進行方向を塞ぎ立ちはだかったもう一人のハンターはサーベルを抜き、両脚を膝上辺りから一気に切り落としてしまった。つんのめる様にして足を止めたレプリカントは、前へと転びながらカフェの床で寝転がった。
「残念だったな。だけど逃げたって無駄だぜ」
バードと同じようにロックもヘルメットを取った。
そんなロックを指さして驚いている太一だが、素顔を晒したロックは太一に微笑みかけた。
「久しぶりだな、兄貴」
「……ロック少尉」
「だから、ロックで良いって。構わずそう呼んでくれよ」
ニヤリと笑ったロックはもう一度『なぁ兄貴』と呼んだ。
太一は何とも複雑な表情を浮かべた後、僅かに首肯した。
そして、父親と一緒になり跳ねとばされて腰を抜かしていた母親を起こした。
ただ、その目の前では娘の姿形をした二人の人間が本気で争っている。つい先ほどまで娘だと思っていたレプリカントが両脚がスパッと切断され転げ回っている。その光景に悲鳴をあげ、おろおろと狼狽していた。
「親ってありがたいわね」
母親の悲鳴を無視してレプリへと歩み寄ったバード。
偽者の眉間へ銃を突きつけて、唇を歪ませ醜く笑った。
床に寝転がって逃走を諦めたレプリカントはバードを見上げていた。
「……なにを言っているの?」
「偽者でもあんなに愛してくれるのよ?」
振り返ったバードは、薄ら笑いで母親を見ていた。
狼狽しつつもどっちが本物か見極めてあるようでもあった。
「私は偽者じゃない!」
「いえ、あなたは真っ赤な偽者よ?」
「何を証拠にそんなデタラメを……」
「あなたの頭を弾けさせれば解るのよ?」
にこりと笑ったバードは驚く程の早さでナイフを抜いき、レプリの頭を切りつけていた。高周波振動で対象物を切り裂く魔法のナイフは、レプリカントの頭蓋骨をスパッと切り落とし、脳の一部を露出させた。
溢れ出た脳液はレプリカントの白い血と同じ色だった。
そして、一滴たりとも赤い血が混ざってはいなかった。
その事実にレプリカントの、偽のバードは涙した。
「うそ……」
「知っていると思うけど、生身の人間の脳を移植した合法レプリなら、溢れ出る脳液は透明で頭蓋内部だけは赤い血か混じるはずよ」
「そんな…… わたしは…… わたしは……」
「宇宙の病院を覚えてる? 身体中が熱くて冷たくて、燃え上がるように痛くて、だけど声を出すことも出来ず叫ぶことも泣くことも出来ずにいた日々」
レプリカントは一瞬だけ怪訝な顔になった。
記憶は知識でしかなく、実体験を伴わない空虚なものだった。
「わたしは偽者なのね」
「そうよ。でも大丈夫。私が覚えているから」
「え?」
「あなたも私の一部。私のデーターをロードして作られた存在。あなたは私」
バードは心からの笑みを浮かべ『さようなら』と呟いた。
何かを悟ったレプリカントは花の様に笑っていた。
鋭い銃声と共に真白の脳髄液が飛び散り、レプリカントは機能を停止した。
「ご苦労様です」
気が付けば国防軍の特捜チームに取り囲まれていたバード。
どこまで言って良いのかわからないが、情報は置いて行くべきだと思った。
「製造元はわかりませんが、背乗りで実在人物になりすましている乗っ取り型のレプリが居ます。おそらく大規模にそれを推進している支援組織がある筈です」
バードの言葉に軍のハンター達が驚きの表情を浮かべた。
ただ、バードはそれを気にすることなく話を続けた。
間違いなく彼らは日本に入り込んでいて、なに食わぬ顔で人間のふりをして生活しているのだ。
「恐らくは何らかの政治的工作か、もしくは戦術的戦略的な情報を得てシリウスへ連れ帰る為の工作員でしょう」
特捜チームの男達が『なんの為に?』と首を傾げる。
その理由はバードだって分からない。
ただ、あのサンクレメンテの経験やタイレルの工場に居た男や、ロックの道場で学んでいた者達を見ていれば、なんとなく察する物がある。
「これは個人的な私見ですが、シリウスに足りない知識や経験を積ませようとしているのでは無いでしょうか」
皆がグッと息を呑んで黙った。
言いたい事は解る。攻勢の組織を立ち上げ能動的にレプリ探しをしたとて、何らかの破壊活動などを行わない限りは網に引っかかることが無い。一般市民に紛れて社会に潜伏し、何かを学習して帰るなど想定外も良い所だ。
「……あるいは、特定のテロや事件に関わるのではなく、政治的イベントに関わってシリウス派に利するような活動を行っているのではないでしょうか。何らかの反政府活動や反法執行機関活動への参加だけではなく、住民票を移動させる事による住民基本台帳人数の増加で、目的の候補者を政治の場へ送り込むための投票要員として機能させている可能性です」
捜査チームの面々に『シラミ潰しに探すべき』だと進言し、バードは偽バードの両眼を閉じて立ち上がった。無明の闇で苦しんでいた、或いはそうなっていたかも知れない可能性のあるもう一人の自分がそこにいた。
「全て了解した」
気が付けばそこに仁藤が現れていた。
一瞬だけ自分の世界に閉じこもったバードは、その接近に気が付かなかった。
戦闘中であれば有るまじき失態だと自嘲するも、仁藤の前に立ち上がった。
「貴官の協力に感謝する」
「不調法で失礼しました」
「いや、貴官の協力無しに潜りのレプリを二匹も処分出来なかった」
一歩下がった仁藤はスッと敬礼した。
「日本政府に代わりお礼を申し上げる。どうか海兵隊執行部の諸将によろしくお伝え願いたい」
毅然とした物言いの仁藤にバードも背筋を伸ばし敬礼を返した。
「お言葉、ありがたく承ります。その様に伝言させていただきます」
「よろしく頼む」
仁藤が手を下ろしバードも手を下ろした。
「まだまだ…… 我々は経験が必要なんだと痛感したよ」
「役に立てたでしょうか?」
「もちろんだとも。いずれ世界を舞台に国連機関と協力できる組織に育って見せるよ。それまで、君は命を落とす事が無いように、注意してほしい」
「ありがとうございます」
バードの言葉に仁藤は僅かな首肯を返した。
「そしていつか、君の契約が終了し次の人生を考えるタイミングで我々の組織があったなら、教官役でも顧問でもいい。どうか参加してほしい」
「ありがとうございます」
柔らかく微笑んだバードはもう一度敬礼を送ってその場を離れた。
階段を下りてバスへ向かう途中、クルッと振り返り兄である太一に手を振った。そして、ヘルメットを片手に颯爽と歩き、そのまま国防軍の用意したバスに吸い込まれていく。
その後ろ姿を見送った太一はロックが歩み寄って来たのに気が付いた。太一の隣にはバードの父親と母親がいた。一瞬だけ身構えた父母だが、太一は旧知であるロックに無く声をかけた。父母の狼狽に構う事無く。
「……少尉」
「だからロックで良いって……」
気を使うなと言いたかったロックだが、太一の言う『少尉』は父母に対する配慮だと気が付いて苦笑した。決して察しの悪い男ではないが、ここでその気の使い方を思い浮かばなかった己の至らなさを哂ったのだ。
「……ちょっとショックが強すぎたかな。申し訳ありません」
バードの父母を初めて見たロックは、寂しそうに笑って頭を下げた。何を言いたいのか太一だってよくわかる。言いたいことを言えない辛さは、機密を扱う者ならば嫌と言うほど実感しているのだ。
「自分はロックと言います。故あって本名は明かせません。詳しくはそちらの太一さんに聞いてください。色々ありまして、いまは彼女と……
ロックは振り替えってバードが歩み去った方向を見た。
彼女と言うのがあなた方の娘だと振る舞いで示したのだ。
……同じ隊で一緒に任務についています。どういうわけか人間を辞めてしまい、いまは機械の身体です。まぁ、彼女も同じなんですけどね」
ロックはサラリと酷い事を言った。ただ、いつかは明かさねばならない事だし、いつかは必ず伝わってしまうことだった。ならば、ショックはいっぺんに済ませたほうが良い。そんな配慮だった。
「少尉、あいつは……」
ロックは優しく笑って首肯した。
心配ないよと言わんばかりに。
「俺もバードも全部覚えてるさ。そこは安心してくれていい」
「……じゃぁ」
「あぁ…… 今は全てを乗り越えた」
ポカンと口を開けて事態を飲み込めない父母は、狼狽するばかりだった。
「いずれ…… キチンとご挨拶に伺います。それまで、どうかお元気で」
キチンと足を揃え背筋を伸ばしたロックはビシッと敬礼した。
そして、その場を離れバードの入ったバスの中へ消えて行った。
まるでジェットコースターの様に事態が進行し、状況を飲み込めるかどうかなど関係なく全てが終了した状態だ。半ば呆然としていたバードの母は、完全に脳を破壊されたレプリの恵までおろおろと歩み寄った。そして、サメザメと泣き出した。その声を背中で聞きながら、太一は深い溜息を吐いた。
「……やっぱショックデカイよな」
ボソリと呟いた太一。
父親は太一を見た。
「太一。お前は恵が生きて居る事を知っていたのか?」
「……あぁ。色々とあってトップシークレットだった」
「何処で知ったんだ?」
キッと睨み付けた父の目を見た太一は一瞬だけ思案した。
ただ、どれ程考えても、出てくる結論は変わらなかった。
「それは言えない。高度な政治的事情だ。俺の一言でとんでもない事になりかねないからな。国家間の取引材料になりかねない情報なんだ」
「家族にも言えない事か?」
食い下がる父に対し、太一は胸を張って答えた。
「そうだ。言えない」
視線を落とし目を閉じた太一。
そのまぶたの裏には、月面のバーで飲んでいた妹の姿が浮かび上がった。
――私はバード
――もしかしたら私はあなたが知ってる誰かにとても似てるかも知れないけど
――でも…… 私はバード
――仲間からはバーディーと呼ばれる存在なの……
深く溜息を吐いた太一は小さな声で呟くように言った。
「俺が背負ってるものなんか比較にならないほど重い責任を背負って、あいつは必死に生きている。生きるか死ぬかの極限状況で、困難を乗り越えている。あいつの隣にはさっき見たあの少尉が付いている。良い夫婦になると思うよ。きっとな」
全てを飲み込んで黙った太一。
その眼差しは、バードとロックの乗ったバスを見ていた。
ゆっくりと渋谷の街から離れるのを見届け、そして空を見上げた。
青い空にうっすらと月が浮かんでいた。
――お前はあそこへ帰るんだろ……
――かぐや姫みたいにさ……
もう一度小さく溜息を吐いて、太一は辺りを見回した。
白い血が撒き散らされた、鉄火場の跡を見ていた。