本物vs偽者
「準備は良いですか?」
「えぇ。もちろん」
全てのカーテンを下ろした観光バスが渋谷中心部の幹線道路に停車していた。
警察が出動し、アレコレと話し込んで居る状態だ。その狭い車内では、軍の特捜チームが出動の支度を整えていた。凡そ15名ほどの面々だが、気合の入った顔をしている。そんな最中、衆人環視に近い環境でバードとロックは素早く着替えた。
「凄いなぁ。国連軍の海兵隊ですか!」
カフェを出て国防軍の特捜チームに合流していた二人は、純粋に感動して目を輝かせている隊員たちに握手を求められ、嫌な顔一つせずそれに応じた。ただ、ロックとバードにしてみれば、いま身を包んでいる突入装備のほうが問題だ。
パッケージにF-Lとしか書かれていなかったバード向けの装備は、フィメールタイプでLサイズだ。だが、基本的に白色人種向けの機体を装備しているバードだからか、日本人向けのサイズ表示だとLでも若干窮屈だ。
「実用上は不安無いけど……」
「ちょっと不恰好だな」
バードのボヤキにロックが笑う。実際はロックだって装甲部分に隙間が生まれているし、各部の動きに引っかかりを感じている。どうせなら自分用の専用装備を持って降りればよかったと後悔したが、それも後の祭りだ。
「カフェの中の偵察班によれば、ターゲットに動きは無いそうです」
突入準備を整えた谷口は、頭のてっぺんから足のつま先まで完全武装だった。
バードはいつもの様にYackを取り出し、ドラムマガジンを差し込んで臨戦態勢になった。そして、ロックはサブマシンガンを背中に背負いつつもありあわせの野戦軍刀を抜いて『なんかオッかねぇな』などとぼやいていた。
「突入準備よくてよ」
「では行きましょう」
「あんまり派手にやらねぇようにしねぇとな」
ロックの言葉にバードの口元が緩んだ。
海兵隊の荒い調子では出来ない。
過去に経験の無い、ジェントルな突入を始めようとしていた。
――――――――東京都渋谷区 渋谷駅近く
日本標準時間 1535
「突入チーム。準備よし」
谷口はバスの先頭部分まで言って何ものかに声を掛けた。その声に応じて姿を現したのは、最初に習志野でバードとロックを出迎えた仁藤だった。驚いたことに、この現場まで責任者である仁藤が出向いていたのだ。
「警察の方は私が話をつけた。問題ない」
仁藤は力強くそう言い、そして車内で準備を整え腰をかがめていた者たちに声を掛け始めた。
「一般人に流れ弾が当らないよう注意してくれ。それと、ターゲットは確実に仕留めろ。後になって頭痛の種が増えるだけだ。少々ならヤンチャしてもいいが、担当大臣が頭を下げるぐらいで納まるようにしてくれ」
そんな訓示に皆が軽く笑った。
日本式のジョークだと思ったバードは、苦笑を浮かべつつロックを見た。
静かに軍刀を抜いたロックは、刃先の立ち具合を改めてから鞘に戻した。
「いける?」
「三人斬ったら終わりだな」
「レプリは3匹よ?」
「まぁ、問題ねぇだろ」
ニコリと笑ったロック。バードも釣られて笑った。
降下艇のランハッチが開いて地上が見える時の緊張感は無い。
「なんか締まらねぇな」
「油断すると痛い目に遭うよ」
「……だな」
グッと顎を引いて気合を入れたロック。
バードももう一度、仁藤を見た。
助手席で周辺警戒していた仁藤は小さく頷いた。
「よし」
車のインパネにある小さなスイッチを入れた仁藤は、マイクに向かって叫んだ。
『全無線オープン! 所定位置まで前進! 突入しろ!』
仁藤の声に弾かれ特捜チームがバスを一斉に飛び出し、カフェに突入した。
各所でテーブルがひっくり返り、お茶していた人たちが悲鳴を上げる。
そんな中、3匹集まっていたレプリカントに低速平弾頭系の銃弾が降り注ぎ、白い血がミストになって飛び散った。一番手前にいたでっぷりと太ったレプリが一瞬にして排除された。
「……へぇ」
ボソリと呟いたロックはバードと並んで後方からゆっくりと進入した。
痩せギスのレプリと読書をしていたレプリはその場に伏せたあと、スルスルと床を這って行って、離れた場所で立ち上がった。そこへ再び銃弾が降り注ぎ、痩せぎすのレプリが挽肉へ変わった。
遺された一匹は諦めたのか、両手を上げて降伏のポーズを取った。だが、そんな男にバードは容赦なく銃撃を浴びせた。軍用の自動小銃よりも大きい13ミリの銃弾により幾多の血飛沫が舞う。だが、その血飛沫は全て真っ白だった。
「呆気ねぇな」
ロックは腰を落としたまま辺りを見回した。バードがまだYackを構えていたからだ。過去の経験上、どこかに人間のフリをするレプリが隠れている可能性がある。まるでゴキブリだと思うのだが、それを探すバードの姿には緊張感があった。
「どっかに居るよ。絶対」
「もう一匹?」
「そう」
「根拠は」
「酸化アルミニウム反応がある」
銃口を床に向けて足音を立てずに進むバード。殺気を隠し風の様にふんわりと進んでいく。その直後を往くロックは、バードの気配が完全に消えて居ることに気が付いた。視界には写って居るが、その気配が無いのだ。殺気どころか気配が無い。
――大したもんだな
舌を巻いて驚くロック。
騒然としたカフェの中で突入班がレプリの死体を検め始めた。そのうち何人かがバードを見たのだが、彼らの視線の先に居るバードが警戒を崩していないので驚いていた。
「まだどこかに……
突入班の谷口が口を開いたその時、死んだレプリのすぐ近くに座っていた男が突然立ち上がって走り始めた。バードのセンサーが酸化アルミニウム反応を捉えた。スッと身体を寄せて足を引っ掛けたバード。固い床の上に転がった男の目から何かが落ちた。
「やっぱり!」
一瞬バードを見たその男にはインジケーターのターゲット反応が出なかった。火星のタイレル社工場で見たように、コンタクト無しでも識別センサーに反応しないタイプだった。
一瞬だけ逡巡したあと銃を向けたバードだが、逃げ出した男は人ごみの前を横切って出口を目指した。一般人を背景にすれば撃たれないと思ったのだろう。だが、ここにもう一つの戦闘手段を持つ男がいたのは、その逃げた男にとって計算外だったようだ。
「悪いな。これも仕事でよ」
軍刀を抜き放ったロックは電光石火の立ち捌きで男の両足を切断した。膝上で断ち切られた傷口からは、白い血があふれ出した。その状態でなお逃げようとするのだが、追いついたロックは両肩の鎖骨を砕いて動けなくした。そこへバードがやって来て、額へ拳銃を突きつけた。
「諦めたら?」
「……なんでわかったんだ」
「仕事だからね」
カチャリと冷たい響きを振り撒きハンマーが起こされる。
務めて冷静な声でバードは言った。
「名前は?」
「名前など無い」
「……そうなんだ」
諦観したような表情のレプリは小さく溜息をついた。
「人間を呪ってやる……」
「そう…… じゃぁ、そうしなさい」
バードは引き金を引いた。
鋭い射撃音が響き、レプリは白い血と脳漿を撒き散らして即死した。
その目をもう一度見たバードは、コンタクトが入ってない事を確かめた。
「何故分かったんですか?」
「……そうね。勘かしら」
駆け寄ってきた谷口の問いにそう答えたバード。
ややあって、警視庁側の特捜チームがやって来た。
「ご苦労様です」
妙にガタイの良い機動隊の連中だ。身体が一回り大きくなったロックと比べても大きく見える寸法だ。そんな警視庁チームはレプリの遺骸を収容し、事務手続き的な事を始めた。任務が終ったと思ったロックだが、バードは緊張感を崩していなかった。
――あっ…… そうか……
バードがまだ緊張している理由に気が付き、もう一度気を入れたロック。
その直後、やや離れた所から罵声に近い声が上がった。驚いて振り返ったロックとバード。警視庁チームも軍の特捜チームも一斉にそっちを見た。そこには、見覚えのある青年が立ち上がって、純白の衣装に身を包んでいる合法レプリの襟倉を掴んでいた。
「お前は一体何者なんだ!」
声の主は太一だった。
偽バードの襟倉を掴み、引っ張り上げていた。
「太一! 何をしているんだ!」
声を荒げた父親の声が響き、母親は怪訝な表情を浮かべている。
だが、太一は構わず続けた『お前は一体なんなんだ?』と。
『あー 兄貴、始めちまったぜ……』
『……勘弁して欲しいわ』
『え?』
『出来ればお兄ちゃんには関わりたくなかった』
バードはメンドクサそうな声を漏らした。ただ、それがバードの強がりだとロックはすぐに気が付く。バードは離れた場所でその成り行きをじっと見つめていた。
偽物のバードが悲しそうな表情を浮かべたのだが、太一は遠慮無く壁へと突き飛ばして仁王立ちになると、上着の中から銃を取り出し、同時にギラリと光るバッジ付きの手帳を偽物へ向けた。
「国防軍特別捜査隊だ。レプリ管理特措法による逮捕拘束を宣言する。抵抗すればこの場で射殺する」
キチンと手順に則って宣言した太一。
その後ろ姿にバードはうれしさを感じた。
だが……
「お兄ちゃん!」
偽物が声を張り上げた。全く同じ声だとロックは思った。
だが、声帯を使い込んでいない分だけ澄んだ声とも言える。
その全てをかき消すように、太一は大声で叫んだ。
「黙れ! 偽者! お前は俺の妹ではない! 偽者だ!」
太一が懐から取り出し構えていたのは、11ミリの大型自動拳銃だ。この距離で銃弾を受けれは、さしものレプリとは言え一撃で絶命するものだった。鋭く射抜くような眼差しで偽者を睨み付けた太一。その姿に母親が悲鳴を上げた。そして哀願するように叫ぶ。
「太一! 目を覚まして!」
母が上げた悲鳴にバードは胸をかきむしられる辛さだった。そして、今すぐにでも偽者を射殺したい衝動に駆られた。所定の手続きを踏まねばならない太一と違い、バードなら問答無用で射殺出来る。
「おふくろ、残念だがこいつは偽者だ。いや、人ですらない。ただのレプリカントだ。そして、地球人類の敵だ!」
太一の言葉に母親が『やめて!』と絶叫する。
しかし、太一は表情をいっさい変える事なくあっさりと言い切った。
胸を張って自信満々な態度で。
「お前が偽物である証拠を俺は持っている」
「バカな事を言うんじゃ無い!」
今にも射殺しかねない太一に向かい、父親もそう絶叫した。やめてくれと祈るような、そんな声音でもあった。久しぶりな家族の集合が一瞬にして惨劇へと変わっている。だが、そんな声も太一には届かなかった。まるで悪魔にでも魅入られたかのような眼差しの太一は、奥歯をグッと噛んで引き金を引いた。
大口径の銃弾が偽のバードに降り注ぎ、低速炸裂系弾頭の威力がレプリカントの身体を貫通していった。口から白い血を吐いた偽のバードは、グッと一歩踏みだし、鋭い蹴りを放って太一の拳銃をはじきとはした。
「なっ!」
ポキリと音を立てて太一の手首が脱臼した。二発や三発の銃弾でレプリカントが死ぬわけがない。太一の反撃力を失わせた偽のバードはカフェの出口へ逃げ出そうとした。一切の論理的な思考では無く、単純に現状の場面変換を狙った逃亡だ。
しかし……
「一体どこへ逃げる気だ?」
冷たい言葉がカフェに響いた。
驚いて振り返った偽のバードは、目の前に新手が居るのに気が付いた。ただ、その新手は銃ではなくサーベルを構えていて、その危険性について思慮を巡らせた偽のバードは、一瞬だけ逃げようという思考の空白がうまれた。
そしてそれは、ある意味で致命的なミスであったと直後に気が付く。ハッと我に返った時には、その声の主が目の前に立っていたのだ。どう見ても一撃で絶命せしめる威力を持った長刀を構えて。
接近戦では銃より刃物の方が強い。世界中どこへ行っても、如何なる軍隊でも、兵士に格闘戦を教える時は必ずソレを付け加える。剣道三倍段と言うが、刃物を自在に扱える兵士の場合、接近を許してしまったなら死は免れない事だった。
「なんか変な気分だぜ」
ロックは偽のバードの両膝辺りを切り裂いた。立つことはともかく、走るのは絶望的だった。フラフラと後退し壁に背中をつけて何とか立ってる偽のバード。
「なんで! なんでよ!」
涙を流して叫んだレプリカントは白い血を流し続けていた。真正面に太一や父母を見ている偽者のバードは、首を降りながら、泣いていた。
「やっと…… やっと帰って来れたのに!」
精一杯の声で抗議している偽のバード。だが、その前にひとりの特捜隊員が立ちはだかった。偽のバードとその家族の間に割って入ったその隊員は、拳銃の銃口を偽バードの顎下に突きつけ、冷たい声で言った。
「……あなたが偽者だからよ」
冷たい女性の声で言ったその言葉に、偽のバードは表情を変えた。まるでこの世の終わりのような顔になった偽のバードは『何を言っているの?』と首を振った。だが、そこで両脚が限界に達し、ずりずりと背中を擦って床に座り込んだ。背中を壁に預けたまま、下から見上げる形になっていた。
「止めて! その娘は人間なの! レプリカントじゃないの!」
母親の声がこだまする。そして、オープンテラスの床を蹴り、やや錯乱気味になった母親が娘に覆い被さるように立ちはだかった。頭に突きつけていた銃口を払う様にし、楯になる様にして特捜隊員を見上げていた。
「いえ…… 残念ですがその女は人間ではありません」
「うそよ!」
「……地球上へ送り込まれたレプリカントの工作員です」
冷静な女性の声が流れ、レプリカントも母親も本気で驚いた顔になっている。
だが、母親は『何を証拠に!』と錯乱を深めた。
「証拠と言うには……」
口元だけ見える隊員の女性は一度銃を下ろすと、胸部プロテクターを緩め、それと同時に頭部ヘルメットの気密を解除した。ヘルメット後部が観音開き状に開き、中から黒髪がバサリと零れる。艶やかなその髪のむこうでは、レプリカントがこれ以上ないほどに目を見開き驚いていた。
「余り驚かないで欲しいのですが……」
ゆっくりとヘルメットを取ったとき、中からバードが姿を現した。どこか恥ずかしそうな笑みを浮かべるバード。その姿を父母も太一も、そして偽のバードも、いや、偽の恵も見ていた。
「オリジナルがここに居るんだから……ね」
薄い桜色のルージュに彩られたその唇がゆっくりと動く。
「戦闘中にヘルメットを取るのなんて初めてだわ」
「そんな…… そんな……」
「小鳥遊恵のオリジナルは…… 私なのよ」
小さな声で宣告したバード。
偽バードは今にも卒倒するような表情を浮かべ、バードを見ていた。
――うそっ……
――ウソよ……」
と、そう呟きながら……