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機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第11話 シリウスへ向けて愛と青春の旅立ち
130/354

嫁 vs 姑


 オートパイロットで走るエレカーのロードノイズは、実は案外耳障りなんだとバードは思った。

 東京の都心部から郊外へ放射状に伸びる都市高速は、午前中の早い時間だと上り方向が一方的に混雑する。通勤路にはならない下り線を快調に走るシティビークルは風切り音も殆ど無く滑る様に走っていく。高度な流体計算を積み重ねた結果ともいえる静粛性は、僅かな物音をも余計に目立たせる効果を発揮していた。


「緊張する?」


 少々張り詰めたような空気を変えるようにバードは言った。

 いつもの様に柔らかく朗らかな声音を務めた。サイボーグといえども、その中身は人間だ。緊張や躊躇いや逡巡に心は乱されるし、ややもすれば混乱する。


「自分の家に帰るだけなのにな」


 いつもの様に少々ぶっきら棒な物言いのロックだが、その目は窓の外に広がる街並みを焼き付けて居るようでもあった。どれ程時代が変わっても、街は人の暮らすところだ。月面の基地で生活している二人にすれば、空の下の町並みと言うのはそれだけで新鮮な光景といえる。


「いきなり喧嘩腰はやめてね」


 バードの声に少しだけ不安が混じった。

 手順の確認や懇願と言ったモノではなく、単純にお願いと言うようなものだ。


 ただ、それはある意味でかなり切実なものでもある。

 と、いうのも、あのレプリハントの後、虎轍と呼んだ男――ロックの弟――に稽古をつけたロックは、すべての面で虎轍を圧倒した。かつての火星や金星上空で見た父に圧倒されるロックの様に……だ。


「親父から見たあの頃の俺があそこにいるのさ」


 あの頃がいつを指すのか。それを問いただすほどバードだってボケてはいない。挑んでは負け、挑んでは負け。研鑽を積み技量を磨いてなお届かなかった刃。身体の方を大幅にパワーアップして、それでやっと勝ったような状態だ。純粋な技量で勝ったのかというと、それはどうも怪しいと言わざるを得ない。

 それはロック自身も否定せざるる事実として認識していることだった。決して自分の力で勝ったのではない。サイボーグの機体性能向上と反応速度の向上。その二つの恩恵だ。


「自分の身の程を知って向上心を維持できるかどうか。それ次第だな」


 突き放すようなロックの一言にバードの表情が曇る。

 激しい斬り合いを続け、ロックはもう少しで弟を殺すところだった。

 反応速度も剣の切り返し速度も踏み込みの速度ですらも数段優速だった。

 それはもはや、生身の人間が実現し得ない領域だった。


「あいつは十分強いだろうさ。だけど、上には上がいるんだ」

「……そうだね」


 ロックが何を危惧しているのか。バードはその気持ちが痛いほど分かった。

 増長の勘違いは悲劇への最短手だ。シミュ上とは言え、士官学校で鍛えられたロックもバードもその問題点を良くわかっている。徹底的に鼻っ柱をへし折られ、その中で人間性を磨いてきたのだから、少々ではへこたれない根性を持っている。


「それを俺はBチームにやってきて思い知らされた。サイボーグになってなお研鑽して、エディにも鍛えられてこうなった」


 ロックの目は空を見上げていた。純白の雲が空に浮いていた。

 抜けるような青空は、地道な大気汚染対策が実現したものだった。


「オヤジが言っていたように、俺もオヤジも、生身じゃ出来ない剣術で闘っちまったのさ。生体限界を遙かに超える身体が前提の剣術だ」

「それで?」

「あいつにそれを教えたい」


 バードをじっと見つめたロックは楽しそうに笑った。


「俺は俺の道を行くって言い切っちまったからさ」


 ロックの手がバードの手を握り締めた。

 無骨ながらも優しい手だ。

 そんなロックの手にバードは自分の手を添えた。


「後悔してない?」

「なにをだ?」

「あんな事言っちゃって」

「するもんか。むしろ断られる方が怖いくらいだ」


 ニコリと笑ったロックは、ならんで座るバードをいきなり抱き寄せた。

 そして、逃げられないようにバードの頭を押さえておいてキスした。


「なにがあってもバーディを護る。未来永劫変わらねえ」


 真正面からそう言われ、バードはさすがに恥ずかしさで震えた。

 ただ、その言葉を聞くのは二度目だ。


 ――俺は俺の道を行く

 ――お前はお前の剣を目指せ

 ――この剣は生身では出来ない剣だ


 弟である虎轍を徹底的にぶちのめしたロックは、フラフラとする弟を強引に立たせてそう言った。金星や火星で戦った父親との真剣勝負を経て、ロック自身が父親の遺した言葉『人間には出来ない動きを息子に教えてしまった』を弟である虎轍へ実感させたのだ。


 ――金星の基地の中で戦ったシーンをお前に見せてやりたい……


 そう漏らしたロックの言葉にハッとバードは気が付いた。

 自分自身の見ていた映像を保存してあったのだ。


 頚椎バスにケーブルを繋ぎ、道場の片隅にあるモニターへ『バードの見ていた世界』を再生して見せた。

 言葉を失ってみていた虎轍は、小さな声で『ありえない』と呟いた。その言葉の意味を理解し得ないロックやバードだったが、とにかく一つ言える事は壮絶な戦いだったということだ。

 ただ、バードがして見せた行為にロックの母親は噛みついた。曰く『ロボット』だの『ガイノイド』だの……だ。そして、人間のフリをする偽者だと。ロックの母親がそう金切り声で叫んだ時、ロックの精神を押し留めていた最後のストッパーが外れてしまった。ある意味でサイボーグにとって最もきつい侮辱の言葉。それこそが『偽者』だ。


 ――っざっけんじゃねぇ!


 本気でぶち切れたロックの声は道場の壁やガラスをビリビリと揺らした。サイボーグにもここまで声が出るのか?と驚いたバードだが、ロックは自分自身にもケーブルを繋いで父親の最期の言葉を見せた。

 虎轍と母親は呆然としてその映像を眺めた。ただ、その直後に道場の師範代である男達がロックに襲いかかった。その全てをロックは難なく返り討ちにしたあとで『お前らも少しは学べや。これは人間には出来っこねぇ』と漏らした。全く次元のちがう速度とパワーで圧倒したあと、ロックは静かに言った。


 ――この剣は生身じゃ出来ないんだよ


 それっきり道場から音が消えた。ロックは自分の頚椎バスにつながっていたケーブルを引き抜くと、バードの背を押して帰り道を促した。


 ──あなたは死んだはずよ!

 ――あなたも! あの人も!

 ――死んだ筈なのよ!

 ――なんで今さら!


 現実を受け容れきれない母親は、半ば錯乱していた。

 ただ、それでもそこには自分の産んだ子が居る。

 その現実を母親はどう受け容れて良いか分からなかったのだ。


 ――また来る

 ──この女は俺の嫁だ

 ――オヤジが事切れる前、そう許しを貰った

 ――俺たちは明日無き今日を生きているサイボーグだ

 ――俺はもう死んだものと思ってくれ


 名残惜しいのは間違いないが、それでもロックは歩き出した。


 ――あばよ!


 そう、捨て台詞を残して。




「今日は…… キレないでね。お願いだから」

「……落ち着いて居りゃ良いんだがな」


 ロックが呟いた言葉にバードは小さく『ウン』と応えた。

 心配の種は山ほど有るのだが、それでも前進しなければならない。

 ロックは今、自らが前進する為に、一つのけじめを入れようとしていた。










 ――――東京都 西多摩区  

      日本標準時間 7月 4日 0900
















「……やっぱり緊張する?」

「あたりめぇだぜ」


 すこし固い笑顔を浮かべたロック。

 エレカーは岩尾道場の正門前に停まっていた。

 ドアを開けて一歩踏み出したロックは、一つ息を吐いた。

 右手には、父親から譲り渡された当主の証である太刀が握られていた。


「なぁバーディ」

「……なに?」

「おれが我を忘れて暴れ始めたら……」

「……うん」

「俺を撃って止めてくれ」

「……そんなの出来ないよ」


 泣きそうな顔になったバードをロックが見ていた。

 男らしい、柔らかな笑みでだ。


「多分だけど、いま、世界中で俺を止められる剣士はエディだけだ」

「そうなの?」

「あぁ。だから、どんな手段でも良い。俺を止めてくれ」

「じゃぁ、ロックの前に身体を挟むけど良い?」

「間違って斬っちまうから、それはやめてくれ」

「ロックに斬られるなら本望よ」


 スパッと言い切ったバードにロックは苦笑いを浮かべた。


「やっぱりバーディはつえぇな」


 フッと笑みを浮かべ、バードの背を押して道場へ入るロック。

 ふたりとも宇宙軍海兵隊のホワイトドレス(第1種正装)でやってきていた。

 何処から見ても、立派な海兵隊士官の姿だった。


「御免」


 問答無用で敷地へと入っていくロック。たが、一歩踏み入れた道場のなかでは、大勢の門下生が通路を挟むように並び、ロックを出迎えた。その最前列に居たのは叔父だった。いつぞや、半身不随になったロックに語りかけていた、あの男だ。


「おかえりなさいませ! 若先生!」


 叔父が先頭を切ってそう声を掛けた。左右に別れ並んでいる男たちは、ざっと百人を下らない数だ。バードは無意識にスキャンを掛けてレプリを探す。だが、誰一人として反応は無かった。偶然にも風下にいたバードのセンサーは酸化アルミニウム反応をも捕らえていない。コンタクトを入れてセンサーをごまかすもぐりも一人としていないようだった。

 一瞬だけ身じろいだロックは隣のバードを見た。バードは僅かに首を振ってレプリがいない事を示した。その僅かな機微でロックは悟った。自分がここへ来ることを承知で、皆が待っていたのだ。そして、自らの右手に持つ太刀の重さと、居並ぶ男達の目的が何であるかを。


「そうか……」


 ロックはもう一度居並ぶ門下生を見回し、轟くような渋い声音で言った。


「先ずは身内と話をしてぇ…… 虎轍はどこに居る」


 思わずドキリと胸が高鳴ったバード。

 ロックの姿はまるで戦闘中のように緊張感に溢れていた。


 ──こちらでお待ちです


 門下生のひとりが一歩進み出てロック案内した。

 一瞬だけ怪訝な顔になったバードだが、ロックは緊張感を途切れさせることなくその後に続いた。長い廊下を進んでいき、幾つかの角を曲がると、正面には石蕗の花が咲く中庭があった。その中庭を横切り小さな戸を潜ると、そこは茶室だった。


 ──失礼いたします


 静かに戸が閉まり、ロックとバードは茶室に腰を下ろした。何年かぶりの正座だった。遠い日に父親から叱られたのを思い出し、バードは内心で苦笑いした。

 だが今、バードの正面にはロックの母親が膝を折り静座していた。武門の女将として恥ずかしくない深い藍色の和装だった。バードはどんな戦闘よりも緊張する場面へいきなり放り込まれた。なんら心の準備をせぬままに、いきなり姑の前に座らされたのだ。


「先日は大変な失礼を致しました」


 ロックの母親はいきなり深々と頭を下げた。

 バードはどうしていいか分からず、ただ会釈をしただけだった。


「申し訳ありません。私は百凡なサラリーマンの家庭に育ち、日本的なマナーを身につける前に世間から隔絶されてしまいました。このような場合、どう振る舞えばいいか分かりません。無礼かとは思いますが、どうかご容赦ください」


 しっかりとした物言いにロックの母親はわずかながらも表情を変えた。

 ただ、それは敵対的なものではなく、むしろ満足げに肯定するモノだった。


「この数日、私なりに調べさせていただきました。私の息子とあなたが置かれている過酷な環境も理解しました。問答無用で息子を取られた母親としては到底納得出来ませんが……」


 目に余るほどの悔しさを滲ませた母親は、きつく目をつぶり心を鎮めた。


「もう親が木から降りてモノを言う歳ではありませんし、また、それを言える環境でも無さそうです」


 母親の口上を黙って聞いているバード。

 その姿を見ていたロックは、バードの表情がまるで戦闘中だと思った。

 わずかな矛盾も見逃さない猟犬のような姿だ。


 そして、クッと顎を引き、口を真一文字に結んで相手を見つめるその姿は、一歩間違えば睨みつけているようでもある。だが、ロックの母親も大したもので、そんな『嫁』の姿を満足そうに見ていた。


「この家に嫁いでもう25年です。その間に色々ありました。あなたの経験したことに比べれば一笑に付すレベルですが、私なりの羅場も経験しました。ただ、その修羅場もあなたに比べれば比較にすらならないことは良く分かっています。現にあなたは全く動じていない。息子と同じように、生きるか死ぬかの境を見たのでしょう。ですから、私の手に負える……」


 ロックの母親はこの時始めて笑顔を見せた。自分とは比較にすらならないと言ったときにバードが見せた僅かな狼狽を見抜いたからだ。幾多の死線をくぐったとて、やはりこの娘はまだまだ若い。その初々しさに母親は安心したのかも知れない。


「……手に負える嫁では無さそうです。私か経験した25年の歳月を越える何かが有るのでしょうね」

「私は……


 何かを言おうとしたバード。その言葉を手で遮った母親は、うっすらと浮かべていた笑みをかきけし、キッときつい表情になった。


「あなたの立場が難しいことは良く分かっています。言いたいことを全部言えないのも承知しています。組織の中で生きるなら、出来る事と出来ない事の多さに眩暈を覚える事でしょう。言えないことを取り繕うための言葉など聞きたくはありません」


 母親の表情が、グッと厳しくなった。

 そして、今にもロックが、飛びかかりそうな殺気を放っていた。だか……


「この25年の間、夫の母親がしてきた嫁虐めにもジッと耐えてきました。この業界の中にある批判も陰口にも黙って耐えてきました。様々な修羅場の中で、いつか私の番がくると思って、砂を噛む思いで日々を積み重ねてきました。いつか私も嫁虐めしてやろうとね。だけどあなたには無理そうです」


 思わず『えっ?』と毒気の抜けた顔になったバード。

 隣のロックも同じ様にポカンと口を開けた。

 そんな若い二人を見ていた母親は、勝ち誇ったように笑っていた。


 長く生きていれば様々な経験を積み重ねる。

 なにも戦闘だけが、人間性の限界を鍛えるものではないのだ。


「バードさん……と言いましたね」

「そうです」

「本名を名乗れないことも、出自を明らかに出来ないことも存じています。ただ、息子の家庭や親族の人となりを知ってしまったのですから、もう後戻りは出来ませんよ?」


 バードの顔から全ての表情が消えた。

 ロックの母親がなにを言うのか見当が付いたからだ。


「バードさ…… 『不束者ですが、よろしくお願いいたします。まだまだ人生経験が浅いモノですから不調法かも知れません。ただいずれ、キチンとお話しできると思います。ですから』 ……分かりました」


 母親はニコリと笑った。

 晴れがましい笑みだった。


「息子を。今はロックって言うのよね。でも、私にはいつまでも息子なのよ。だけど、もう今はアナタのもの。たから、よろしくね」


 母親の眦から一筋の涙が流れた。


「はい」


 ただ一言、バードはそう言った。

 それ以上言葉がなかった。

 他に何と言えばいいのか分からなかった。


「はい。了解しました」


 ニコリと笑ったバード。

 だがその時、あり得ない感触がバードを襲った。『あれっ?』小さく呟いたバードは、自分の頬を触った。指先のセンサーが感じ取ったのは、さらりとした水気だった。


「うそっ…… わたし…… 泣いてる」


 僅か一滴の雫だったが、バードは、自分自身に驚いていた。

 ただ、それを一緒に驚くべきロックは、バードに気を回さず弟である虎轍とにらみ合っていた。

 胆力錬成の稽古にある、ひたすらにらみ合う勝負を続けていた。


「兄貴」

「皆まで言わねえ。俺と勝負しろ」

「馬鹿言わねえでくれ。今度こそ殺されちまう」

「俺は何度もオヤジに殺され掛けたし、金星じゃこの手で親父を切り殺した」

「それは知ってる」

「俺と勝負して勝てばお前は当主だ」

「兄貴」

「一門を引き継げ」


 ロックの言葉に虎轍は狼狽した。

 数日前、道場の中で本当に完膚無きまでに叩き潰された虎轍だ。ロックの強さは肌身にしみて分かっているし、かなわない事も重々承知している。


「兄貴にかなう訳ねえ」

「だが、最強が当主になるもんだ」


 虎轍はしばらく黙り込み、やがて口を開いた。


「オヤジに勝つまでにどれくらい掛かった?」

「そうだな。生身じゃ血反吐吐くような稽古して半年だな」

「半年?」

「あぁ、オヤジに斬られて使えなくなったパーツを交換しパワーアップして、ついでに反応速度もイメージのトレース精度も一桁向上させて、そんでやっと勝った」

「なら……」


 虎轍はニコリともしないでロックの目を見たまま言った。


「俺にも時間をくれ。兄貴が契約を満了して帰ってくるまで研鑽を積みたい」

「ソレで勝てるのか?」

「勝てっこねぇだろうな」


 睨み合いを続けてきた虎轍は、降参した様に表情を崩して目をそらした。

 その眼差しはロックの傍らに置いてある太刀を見ていた。父親が持って出た太刀は行方不明だった筈だ。だが、その太刀がいま目の前にある。つまり、ロックこそが当主にふさわしいと虎轍は認めた形だ。


「なら……」


 ロックはその太刀を持ち上げ虎轍に差し出した。

 重量のある戦太刀だが、ロックの膂力にすれば鴻毛の如しだ。


「コレは置いていく。俺やオヤジのレベルまで自分が達したと思ったら当主を勝手に名乗れ。俺が契約を終えて退役したらここへやってくる」


「……兄貴」


「本当に強くなっていれば俺に勝つだろう。俺はこの女と常に命のやり取りの現場にいる。全ての剣士の本懐とも言うべき場所だ」


「兄貴も強くなる訳か」


「そうだ」


 痛いほどの沈黙が流れた。

 一瞬、クロックアップしたのかと思うほどの静謐だった。

 時間だけが永遠に流れ、全てが死んだ様に静まりかえっていた。


「わかった」


 虎轍が言葉を紡いだ。

 フと見た時刻表示によれば、3分近くを沈黙していたことになる。正座をしても全く足の痺れないバードやロックだが、母親は身動ぎひとつせず正座したまま静座し続けていた。


 ――勝てそうに無い


 ふと、バードはそんな事を思った。

 そして、この人とは上手くやろうと。上官や部下やそう言う関係では無く、人と人との間として、上手く生きていこうと、そう考えた。恐らく、誰よりも孤独だった人だと、バードはそう思ったのだ。


「さて、長居は無用だ。まだ仕事がある」


 スッと立ち上がったロックはバードに手を差し伸べた。

 その手を取ったバードも立ち上がった。正座の影響など全く無かった。


「もっと話をしたかったわ」

「申し訳ありません。これからもう一仕事ありますので」

「大変な仕事ね」

「……自分の運命を何度も呪いました」


 バードの一言に母親は仄暗い嘲りの混じる笑みを浮かべた。人が誰しも持つ後ろめたい、暗い情念の様な物が混じる笑みだ。言葉にはし難い、だけど、世の中の真実としてある物。それは、誰かの不幸を見て喜ぶ心……


「私だけじゃ無かったのね」


 精一杯引きつった笑みを浮かべたバード。

 ロックの母親は、どこか毀れた様に嗤った。


「自分がおかしいって認識しているウチはまともよ。ソレが認識出来なくなったら人間として終わり。だから私はまだ大丈夫。例えウチに来ていた門下生の大半がテロリスト予備群のレプリカントだったとしてもね」


 母親はやはりどこか壊れている。バードはそんな結論に達した。

 何事かを会話したのだが、バードの耳にはもはや何も残らなかった。


 再びに車に乗り込んだ二人は帰途に就いた。

 見送ってくれる門下生を振り返ることも無く、ロックは座っていた。


「良いの?」


 心配そうに声を掛けるバード。

 ロックは静かに笑うだけだった。


「俺の帰る場所はここじゃねぇってこった」

「でも……」

「……お袋まで壊れてるとは思わなかった


 静かに微笑んだロックの顔には、隠しがたい寂しさが浮かんでいた。

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