一門対決 再び
「大丈夫ですか?」
谷口はどう言葉を掛けて良いか分からず、恐る恐るご機嫌伺いの言葉を吐いた。
道場の外。ちょっとした東屋のあたりに立ったバードは腕を組み、不機嫌そうな表情で現場検証を眺めていた。道場の中からは継続的に金切り声に近い女性の声が響いていて、その声に乗る言葉は不快を通り越し怒りを覚えるモノだった。
「……日本でレプリ狩りやると、いつもこんなですか?」
バードの言葉に僅かならぬ不快感が滲む。
そして、纏う空気を一言で表現するなら、純粋な『殺意』だ。
年増の女性は一方的なレプリ排除を継続的に非難し続けていて、それを聞いている警視庁の操作チームも険しい表情になり始めていた。
「あの方は特別ですね。まぁ、日本は特殊ですから」
「特殊?」
「えぇ、この1年は特に酷いと思います」
谷口は肩を竦めて自嘲した。
「国連軍への参加や国際社会への関与を継続的に非難し続ける人たちがいます」
「……理解しがたいですね」
「えぇ、本当です。国際社会の一員であるべきなんですが……」
それ以上の言葉を飲み込んだ谷口も悔しさを滲ませた。
理屈ではなく思想として、そういう孤立主義を求める人が居るのは知識として知っていたバードだが、現実問題として集団的自衛権を含めた国際社会への関わり方に文句を言う人が居るのだ。
曰く、地球の裏側の出来事に何故首を突っ込まねばならないんだ。そんなモノに無駄遣いするなら、国内にもっと金を使え……と。
「内政よりも外交を重視するのが基本な筈なんですがね」
「……あ、言いたい事分かります」
「ありがとうございます。孤立したって良いから内政を重視しろと……」
「……寝言レベルですね」
「そうなんですよ」
どれほど綺麗事を並べでも、時にはドブを這いずらねばならない時がある。汗を流し血を流し涙を流し勝ち取るモノがある。与えられるのではなく奪いにいくもの。義務を果たさなければ権利はない。全ての権利を奪われた状態を奴隷というのだ。
「それにしても……」
耳障りな声に顔をしかめたバード。
バードの隣に立っていたロックもまた不機嫌な表情だった。
「お目出てえにも程があらぁ」
ウンザリとした表情を浮かべ溜め息をはいたロック。
だがその時、バードはふと気づいてしまった。
──もしかして、あれ、ロックのお母さん……
ハッとした表情でロックを見たバード。
ロックは全て承知していると言わんばかりにバードを見た。
「もしかしたら…… お袋かもな」
独り言のように呟いたロックの目が宙をさまよった。
これ以上は踏み込めない問題、ロックの家族の問題なんだとバードは思った。
ただ……
「挨拶位した方がいい?」
「え? なんで?」
「いや、だってほら、お義父様に……」
「……あぁ、そうだな」
金星で死んだロックの父は、バードを『嫁御』と読んだ。
そして、息子を頼むと託されたのだ。
「今はお止めになった方が良いかと思います。かなり興奮されてますから」
会話の意味を読み取ったのか、谷口はそう口をはさんだ。まだ興奮醒めやらない女性の、声は続いていて、実況検分のあとの事情聴取でもひどい言葉を口にしていた。
「まるで火でも付いてるみたいだぜ」
嘆き節を口にしたロックは、バードに向かって顔を振った。なんだかだんだんと思い出してきたロックは、遠い日の母親の姿に胸を痛めた。
父と言い争っていた母は、普段ならば穏やかで温厚なのだが、一度火が付けば狂ったように喚き叫ぶタイプだった。
「ありゃ間違い無く俺の母親だ」
「そうなの?」
「あぁ、顔を見たってわからねぇだろうが…… 声を思い出す」
バードの表情から険しさが抜け、そして入れ違いに寂しさが湧いた。
顔を思い出せない親族の姿を突きつけられた時、ロックの胸中はいかほどだろうかと思ったのだ。
「太陽系のあっちゃこっちゃ出向いて斬った張ったを繰り返してるけどよ……
ロックはその逞しい身体が萎む様な溜息をこぼした
……なんの為? あんなのの為か? 嫌になるぜ」
ゲンナリとした表情のロックを谷口が見ていた。
「意見の相違は仕方が無いですが、一切妥協の余地が無いんですよ。盲目的にいつまでもこのままって信じ切っているんです。要するに感情論なんです」
やるせない徒労感が谷口を襲っていた。
どこまで行ってもわかり合えない、ワガママな人々の存在だ。
「結局は多数決ってシステムの筈なんですけどね。選挙って」
「負けた側がいつまでもグダグダ言い続けるのも権利ってな」
バードもロックも谷口の言いたい事は理解している。
実働部隊の最前線に立って死線を潜っている者にすれば、その存在を否定される様な言葉を吐く人間について溜息の一つもこぼしたくなるのだろう。結果論として今が安全なのは、どこかで頑張ってくれている誰かの恩恵な筈だが、ソレを考慮せず無条件に安全だと信じ込んでいる脳がお花畑状態のバカは、一定数で必ず存在するのだった。
「まぁなんだ、バカに構ってる暇はねぇ 先に行こうぜ」
「……いいの?」
「良いってこった。まぁ、そのうち……
ロックの言葉が終わるか終わらないかの時だった。
道場の扉を蹴破り何かが飛び出してきた。
――待てっ!
――止まれっ!
サブマシンガンを構えた男達がその後ろに出てきて銃を構えた。ただ、その扉を蹴破った男は、一目散に出口へと走った。一瞬だけ後ろを振り返り、そのまま加速を付けて逃げだそうとしていた。
「ありゃ!」
ロックは小刀を抜いて走ろうとしたのだが、その前に銃声が響いた。乾いた連射音が続き、道場を囲む白壁の各所に小口径の高速拳銃弾が幾つも着弾した。下手な照準だと内心呆れたバードは、射撃している側を見た。そこには例の年増の女性がいて、銃を構えた男達にタックルを入れていたのだった。
――速く逃げなさい!
金切り声の叫びに送られ、男は再び走り出した。出口まであと10メートル少々だろうかという所で男はバードに気が付いた。そして一瞬だけバードを見た時、視線の絡んだバードは視界の中に[+]マークが浮かび上がった。
――ッ!
考える前にバードは銃を抜いていた。
13ミリの銃弾が音速を遙かに越える速度で男に襲いかかった。
近距離における殺傷力を最大に高められた銃弾は、体内に飛び込むと十字に割れて、しかも中で炸裂し身体を破壊する。強靱で頑丈なレプリカントと言えど、その身体が豆腐の様に弾け、即死は免れない。
――なんてこと!
甲高い絶叫が庭に響く。
だが、もうバードにはその声など届かない。
「惜しかったわね」
ゆっくりと歩み寄ったバードは銃を構えた。
鼻下辺りまで隠れる突入用ヘルメット姿のバードは、口元だけが見えている。唇を彩るのは、この日も兄に貰ったあの桜色のルージュだ。その姿に死にかけたレプリはバードが女だと理解した。
「見逃してくれ! 頼む!」
「逃げてどうするの?」
「もっと生きたいんだ! もっと! もっと! 死ぬまで生きたいんだ!」
「でも、もうあなたは死ぬのよ?」
白い血をまき散らして痙攣を始めたレプリは、悲しそうな表情を浮かべた。
「俺も人に産まれたかった」
「今まで何件のテロに絡んだ?」
「まだ何もやってない」
「やってない?」
「おれは…… 地球で戦術を学べと送り込まれた」
「なら、余計生かして帰せないわ」
バードは迷わず銃を撃った。
両脚を引き千切る様に銃弾を撃ち込み、両膝から下が無くなった。
「あなた、名前は?」
「……………………」
「私が覚えていて上げるわよ。あなたの生きた証」
バードは左腕をまくり上げた。
びっしりと書かれた名前に男が目を見開いた。
「本当に居たんだな」
「なにが?」
「俺たちの名前を書いている女のブレードランナーが居ると聞いてた」
「……そう」
すっかり有名人になったと思ったバードだが、任務を忘れるほど惚けては居ないし正体も抜けては居ない。
「で、名前は?」
「シオン」
「しおん?」
「あぁ、紫の音と書いてシオン」
バードは何も言わずに言われたままを腕へと書いて見せた。
その文字を見たシオンは安らかな表情を浮かべていた。
「私はバード。覚えていなさい」
「あぁ」
鋭い銃声が響き、シオンの頭蓋が弾けた。
真っ白の血をまき散らしてレプリは死んだ。
「この人でなし! 血も涙も無い殺人鬼!」
またこの声だ……
少しウンザリしているバードは、もはや怒る気力も失せていた。
「残った門下生は?」
バードは実声で谷口に尋ねた。やや間が空き『17名です。全員チェックを終えました』と言葉が返ってくる。
「帰るか」
「そうね」
銃をホルスターに納めて、ヘルメットの止め紐を緩めたロックとバード。
踵を返して帰途に付くのだが、そこへ何かが走り込んできたのを二人とも気が付いた。速度としてはこれと言って見所など無いが、少なくとも殺気だけはあった。
──えっ?
一瞬だけ焦ったバードたが、振り返った時には目の前に若い男が走り込んできていた。手には黒ずんだ木刀を持っていて、上段から打ち込んで来ていた。瞬間的にサブ電脳がクロックアップし、一瞬にして世界がスローモーションになった。
──なっ! なにっ!
サブ電脳にある緊急回避アプリが自動起動し、複数の回避パターンをバードに提案してきた。その中にあってリスクが最も少なく反撃の余地が大きいパターンをバードは選択した。身体がテイクバックし、前方に大きな空間が開いた。
だが、走り込んできた男の踏み込みは深く、少々下がった程度ではかわせないのがわかった。自動回避は更にスウィーングを自動追加し、バードの上半身が大きく揺れて木刀の軌道を回避した。ただ、下半身部への一撃は回避できそうに無い。
――これは痛いかも
バードは無意識に痛覚カットを選択した。機能不全は避けられそうに無いが、少なくとも痛みに呻いて転がりまわる無様は晒さなくて済みそうだ。
しかし……
「じゃかぁしぃわ! ゴラァ!」
――あっ……
――ロックがキレた……
入力オーバーで少し割れた音になったロックの声。
バードの視界には、男の木刀よりも数段優速なロックの小刀が見えた。鞘から抜かず打撃力で打ち返す事を選択したロックの太刀筋だ。電光石火の一撃で木刀が払われた。
「何さらしてやがる! クソガキャ!」
いつもの事だが、ロックの太刀筋は早く鋭く迷いがない。太刀行きの速さと精確さはチーム一番で、そして、一撃で絶命させる技量を持っている。
「少尉!」
止めに入った谷口の制止を踏み越えロックは恐るべき速度で剣を打ち込んだ。走り込んできた男は防戦一方となり、最後には振り上げ方向の一撃を受けきれず吹き飛んで後方に倒れた。
「死にてぇなら今ここで殺してやる! さぁどうする!!」
完全にロックの迫力に飲み込まれた男は、庭の砂利の上でロックを見上げた。
「いっ…… 今のは! ……嘘だ!」
倒れている男は口をパクパクとさせながら、完全武装のロックを見上げていた。
その背中に谷口が手を添え後退を促した。
「今のは見なかった事にしておきます。公務執行妨害ですが、レプリ特措法の執行中ではあなたを手違いで殺めてしまっても正当防衛扱いになります」
谷口の冷静な言葉に、男は僅かに冷静さを取り戻したようにみえた。しかし、ロックがくるりと背を向けた瞬間に飛び起き、後方から襲い掛かってきた。
「ッセイャ!」
気迫を漲らせ剣を撃ち込んできた男は、勢いだけでなく剣の精確さも添えていた。ロックは咄嗟に振り返りその剣を裏拳で弾いた。
過去、何度も何度も拳を砕きつつ父親と練習した、ロックの家に伝わる剣術極意の一つ。無剣での払い技だった。
「そんなに死にてぇか!」
再びロックが一歩踏み出した。
その男は裏拳で弾いたロックの一撃に言葉を失っていたが、踏み出したロックの気迫に煽られて再び剣を構えた。使い込まれた木刀は部分的に凹んでいるが、それでも充分に固そうな素材のものだった。
「ッセイ!」
鋭い声を放って男は斬りかかった。木刀だけに斬れる事は無さそうだ。だが、その強烈な一撃を受ければ、サイボーグの機体がダメージを負うだろう。少し不安になったバードだが、一切回避しなかった。
「なんだなんだそれは!」
まるで小枝でも振り払うように木刀を弾き返したロックは、呆れたような調子でさらりと言った。
「面倒だが仕方ねぇ 少しだけ稽古をつけてやる」
――えっ?
あんぐりと口をあけたバードだが、ロックはゆっくりとヘルメットを取った。
その顔を見た男がズリズリと数歩下がって驚きの表情になる。
「手加減しねぇから殺す気で掛かって来い」
鞘から抜いていない小太刀を構えたロックはニヤリと笑った。
「お前のヘタレた剣じゃ死にそうにねぇけどな」
「……嘘だ ……嘘だろ」
「グズグズぶっこいてんじゃねぇ さっさとしろ! 虎轍!」
コテツと叫んだロックは僅かに腰を落とした。
「……兄貴は死んだ筈だ!」
「そうさ。死んだのさ。そんでよ、死神に追い返されて帰ってきた」
「そんなバカな!」
「こねぇならコッチから行くぜ?」
そう言うが早いか、ロックは地面がえぐれるほどの加速を見せて襲い掛かった。虎轍と呼ばれた男は必死に回避を試みるが、すべての面でロックの方が数段上だった。
「身体を開くな! 面で受けろ!」
腰を入れたロックの一撃で虎轍は一気に吹き飛ばされた。
ゴロゴロと地面を転がってから上半身を起こした虎轍は呆然とした表情だった。
「……本物かよ」
「俺意外にこれが出来るのはオヤジだけだろうが」
「オヤジもとっくに死んだ筈なのに……」
「その通りだ」
落としていた腰をスッと上げたロックは、小太刀を肩に乗せて笑った。
「親父は俺が斬った。金星にあった…… シリウスの基地の中でな」
ロックの一言に虎轍は凍り付いていた……