画餅
「お待たせしました」
非常線の張られた道場の周囲には、完全武装の突入班が待ち構えていた。
谷口の手配でやって来た、警視庁機動隊特捜班の突入チームだ。
――あの渋谷のビルに突入した……
だが、あの時と比べ大きく違うのは、その装備だ。
黒い衣服だけだった渋谷のビルの突入チームに比べ、恐ろしく重装備なのだ。
バードはふと、あの109ビルに突入した警視庁のチームを思い出した。
為す術無くすり潰された男達の無念が、このような形になったのかも知れない。
腕も足もモコモコに膨れあがった防弾装備に分厚いヘルメット。
各部にはリニアモーターの仕込まれた補助動力装置が組みこまれている。
生身ではあるが、まるでサイボーグの様な重装備と言える。
おそらくは、現時点でコレが生身の最強装備なのかも知れない。
「……驚きますね」
「実は、渋谷で色々ありまして」
「渋谷?」
「えぇ。テロリストがビルを占拠して、最後は爆破したんですが」
バードはロックと顔を見合わせた。
――彼らは知らないんだ!
ロックの顔にそう書いてある。
もちろんバードも驚きの表情だった。
だが、ここで口を割る訳には行かない。
任務は遂行され完了を見る事で意味をなす。
士官は任務の遂行のみを第一義として行動すべし。
その行動原則には些かのブレも無い。
「使いますか?」
谷口の手には二人分の特捜機動隊装備があった。
重武装だけで無く重装甲になる防護服だ。
そして、そこには『サイボーグ用』と書かれている。
「顔まで隠れるのは良いな」
受け取ったロックはその場で装備を調えた。
同じようにバードもプロテクター類を装着して行く。
「武装は?」
「自動小銃ですが……」
谷口が差し出したのは、国防軍も使っている76式と呼ばれるライフルだ。
海兵隊が使う一般向け自動小銃と構造的には一緒だが、各部の打刻が日本語だ。
「ちょっと重いな」
バードは僅かに考えて、使い慣れたYackにドラムマガジンを入れた。
ロックはロックで自動小銃を小脇に抱え、小刀を確かめた。
「二刀流?」
「そうだな。二振り持って行く」
「そうじゃなくて……」
僅かに笑ったバードは、笑みを浮かべてロックを見ていた。
「まぁいいさ。俺はバーディの背中を護る」
ニコリと笑ったロックはバードの後ろに立った。
バードは背中に気配を感じてロックに背中を預ける。
突入前の緊張とは違う不自然なこわばり。
だが、そのこわばりとは違う所で、バードはホッコリとしていた。
「早く終わらせてデートしようぜ」
「……うん」
二人の会話を気にも止めず、谷口は集まっていた突入班に細かい指示を出した。
『内部には最低でも1匹のレプリが居る。その他にも可能性がある……
聞くとは無しに谷口の説明を聞いていたバードは一つ確信した。
少なくとも彼らは無能では無い。ただ、渋谷の時は相手が悪かったのだ。
現実問題として、一時はBチームですらも手に余した敵集団と言える。
その連中に重武装で重防御とは言え、生身が勝てるとは思えない。
だからこそ、この重装備を開発したんだろう。
しかも、驚く程の短期間で……
『お手並み拝見だね』
『全くだな。よく見ておこう』
『お土産話なら、これで良いね』
『だな』
谷口の手が振られ、突入の仕度が調った。
ソレを見ていたロックはバードを促す。
突入したら、目指すのはただ一人だ。
あのレプリの兄貴なる人物を片付ける。
バードの目標に些かのブレも無い。
「気合い入れて行くぞ」
「もちろん! 後ろはお願いね」
「応さ!」
ロックの頬に手を添えたバード。
緊張の一瞬が近づいていた。
――――東京都 西多摩区
日本標準時間 6月28日 1400
「いけ!」
谷口が突入を指示した。
視界に浮かぶ時計が14時から5分ほど経過した時だった。
広い敷地に突入した瞬間、視界の隅に戦闘支援のマップが浮かび上がった。
――へぇ……
日本政府の法執行機関もなかなかだと驚くバード。
だが、敷地の中を進んでいった時、最初に出くわした女が問題だった。
「誰ですか!」
半ば悲鳴に近い声だった。
ただ、考える前にバードはその女を射殺していた。
視界いっぱいに赤い閃光が広がった錯覚を覚えたのだ。
『いまのも?』
『95%確証でインジケーターが出るから』
――疑わしきは罰せよ
レプリカントを処分する法の最も恐ろしい所はそこに尽きる。
人権侵害や誤認射殺の危険性を法曹界が散々指摘し、採決を阻止しようとする野党側の肉弾攻撃で負傷者が出たにもかかわらず強行された国民投票は、最終的に国民のコンセンサスとして『多少の犠牲も已む無し』を決定した。
夥しいテロや暗殺や様々な破壊工作を経験した国民が選んだ『力による平和』の推進は、結果として国内にいたシリウス派工作員や、協力的な議員や、武装闘争も辞さずという活動家を炙り出す結果に終ったのだった。
『まだ居そうだな』
『多分ね。酸化アルミ反応が凄い』
敷地の奥へと進むバード。
その後ろを征くロックは『右に行け!』とか『左に注意!』と声を掛ける。
巨大な道場が2カ所に、広い講堂が一つ。
集会場にもなりそうな体育館と、食堂だ。
『広いね』
『前より狭いな』
『ホントに?』
『あぁ、俺が覚えてる限りだが、水練池があった』
横に5人は並べる廊下を進んでいくと、真正面には真剣を翳した男が居た。
「何者だ! 不法侵入なら……
迷わずバードは射殺を選んだ。
白い血が壁や天井に飛び散り、ガクリと斃れたレプリが痙攣していた。
『どういう事?』
『なにが?』
『レプリ道場?』
『……なんでだろうな』
ロックも言葉が無い。
だが、現実にここには夥しいレプリが居る。
この連中を全部処分するのが差し当たっての重要任務だが……
『そこを右に曲がって……』
ロックの声が僅かに小さくなった。
そこは恐らくトラウマの根幹だとバードは直感した。
そして、その根源を絶つためにも、一切逡巡すること無くバードは突入した。
「キエェェェェイ!」
甲高い声を上げて剣士が斬りかかってきた。
バックステップで距離を取り、バードは迷わず1掃射を浴びせてやる。
高サイクルで高初速な13ミリの銃弾は、いとも容易く肉体を破壊した。
全身から白い血を噴き出してレプリが息絶えるのを見届け、前進を再開する。
『凄いね』
『あぁ、正直、予想以上だ』
ロックまでもが驚きを隠せない状況だ。
敷地内の戦闘マップには制圧済みを示すゾーンが広がりつつある。
各所から短い連射音が聞こえ、時々は断末魔の声が聞こえた。
『ドンだけ居るんだ?』
呆れたような声を漏らしたロック。
自分の実家がレプリの巣である事に、暗澹たる気分が浮かび上がってくる。
ただ、戦闘中であるからして、フテ腐っている暇は無い。
もちろん、邪魔をするつもりもない。
『バーディ こんな時に言うのもどうかと思うが』
『……なに?』
何も言わなくてもバードだってわかっている。
ロックが何を言わんとしているのか。
身を切るように辛い言葉を分かっている。
ただ、大人はそれを言葉にする義務を背負っている。
自分の下した決断に責任を取らねばならない。
それが大人のルールだ。
あとからガタガタ言わない。
それを出来ない子供な大人は、最終的に社会からパージされる……
『俺は多分オフクロも兄弟も認識できねぇ』
『……だよね』
『年増の女が出てきても一切迷うなよ』
『……いいの?』
『あぁ。それが任務だ』
『でもっ!』
立ち止まったバードは振り返ることこそしなかったものの……
『それで良いの?』
『もちろんだ』
『だって……』
『こんだけレプリが居るんだ。丸め込まれたか背乗りされてる可能性がある』
古来より日本で問題になってきた戸籍乗っ取りの手法は、この時代でも有効だ。
ターゲットを完全に抹殺し、同じ姿かたちの人間として工作員を送り込む。
戸籍に人相画像が添付される時代だが、コピーを容易に行なえる時代なのだ。
『おふくろも兄弟もレプリに置き換わってるなら、遠慮する事はねぇ』
『……わかった。たださ、万が一ロックのお母さんが・……』
言葉を言い澱んだバードは『察して』と願った。
『……その時は、俺がこの手で斬る』
『えっ?』
『オヤジもこの手に掛けたんだ。大してかわらねぇさ』
さらりと言い放ったロック。
ただ、その声は僅かに震えていた。
『身内じゃなきゃ出来ねぇ事がある。他人じゃ出来ねぇ事もあるってこった』
『ロック……』
『集中しようぜ』
『……ウン』
気を取り直して前進を再開したバード。
その無線の中に谷口の声が響いた。
――バード少尉 西側突入チームは所定侵攻点に到達した
『バード了解。こっちも前進を再開する』
――ロック少尉 無理をしないでください
『心配すんなって。俺もガキじゃねぇさ』
――ですが……
『前進を再開する! 以上! 交信終了!』
一方的に話を断ち切ったロックは、バードの背をポンと叩いた。
『俺だって覚悟は出来ている。もう反抗期も終ったさ』
ふと振り返ったバード。
顔が半分でているロックは、男らしい笑みを浮かべていた。
『どうせ修羅の道だ。精一杯生きてやる』
ウンと首肯したバードは前進を再開する。
ただ、胸の奥のどこかが痛い。それは医療やセラピーなどでは癒せない痛みだ。
与えられた役目を真っ当するだけだと、どれ程自分に言い聞かせても……
――私は機械じゃない!
と、心が上げる悲鳴なのかも知れない。
この身体に血は通ってなくとも。
自らの意思を果たす全ての肉体が機械だったとしても。
――私は人間だ!
そう、強く思っていないと流されてしまう。
『バーディ』
『なに?』
『余計な事は考えなくて良いぜ』
何て返答しようか迷い、バードはただ黙って頷く。
その間にも状況は進行し、バードはロックの道案内で広い道場へ出た。
室内に一歩入り辺りを見回すふたりは、夥しい数の門下生から視線を浴びた。
「何者だ!」
誰かが叫んだ。
バードの視界に写るその男には、見事な[+]マークが浮かんでいた。
考える前に1掃射を入れたバード。男は白い血を撒き散らして倒れた。
「アッ!」
誰かが叫んだ。
そして、居並んでいた門下生の内の何人かが襲い掛かってきた。
――ダメか……
何とか穏便に済ませたかったのだが、それは無理だと知った。
少なくとも6人が同時に襲い掛かってきている。
そして、その向こうには少なくとも3人が木刀を構えていた。
――木刀で戦う気なの?
さすがに息を呑んだバード。
ただ、身体の方が無意識に射撃を続けている状態だった。
――無茶ね……
襲い掛かってきた6匹のレプリ全てを瞬殺し、後方を見たバード。
勝てないと悟ったレプリたちは、立ち上がって逃げ出そうとした。
「無駄よ」
容赦なく後方から掃射を浴びせ、次々とレプリが死んでいく。
その動きはまるで死神そのものだった。
――嫌な…… 眼差し……
レプリ特措法によりレプリを抹殺する事は国民の合意事項だ。
だが、同じ門下生にレプリが混じっていた衝撃は計り知れない。
レプリではない門下生たちの感情が一時的に麻痺している。
そして、恨みがましい目でバードを見ていた。
「助けてくれ!」
人ごみの中に紛れ込んでいたあの男が出てきた。
ホテルフンタバーサーから追跡してきた、あの男だ。
バードの前に姿を現したレプリの男は、跪いて命乞いを始めた。
「こんな所で死にたくないんだ!」
「……名前は?」
バードは自らの流儀に乗っ取って名前を聞いた。
跪いていた男は精一杯顔を引きつらせた。
「タクヤと言うのは、あなたの弟なの?」
「……そうか。タクヤが……」
言葉に詰まってガックリとうなだれたレプリ。
その姿を見ていた10名程度の門下生をバードはスキャンした。
幸いにしてレプリ反応は無い。だが、紛れ込んでいる危険性は否定出来ない。
「私はこれが仕事だから。もう一度聞くけど、名前は?」
「……シンヤ」
「そう……」
いつもの様に自らの左腕へ名前を書き込んだバード。
その光景を不思議そうに眺めていたレプリは小さく溜息をこぼす。
「もう少し生きたかった」
「なぜ?」
「帰って、ここの技を皆へ伝えたかった」
「そうなんだ」
「生きた証を残したかった……」
何処までも透き通った眼差しでバードを見上げたシンヤ
表情の上半分が隠れているバードだが、口元だけは見えている。
「次は人に産まれなさい」
「出来るのか?」
「私も知らないわ」
冷たく突き放したバードの言葉に『クソッ!』と悪態を吐いたシンヤ。
跪くシンヤがもう一度見上げたバードは、困ったような笑みだった。
「それに、人に生まれたって、その人生をまっとう出来るとは限らないのよ?」
「なんだと?」
「私の様に人間を辞めるケースも有るからね」
「……ブレードランナーはサイボーグだからか?」
「ま、そう言うこと」
口元に笑みを湛えたバード。
シンヤの表情から生への希望が消え去った。
「あなたの方がよほど人間らしかったわ」
「……そうか」
どこか満足そうな表情になったシンヤ。
だが、次の瞬間にはバードの銃がはなった銃弾を受け、脳漿を撒き散らした。
「人殺し!」
いきなり道場の中に響いた声。
それなりに歳の行った女性の声だ。
バードは無意識にその声の主を探した。
そして、道場の通用口に立つ女性を見つけた。
「お前は! 血も涙もない政府の犬だ!」
女性の隣に立っていた若い男は、手にしていた木刀を投げつけてきた。
余りに単純な軌道だったので、難なくバードはそれを払い落とす。
視界の中にインジケーターは浮かんでいない。
レプリではないと判断したバードは銃をホルスターへとしまった。
「なんで? なんで命乞いしている無抵抗の者を撃てるの?」
「……仕事ですから」
「殺さなくたって、話し合えば分かるじゃないの!」
虚を突かれた様に一瞬真っ白になったバード。
周りが見ているバードの口元から、表情らしい動きが消えた。
――だって……
いきなり沸き起こった忸怩たる感情がバードの心を埋め尽くした。
何処まで行っても分かり合えない存在である筈だ。
過去何度もそれを経験しているバードは悔しさに震えた。
「あなたたちが敵視するから彼らは抵抗するのよ!」
「……はぁ?」
口をポカンと開けて驚いたバード。
悔しさも怒りも一瞬にして消し飛んだ。
「何で共存しようとしないの! 言葉が通じれば理解しあえるのよ!」
まるで雷に打たれたように立ち尽くしたバード。
なんと言って良いのか分からず、ただただ立ち尽くした。
理屈や感情ではなく、本質的な部分で一つ理解した。
――この人とは絶対分かり合えない……
話し合えば分かると主張する話の通じない人々に、バードは初めて出会った。