兄と弟
雨の降り続く新宿郊外。
大粒の雨は移動用ビークルのフロントスクリーンを叩き続ける。
林立するビルの熱交換機に当たった雨は瞬く間に蒸発していた。
スティームに姿を変えた雨は空中を漂い、文字通り霧散していく。
「雨も風流ね」
「そうか?」
「地上でしか見られないし」
「それも、地球の地上な」
取り留めの無いトークを続けるバードとロック。
水はけの悪い市街路には雑多な人種が入り混じり、独特の景観を作っている。
貧困移民は21世紀初頭から新宿郊外にスラムを作り始めていた。
そして、出来上がったそのスラムは暴力と犯罪の温床となっていた。
まるで都市と言う生き物を蝕む癌細胞のように。
――――東京 新宿郊外 貧困移民対策地区
日本標準時間 6月28日 0200
「ホテル…… フンタバーサー」
スラムのど真ん中にある建物の近くでバードは車を降りた。
独特のフォントで書かれたホテルの看板は、随分と色褪せくたびれていた。
「……どういう意味だ?」
「分からない。言語検索掛けたけど該当無しね」
車を降りたロックと谷口も建物を見上げている。
相変わらず降り続く雨の中、古ぼけたホテルは煙る街並みに溶け込んでいた。
近くのコインパーキングへ車を処分しに行った谷口は傘を差し出した。
「今度こそ使いますね」
「いや、先に建物へ入ろう」
差し出した傘の柄を受け取らず、ロックは足早にホテルへと入っていった。
谷口は苦虫を噛み潰したような顔になってその後を続く。
その背中を見ていたバードは一歩踏み出そうとして足を止めた。
根拠など無いが、それでも確信した。
――視線がある……
五感以外の部分を掌るセンサーなど、サイボーグは持っていないはずだ。
だが、直感として感じたモノは、理屈では説明つかない生理的な気持ち悪さだ。
ジットリと嘗め回すような、身体中の全てを触られるような気持ち悪さ。
それは、明確な悪意。言い換えれば、敵意。
――何処?
赤外モードに視界を切り替え、グルリと辺りを確かめたバード。
雨に叩かれる街並みの中に赤外反応を示すモノは無かった。
「…………………………」
無言で唸ったバードは、なんとなく居心地の悪さを感じた。
そして、辺りを警戒したまま、足早に建物へ入っていった。
「……いらっしゃい」
でっぷりと太ったカウンターの主は、露骨に嫌な顔をしていた。
男女混合3人組を見るなり、何か良からぬ想像をしたのかも知れない。
「……好き者向けの撮影なら余所でやってくれ。面倒はお断りだ」
「いや、そうじゃない」
懐に手を入れて薄笑いで接近する谷口に、主は一瞬だけ身構えた。
僅かに動いたその右手が何かを掴み、バードは腰裏に持っていた拳銃を握る。
反応速度なら負ける気はしないし、ひと思いに射殺しても面倒は無い。
ふと、この宿は地球に入り込んだレプリの巣かも知れないとバードは考えた。
現状では可能性敵に高くは無いが、全ての危険性を考慮するのも仕事のウチだ。
「……警視庁特別捜査班の谷口だ」
警察手帳を見せて自己紹介した谷口。
――え?
――国防軍じゃ無いの?
バードは横目でロックと視線を交わした。
ロックも違和感を覚えたらしく、目で何かを語っている。
だが、谷口はロックとバードに構うこと無く、処分したレプリの写真を出した。
「この男を捜している。重要参考人だ」
一瞬だけ眉根を寄せた店主は小声で『325号室』と言い、その後に『今夜はまだ帰ってきていない』とつけ沿えた。
「この男は帰ってこない。色々と有ってな。それより部屋を見せて欲しい」
「……令状なしでか?」
令状と言う言葉にバードはグッと身構えた。
だが、谷口は薄笑いのまま警察手帳の中身を見せた。
「悪いな。実は国防軍の特捜でもあるんだ」
警察手帳の中に書かれた特捜警察の文字に店主は顔色を変える。
「……レプリか?」
「そうだ」
「自由に見てくれ。もうひとり部屋に入っているが、この2週間帰ってない」
「ありがとう。協力に感謝する」
月並みな言葉を吐いた谷口だが、店主は大きく溜息を吐いた。
その息が妙に生臭くて、バードは僅かに表情を変えた。
異臭とは言わないが、それでも酷い臭いだった。
「また部屋代を踏み倒された……」
「……また?」
「あぁ」
店主は台帳を取り出した。
宿帳に書かれたスケジュールでは、既に10室以上が踏み倒された計算だった。
「ウチは長期下宿専門だが、そろそろ店じまいだな」
「そいつは大変だな」
「全くだよ。政府の旦那がたにゃ分からねぇだろうけどよ」
遠回しな嫌味に谷口は苦笑で応えた。
そして、ポケットから幾ばくかの紙幣を取りだし、店主へ差し出した。
「政府からのお見舞い金だ。少ないけど取っといてくれ」
谷口の差し出した紙幣を無表情で受け取った店主。
僅かに頭を下げ、溜息をこぼしつつ奥へと引き込んで行く。
ややあって事務所の奥から荒れ狂ったようにモノを投げる音が聞こえた。
バードはロックと顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべた。
「さて……」
「いくか」
階段を選んで325号室へと向かった三人。
オートロックのドアを開けた谷口は、遠慮すること無く最初に入っていった。
――トラップの可能性は?
――中でいきなり撃たれるかもよ?
――不用心にも程が……
アレコレと考えたバードだが、ふと『あそっか』と腑に落ちた。
ここは日本で、しかも市街地だ。戦地では無いし、CQB中でも無い。
「……無人ですね」
谷口の言葉に促されロックはバードより先に部屋へ入った。
懐に収めてあった短刀を握りしめてだ。
長期滞在向け宿だけあって、ベッドルームの他に簡単なキッチンと居間がある。
鏡台の引き出しを開けたバードは、丁寧に折りたたまれた衣類を見た。
「随分几帳面ね」
「あぁ。ある意味病的だな」
シャワールームを見ていたロックも相槌を打った。
洗面台の周りに並んでいる洗顔料などのボトルは、全部ラベルが正面向きだ。
壁に掛けられたタオルは全て丈と柄が同じ方向に揃えられている。
「隅々まで気が回ってるね」
「敵に回すと厄介なタイプだな」
居間に当たるテーブル周りを見ていたバードはいくつかの文庫本を見つけた。
小さな本立てにはカバーを外された、シンプルな柄の本が並んでいる。
そのどれもが伝記物的な人物の人生を語っている物だった。
「……レプリにありがちだわ」
ボソリと呟いたバード。
その声に促されロックが浴室から出てきた。
「何か在ったか?」
「これよ。これ」
バードが指さした先。並んでいる文庫本をロックも眺めた。
「……他人の人生を読んでどうすんだ?」
「自らのバックボーンを作るの。不安定なレプリにありがちよ」
「不安定?」
「そう。疑似的な幼少時代の記憶を受け付けられてるケースが多いけど」
並んでいる本の中から一冊とりだしたバードは、適当にページを捲った。
実在した人物がどんな人生を辿ったのかと詳細に書かれていた。
「成長促進剤で身体は3年もあれば出来上がるけど、人生の経験は無いでしょ」
バードの言葉に肩を竦めたロックは天井を見上げた。
失敗した経験。悔しい経験。泣いた経験。やるせなさに震えた経験。
そういうマイナス側の経験を積み重ねて人は成長するものだ。
嬉しい記憶や楽しかった記憶だけでは人も成長しないのだった。
「……自分に足りない経験を他人の人生で補うのか」
「そう言う事。悔しい思いや悲しい思いを他人の人生で積み重ねるの」
「しかし、なんでまたそんな事」
「人間らしい反応を得る為よ。苦労して悲しんだ分だけ人は優しくなるから」
バードの言葉にロックは何かを察した。
感情の起伏が乏しい人間は、何故か人生経験も乏しいものだ。
逆に言えば、厳しい環境で鍛えられた人間は、人格の厚みが違うのだ。
「他人の感状に共感出来るほどレプリって高性能か?」
「その質問に答えは無いわよ」
「なんで?」
「人間だってレプリ以下が沢山居るじゃ無い」
「……なるほどな」
バードの言葉にロックは失笑する。
言われてみればその通りだ。
そもそも、社会常識として禁忌とされる事を平気で踏み越えるのも人間だ。
人の物を盗み、壊し、命まで取り、殺人を犯す。他人の心の痛みや悲しみに共感出来ない精神的な不完全さは、誰しもが持っているものだ。
「イワさん トリさん」
谷口の言葉に一瞬反応の送れた二人だが、同時に『なに?』と顔を向けた。
その仕草が面白すぎて笑いを堪えきれなかった谷口は『プッ』と吹きだした。
「いま、店主にアレコレ聞いてきたんですが」
谷口は手帖のページを捲って説明を始める。
「まず、ここには二人組の男が投宿していたそうです。片方が学生。片方はフリーターだと名乗ったようですね。学生の方は先ほど処分したアレです」
バードの眉がぴくりと動いた。
なにかを感じたのだが、その結論は直ぐには出なかった。
「もう片割れは、基本的にはここには返ってきていません。ただし、先ほどの例のレプリが定期的に洗濯物を持ってきて、ここのランドリーで洗濯していた様です」
洗濯物という生活感ある言葉にバードは首を傾げる。
「何していたんだろう?」
「店主が言うには、やたらと汗臭い物があったそうです。鼻が曲がるほどに」
谷口の説明にロックとバードが顔を見合わせた。
あの妙に臭い店主が『臭い』というのだから、どれ程だと興味を持つ。
ただ、ソレを調べろと言われるのは嫌だなとも思うのだ。
「そして、その洗濯物を持ってくるレプリは兄だと言ったそうです」
「……兄ねぇ」
「弟はここに滞在していて洗濯する係って事ね」
谷口は大袈裟に首肯して応えた。
例のレプリは弟と言う事に成る。
「例のレプリ曰く、肉体労働系だという話ですが……」
顔を上げた谷口は小さく溜息を吐いた。
明確に『ウソ』だと思ったからだ。
バードはもう一度引き出しを開けた。
そう言われてみれば、そこに納められた衣類にフォーマルな物が一つも無い。
土方などの激しく身体を使う現場で丈夫の着られる衣類ばかりだ。
「……なんだそれ」
ロックは引き出しの奥を指さした。
その指を辿ったバードは、そこに不思議な衣類が入っているのを見つけた。
「なんだろう、これ」
「……袴だな」
「ハカマ?」
「剣道や弓道に使う戦闘衣装だ」
「……弓とか飛び道具は面倒ね」
露骨に嫌な顔をしたバードは丁寧に衣類を戻して引き出しを締めた。
同じタイミングで1階フロントのドアが、不機嫌な音を撒き散らして開いた。
「……お帰り。今日は帰ってきたのかい?」
「えぇ。弟が来なかった物ですから」
「そうか。部屋は掃除しておいた」
「ありがとうございます」
明らかに店主が時間稼ぎしていると直感したバード。
同じタイミングでロックは向かいの部屋のドアを開けた。
幸いにして空室だった。
――危ないなぁ……
人が入っていれば悲鳴の一つも上がっていたかも知れない。
ただ、それに抗議している時間は無い。
バードはロックに手を引かれて部屋へと入った。
部屋のど真ん中に大きなベッドがある、ワンルームのものだった。
ロックはバードを部屋へ引き込むと、奥へ押し込んだ。
――え?
一瞬だけドキリとしたバード。
だが、ロックは谷口を部屋へ押し込むと、そっとドアを閉めて聞き耳を立てた。
エレベーターの音が響き、ややあって向かいの部屋のドアが開いた。
バードは必死で部屋の中の振る舞いを確かめた。足跡は残していないはずだ。
――何故今夜帰ってきた?
――弟が来なかった?
――待ち合わせしていたのか?
様々な事をグルグルと考えたバード。
だが、ややあって向かいの部屋のドアが閉まり、ガチャリと鍵の音がした。
――うーん
今すぐにでも部屋へ飛び込みたい衝動に駆られたバード。
だが、そんなバードの肩をロックが抱き寄せていた。
「泣いてねぇか?」
「泣いてないよ?」
「バーディじゃねぇって」
ロックはアゴを振り、向かいの部屋に入ったレプリらしき男に注意を向けた。
バードは意味を理解し、音に注意を向けた。確かにすすり泣く声が聞こえる。
「レプリも泣けるのね」
「あぁ」
新鮮な驚きに震えるバード。
ややあって谷口が『手続きしてきます』と部屋を静かに出て行った。
「あいつを尾行しようぜ」
「そうね」
ソファー兼用のベッドに腰を下ろしたバード。ロックがその隣に座った。
ふたりして壁をジッと見つめ、向かいの部屋に居るはずの男を想っていた。