日常という名の極限環境
――――月面 キャンプアームストロング 士官サロン
地球標準時間 6月24日 2100
「フゥ……」
深い溜息を吐いてソファーに沈んだバード。
脳の奥からキリキリとした痛みを感じ、目を閉じて全ての思考を止めていた。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
バードの向かいに座ったジョンソンは心配そうにバードを覗き込んだ。
そんなジョンソンに右手を挙げ、『大丈夫』を意思表示したバード。
しかし、現実には洒落にならない疲労感が押し寄せてきている。
「2週間連続でシェルトレーニングはハード過ぎ」
「……確かに」
仮にも大尉であるジョンソンの前だ。
任官配属から半年を経過して一人前扱いされているとは言え、バードまだ少尉なのだから、余りだらしない格好をするのは憚られる。だが、現状ではバードの神経が限界に達していて思うように動いてくれない。
6月8日に金星での戦闘を終えたBチームだが、月面へ帰ってから始まったエディ直率による激しい訓練は、南の島への降下を挟んで引き続き続けられているのだった。文字通り、休む間も無く……だ。
「南の島にバカンスに行った程度だものな」
「なんだかもう随分昔の出来事みたいね」
「全くだな」
力無く笑ったジョンソンも、遠くを見て笑った。
月面へ帰ってきて、再び休むこと無く訓練を再開したBチーム。
メンバーはもう本当に限界まで来ていた。
「俺たちは肉体的苦痛も疲労も関係無いからな」
「その分余計に脳が疲れるんだけどね」
「あぁ。ソレは同感だ」
溜息混じりに座り直したジョンソン。
よっこらせと掛け声を呟いて上半身を起こしたバードは胡乱な目で上官を見た。
「改めて思うんだけど」
「……ん?」
「隊長って本当に凄い」
「……あぁ」
ジョンソンは薄くニヤリと笑ったままバードを見ていた。
「実は隊長もエディに相当鍛えられたそうだぜ。それこそ、シリウス太陽系の宇宙で機体がバラバラになるような激しい訓練を積み重ねたらしい」
信じられないと言わんばかりの表情で呟いたジョンソン。
バードも同じように『うへぇ』の表情だ。
「ただ、その甲斐あって例のシリウスのピエロ連中と互角にやり合える腕前に育ったって事だ」
「あのシリウスのシェルライダー。尋常じゃ無いよ」
「見たのか?」
「あとから映像見せて貰ったけど」
肩をすぼめたバードは自嘲気味に笑った。
「どうやったあんな動きが出来るのか、皆目見当が付かない」
「俺もさ。最初はどう操作するのかすら思い浮かばなかった」
「アリョーシャに聞いたんだけど、向こうは手動操作なんだって」
「そうらしいな。俺たちのように神経接続では無いそうだ」
驚きの表情を通り越して魔法でも見るかのような顔になったバード。
ジョンソンはコーヒーを一杯すすると溜息混じりに愚痴を吐いた。
「なんでそんな連中とやり合わなきゃならねぇんだろうな」
ぽつりと漏らしたジョンソンの一言。
バードは驚きの眼差しでそれを見ていた。
「どうした?」
「……ジョンソンの愚痴って滅多に聞けないなぁって」
「当たり前だ。俺たちは士官だ。その士官が迂闊な事を言えば……」
肩をすぼめたジョンソンは、士官サロンの片隅で談笑に加わっている名も知らぬ高級下士官の方をチラリと見て、そして再びバードに微笑みかけた。
「俺たちが愚痴を言えばあいつ等は原因を探す。そして下のモンが……」
「とばっちりを受けるってことね」
「そう言う事だ。だから気を使わなきゃならねぇのさ」
力無く笑ったバード。
そんな姿をジョンソンも笑いながら見ていた。
「一番下の連中が理不尽な扱いされないようにな」
「士官は常に配慮しろって教えられたのを思い出した」
「俺たちも損な役回りさ」
「……うん」
軍隊と言う絶対的な上下関係に縛られる組織では、上の者の不平不満が下に居る者達のストレスになる。上手く回らないと愚痴をこぼせば、それだけで下士官は余計なストレスを抱え、上官の不満の原因を探らねばならない。
その根源が兵卒にあるなら、下士官はそれを指導し、改善し、時にはペラルティを与えて改善を図る。ただ、その恨みは下士官が被ることになるのだが……
「現実問題として俺たちしかやり合えない。だから俺たちが飛ぶ」
「互角とは言いがたいけどね」
「だから互角に持ち込めるように成長しなきゃならねぇって事だ」
「……好きでこうなった訳じゃ無いのにね」
「まだどっか悔しいか?」
嗾けるようなジョンソンの口ぶりだが、バードは素早く首を左右へ振って否定の意思を示した。言いたい事はよくわかるし、自分自身がそれで随分と振り回されたのだから、まだ尾を引いていると思われても仕方が無い。
「悔しいとかそう言う感情はもう無いけどさ」
「じゃぁ、何があるんだ?」
「何で自分が?って。サイボーグになって宇宙でこんな事してるんだろう?って」
「随分哲学的だな」
「だけどさ、他の誰でも無い自分が……よ?」
「運命さ。そこは諦めろ」
「もう充分諦めてるけど…… なんて言うのかな」
首を傾げて考え込む仕草のバード。
だが、その直後に右手を眉間へ当てて頭を振っている。
「あー 頭痛い」
「一時的な過労だな」
「たぶんね。神経回路の一時的な機能麻痺って診断されたし」
「こんな時は寝るに限るぞ」
「……そうだね」
「ビタミンとタンパク質を多めに摂って寝ると良い」
「そうなの?」
「リアクターがなんとかしてくれるさ」
冗談めかした口調で言ったジョンソン。
実際の所はどうなっているのか知らないし、教育されたとて理解しきれるものでも無い。サイボーグの身体に備えられた様々な機能の内、実際にそのメカニズムをキチンと理解している部分など数えるほどしか無い。
このパーツはこの機能。そうやって個別に役目を覚えるのが精一杯で、それぞれの作動原理など聞いたソバから忘れていくレベルだ。
「隊長がずっと言ってるだろ?」
「……先手先手。後の先手。そして先を読む」
「そうさ。つまり、俺たちの身体に付いてるパーツが頑張る前に手当てするのさ」
「今日のジョンソンは皮肉混じりじゃ無いのね」
「疲れ切ったファミリーに皮肉を言うほど野暮じゃねぇってこった」
悪戯っぽい顔になったジョンソンはベロを出して笑った。
ただ、ファミリーと漏らした一言に、バードの胸は一杯になった。
「皮肉を聞きてぇって言うなら話は別だけどな」
悪い顔になってニヤリと笑いボソリと漏らしたジョンソンは、ソファーから立ち上がると右手を挙げて士官サロンから出て行った。その後ろ姿を見送った後、バードは再び目を閉じて今日のトレーニングを思い出していた。テッド隊長がそれこそ繰り返し繰り返し言うのは、とにかく先を読んで動けと言う事だ。
――地上での戦闘を思い出せ
無線の中に流れた隊長はそこから切り出した。
――目の前に銃を持った奴が居たら、1秒を三つに別けて使うだろ?
銃を持った敵と対峙するには3種類のアクションを同時に開始しなければならない。そしてまず、最初のコンマ3秒が終了するまでに回避のためのモーションを起こす。次のコンマ3秒が経過するまでに敵の銃の射線を読み切り身体をかわす。そして残った時間で反撃のための動きをする。言葉にすれば簡単だが、それでも中々出来る事では無かった。
だが、今のバードは無意識レベルでそれが出来る。3種類のアクションを同時にスタートさせ1秒未満で完了出来る。1分1秒の時間という目に見えないスケールを分割して動く事が出来るのだ。
――俺たちは毎秒34キロで飛んでいる。つまり、コンマ3秒で10キロだ。
隊長のレクチャーをバードは本質的な部分で理解していた。後はそれを実行するだけだ。次の10キロを飛ぶまでにアクションを完了しておかねばならない。
超高速で飛ぶシェルは傍目に見れば恐ろしい機動力を持つ兵器だが、中に居るパイロットにしてみればフライト操作に対しての反応が恐ろし程に遅く鈍い。それを考慮に入れて先手先手を取り機体を操作しなければ、パイロットが向かう先は母艦でも敵でも無く死への最短手となる。
――自分のフラワーラインを常に大きく取れ。そして敵のソレを削れ
ふと、バードはその戦いを囲碁や将棋と言ったボードゲームに感じた。
敵の次の一手を読み、その動きが完了する前に対応を完了させておく。
そうすれば敵の一手の選択肢はドンドン狭まっていく。
そして、迎える最後は自滅だ。
テッド隊長の戦い方はまさしくそれだった。
そして、テッド隊長以上にエディ少将はきつい手を打ってくる。
正直、えげつ無いほどに陰湿な手を打つ事もある。
だがそれは必要な事で、自分が生き残るだけで無く期待されている『結果』を得るための必要な振る舞いだ。軍人は結果だけを求められているのだから。
「次の一手を封じろ……か」
ボソリと呟いたバード。
ふと人の気配を感じ目を開けると、目の前にロックが立っていた。
「面倒な事をやらされてるよな」
「……まったくね」
唐突に現れたロックの存在をどう処理して良いかわからずはにかんだバード。
そんなつかみ所の無い笑顔だが、ロックはなんとなくバードの内心を理解した。
「座って良いか?」
「隣なら良いよ」
身体半分座る位置を動かしたバードはロックに席を空けた。
その隣へと腰を下ろした形のロック。バードとの隙間は極小だ。
「周りの目が痛い?」
「俺は気にしないけどな」
「だけど……」
悪戯っぽい笑みになったバードが目をやった先には、不機嫌そうなライアンが立っていた。思わず噴き出したロック。バードは全部承知でこれをやったのだ。
「あーッ! クソッ! 見せつけやがって!」
「ライアンが妬いてる妬いてる!」
「妬いてねぇ!」
お嬢様っぽい部分があってお淑やかだと思っていたバードだが、実際は結構底意地が悪いんだとロックは気が付いていた。ただ、それは他意や悪意や精神的に仄暗い部分の発露と言う事では無く、純粋に悪戯が好きと言う事だ。
そしてソレはロックにも同じような部分があるが、要するに、子供時代にそれが出来なかった故の精神的な幼さを引きずっている証拠でもあった。つまり、バードもまた複雑な出自を抱えているし、ソレを全部飲み込んだ上で威厳ある士官を演じているのだと、そう思っていた。
「悪い悪い。ホントに悪意は無いんだよ」
「ホントか?」
「マジだって」
ロックとライアンの気安い会話。バードはそこまで含みでそれをやった。
そして、ハッと気が付いた。先を読む事の重要さを……だ。
「あっ……」
不意に無表情になったロック。
バードもライアンもジッとロックを見た。
「今なんか掴んだな」
「掴んだって何を?」
「先を読むって事さ」
右手で自分の口を隠すようにしてロックは何かを一気に考え始めた。まだ形になっていない思考の集積体でしか無いが、これを形に出来れば一気に上達する。そう確信していた。
その仕草を見てたバードは、ロックの振る舞いがまんまテッド隊長なのに気が付いて微笑んだ。自分にとってテッド隊長が父親であるように、ロックにとってもテッド隊長は父親なのだと気が付いた。
「……まぁいいさ。ところで」
話を切り替えたライアンは酷く真面目な顔になった。
「明日辺り、ピンボール計画の終了宣言が出そうだぜ」
「マジかよ」
「あぁ。もの凄い勢いで機密通信が飛び交っている」
両手を広げたライアンはウンザリ気味で肩をすぼめた。
「その後が問題だ」
「後って言うと?」
首を傾げながら話の続きを催促したバード。
ライアンはバードをビシッと指さして前のめりの姿勢になった。
「多分だけど、派手にレプリ狩りを行うと思う。ついでにシリウス派もな」
ウヘェと声を漏らすようにシートバックへ身体を預けたバード。
ロックもその隣で渋い表情になった。
してやったりと言わんばかりなライアンだが、やはり表情は冴えない。
「なんか聞いてるだけで気が滅入ってきた」
心底ウンザリっぽいバードは溜息混じりにそう言葉を漏らすと、おもむろにソファーから立ち上がった。
「どうした?」
「疲れたから寝る。おやすみ」
手を振ってその場を後にしたバード。
その後ろを護るようにロックが付いた。
「どうしたの?」
「部屋まで送る」
「……部屋?」
「あぁ」
肩を抱くようにして歩いたロック。
その後ろ姿を見ながら、ライアンは『勝てそうにない』と苦笑いだった。




