地獄に一番近い島へ
「イタッ!」
どこまでも透明な波の打ち寄せる静かな浜辺にバードの声が響く。
真っ青な空からは、焼け付くような太陽の光が燦々と降り注いでいた。
「大丈夫かバーディー!」
「やっぱ蛇だって女の方が良いんだな!」
「アッハッハ!」
Bチームの面々は遠慮することなく一斉に笑う。
そんな中、バードはどこか不安そうな顔で自分の左手首を見た。
漆黒の鱗を持つ細いヘビが一匹、彼女の細い手首に噛み付いていた。
鋭い牙を深く深く突き刺して。
――――南太平洋 ソロモン諸島東部 サンタクルス諸島群
現地時間 6月17日 1300
やり場所のない苛立ちにイラッとしたバードは、力任せにヘビの身体を引っ張って捨てた。
手首に牙を残したまま蛇の胴体はあえなく引きちぎられ、鮮血をまき散らして砂浜に落ちた。だが、その胴体はまだウネウネと動いている。
「なんで蛇って自分の毒で死なないんだろう……」
ぼそりと呟いたバードは手首に突き刺さったままの牙を引き抜き、ポイズンリムーバーを使って人工皮膚の下層部にまで達した毒を吸い出す。
サイボーグには全く問題ないのだが、指先などに傷を作っているメンテナンスのスタッフがいると、そこに毒が染みこんでえらい事になるからだ。
――このまま死んだ方が楽かな……
ふと、バードはそんな事を思った。
焼けた浜辺に落ちた蛇の死体は、ややあって動きを止め死んでいった。
羨ましそうに見ていたバードたが、それに気が付いたドリーはヘビを捕まえては大きな袋に押し込みつつ声を掛けた。
「ヘビ毒は大きく分けて四種類だが、要するに消化分解酵素だからな」
「……そうなんだ」
どこか余所余所しい態度のバードは呟くように答えた。
自分の内側へ落っこち掛けていが、大人は自分で這い上がらなければならない。
いつぞやロックがエディに言われたように、転んでも良いから、自分で立ち上がらなけれはならないのだ。
「酵素って事は……」
「そう。本人には全く影響がねぇってこったね」
エヘヘと笑ったドリーは、バードの姿に溜息混じりの息を吐いた。
前日の早朝、テッド隊長を含めたBチームの12人は、珊瑚海を望むこの小さな島にエアボーンで降り立った。
国連政府の中にある機関のひとつが公式ルートを使って海兵隊に依頼してきたのは、シリウスの地上工作員達が様々なテロの準備用に使っていた、小さな島の『安全確保』だった。
「うっかり自分の舌を噛んでも大丈夫なんだ」
「そうだな。自分でコロリって事は無いって寸法だな」
「……卑怯だよね。そんなの」
「まぁ、それも進化の神秘って奴さ」
溜息混じりの息を吐いたバードは、俯いて作業を再開した。
まだ薄暗いウチにこの作業を始めたのだが、作業は一向に終わる気配が無い。
「捕まえても捕まえてもキリがねぇな」
「全くだな。なんでこいつ等こんなに大増殖したんだ?」
ジャクソンとライアンは本気でぼやきつつ、ヘビを捕まえては袋へつっこみ、錘を付けて海辺へ投げていた。
当初は小規模ながらも派手なドンパチな筈だった。
だが、島を武力制圧する海兵隊らしい仕事は、前日のわずかな時間だけだった。
今はひたすら、島の蛇を一掃する仕事に勤しんでいる。
高価なサイボーグの機体を使うBチームの全てが……だ。
全員指先はもとより、手首や肘辺りまで咬害にあっている。
島に生息する蛇はどれもバッケンレコード級な毒蛇ばかりだ。
生身な人間なら一分と掛からずに人事不省へと陥ることが予測されていた。
「エディは絶対知ってて送り込んでるぜ」
ライアンはそう毒づきながら、手首に食い込んだ蛇の牙を抜き取った。
鋭く長い牙はサイボーグの人工皮膚を簡単に貫通している。
そして、強靭なカーボンファイバーで編まれた基礎装甲に突き刺さっていた。
「キャンプに帰ってあちこち貼り直しだな」
少しばかりイライラした調子のペイトンも、一度両手のグローブをとってアチコチに残る牙を除去し、グローブをはめ直した。タンパク質による収縮反応に依らない人工筋肉は、タンパク質の構成自体を分解してしまう蛇の毒に影響されない。
だからと言って咬まれれば痛いし、イラッとするのは防ぎようがない。どれほど気をつけていても向こうは肉食のハンターだ。ましてや、どう見たって生息限界を超える密度でここにいるのだから、動くものはこれ幸いと襲いかかって来る。
「エディの本当の目的はいったいなんだろうな」
「チームに波風立てるつもりも無いだろうが」
本気で忌々しいとボヤくビルとスミスは、手にしていたジャングルマチェットの峰で蛇の首を叩き落とした。ボトリと地上に落ちたその首を別の蛇がパクリと食べた。凄まじい食物連鎖の極限環境に、流石のスミスも『ウヘェ』と言葉を漏らす。
「冗談じゃねぇや」
「全くだ」
スミスの愚痴にビルが相槌を打つ。島の周囲は2キロと無いだろう。
島の中央にある建物目指し、一本道が続いている小さな島だ。
なだらかな丘状になっているその島は、火山により生成された若い島だった。
「纏めて艦砲射撃で焼き払うわけにもいかねぇしな」
汗を掻くわけではないが、ロックは額を腕で拭って呟いた。
島の中には蠅やアブが飛び回っているのだ。
何となく全員の中に殺伐とした空気が漂ってる。
その原因が自分に在るとバードは思っていた。
身を焼かれるような自責の念に駆られていた。
本来は決して本人の責でない筈なのだが、それでもバードは自らを責めていた。
「建物をぶっ壊すのはどうかと思うが、それ以前に」
「以前に?」
「戦争協定について教育を受けなかったか?」
「……あー そうか。思い出した」
ドリーは改めて戦争協定の一説を口にした。
「そうさ。なんせ艦砲射撃は禁じ手だってシリウスと取り決めしてあるからな」
シリウス星系を巡る攻防戦において、地球側の戦列艦はニューホライズンの地上を対象にした激しい艦砲射撃を行っていた。惑星の地上のおよそ35%を焼き払った激しい砲撃により、ニューホライズンは大規模な火山噴火が連鎖して発生したのと同じ規模の気象災害に見舞われたのだった。
「人間は羽目を外すとトンでもねぇ事も平気でやるからな」
「そう言う事だ」
シリウス側はその報復を迷わず行った。
彼らの地球攻略作戦は、そもそも地球政府の無力化にあったはずだった。
しかし、ある意味で穏便に済ませたかったシリウス軍の作戦本部は、報復砲撃にこだわる勢力の猛烈な圧力に抗しきれず、政治的なイベントなのを承知の上で地球の地上に無差別艦砲射撃を行ったのだ。
「地上総面積の35%だっけ? 焼き払われたの」
「いや、正確には35.8%だな」
ビルはドリーが言う前に注釈を付けた。
極地方を含む広範囲を無差別砲撃した結果、穀倉地帯の多くが焼き払われただけで無く、地球上の重工業プラントが幾つも完全に消え去った。大規模な気象変動が広範囲に発生し、大量の難民を発生させて地球における政治的な安定を著しく欠く結果になった。
「ある意味で異常な時代だったんだな」
「人類はいつだって異常さ。博愛と友愛って叫んでる奴が率先してヘイトする」
「だから相互確証破壊が必要って戦略論なんだよな」
「そう言う事だ。核兵器と一緒さ。存在しないと困る迷惑な物体って事だな」
ドリーの言はその『報復の連鎖の本質』を精確に表現した。
相互に憎悪を高めあう関係なふたつの勢力がギリギリのバランスを取るなら、相互で確実に破壊し尽くし両方が消滅してしまう関係を保つしか無い。絶対的に有利な状況となった時、人類は相手を殴らずにはいられない生物なのだから。
「で、核兵器は使えないから……」
「そうさ。いつの時代だってヒーローミッションは必要とされる」
そう。地球側も手を拱いて見ていた訳では無い。
地球側がその報復に行ったのは、片道分だけ燃料を積み、文字通りの片道特攻状態な出撃を行った戦列艦による艦砲射撃だった。純粋に報復だけを目的とした出撃は一切容赦ない対地砲撃をニューホライズンの地上へ行い、多数の反地球市民が暮らす都市を一方的に焼き払った。
まだまだ絶対人口の少ないニューホライズンにおいて、1億近い人口を失った痛手は相当根深い影響を落とすことになった。親地球派市民に対する圧力が弱まり、シリウス政府の活動を妨害しない限り、奴隷の様な階級から解放されたのだった。
「だけどここは軍事施設じゃねぇし」
「民間施設ってのはもっと厄介だぜ?」
「臨時で砲撃演習対象地に指定しちまえば……」
「戦争協定の存在が無効になる様なことはしない方が良い」
肩を竦めて笑ったドリーは指を空へと向けた。
ロックはその指を見て宇宙に思いを馳せる。
「あー…… そうか。アレか」
「そう言うこった」
地球側によるヒーローミッションの代償。
それはシリウス側によるとんでも無い作戦だった。
「誰があんな狂った作戦考えたんだ?」
口を尖らせて文句を言うライアン。
ふて腐れたような態度は少年ぽい空気を払いきれないライアンの特長だ。
「物語に繰り返し出てくるんだから、技術が追いつけばやりたくなるだろ」
ロックに続きライアンも宥めたドリーは、空を見上げて嫌そうに笑った。
――小惑星を地球の地上へ落下させる
空前絶後の作戦だが、シリウスはそれを敢行した。
火星の衛星ダイモス程もある小惑星を運んできたシリウス側は、地球に対し最後通告を行った。地上に落下した場合、間違い無く地球全体が滅びる事に成る。
――滅びるか それとも 降伏するか
それを阻止したい地球側と、何が何でも滅ぼしたいシリウス側の激しい攻防は、月の周回軌道上で双方の戦死者十万を数えたほどだった。
その間、地球側もニューホライズンの上空に同規模な小惑星を運び込み、相互確証破壊状態に持ち込むことでお互いを交渉の席に付ける形になったのだった。
「敵でも信用しなきゃならねぇ。時には真意を見せない味方より敵の方が信用できるくらいさ」
ドリーの言葉に続き、ジョンソンはそんな言葉を吐きつつバードを見た。ジョンソンにしてみれば、遠回しにエディへの批判のつもりだった。
だが、バードはその言葉がまるで針のむしろに感じられた。シリウスがイカレていると批判しているだけの言葉だが、心の持ちようで言葉は刃物にも鈍器にもなる。
「……ゴメン」
フゥと一つ息を吐いたバード。
左手に持っている袋には推定100匹近いヘビがぎっしりと詰め込まれていた。
それこそ、どこかの都市にでもバラ撒けば、間違い無く生体兵器テロレベルだ。
何とも緊張感を漂わせ立ち尽くすバード。
辺りに展開するBチームの面々は、そんな姿のバードを見た。
「バーディーが悪い訳じゃないだろ?」
呆れたような調子のライアンは軽い口調でそう言った。
全員が困った様に笑い、そして空を見上げた。
「まぁ……
何かを言おうとしたジョンソンだが、その前にテッド隊長が姿を現した。
「忘れたのかバーディー」
娘を見るような眼差しで楽しそうに笑っているその姿を見たバードは、少しだけ救われたような感じがして力無く笑った。バードにとっては間違い無く、テッド隊長だけが絶対確実に味方だと安堵した。
「これはリフレッシュさ
……考えすぎるな
……時間は少々さかのぼる。
――――地球ラグランジェポイントL4
地球標準時間 6月15日 1500
太陽を周回する地球の軌道周辺には、重力の均衡点となるラグランジェポイントがいくつか存在している。
そのラグランジェポイントの一つ。地球周回軌道の約60度前方側にある第4ラグランジェポイントにはルナⅡが存在していて、この辺りの宙域は宇宙軍の演習地域に指定されていた。
一般宇宙船などの立ち入りが大きく制限されていたこのエリアはもっぱらシェルなど高機動兵器の訓練が行われるのだが、この一週間程は完全にエリア隔離処置が取られ、激しい訓練が続行されていた。
『バーディ! 9時方向! 高機動ミサイル! ケア!!』
『オーケージャック!』
バードたちBチームの面々は金星の周回軌道に多くの宇宙軍を残し、一足早く金星での戦闘を終え月面のキャンプアームストロングへ戻ってきた。各方面より『まだ戦闘中だ』という追求を受けたのだが、それを躱す最大の大義名分はエディ少将直々によるシェルの機動トレーニングだった。
『エリアカバーオン!』
『展開が遅いぞバーディー!』
『イエッサー!キャプテン!』
この1週間、まったく休み無く続くそのトレーニングは、実戦で使われる事が無くなったドローンのシェルを敵機役に見立て実弾を使った激しいもので、その指導をするエディ少将もかなり手荒な事をしつつ叱責を繰り返していた。
『点になるな! 面を作れ! 面で圧するんだ!』
21世紀の中盤から急速に進化したドローンなどの無人戦闘兵器は様々な戦線へ投入されたのだが、技術のブレイクスルーにより世に登場した量子コンピューターは、そのドローン全盛時代をいきなり終了させてしまった。
従来型のコンピューターが持つ電子の防壁は量子コンピューターによる強力な自動ハッキングによってものの数秒で突破されてしまい、無人兵器の操作権限を乗っ取られてしまうのだ。
『場数と経験を積んだパイロットはコンピューターより余程早いぞ!』
『ハイッ!』
『考える前に動くんじゃ遅いんだ。考える前にアクションを完了しろ』
無茶な要求をし続けるエディ少将は、どういう訳か集中的にロックやバードと言った新任少尉を扱き続けている。量子コンピューターによる高度なAIを搭載したドローンのシェルは緩やかな『群れ』を作り、それぞれが全くリンクせずとも組織だった戦闘を行っていた。
『ロック! お前よりドローンの方が余程カバーが早いぞ!』
『イエッサー!』
『次の一手を打つときは三手先まで布石を作っておけ!』
ドローンシェルは無人の戦闘兵器と言う事もあって、従来の有人シェルと比べればはるかに重武装で高機動だ。そんな兵器が一瞬にして敵方へ寝返った場合、それをコントロールしていた有人シェルは瞬時に最大級のピンチへと陥る事になる。
『ドローンは死を厭わない。自らが撃破される経験を他のドローンに観測させて経験値を積み上げている。そのドローンから学べ! 膨大な量の失敗経験や戦死のデータからドローンの戦闘アルゴリズムは組み立てられている!』
死を厭わず愚直に戦い続けるドローンだ。ハッキングなどの電子戦がそのステージを一段上げたときから、ドローンシェルは余程の事が無い限り、実戦で使われる事が無くなった。
メンテナンスにも手間が掛かるので、運用能力を維持し続けているのはごく僅かな部隊だけなのだが……
『よし、今日はここまでにしておこう。ブルーサンダーズを回収する。各機アームストロング基地へ帰投しろ。一休みしたら楽しい反省会だ。良いな』
無線の中に流れたエディ少将の声は妙に楽しそうだ。
そんな印象を持ったバードは視界に浮かぶ独特なデザインのドローンを眺めた。
エディ少将機の後ろを飛ぶドローンシェルは左肩に大型の防盾を装備していて、そこには『ANDY』の文字がデカデカとレタリングされている。
その後ろを列機として飛ぶのは『シェロン』『ブルー』『ロベルト』の3機。やや遅れて飛ぶブル機には『フランシス』『シルバー』『レジー』の3機が付き従い、それと同じくアリョーシャ機には『ヨゼフ』を先頭にして『ヘクター』『ボリス』『レオン』の合計4機が付き従っている。
――あれ、戦闘で使えば良いのに
内心で一人ごちたバードは少々恨めしそうな顔になり、真っ青なドローン達を眺めた。サイボーグの搭乗するシェルは一般パイロットの搭乗するシェルとは比較にならない高機動型なのだが、無人のシェルは輪を掛けて高機動型だ。
そんなシェルを相手のトレーニングは、1対1から始まり敵役が1機増え味方が1機増え、そしてまた敵機が1機増え、味方がまた1機増えを繰り返していく仕組みだった。
連携と連動。そして、敵や味方の次を読むトレーニング。それを、最大で15~18Gが掛かる状況で続けなければならない。
――帰ってゆっくり休みたい……
溜息などこぼさなくなったバードだが、それでもコックピットの中で小さく息をこぼしていた。それくらい激しい訓練なのだから、そろそろ休息をと願うことは当たり前の話だった。
『なぁエディ。そろそろトレーニングの効率が落ちてきている』
不意に無線の中へドリーの声が流れた。何を言い出すのかはバードにもすぐに察しがついた。配属の後の赴任訓練から半年経過し、幾多の激戦を経験したバードだ。仲間の思惑など手に取るようにわかるようになってきた。
『上達具合も頭打ちになってきてるな』
バードと同じように察したジョンソンも口を挟んだ。そして、かなり遠いところから切り崩すように、話しに乗った。本音を言えば休暇が欲しい。
だけど、それはどう考えたって無理だから、せめて休息させてくれ。言い方を変えるなら、リフレッシュしたいと言う事だ。
『そろそろ休ませてくれないか。ちょっとハードだ』
迂闊に本音をこぼしたジャクソンは、無線のなかにぼやき節を混ぜてみせた。その言葉に無線の中へ小さな笑いがこぼれた。
『……確かにそうだな』
エディの言葉にバードは一瞬だけ夢を見た。だが……
『だがなぁ……』
── あ…… 無理……
バードはそう直感した。
あのブリテン紳士の鬼畜っぷりを一瞬でも忘れた自分を殴りたい。
そんな衝動に駆られ、バードは笑った。
この1週間を徹底したシェルの戦闘トレーニング漬けで過ごしたB中隊だが、1週間で皆の成績は随分向上した。ただ、訓練の経過時間当り向上率は鈍化の一途を辿っている。
さしものBチームも神経や精神的にはそろそろ限界だ。この辺りで休日を入れるべきだと判断したドリーだけでなく、チームの面々全員が休日を取らせてくれと願っていた。
『休日の間に君らが何かを学べるというのなら休むと良い』
バードは僅かな望みが潰えたのを知った。
ブリテン紳士の鬼畜っぷりは、全くぶれていなかった。
『リフレッシュしたいならそれは良いさ。ただ、気持ちは切らすな』
『なんでですか?』
エディの言葉に思わず質問をかえしたバード。
一瞬遅れてエディ少将の言葉が返ってきた。
『気持ちが切れたときは重要な事を見落とすのさ』
なんとなく納得したような、しないような、そんなあやふやな回答だとバードは思った。ただ、コレもまた将来理解出来る事だろうと思って記憶の中に留める。
この半年でこんな事も上手く出来る様になった。自分自身でそう思いつつ、バードはエディの言葉を聞いていた。
『そして、私自身の経験として訓練と実戦以外に上達は無い。つまり……』
思わず息を呑んでその言葉の続きを待ったバード。
きっと全員がそうしていると確信してる。
『もっと練習してもらう。リフレッシュは各自で努力しろ。以上だ』
――この…… 鬼!
心の中で悪態を吐いたバードは、シェルの機動を細かに制御しつつ基地への帰投コースを辿っていく。進路を取った遙か先に月面基地のゲートがハイライト表示されているのを、ボンヤリと眺めながら。
――――月面 キャンプアームストロング 士官サロン
地球標準時間 6月15日 1700
「あーあぁ…… 丸一日休みを寄越せとは言わねーからさぁ」
「だな。せめて半日くらいはリフレッシュしたい」
ロックとライアンのボヤキ節はシェルハンガーから士官サロンへ到着するまで延々と続いていた。バードはその愚痴を黙って聞いていたのだが、反省会の会場で黙々と書類を配布しているアリョーシャの姿を見た瞬間、背筋にゾクリとした悪寒を感じた。
――絶対ヤバイ
頭の中のどこかにいるもう一人の自分が『あの書類を受け取ってはダメ!』と金切り声を上げている。一足はやくその室内へとやって来たドリーとジョンソンは書類を既に読み終わっているらしく、少々剣呑な調子でアリョーシャへ噛み付いていた。
「なぁアリョーシャ。確かに休日を希望したが……」
「ボランティアの申請までした覚えはねぇぜ?」
B中隊の仲間達が一心に書類を読みふけるなか、ドリーとジョンソンは心底ウンザリと言う口調で抗議していた。そんなふたりを横目にバードも書類を受け取ったのだが、そこに書かれた内容には嫌が負うにも不機嫌になる『依頼』が国連議会議長の名前で書かれているのだった。
「これ、ホントにやるの?」
露骨に嫌そうな声を出したバード。
その姿を見たロックが肩を窄めて笑った。
「信じらんねぇだろ?」
「……うん」
書類の上に踊る文字には南太平洋の小さな島の名前があった。
「まぁ要するに、生身じゃ行けない場所だから君らに行って欲しいということだ」
涼しい顔をしてさらりととんでもない事を言ったアリョーシャ。
その言葉を聞いたロックとバードは心底嫌そうに笑う。
「……またかよ!」
アリョーシャの言葉を半ば聞き流していたペイトンは、書類を読み終えるなり悪態を吐いて天井を見上げた。
「指折り数えて4回目だな」
ペイトンと同じく書類を読み終えたスミスは指折り数えて呟いた。そのすぐ脇で書類を読み終えたバードは、やや首をかしげてビルに向かい『どういう意味?』と訊ねる。
「まだバードが来る前の事だが、地上軍がシリウスの拠点へ侵攻する下準備としてオーストラリアの砂漠地帯へ棘のある有毒植物を枯らしに行った事があって……」
説明を始めたビルは身振り手振りを交え少尉四人組に経験を語りだした。
「その植物は目に見えないレベルの細かな棘が葉や枝に付いていて、その棘には面倒な事に神経毒になる成分が分泌されてるって事だった。それだけじゃなく、有毒のイラクサも同じ地域に生えていて、生身の人間は近づくだけで危険って状況だったのさ。それで俺たちに白羽の矢が立って、参謀本部から『ちょっと頼む』って」
肩を窄めて苦笑いしたビル。
ドリーはそれに『木の方はアボリジニの言葉でギンピ-ギンピと言うそうだ』と注釈を加えた。その言葉が終るのを待って、再びビルが説明を続ける。
「二回目はカリブ海に浮かぶ小さな島だ。マンチニールと言う植物の生い茂る美しい島だが、そのマンチニールは有毒で、樹液には腐食成分があり、実を食べれば確実に死ぬって面倒な状況だった。オマケにその木を燃やせば煙まで有毒になる」
バードと一緒に話を聞いていたダニーは『ウヘェ』と言わんばかりの溜息をこぼして椅子に座りなおした。その僅かな動きにダニーの心の動揺をバードは見た。
「三回目はアフリカだ…… いや、あの時はもう……」
「あぁ。それは俺も行った。と言うか、俺はアレが事実上の初降下だった」
ロックが話しに割り込んだ。ロックの初降下と言う事は自分が配属されるちょっと前だとバードは気が付く。そして、チラリと目をやったバードと視線が合ったロックは、恥ずかしそうにはにかんでいた。
「いきなり『草刈に行って来い』とか言われて、本気で頭にきてさぁ」
ヘラヘラと笑ったロック。バードは不思議そうにしつつ『草刈り?』と聞き返した。その仕草がおかしかったのか、周りの面々も楽しそうに笑い出した。
「なんとかって言う雑草みたいな樹があって…… なんつったっけ?」
ロックの問いにドリーが『ジャイアント・ホグウィードだ』と答えた。
「そうそう、そのジャイアントなんだけど」
楽しそうに話をしていたロックだが、その話の続きはダニーが続けた。
「あの植物は受光反応があり、植物の葉脈部分に触れると動物性タンパク質に反応する粘性の高い液体を分泌する。そして、それは瞬間的に紫外線に反応して皮膚や粘膜を犯し高レベル炎症や急速な壊死。または、広範囲にわたる深刻な紫変反応斑を作りだす化学反応を引き起こす。その液体は極微量でも確実に失明し、皮膚などに出来た斑は数年間消える事無く、ひどい激痛を味わい続ける事に成る。まぁ、要するに、下手な化学兵器なんかより余程危険だってことだ」
医者らしい見地から解説したダニーの言葉に、バードは背筋がゾグゾグするような不快感を覚えた。そして、サイボーグの人工皮膚はそんなものに一切反応しないという事をありがたい事だとも痛感していた。
ただ、そんなバードの感慨とは別に、話を聞いていた仲間達は異なる話に盛り上がっていた。ロックを交え初降下の時の笑い話を思い出しているのだが、その内用にバードは愕然とする。
「いやいや、トンでもねぇ奴が来ちまったって思ったよ」
「全くだ。なんせいきなりエディを殴りつけたからな」
リーナーとライアンが腹を抱えて笑い出した。もちろん、ロック本人も。
「じゃぁなにか? 俺は草刈り要員でサイボーグか?って暴れちまった」
恥ずかしそうに笑うロック。スミスやリーナーもゲラゲラと笑っている。
そんな中バードは少しだけシリアスな顔になった。
「ロックが荒れ始めて止めようとしたんだが、誰も近付けないありさまたったな」
「全くだ。まるで火を噴くチェーンソウだった。近付けば斬られるってな状態だったからな」
パワーアップした今のロックほどでは無くとも、下手に手を出せば間違いなく斬り付けられて怪我では済まない状態だったはずだとバードも思う。ロックが本気で暴れたって言う事は、どうやって収まりをつけたんだろう?と思案するのだが……
「あの時は本気で大変だったな」
ヘラヘラと笑いながら室内へ入ってきたエディ少将は、全員の視線が集まっているのを確認してから、すぐ脇にいたテッド少佐へと目配せした。
「まぁ、そんなわけで全員喜べ。エディが全員にリフレッシュ休暇をくれたぞ」
いきなり笑えないジョークを言った隊長に、バードは眉間の皺を深めた。
「おいおいバーディー。そんな表情してると皺が増えるぞ?」
どこか上機嫌なエディ少将は、そんな言葉でバードをからかった。一瞬だけムッとしたバードは一瞬の間に内心でアレコレ考え、強がりな言葉を吐く選択をした。
「……そしたら新しいのに貼り変えてもらいます!」
その言葉に面々が苦笑いを交えて肩を震わせた。
ただ、書面にある状況は余り歓迎したくないものだ。
「諸君らも読んだとおりだ。これは我々にしか出来ない任務といえるだろうな」
手にしていた書類をポンと叩いたエディ少将は、全員をクルリと見回してから話を切り出した。
「目標はオーストラリア大陸の東部沖合いにある小さな島だ。環太平洋火山帯の活発な噴火活動により前世紀に出来上がった島だが、どうやらここにシリウス派活動家の活動拠点があるらしい。島はこの60年ほどで森が育ち豊かな植生を得ているが、問題はその森の中に――
エディ少将はわざわざバードを見てから楽しそうに笑っていた
――蛇がいると言うことだ。そして、その蛇は超一流の毒をもった種で、毒蛇のランキング上位を占める種がしっかり揃っている。こいつらが居る関係で上陸作戦も降下作戦もやりようが無いと言う事だ。なんせ、生身の兵士が毒を受ければ、平均で3分後には生命維持に危険が生じる」
――はい…… 良くわかりました……
――機械は神経毒なんか関係無いからなぁ……
バードは内心で悪態をついただけで無く、イメージの中に現れた大量のヘビを掴んで幾つも引き千切ってはどこかへ投げ捨てていた。望まぬ形でサイボーグになった自分の運命を呪うしか無い。
生まれてこの方、生でヘビなんて見た事無かったバードだ。この半年の間に何度も遭遇しては耐性を付けていたが、あまり好きこのんで触ったりしたくは無い。
「なぁエディ。俺たちは今回なにをすれば良いんだ?」
スミスは何かを察して質問を発した。
その問いに対する回答はいつも通りシンプルな物だ。
「行った先でシリウス派をまとめて処分し、拠点も爆破し、機能を停止させろ」
「兵士の数は?」
「さぁな、それは分からない。たた、レプリだって毒蛇に咬まれれば死ぬ。つまりは、シリウス側の防衛要員は殆ど居ないか全くゼロかのどちらかだ。ヘビに注意しつつ拠点を爆破すれば良い」
バードは心中で『……あっ』と呟いた。
コレは本当にエディなりのリフレッシュなんだと、気が付いたのだ。
戦闘の可能性はほとんど無いか、或いは極々小規模なものだろう。そんな事より、毒蛇がいるとは言え地球の地上に降りられるのだ。それも、監視役となる生身が全くいない状況で。
生身の兵士なら一噛みであの世行きかも知れないが、サイボーグなら全くと言って良い程心配は無い。つまり、遊んでこいと言う親心。降り注ぐ南国の日差しに真っ青な海。白いビーチ。深い森。リフレッシュには最適だ。ヘビさえ我慢すれば。
「いつから?」
中身を察したバードの声音がガラリと変わった。
もちろん、中身を察したのはバードだけじゃ無い。
突然まじめくさった顔になったジャクソンも言う。
「こういう事は早い方が良いな」
「そうだな」
相槌を打ったスミスはいつものように力強い口調だ。
ただし、かなりにやけているのだが……
「金星の戦闘が終わってしまうと、装甲服を装備した連中が地球に帰ってくるだろう。疲れ切った生身の連中の手を煩わせるのも悪いな」
真面目腐った口調で皆が『善は急げ』を口々に言う。
「さすがBチームだな。みな仕事熱心で大変よろしい」
エディ少将もご満悦の顔になっている。ただ、バードはふと思い出した。
このブリテンのタヌキ親父はドが付くサディストも裸足で逃げ出す、正真正銘の鬼畜だと言う事に……
「では、このまま出発してくれ。なに、諸君らも言うとおり、こういう事は早いに越した事は無い。実は以前より依頼が来ていたんだが、タイミングが合わなかったということだ。じゃ、後は頼んだぞテッド」
エディはテッド隊長の肩をポンと叩いて士官サロンを出て行った。
その後をアリョーシャが続き、そして、Bチームだけが残される。
「では、出発は三時間後だ。各自準備してくれ。ハンガーデッキに集合だ」
同じレベルで疲れてるはずのテッド隊長も軽やかな足取りで部屋を出て行く。
なんとも言えない重い空気が部屋の中に渦巻き、バードは引きつった笑みを浮かべてロックと顔を見合わせた。ロックは苦虫を噛み潰した表情で俯いた。
「……さて、楽しい降下をするか!」
半ば自棄になった調子でジャクソンが無理やり笑った。
ふかふかのベッドで一晩だけぐっすり眠るバードの夢は砕けた。
再び降下艇の中でグッタリしなきゃいけないらしい。
「……南の島は暑いだろうなぁ」
ボソリと呟いたバードの一言で部屋の空気が更に沈み込む。
月面の重力が突然百倍にでもなったような錯覚を起こしながら、皆はトボトボと士官サロンを出て行った。