表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第10話 オペレーション・クトゥーゾフ
115/354

誤解と和解と誓い

 ~承前





「決着を付けよう」

「そうだな……」


 上着を脱いだロックはアンダーウェア一枚になり太刀を構えた。

 左足を一歩前へ踏み出し上半身を右へ捻って瞬発力を貯めている。

 その右腕一本で柔らかく太刀を構える姿は父子共に全く同じ姿だった。


「同じ失敗を繰り返すのか?」

「やってみなけりゃわからねぇさ」


 ニヤリと笑ったロック。父も笑いかけたのだが、その前にロックが加速した。

 ただ、その加速は常識で計れる物では無い。バードの目には残像だけが残った。


「ナッ!」


 父が対応するべくモーションを起こした時には、すでにロックは父の懐へと入っていた。生物が対応出来る反射速度の限界を遙かに超えた加速だった。そしてロックはそのまま太刀を横へと薙いだ。


「今回は成功したみてぇだぜ」

「…………やるじゃ無いか!」


 何とも楽しそうに笑った父は、床へペッと唾を吐いた。ロックの一撃を受け大きく後退したのだが、ロックの足下に残っている銀の血が混ざったその唾は、ロックの一撃が太刀を握りしめていた拳での一撃だった事を示していた。


「余裕を示したつもりか?」

「…………簡単に殺しちゃつまんねーだろ」

「ほぉ……」

「アンタも少し味わえよ」

「味わう? 何をだ?」

「殺されるって恐怖をよ!」


 大きく後退した父へと距離を詰めたロック。上段から打ち込みを開始し、父が剣を受けるのを確かめつつ中段の薙ぎと下段からの振り上げを混ぜている。その見事なコンビネーションに父は対応するのが精一杯だ。


「おるぁ! どうしたどうした!」


 そこにはバードの知るロックは居なかった。

 全ての面で父を圧倒するその姿に、バードはどこか複雑な心境だ。


「調子にのりおって!」


 一瞬の隙を突いて父が反撃に出た。だが、その剣を難なく払いのけたロックは、更に速度を上げて父へと襲いかかっている。負けじと幾度かの反撃を入れる父なのだが、その全てを労せず受け流すロックの姿に、どこか頼もしげな目をしてもいるのだった。


「良い剣だな」

「ヘッ! 余裕かましてんじゃねーぜ!」

「今日は良い剣だ」

「今日はだと?」

「そうだ」


 幾度かの打ち込みを終えたロックは後方に下がって距離を取った。

 ロックの見せた全ての攻撃にバードは父と同じ技術体系を見ていた。


 ――やっぱり親子なんだ……


 自らの経験として、事実上たった一人病院へ捨てられたバードは、ロックとその父が見せる歪んだ触れ合いを眩しそうに見ていた。ロックの持つ剣の技術の全ては父が教えたものだと気が付いたのだ。だが、そのロック自身は、まるで身を切られるかのような苦悶の表情を浮かべていた。


「前回見たあの無様な剣はすっかり消え去ったな」

「……くだらねぇ事言ってンじゃねぇ!」


 再びロックが襲いかかった。全く対処出来ない父は考えるより早く剣を振り続けている。それは技術や戦術といった『思考』の介在する物では無い。考える前に見て感じて対処するものだった。

 それこそ、10年20年と積み重ねてきた年月が身体に染みこんで出来上がった、運動神経そのものと言える剣の技術だ。頭で考える前に身体が反応するものだ。その全てで父はロックと対峙していた。


「ワシの出来なかった事が全て出来ておるな」


 常識では考えられない速度での戦闘だが、一つ一つ手順を確かめる様なロックとは異なり、全てはアドリブで場当たり的な対処を繰り返すものだ。しかし、その全てに於いて父の剣技は超一流を通り越したレベルだった。


「だが、相変わらず身体が開いてしまうな。それでは力が逃げる」

「逃げたって問題ねぇさ。現実に俺は押している」


 何とも満足そうな笑みを見せた父。ロックはそこへ遠慮無く剣を振り込んだ。

 まるでラリーの続く卓球のように。テニスのように。父と子は剣で会話した。


「受けるのを止めればお前が困るぞ?」


 父の言葉を不思議な表情で聞いたバード。その直後、ロックの剣を受け流すのでは無くひらりと身を翻し、そして返す刀のその太刀先を払って軌道を変えた父。その対応にロックは身体の重心点を動かしてしまい、一瞬だけよろけた。


「さぁ、対処しろ」

「っざっけんな!」

「俺がそれを出来るようになるまで20年掛かった」


 重心点をずらし太刀行きが鈍るロック。しかし、それでもなお溢れる闘志で襲い掛かっていた。上段からではなく下段から加速行程を長く取った一撃は、受ける側の太刀ですらも切り裂く威力だ。

 しかし、父はその一撃を受けるでも払うでもなく、剣先へ僅かに刃を沿わせて軌道を変え、そのままカウンターの一撃を加えているのだった。重量と筋力に勝るロックは力技で上段斬り返しの逆ツバメ返しを決める。その一撃ですらも難なくかわしてしまう技術は、まさに老練の技だった。


「楽しいな」

「何処がだ!」

「お前が生まれて25年経って、やっとこれが出来るようになった」


 ふと気が付けば、ロックの父から一切の殺気が消えていた。


「俺はちっとも楽しかねーぞ!」


 かつて基地の中で対峙していたふたりからは、まるで龍虎のような殺気が撒き散らされていた。だが、今の父からは一切の殺気がない。まるで小枝を振り回す子供の様にして、無邪気な笑顔でロックを圧倒していた。


「ワシとお前の道が始めて重なったな」

「俺は俺の道を行く! 俺はこの道しか知らねーから!」

「剣士とはそういう宿命なのだ。心通わせる友は敵だけだ」


 地響きを伴うような鈍い金属音が響いた。

 勢いをつけて打ち込んだロックの横薙ぎをフワリとかわした父は、体を縦方向に回転させロックへの一撃を入れた。その動きがまるで空手で言うところの胴回しにも見え、重い一撃にロックが無事なのかとバードは息を呑む。


「残念だったな」

「……強化してきたか」

「機械だからさ」


 父の太刀を左腕で止めたロック。仕込んであったソードストッパーを3度断ち切られ、技術部は面子に掛けた道具を作り上げたらしい。


「アレコレと技術や連中が説明してくれたが、要するにこの左腕を切り落とすにゃ、もう高出力レーザーじゃねーと無理さ。どんなに技術があってもな」


 ソードストッパーで父の剣を捻ったロックは右腕一本で剣を振った。

 その太刀筋をかわす事も逸らす事も出来ない父は、体術だけでロックの剣を止めた。鈍い音が響き、何処かの骨が折れた。


「お前はそれで良いのか?」

「は?」

「剣士が頼るべきは技術だ。道具じゃ無い」

「勝ちゃ良いんだよ! 勝ちゃ! 後の事は知ったことかよ!」


 ロックの腹をグッと蹴り飛ばした父。

 後方へ飛んだロックは改めて剣を構えた。


「俺が居るのは命のやりとりの現場だ! 綺麗に勝つ必要なんてねぇのさ!」

「まさに剣士の本懐だな。お前が羨ましいぞ。お前の剣の道は何処へ行くのだ」

「ハッ! 知った事か!」


 太刀先で父を指し示したロック。

 その姿には拭いきれない憎しみと不信感があった。


「この道がどこに続くのかははしらねーけどよ、だけど、俺は独りで歩いてきたのさ。空虚な道さ。壊れた夢の大通りって奴さ。もうとっくに忘れちまったと思っていた、眠ったような街並みだ。ガキの頃に見た、手の届かなかった街並みさ」


 身を深く沈めたロックは、今まさに踏み切ろうかという姿勢になった。

 人間の動体視力を超える速度での踏み込みは、カウンターを取る事すら出来ないものだ。


「そんな道を俺は独り歩くのさ。いつも……独りぼっちだったからな。だけど、ここには、俺がいる戦場には、命のやりとりの現場には、背中を預けられる仲間が居る。俺の家族はここに居るんだよ」


 ――ッソイ!


 ロックの気迫が声になった。

 機械の身体なのだから息を溜める事など必要は無い。だが、身に染み込んだ技術としての息遣いは、どんな身体になっても忘れる事など出来なかった。


「見事だな」


 ロックの剣先を間一髪でかわした父だが、ほんの僅かにかすった程度の剣先で父の左腕にスパッと傷が入った。銀の血がポタリと垂れて床にしみを作る。


「機械も鍛えられるのだな」

「部品を交換すりゃぁな」

「そうか…… なら、ワシの元へ帰ってこい」

「まだ言うか! 諦めろ!」

「まだまだ教えてなかった事が山ほどあるのだ。ワシの後継者はおまえを置いて他には無いのだ」


 親子の会話を聞いていたバードはハッと気が付いた。今現状、ロックは父の上位互換になったのだ。スピードとパワーで圧倒している形だが、剣技としてみればソレは全く同じものだ。

 逆に言えば、父の持っていたスピードとパワーを更に強化したのがロックと言う事だ。そして、双方に歩み寄る余地がない事こそ、一番の悲劇といえる。


「仲間を売れって言うのか!」

「そんなに仲間が大事か?」

「例え仲間に裏切られても、俺は絶対仲間を売らねぇし裏切らねぇ!」

「そうか…… 血を分けた家族よりも仲間か」


 ボソリと漏らした父。

 ロックは表情をガラリと変えた。


「同じ機械で出来た仲間が俺の家族だ!」


 至近距離で幾度も剣を会わせながら、どこか祈るような表情を浮かべていた父。

 その全てを拒絶したロックは再び鋭い踏み込みの姿勢を作って剣を構えた。


「俺が覚えているガキの頃は、いつ殺されるかってビクビクしながら過ごした道場の中だけだ。友達と遊びに行く事も無く、親と遊びに行く事も無く、ただ毎日道場で殺され掛けてた。アンタのストレス解消にな」


 ロックの剣先が再び父を捉えた。鋭い踏み込みという表現ですら生ぬるい驚くような一撃を見せたロック。父の首筋を狙った剣は、右の耳たぶを殆ど切り落とすが如き一撃になった。


「だけどよ、俺はアンタのストレス解消のおかげでレッドライン(境界線)のこっち側へ来ちまったんだよ。もう人間を辞めたんだ。アンタとは違う形でな。どっかの誰かの思惑でこうなっちまったのさ。いまさら戻れやしねぇ。だけど今はその境界線に感謝してんだよ。全てが糞食らえだと思った日が何年前だか俺にもわからねぇ」


 銀の滴をポタリポタリと垂らす父。その姿を見ていたロックは更にギアを一段上げて襲いかかった。四方八方から襲いかかってくる刃に、父は対処限界を超えつつあった。苦し紛れに放った突きをかわすべくテイクバックしたのだが、同じタイミングでロックは後方へと飛び退く。


「だけど、一つだけ解る事があるのさ。俺はまだ生きている。心拍を感じなくなったが、今この時だけは、敵と斬り合ってる時だけは生きている事を実感するのさ。そして、こんな時に背中を預けられる仲間こそが俺の家族だ」


 ロックは自らの罪を独白するようにし、身体から力を抜いてスクリと立った。

 

「仲間のためにリスクを犯してまで事に当たるのは家族だからじゃないか。そのために俺は……」


 怒りの表情がフッと消え去り、穏やかで柔らかな姿になったロック。

 その姿見た父は、息子と同じように柔らかな表情を浮かべた。


「不細工な殺気が消えておる。それが正解だ」

「正解?」

「怒りで我を忘れた剣は、いつか己をも切ってしまうだろう」


 父はチラリとバードを見た。

 どこか嬉しそうな眼差しだと感じたバードだが、ロックの視点は違った。


「仲間の為なら修羅にも鬼にもなってやるさ」

「強すぎる炎は護りたい者ですら焼いてしまうのだぞ」

「それなら一緒に燃え尽きてやるさ」


 サラッと言い切ったロックはニヤリと笑った。

 なんの外連味も無いその態度は、清々しいほどに男らしかった。


「……しなやかに、柔軟に。剣とは生き方だ。そう教えただろう」

「だからなんだよ。俺がどう生きようと勝手だろ!」


 脊髄反射で叫んだロック。

 その姿を見た父親は心底哀しそうな表情を浮かべた。


「……お前に人並みの反抗期を経験させなかったワシの愚かさを許してくれ」

「な……」

「ワシではないお前の父親も、さぞかし苦労されただろうな」


 ガックリとうなだれた父の姿にロックは僅かではない心のざわめきを覚えた。

 ロックが覚えている限り、そんな姿を見せた事など、過去一度も無かった。


「……俺はいつでも仲間の為に自分の命を賭けられる。その覚悟でやばい橋も光の無い夜も超えていける。今の俺は海兵隊だ。海兵隊は弱者の味方だ。俺はそれこそ正しいと信じるのさ。だから……」


 再び剣を構えたロック。その向かいで父が同じ構えを見せた。申し合わせたかのようにふたりは同じタイミングで加速した。初太刀を遠慮無く闘わせた時、ぶつかり合った太刀から火花がほとばしった。


「俺は俺の人生を生きて俺の死を死にたいのさ!」


 最初の打ち込みは互角だ。だが、切り返して次の一撃を入れる時点で、ロックの方が数段早くなっていた。父は太刀を切り返す事が出来ず、柄の先端か鍔のどちらかでロックの太刀を受けるしか無い。


「ダイヤモンドみたいに輝き、さいころみたいに転がって、上空30キロからだって飛んでやるさ」


 受け手の無い父の姿を見てはいるが、それでもロックは全く遠慮する事無く二手目を打ち込んだ。父の膝がガクリと沈むほどに重い一撃だった。ただ、父も実際大した物で、その姿勢から素早く剣を切り返しロックへ反撃を入れに行った。だが。


「世界が全て敵に回っても俺は仲間と言うのさ『have a niceday!』ってよ!」


 ロックは父の反撃体制になっていた身体に向けて太刀を振り下ろした。理屈では無くただ単純に剣士の本能だった。かわす事も避ける事も出来ない父は剣で受け流す余裕すら無かった。

 剣先がほぼ音速に達したロックの刃は耳をつんざく衝撃波を生み出していた。そして、その恐るべき速度のまま父の身体を遂に捉えた。僅かに身体を捻ったせいか、ロックの剣先は父の左腕を肘の辺りから切り落としたのだった。


「ほぅ……」


 銀の血をまき散らしながらも、父は嬉しそうに笑った。


「世界が俺を引きずり降ろそうとしても、腕を突き上げて、自分の足で立つのさ」


 気が付けばロックも笑っていた。

 命のやりとりの最中だというのに、笑っていたのだ。

 痛みを堪える表情すら浮かべる事無く、ロックの父も笑った。


「俺の屍を越えていけ」

「そうか。なら俺も言ってやるさ、Have a niceday!ってよ」

「自慢の息子だ」

「良い人生だったろ」

「ワシよりも強くなった自慢の……」


 鋭いと言う言葉が陳腐に思えるほどの速度で踏み込んだロック。

 全てを従容と受け容れた父は、身体を息子へと正対させた。


 ――さぁ 斬れ!


 そう言わんばかりの姿だとバードは思った。

 もちろんロックもそう思っていた。そして、遠慮無く……


「良い構えだ 一分の隙も無い」


 上段で構えたロックは踏み込みと同時に縦の線で剣を振り下ろした。

 その剣は父の身体を捉え、左肩から刃が走り抜けていく。


「背中の傷は剣士の恥……だよな」

「その通りだ」


 与圧服になった戦闘服を切り裂き、肩口から胸の辺りまでを斬られた父。素早く身を引いたので浅傷でしか無かったが、それでも確実に手応えはあった。


「……すげぇな」

「これは一度しか見せられないからな」


 銀の血を吐きながら、父は楽しそうに笑った。


「しっかり覚えていけ」

「……ヘッ」


 あくまで余裕を見せる父の姿をロックはどこか眩しそうに見ていた。当人にはそのつもりが無くとも、バードはそう思ったのだ。人格という物の正体が積み重なった記憶だとしたら、経験とはつまり記憶の本質なのだろう。

 幾度も修羅場を潜り、なによりも『負けた経験』から生み出された『勝つ為の剣術』を父は実演して見せている。常に圧倒されてきた父が生身の身体で得た物を、サイボーグの剣士相手に見せている。


「ッセィ!」


 ロックは一切手を緩めず父を攻め続けた。

 ブレスを必要としない機械故の連続攻撃は、生身にしてみれば悪夢そのものだ。


「隻腕の時はバランスが大事だ」


 切り口から滴る銀の血を気に止めず父は激しいアクションを続けた。3分もしないうちに腕の傷から滴る血が止まり、やがて僅かずつ再生を始めている。その恐るべき生体能力にバードは戦慄した。


「踏んだ場数が剣士の財産だ」

「それに異存はねぇ」

「なら、ワシの経験を持って帰れ」

「……ごっそうさん」


 半身にかまえて肘と腕ののびを使った突き出しは、並の剣士であれば避ける事もままならない速度だ。同じ流派を学んだ者故にギリギリで回避出来ているとも言えるのだが、そこから繋がる攻撃のコンビネーションは解っていても回避出来ない。


「その身体。ワシも欲しいな」

「なら地球に寝返れよ」

「アホを抜かせ。信じた道を戻れるか」

「そりゃ同感だ」


 かなり苦しい体勢だが、それでも確実にロックの刃は父を切り刻んでいく。耐久力と回復力に勝るその身体は少々の傷では死にきらない。胸と言わず腹と言わず、幾多の切り傷が残り始め、やがて足下には銀色の血溜まりが出来た。


「最後に一つ教えてくれ」


 不意に手を止めたロックは真正面から父をみていた。


「なんだ」

「アンタは一体何者になったんだ?」

「……どういう意味だ?」


 ロックは父から目を切りバードを見た。その眼差しにバードはロックの真意を悟った。銀の血を流す生き物がレプリかどうかを判断する材料が無い。


「私の識別センサーにもレプリかどうか判断不能のエラーが出るんです」

「……仕事熱心な事だな」


 フッと笑った父はその場にガクリと膝を付いた。

 明らかに出血多量なのだろう。強靱な肉体故に血液を失う事は死に直結する。


「ワシも良く知らん。ただ、今レプリカントを作っている企業に対抗するべく、別の企業が作った実験体だそうだ。ワシは人間を遙かに超えると言う謳い文句で誘われてな……」


 グラリと上体が揺れてそのまま後ろへ倒れ込みそうになり、ギリギリで踏み留まって強引に立ち上がった父。だが、そのまま数歩後退し、そこで力尽きて後方へと倒れ込んだ。

 壁際に背中をつけ、ロックとバードを見るようにしてもたれ掛かった父は、満足そうに笑っていた。


「ワシは……一族の失敗作として、いつも日陰者だった。競技会で勝てず、弟子を育てれば一方的に強くなり、ワシはいつもいつも、気が付けば用無しになっていたのだよ。用無しで能無しで実力無しだ。そんな三無し人生は辛いぞ?」


 ケパッと血を吐いた父はジッとバードを見ている。


「だが、これは転機だった。ワシは悪魔と取引したんだ。そうしたらどうだ。今まで出来なかった事が全て出来る様になった。身体が脳の言う事を聞くようになったのさ。息子が機械になって出来る様になったようにな」


 父の目がロックを捉えた。

 そのロックはそっぽを向いて吐き捨てるように言う。


「俺の剣術は生身じゃ真似出来ねぇからな」

「そうだ。ワシはワシが出来なかった動きを。人間には出来ない動きを息子に教えてしまったのだよ」


 再びケパッと血を吐いた父。明らかに生命レベルが落ちて来ているのが解る。

 だが、それでも父は太刀を手放しては居ない。

 戦意があるのか、それとも……


「徹雄」

「その名前で呼ぶな。俺の名はロックだ」

「ワシにはいつまで経っても徹雄なんだ」


 バードの目の前でロックは自らの名を否定した。どうしても受け容れられない事があるのだと、バードも気が付いている。人間を辞める事になった日。それは違う人間になった日だ。サイボーグになった日では無い。そう割り切る事で自分に割り切りを持たせる為の事なのだから。


「これを持って行け」


 父はロックに向かって投げ太刀した。その刃を受け取ったロックは改めてそれをしげしげと見る。一門に古くから伝わる家宝の太刀だ。もう一千年の時を経たらしい物だ。そして、一門の後継者にのみ帯刀が許される物だった。


「お前がそうして良いと思うのであれば、お前の認めた一門の剣士にそれを与えるが良い。お前のめがねに適う者が無ければ、お前が育ててそれを渡せ。拒否は出来ない。剣士の家に生まれた宿命だ。残念だが諦めろ」


 太刀をしげしげと眺めたロックの目が父を捉えた。


「だが、お前が全て拒否して、ワシの代で終わりになっても良いと思うのであれば、それをどこかに捨てていけ。我が一門はワシの代で終わりだ。文句はいわん。ワシは次の世代を育てられなかった。そう諦める」


 ズルズルと姿勢を崩しながら父は血を吐き続けた。相当苦しいのか、顔色は真っ白になりつつあった。ドサリと音を立てて横へ崩れ虫の息になっているのだが、それでもなお息子の姿を見ている。


「いい顔になったな」

「……機械だけどな」


 吐き捨てたロックの言葉に父は僅かな苦悶を浮かべた。何をどう屁理屈こねたって、息子がサイボーグ化した最大の原因を作ったのは父そのものだ。その受け容れがたい事実を前にしたとき、父は激しい後悔と同時に現状を受け容れる事しか出来ないのだと悟った。


「愚かな父を許してくれ。お前だけが人間を辞めたわけじゃ無いし、機械だからって人間では無いと言う事は無い筈だ」

「今更綺麗事抜かすな」

「……だよな。綺麗事さ」


 もう一度小さな声で『綺麗事さ』と呟いて、そして父は目を閉じた。

 鼻や口から銀の血が流れ始める。限界を超えた所まで来て、遂に身体が死に始めたのだとバードは直感した。強力な再生能力を持つが故に、限界を超えたときには脆いのだろう。


「おい、嫁」


 父は最後によく通る声でバードを呼んだ。


「聞こえなかったか? 嫁御よ。ここへ来い」


 一瞬逡巡したバードだが、チラリとロックを見てから父へと歩み寄った。


「なんでしょうか?」

「ワシはもうダメだ。だからそなたに後を託す。まだまだ修行の足らん男だ。修練を怠ったならワシの代わりに叱ってくれ。折れそうになって迷うときはワシの代わりに励ましてやってくれ。ワシの自慢の息子だからな」


 息と一緒に言葉を飲み込んだバード。

 気が付けばすぐ隣にロックがやって来ていた。


「おい、バカ息子。愚かな父が遺す唯一の遺言を聞け」

「……今更なんだよ」

「女房を泣かせるな。母さんを頼む」

「な……」


 バードと同じく、ロックも息と言葉を飲み込んだ。

 ふたりして死に行く様を見ているのだが、父は苦しそうに再び血を吐いた。


「ロックと言ったな」

「……あぁ」

「敵にも敬意を払え」

「……俺の上官はいつもそう言ってるさ。心配ねぇ」

「なら、トドメを入れろ。そう簡単には死ねん身体らしいからな」


 再び太刀を構えたロック。バードは心配そうに見ていた。

 上段に構えグッと力を入れたのだが、そこから先、ロックは身体が動かなくなってしまった。自分の過去を断ち切りたいのは事実だが、目の前に居る男は紛れもない父親だという事を、どれ程拒否しても受け容れざるを得なかった。


「……そうか。無理か。なら」


 目を閉じていた父は再び目を開け、バードをジッと見た。

 充血する代わりに銀の血が漏れ出し、眼球がまるで水銀の玉になっていた。


「嫁。バードと言ったな」

「……恵と呼んでください」


 ロックが聞いているのを承知で自分の本名を言ったバード。

 父はバードの姿に満足そうな笑みを浮かべた。


「ならば、恵。徹雄を頼む。苦しむ義父を助けろ。楽にしてくれ」

「……はい」


 ロックの腰から拳銃を抜いたバード。その手を父が握りしめた。

 眉間に銃口を添えたとき、父は恍惚感を伴うような幸福の笑みを浮かべた。

 静かに佇むその姿を見たバードの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


 ――うそ……


 自分の目から涙がこぼれた事に驚くバード。

 だが、父の口が声無く動く。


 ――ハヤク


 バードは引き金を引いた。鈍い反動を感じ、父の脳蓋が弾けた。

 背後の壁に真っ赤な脳漿液をまき散らし、脳それ自体が激しくはじけ飛んだ。

 父の脳殻に収まっていたものは紛れもなく人間の脳だった。それを確認したバードは、涙を流しながらロックを見ていた。


「バーディ…… すまねぇ」

「私こそ……」


 太刀を鞘へと収めたロックは、自らの愛刀と並べ背中のマウントに括り付けた。

 そして、父の遺骸を綺麗に直し、床へと横たえて両手を胸の前で組ませた。


「お父さんどうするの?」

「ここへ置いて行く。それで良い」

「だけど!」

「これは敵だ。敵なんだ。俺の父はここに居る」


 ロックは背にした太刀を指さした。

 その意味を悟ったバードは何も言わず頷く。


「それより」


 ロックの目がジッとバードを捉えた。


「大丈夫か?」

「え? 平気よ?」

「尋問とかに戦争協定違反の拷問が含まれてなかったか?」

「拷問とかサイボーグに意味ないじゃん」

「まぁそれもそうだが……」


 不思議そうな目でバードを見ていたロックは辺りを確かめ始めた。小さなハッチやドアの向こうや死角になった壁の向こうを確かめ、このエリアに自分以外バードしか居ない事を確かめる。


「無線入ってるか?」

「いや、バッテリーの節約で切ったままだけど」

「今も?」

「うん」


 それを聞いたロックはいきなりバードの手を引いた。


「忘れる前に伝えておく。機密事項だ」

「機密事項?」

「そう。セキュリティクリアランスαだ」


 いきなり緊迫した表情になったロックは、何よりも真面目な顔になった。

 その鬼気迫るほどの表情に、バードはなんの話しかと身構えた。


「なに? こんな時に言う事?」

「あぁ。他に聞いてる奴が居ると拙いから手短に言う」

「うん」


 ロックはバードの耳元で静かに囁いた。


「……愛してる」


 小さな一言だったが、驚いた表情でロックを見た。


「……それは知ってるよ」

「だから続きがあるんだ」

「なに?」


 今度はバードを抱き締めたロック。

 その耳元で再び囁く。


「全てが終わったら、俺と結婚しよう」

「うん。いいよ。それまで死なないでね」

「あぁ。お前も無茶するなよ」

「お互い、無鉄砲のイノシシ系だからね」


 至近距離で見つめ合ったロックとバードは全部承知で誓いのキスを交わした。

 そして、ギュッとバードを抱き締めたロックが囁く。


「脱出するぞ」

「そうだね」

「家に帰ろう」


 バードの手を引いてロックが走り始めた。

 二人とも、後ろを振り返らずに……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ