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機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第10話 オペレーション・クトゥーゾフ
114/354

サイボーグvsレプリカント


 ――――金星地上 アフロディーテ基地 

      暫定金星標準時間 6月7日 1530





 アフロディーテ基地の地下へ単身潜入したロックはやや焦っていた。

 計算上、自爆コマンドの無効時間があと90分しか無いのだ。


 ――ちょっとヤベェな……


 黙々と地下道を前進し、基地内マップ上で怪しい場所をシラミ潰しに確かめていくのだ、北棟の地下辺りへ入ったところでアチコチからシリウスの反撃を受けた。


 ――面倒だな! 畜生!


 胸の内で悪態を吐きつつ次々と襲いかかってくるレプリを膾に刻んでいく。

 愛刀の錆へと変わったレプリはすでに100体を超えていて、それでもなお次々と新手が現れていた。


 ――仕事熱心な奴らだな


 いくつか階段を降り、狭い部屋を一つ一つ確かめていくロック。

 残り時間が60分になろうかという辺りで、明らかに今までとは違う構造の扉を見つけた。見るからに分厚く仕立てられた重々しい金属の扉だ。


 ――ん?


 ヘルメットの中でニヤリと笑ったロックは静かに扉へと手をかけた。

 やや重い感触で僅かに扉が開いた時、中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 その声が誰だかはすぐにわかった。だが、同じ声が二つあって、双方が言い合っている状態なのは理解に苦しむ状況だ。

 足音を殺し、気配も殺し、静かに数歩進んだ時、その部屋の中が沢山の鏡に埋め尽くされた異常な部屋である事に気が付いた。


 ――なんだここは?


 慎重に鏡へ当たらぬよう身体を泳がせて進んでいくロック。壁だけで無く、まるで映画のセットのように安普請で作られた張りぼての壁一面に鏡が貼り付けられている。

 その鏡に鏡面仕上げのヘルメットが多重反射していて、ロックの視野が気持ち悪い事になりはじめた。『チッ!』と舌打ちして忌々しげにヘルメットを取ったロックは、その声の発生源目指し進んでいった。


「無様ね。本当に」


 心底蔑むような言葉が響いた。

 少しだけドキリとしたロックが僅かに鏡の隙間から覗くと、そこには海兵隊の戦闘服を着たバードと装甲服の下に着るアンダーウェア姿のバードが立っていた。


 ――……って え?


 一瞬混乱したロックだが、すぐに冷静になって考えた。ここでは普通に考えればバードが監禁されているはずだ。つまり、バードに拳銃を突きつけている方のバードが偽物のはず……

 そして、チラリと見えたうなじの部分には頚椎バスに差し込まれたスタンチップのキャップ部分が見え隠れしている。


「身動き出来ずに撃たれそうとか、どっちか無様よ」

「そりゃ貴女に決まってるじゃ無い」


 床に寝転がっているバートがニヤリと笑った。


「これだけ有利な状況で銃一つ撃てないんだから」

「だから!」


 恵はバードに向かって拳銃を発砲した。バードの身体ギリギリで外すように狙いを定め、一発も当てないように細心の注意を払っている。


「当たらない銃弾に意味は無いわね。当てられないなら話は別だけど」


 心底小馬鹿にしたような目には異様なまでの力があった。思わず焦るロックだが、バードは一瞬も視線を切る事無く恵を睨んでいる。こんな時は目を外した方が負け。神経戦の駆け引きではそれは常識だ。そして、ロックはバードが敵を煽って銃を撃たせようとしているのは、拳銃の弾を使い切らせようとしているのだ推定した。


「結局、あなたは私をどうしたかったの?」


 バードの問いにカタカタと震え始めた恵。精神的葛藤を上手く処理出来ないレプリカントの精神構造的な欠陥が露呈している。この状況では発作的に銃を撃ちかねない状況だ。


 ――まずいな……


 幾らサイボーグでも至近距離で脳殻を撃たれれば銃弾が貫通する危険性は高い。よしんば貫通せずとも片面だけ打ち抜けば、脳殻内に納められた脳を破壊しながら銃弾がチタンの脳殻内で跳ね回る事になるだろう。つまり、即死は免れない。


「あっ あなたを助けたかったのよ。私のコピーが死ぬのは忍びないじゃない」

「助けるとか随分じゃ無い。私はあなたを殺す為に存在してるのよ?」


 余裕ある態度で問い詰めているバードと、見るからに追い詰められているバードの二人。ロックはハッと悟った。本物と偽物の戦いは、弱気になった方が負けなんだと。そして、その奥にあるバードの真意。


 ――あいつ! 死ぬ気だ!


 交渉の材料としてシリウス側に捉えられているのを良しとせず、自決や自爆が出来ないのであれば射殺されるのが良い。サイボーグにとって一番重要な技術はブリッジチップなのだから、頭を撃たれればかなりの可能性で脳幹部分が見事に破壊されるだろう。

 ただ、目の前でバードが射殺されるのを従容と受け容れる事は出来ない。無意識にSー16の射撃モードセレクターを単射に切り替え引き金に指を掛け、飛び出すと同時に射撃出来る体制になってロックは腰を沈めた。いきなり飛び出し、銃を突きつけているバードがロックを見た瞬間、ヘッドショットで即死させる。

 戦闘手順をもう一度頭の中で素早く再確認し、いちにのさんで飛び出そうとしたその瞬間、落ち着いたバードの声がロックに耳に届いた。


「仮にあなたがオリジナルの小鳥遊恵で、コピーである私を助けてくれると言ったとても、私は海兵隊なのよ。シリウスシンパの存在を絶対に認めない海兵隊。そして、その中で最強の実行部隊であるODST。その理想は私自身の逃げを許しはしないし認めもしないでしょうね。私は私が信じる理想に殉じるの」


 その言葉に驚くロック。勿論、銃を突きつけているバードもだ。だが、ニヤリと笑った芋虫状態のバードは遠慮無くたたみ掛ける。それは、精神的に不安定さを抱えるレプリカント最大の弱点を突く言葉だ。


「ふと冷静に考えれば、いつ死んでもおかしくなかった私がこんな遠くまで来たのよ。お馬鹿な女子高生に憧れていた、半ば死んだも同然だったはずの私がね。今は海兵隊の士官として、沢山の部下に当たる兵士の命を預かって、信頼出来る仲間達と一緒にこんな遠くへ。地球から金星って言葉じゃ説明出来ない位遠いわよ。それだけで私は満足だわ。だって、いまは自分の足で歩けるんだから。じゃぁ、あなたはどこから来たの?」


 自分自身が恐怖にパニックを起こしかけた言葉を使って、バードは恵の精神にプレッシャーを掛け続ける。もうこれしか無いと思っているのだ。そしてその効果は十分に発揮されていた。

 『あー!』と半狂乱で叫びながら、恵は何度も何度もバードの顔や胸を踏みつけていた。狂ったように何度も何度も踏みつけ、そして自分の頭を両手で挟み込んで顔を左右に振りながら蹲っている。完全に左の頬が裂け、内部の歯列が姿を表す。その歯列の奥には筋肉に偽装された帯電作動の板バネ型人工筋肉が姿を見せた。


「さっきから何度も踏みつけてるけど、そんなにこの中身が見たいの?」


 顔面の表情を形作る様々なパーツが壊れ始め、バードの顔がひどい事になり始めた。ただ、生身であれば鼻血どころでは無いダメージを受けているにも係わらず、バードはまだまだ余裕がある。恵にとってはそこが一番悔しいのだろうとロックは感じた。


「この人工皮膚の中にあるチタンとカーボンで出来た構成体が破壊されたら、その奥から可愛い妖精でも出てくるとか妄想してないよね?」


 踏みつけられても余裕を崩さないバード。

 その姿をロックが眩しそうに見ている。


「私が貴女のコピーなら私と同じ事を貴女も覚えている筈よね? 野山を走り回った夢を見たでしょ? 密林の中を行く虎のように。雪原を行く狼のように。集団で得物を追い詰める猟犬のように。得物を追い詰めて貪り喰らう肉食獣の本能に憧れた夢を、オリジナルである貴女が知らないはずが無い!」


 バードの悲壮な言葉に恵が悲鳴を上げた。

 金切り声が部屋に響き、両手で頭を押さえた恵は叫んだ。


「何度も言ってるけど、貴女がオリジナルならそれでも良いわよ。今更自分が機械じゃ無いなんて否定しないから。ただ、病院で苦しんだ記憶が貴女にも有るなら、あの時感じた悔しさや悲しさや、この世界総てを呪った自分の記憶を忘れてないなら!」


「うるさい!」


「あなたが本物だと言うのであれば、身体中が石になる奇病ですと楽しそうに医者に言われた日を覚えているでしょ? あの時、自分の父親にも母親にも『なんでそんな病気になった!』と文句を言われた悲しさを覚えているでしょ? 目に映る景色が色を失い、全てが真っ白だった日々を覚えているでしょ?」


「うるさいと言ってるだろ!」


 我慢ならずか恵は全く照準を定めずに拳銃の引き金を引いた。その銃弾は真っ直ぐにバードへと向かって飛び、左の耳のすぐそばを通過して床に穴を開けた。銃弾による渦旋流に耳たぶが引きちぎれ、神経に当たる細い光ファイバーが露出する。


「私は貴女なんでしょ? ならこれ以上言わなくてもわかるでしょ? 生き物を殺すのが楽しいと感じる血に飢えた私を! いつもいつも充ちない私を!」


「無駄口を叩くなAI!」


 カタカタと震える右腕に握りしめられた拳銃がカチャリと音を立てた。恵はバードの眉間に狙いを定めて引き金を引いたのだ。だが、何度も何度も射撃を繰り返している間に、マガジンの中の弾を撃ち尽くしていた。


「楽しいでしょ? 生き物を殺すのが! 自分だけ死ぬのが嫌だからみんな殺してやるって思ったはずでしょ! すぐとなりの部屋にいた人が死んだ日に世界が色を取り戻したことも! 死ぬのは自分だけじゃ無いって安堵したことも!」


 部屋中のガラスが共振するほどの音量で叫んだバード。

 その音圧に限界へと達した恵が悲鳴を上げて膝を付き、頭を抱えた。


「私は貴女のコピー! なら貴女は私と一緒なのよ! 生き物を追い詰めてなぶり殺しにして、その生き血を啜るのが楽しいと感じる救いようのない呪われた魂よ! 殺すのが楽しいでしょ? もっともっと殺したいでしょ? まだまだ満足しないよね? こんなもんじゃないよね? 私が貴女のコピーなら、満ち足りない私を認めて! さぁ、早く次の得物を殺して!」


 バードの言葉は殺生を生理的に嫌悪するようマインドコントロールされたレプリカントの弱みを曝け出した。恵は正常な判断を失い、狂乱状態になって叫び続けた。その姿は気の触れた錯乱者のようだった。


 ――よし チャンスだ!


 意を決したロックは物陰から飛び出した。何をどうと考える段階はとっくに終っている。迷う事無く銃を構えていた錯乱者の方のバードに狙いを定め、殺意の篭った眼差しで睨み付けると同時に引き金を引く。

 鈍い衝撃が肩に伝わり、同時に錯乱していた方のバードが拳銃を落とした。シリウス製の11ミリ拳銃なのはすぐに解った。一番弱い部分はわかっている。ロックピンを目掛けて銃弾を放ったら、拳銃は鈍い音を立てて弾けとんだ。


「バード!」


 ロックの叫び声に驚いたバードは不意に頭を上げて声の主を探した。


「……うそ」


 鋭くダッシュを決めたロックは身体ごと錯乱中のバードにタックルし、大きく吹き飛ばしてしまう。そのバードが鏡の壁に当ってガラスが砕け、それを見たロックは銃をフルオートにしてマガジンが空になるまで撃ち続けた。


「バード! 大丈夫か!」

「……ロック!」


 激しい衝撃と至近距離で聞いた銃の射撃音に混乱を来たしたバードのレプリは頭を抱えて床に蹲っている。それを確かめたロックはバードに駆け寄ってスタンスティックを抜こうとしたのだが。


「ちょっと待って!」

「なに!」

「自爆モードが!」


 もうちょっとでスタンスティックを抜くところだったロックの手が止まった。バードは慌ててプロパティタブから自爆スイッチを切って安全装置を掛けた。


「もう大丈夫」

「OK」


 ロックがスタンスティックを抜いた時、鈍い衝撃と痺れるような感触が背筋を駆け抜けた。だが、同時に身体の自由が復活したバードは、何度も踏みつけられ引き千切れた自分の顔を鏡に映していた。


「あらら。どうもおかしいと思ったけど……」

「大丈夫か?」

「すぴーあーもーどをきったらふぁべりにくい」

「ん?」

「スピーカーモードを切ったら喋りにくいの!」


 恥ずかしそうに笑ったバードの左頬は不自然に歪んでいる。

 だが、何とも嬉しそうなその表情に、ロックは戦闘中と言う事をすっかり忘れてバードを抱き締めた。


「ゴメン。俺が悪かった」

「え? なんで??」

「お前を置いてきぼりにした」

「あぁ……」


 思わずロックの顔を見たバード。

 その目と目が合ったとき、はにかみながらもバードは言った。


「じゃぁこれ貸してくれる?」


 ロックの胸部装甲部に装備されていたナイフを引き抜いたバードは、素早く振り返ってロックの体当たりを受けた恵を見据えた。


「さぁ、どっちが本物か勝負よ」

「……機械に勝てるわけが無いじゃ無い!」

「貴女がもう一人の私であれば、そんなブザマな事は言わないわね」


 そう言うが早いか、バードは鋭いダッシュを決めて恵へと襲いかかった。およそ戦闘用とは言いがたい雰囲気だった恵は反射神経だけでぴょんと素早く後方へ飛びのき、音も立てずに戦闘服に付いていたナイフを抜いた。


 ――へぇ……


 腰を落として戦闘態勢になった恵を見てロックが楽しそうに笑った。バードが見せるナイフファイトはBチームの中でも指折りの戦闘能力だ。実戦で何度もバードの戦う姿を見ていたロックは、闘う姿を見せた恵の勇気に敬意を覚えた。


 ――さて…… 何処まで粘るか……


 薄ら笑いを浮かべるロックの前、同じ姿をした二人の女がナイフを抜いて視線を闘わせている。バードは鋭く一歩踏み込んで、まずは空振りでも良いからと左右にナイフの刃を走らせた。その姿に恵は素早く一歩下がるのだが、バードは相手が下がったのを見るのと同時に自分も後退する。

 その動きはレプリが持つ戦闘本能を利用したトラップで、恵が反射的に距離を詰めてくるとだろうという前提だ。幾つも修羅場を潜っているバードにまんまと釣られた恵は、バードの刃が届く距離へ不用心に踏み込んでしまった。手が届く距離に恵が入ったのを確認し、バードは下から刃を走らせる。


 ――さすが…… 相変わらずバードのフェイントはえぐい……


 バードの戦闘手順に唸るロック。だが間一髪でバードの刃をかわした恵は、仕返しとばかりにナイフを伸ばしてきた。ギリギリのタッキングでかわしたバードは、それと同時に、ナイフを真っ直ぐに伸ばして恵の胸を狙う。

 この時の距離感のとり方は言葉じゃ説明できないもので、とにかく場数を踏んで覚えるしか無い。しかしながら、ナイフを使った刃物での戦闘センスに関して言えば、バードが持つそれはロックをして一目置かざるを得ない物だった。


 ――相変わらずすげぇな……


 ロックが感心する視線の先。バードのナイフを間一髪で躱した恵は、バードの手首内側を狙ってナイフを翻している。振り上げ方向の刃は手首を切る事が出来ずとも顔か頸動脈を捉える動きだ。僅かに表情を曇らせたバードは、その刃先をギリギリまで我慢してから顔を左に振ることで躱し、恵の振り上げた腕が思うように落ちない事を確認して刃物の攻撃圏内を脱した。

 文字通りの仕切り直しとなったのだが、バードは身体を限界までねじり、右足の踏み込みと腰の回転と肩の入れ込みを連動させ、さらに右腕の油圧シリンダーを最速で伸ばして勝負に出た。レプリカントでは買わせないサイボーグにしか出来ない速度での攻撃だ。バードの持っていたナイフの先端が恵の前髪を僅かに切った。


「あっ」


 惜しかったと悔しそうな声を漏らしたバード。恵の表情には焦りの色が浮かび始めた。その表情を見て『チャンスだ!』と判断したのか、バードは同じように持てる可動部分の全てを連動させて恵へと襲いかかっている。その姿にロックは間違い無くバードの勝利を確信した。だが……


 ――え?


 ロックは思わず息を呑んだ。バードと戦いもう一人のバードが。レプリカントの方のバードが見せた体捌きと刃物の切り返しは、間違い無くロックの父親が見せるものだったからだ。

 限界まで身体を使っていたバードは恵の切り返しに対応しきれなかった。かわす事も避ける事も出来ないバードは、最後の手段で恵の右手を自分の左手で払う。そうしないと、返す刃で首を切り落とされるから。

 しかし、はらった右手が引き戻される瞬間、バードの左手首辺りに恵の持っていた刃が走った。一瞬赤い血が飛び散る錯覚を見たロック。バードも同じ物を見る。サイボーグの手首部分にある指関節を作動させる為のオイルラインだ。


「チッ!」


 バードの腹立たしげな舌打ちが部屋に響いた。そんなバードが顔を顰めた瞬間を狙って恵は最大速度で踏み込んできた。振り抜いていた右腕を振り戻しながら、バードの頚動脈を狙ってもう一撃。

 その一撃をギリギリでかわしたバードは、大きく目を見開き戦闘が楽しいのだと言わんばかりに歓喜の笑みを浮かべている恵を見た。


「やっぱり貴女オリジナルかもね」

「最初からそう言ってるでしょうに!」

「だって闘ってる姿が楽しそうだもの。殺すのは楽しいでしょ?」

「…………うるさい!」


 表情をガクッと変えた恵が踏み込んで来た。視界の中に左手首オイルラインの異常を表示しているのだが、その緊急警告を全て消し去って視界の中をクリアにし、バードは恵を仕留める事に全力を注ぐ事にした。


「ッティ!」


 妙な叫び声で両脚踏み切りからのダッシュを見せたバード。どうせ使えない左手をカウンターウェイトに使い加速したその速度は今日一番を記録する。ただ、狙うのは手首でも首筋でもなく、とにかく何処でも良いから反撃の一切りを入れる事だった。

 戦闘本能で闘っている恵はバードの狙いが変わった事に気が付かず、無意識に手首と首筋を守っている。その隙を突いたバードの一撃が恵の左腕付け根を捉えた。かなりの手応えを感じたバードの手には、ブチブチと腱を斬っていく感触が残っていた。


「ヨシッ!」


 小さく声を漏らしたバード。恵は白い血をこぼして右腕で傷口を押さえた。バランスを取る為に使っていた左腕がこの状態では辛かろう。だが、情けは無用とばかりにバードはギアを一段上げて襲いかかっていく。

 だが、左腕を損傷した恵は不自然な微笑を浮かべてバードに逆襲を仕掛けた。その表情にアルカイックスマイルを連想したバード。余裕を見せる為の強がりかと思ったのだが、むしろその表情はレプリカントが見せる精神的ハングアップ直前の物にも思えていた。


「キェェェェイィ!」


 金切り声に近い叫びを上げて恵は闇雲にナイフを振ってきた。その軌道を読むとか次の一手を予測すると言った事が一切出来ない状況だ。対処療法的に危険な一振りにはカウンターを仕掛け、恵の右腕に細かな傷を付けていくバード。幾度かの接触を経た時、ジリジリと後退していたバードは後が無くなっていた。


「オイこら! 俺の女になにすんだボケ!」


 さすがのバードも焦った表情を浮かべた時、ロックが裂帛の咆吼を部屋に轟かせた。瞬間的に手の止まった恵だが、バードも同じく身体が止まった。そして、バードと恵の二人が見た物は、二人の得物であるナイフを遙かに超えるロングソードを抜き放ち、残像が残るほどの速度で踏み込んでくるロックの姿だった。


「…………ッ!」


 恵の目にはロックの刃先が映らなかった。ただ、腕のしなりだけで刃先の軌道を読んでテイクバックするのが精一杯だ。ギリギリと言うには全く余裕が無い状態で剣先を躱した恵。その恵に向かい振り下ろしたソードを素早く切り返したロックは、振り上げ方向に太刀を振り抜いた。


 ――ツバメ返し!


 バードの脳裏に浮かんだその技の名前は、過去何度も戦場で見せていたロックの必殺技の一つだ。しかもそのツバメ返しが見せた速度は、過去に見たいかなる戦闘シーンよりも数段優速で、背骨までそらせていた恵のアゴ先を僅かに捕らえた。

 白い血がミスト状に飛び散り、鋭い痛みが恵を襲う。しかし、アルカイックスマイルを浮かべたままの恵は楽しそうにロックへと襲いかかっていった。ナイフを振り下ろしてロックの肩口を狙っていたのだ。


「ッソイ!」


 振り上げたツバメ返しの太刀が稲妻の様に振り下ろされた。初手を越えるツバメ返しの次手は驚くほどの速度だったが、三手目にあたるその打ち込みはロックの肩を狙った恵の腕を追い越すほどの速度だった。

 鈍い音を立てて恵の右腕を捉えたロックの刃は、恵の右手首をやや肘に近いところから切り落とした。床にバウンドした自らの右手を驚きの表情で見た恵が顔を上げた時、バードのナイフが恵の心臓へと突き立てられた。


「…………何度やってもこの感触は嫌なものね」


 ボソリとこぼしたバードの声。それを掻き消すようにロックの咆吼が轟く。


「ッセイ!」


 恵の右腕を切り落とした一撃から再びツバメ返しを見せたロックの四手目は、恵の頭蓋骨を右下から左上方向へ浅く切り落とす物だった。生身の肉体では筋断裂の危険がある為、この動きは絶対出来ないだろう。

 サイボーグにのみ可能とする二段ツバメ返しの荒技は、恵の頭蓋骨を断ち切り、脳本体を露呈させる一撃だった。脳殻から白い血を溢れさせた恵は、あふれ出た白い脳液に驚く。


「……偽物は私だったのね」

「あたりめぇだろうが!」


 振り上げた太刀を再び振り下ろす方向へ切り返した時、バードの手がロックの太刀筋へとかざされた。


「待って!」


 バード自身が咄嗟に行った自らの動きに驚いた。

 ただ、心臓を突き刺され脳殻を切り裂かれ、恵は明らかに動きを悪くしてた。


「私は何者なんだろう……」


 多くのサイボーグが根源的に抱える精神的な恐怖を恵は漏らした。その姿にバードはレプリカントへ脳移植した者も同じ恐怖を持つのだと気が付いた。そして、つい数秒前まで死闘を繰り広げたこのレプリカントが、全く他人には思えなくなっていた。


「貴女も私よ。救いの無い闇で苦しむ私」


 穏やかな表情を浮かべた恵。

 バードは無表情にそれを見ていた。


「私は……戦う為に作られたのね」

「……そうね」

「この終わらない悪夢を終わらせて。あなたが私なら、私の手で」

「……わかった」


 恵の胸に突き刺さっていたナイフへと手を掛けたバードは、勢いよく引き抜くと同時に刃の向きを変え、ひと思いに恵の首を切り落とした。かなりの深手を負ってもすぐには死なないように作られているレプリだ。

 口をパクパクとさせながら恵はゆっくりと死んでいった。バードの腕の中で死に行くレプリの恵は満足そうな笑みを浮かべていた。


「シリウスを許さない…… 仇は取るからね……」


 ボソリと漏らしたバード。その肩をロックがポンと叩いた。


「さて、全ての悪夢を終わらせるとするか」

「そうね」


 ロックは床に崩れた恵の身体を真っ直ぐに整えた。

 バードはそこへ恵の頭部をそっと置いた。転がらないようにしながら。


「バーディ」

「なに?」

「大丈夫か?」

「……平気よ」


 左の頬を大きく破いているバード。その頬へエマージェンシーキットの大型止血帯を貼り付けたロックは、そのままバードを抱き寄せた。


「すまない……」

「……今回は自分のミスだから」

「そうかもしれないけど、でも、俺は兄貴に約束したんだよ」


 ロックの顔を見上げたバードが笑った。黒かった筈なロックの瞳は左目だけが青くなっていた。見事なオッドアイ状態のロックにバードが気が付いたのだった。


「……そうね。大事にしないと」

「あぁ。その通りだ」

「目、どうしたの?」

「どうしてもパーツが無くてさ。仕方が無いからエディのスペアパーツを貰ったんだよ。眼球サイズがエディと俺で同じサイズだったんだ」


 もう一度ギュッと抱き締めたロックを見上げるバード。ロックはそのバードの両頬を手で挟んでキスした。逃げられない体勢だったが、むしろ喜んでキスしたバード。アンダーウェア一枚の姿ながらロックの首筋へと抱きついて、そしてもう一度キスをねだった。だが……


「盛り上がってる所をすまんな」


 唐突に響いた声を聞き、ロックの表情が一変した。


「ロック……」

「バーディ。ここに居てくれ。何処にも行かないで」

「え?」


 ねだられたキスをチュッと軽くすませたロック。そのまま抱き締めていた手を離してバードを壁際に押しやると、全身から激しい殺気をまき散らして振り返った。ロックとバードの視線の先には、過去幾度も戦っていた男が立っていた。


「ここで会ったが百年目だぜ」

「何度やってもワシに勝てない負け犬がほざきよる」

「ガキは成長するんだぜ……」

「サイボーグには無理な相談だな」

「どうだがな……」


 バードが見ているロックの横顔には、隠しきれない笑いを漏らす好戦的な男の歓喜があった。いつの間にか鞘へと収めていた太刀を改めて抜いたロック。その姿をじっくりと見たバードはこの時点で始めて気が付いた。


 ――ロックのボディ(身体)が一回り大きくなってる……


 いつぞやハンフリーの医務室で見たゴリマッチョな兄太一の身体と比べ、ロックのボディはか細くひ弱な印象だった。サイボーグの構造から見ればそれでも充分なのだが、細マッチョと言うにもまだ足りない印象だったのだ。

 だがそうだ。いま目の前に居るロックの身体はボディビルダーのようにギュッと引き締まり、しかも、腕や肩が一回り大きくなっているのだ。生身であれば半年掛けてじっくりとトレーニングし身体を大きくする事が出来るだろう。しかし、サイボーグにそれは出来ない。

 つまり、ロックは機械の身体それ自体を大きくした事に成る。そして、その目的はただ一つだ。


「決着を付けよう……」

「そうだな」

「引導を渡してやるぜ。俺の手で」

「お前に出来るのか?」

「親を越えるのは子の義務だ。そうだろ?」


 太刀を静かに構えたロックは薄笑いを浮かべてジッと相手を見た。


「おやじ……」


 ロックの眼差しの先。

 動きやすい事業服姿になったロックの父親が立っていた。

 同じように静かに太刀を構え、嬉しそうな目でロックを見ていた。


 時が止まったかのように静止する二人。

 その姿をバードは美しいとすら思っていた。

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