VKテスト(後編)
~承前
「見事なVKテストだな。流石だよ。君は本当に優秀だ。だが……」
何かを言い掛けたその男は震える恵の両肩をそっと抱き締め、その身体が落ち着くのを待っていた。
「ウソ…… ですよ…… ね……」
そこに立っていたのは、かつてAチームを率いていたデルガディージョだった。
ほんの数分前の恵と同じく、バードもまた零れ落ちそうな程に目を見開き、そして焦点の定まらない眼差しは呆然とデルガディージョを見つめているのだった。
「恵…… 大丈夫かい?」
「申し訳ありません。恥かしいところをお見せしました」
「君は優秀だが精神的に不安定だね」
カタカタと震えていた恵が落ち着きを取り戻した後、デルガディージョは恵の額へそっとキスをして両腕を解いた。名残惜しそうにその手の中を離れた恵は恨みがましい目でバードを睨みつけている。
「デルガディージョ隊長……」
かつてイシュタル基地攻防戦で行方不明になっていたデルガディージョは、ややほっそりとしてスリムな体型になっていた。ダイエットでもしたのかと思ったのだが、冷静に考えればサイボーグがダイエットなど出来る訳が無い。
驚きの余り一時的に思考停止していたバードが我に返った頃、その目の前ではデルガディージョが恵の両肩に手を置き、優しく諭すように言葉を続けていた。
「恵、自分を疑うな。海兵隊のサイボーグは自分自身を疑わないように作られている。仮想人格な自分自身のコピーなんかに負けるんじゃない」
力強い言葉を投げかけたディージョの姿は、かつて火星や金星の作戦で何度も見た尊敬すべき士官の姿その物だった。怯える恵を震え立たせ、そして励ましている。しゃべり方も振る舞いも、全く持って同じだった。
「まったく…… 流石と言うべきはテッドだな」
忌々しげにバードを見下ろしているデルガディージョは、深く深く溜息を吐きだした。まるで肺腑の底に溜まっていたネガティブな感情の全てを吐き出すようにしたその溜息には、生臭い『生物』の臭いが混じっていた。
「面倒なくらいシッカリ育てやがって」
「デルガディージョ隊長…… どうして…… どうしてですか!」
やや声が上ずったバードは真っ直ぐにデルガディージョの目を見た。バードの視界にレプリ反応を示す表示が浮かび上がり、その直後、UNKNOWNの点滅が始まった。
バードのレプリチェッカーは、現状のデルガディージョを全く未知のレプリカントだと判別した。それはつまり一言で言えば、あのロックの父親と同じ可能性と言う事だった。
「バード…… 君が落下させた浮遊都市ジェフリーの下敷きさ。あの時、君は遠慮なくジェフリーを落下させたが、イシュタル基地の中には300人近い民間人がいたんだよ。その民間人を避難させてる最中にジェフリーが落っこちてきてな。最後まで脱出に奔走したが結局間に合わず、おかげて胸から下が完全に破壊された」
恨みがましい目で見ていたデルガディージョは、不意に一度視線を切って恵の介抱を続けた。ややあって恵が落ち着きを取り戻した時、ディージョは敵意とも親しみとも付かない表情でバードを見ているのだった。
「だがな、胸から上だけになった俺をシリウスは回収し、そして脳だけを取り出してレプリの身体に入れたんだ。おかげで死ぬ事無く、こうして活動する事が出来るって訳だ。そして私は疑問を持った。地球は本当に正しいのか?ってな」
その姿は怪しげな新興宗教にはまった無知な消費者とでも言う様な、そんな手前味噌で身勝手な臭いを放っていた。それこそ『ゲロ以下の臭い』とか言うものだ。だが、それを熱く語る本人は全く気が付かない。そんな部分も含め、最悪の状態と言えるのだった。
「バード少尉」
バードはデルガディージョの目をジッと見ていた。その目の輝きに吸い込まれていたと言っても良いかもしれない。純粋な眼差しで熱弁を振るう姿は、バードの知っているデルガディージョとは似てもに付かぬ姿だった。
「なぜ君はシリウスと戦っているんだね?」
「……海兵隊の責務だからです」
「そうだ。だがそれは、君の責務では無い。そうじゃ無いか?」
「……え?」
一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたバード。
だがデルガディージョは遠慮なく言葉を続けた。
「シリウスを正しく知る…… そんな教育を君も受けたはずだ。だが実際は……」
忌々しげに首を振るデルガディージョは悲しそうな目でバードを見た。
「シリウスの内側へ入って私が見たモノは、疲弊しきってなお戦わざるを得ないシリウスの姿だ。シリウスが本当に求めているのは、単に『そっとしておいて欲しい』って事なんだよ。存在承認だとか階級闘争だとか、そんなのは地球側から見た戦争継続の大義名分でしかない。要するに承認して欲しいと言う事だけだ」
切々と語るデルガディージョは恵の肩をそっと抱いた。
そこにいる男は、かつて見た自信溢れる勇ましい士官ではなく、己の犯した罪に震える罪人のようであった。
「要するに、人類が何度も繰り返してきた単なる商売戦争なんだ。その為に沢山の人間を、何の罪も無い人間を動員し、兵士に仕立て上げ、戦争を続けているんだ。一握りの戦争商人達が儲ける為に。そして、彼らからキックバックを受け取る政治家たちの為にね」
ポカンと口を開けてデルガディージョの言葉を聞くバード。何とも退屈で胡散臭い言葉が続いているのだが、当人の熱弁は留まる事を知らなかった。
「かつての私がそうであったように、今の君がそうであるように、サイボーグとレプリカントと言う戦争の奴隷を作り出し、永遠に戦争が続くように仕向けている。戦争が続いた方が都合がいいからね。だが、今こそそのくびきを破壊し、真の独立と自由を勝ち取る時なんだよ」
デルガディージョは寝転がるバードにそっと手を伸ばした。
さぁこの手を掴めと言わんばかりの表情でだ。
「今こそ立ち上がらないか。我々のような存在を騙して、そして戦争へ駆り立てている一握りの連中に一泡吹かせるんだ!」
『な?』とでも言いたげな目で見たデルガディージョ。だが、バードはすっかり白けている。騙されているだの利用されているだけだだのと言った言葉は、所詮誰かを騙す時の常套句でしかない。
本当に工作するのであれば、手段はもっと違うだろうし、その手口についてブレードランナー教育で手ほどきを受けている。現状のデルガディージョの様に『自分は真実に気が付いてしまった』と思い込む自意識高い系勘違いは、自分の導き出した結論と異なるものや、或いは自分が信じるもの以外の全てを捏造や欺瞞だと片付けてしまう。
そして悪い事に、この手の人種は周辺を汚染していく事が多い。敵の正体を見抜くとか、或いは、意図的に嘘を広めているとか、そういった胡散臭い陰謀論を本気で信じてしまう人は、どんな時代だって一定の数で必ず存在するのだ……
「つまり…… 私も犠牲者であると、そう仰るわけですか?」
呆れ果てたバードはかったるそうな目でデルガディージョを見ていた。もはや何を況やという状況だ。もうアレコレと言う気すら失っていて、どちらかと言えば洗脳されてしまった人間の脳って元に戻るんだろうか?と変な事を心配していた。
「その通りだ。さぁ、手を取り合って自由を掴み取ろう!」
「それに何のメリットがあるんですか?」
「君が何処から来たかは知らないが、これから何処へ行こうとしているのかを選ぶ権利はあるはずだろう!」
「ならば、その選択がシリウスを一人残らず殲滅するというのも有りですよね?」
「まだ解らないのか!」
「騙されているのはあなた自身では無いですか?」
遠慮の無い言葉を浴びせ掛けたバード。そこには怒りでも憎しみでもなく、もちろん諦観や落胆でもない、純粋な哀れみがあった。間違いなくこの人は洗脳されてしまっている。もしくは、ウソの記憶を植えつけられている。そう感じたのだ。
「奴隷からの救済だ! 何者かが作り上げた搾取システムを破壊するんだ」
「なんで破壊するんですか?」
「全ての被支配者を開放する事こそがリベレーターの使命だからだ」
「そして次の支配者になるんですね?」
バードの口を突いて出た言葉にディージョが黙った。
驚きと戸惑いの表情を浮かべ、口をわなわなと震わせている。
そんな姿を見たバードは、畳み掛けるように呟いた。
「私の知るディージョ隊長はもう少し世の中を斜に構えて見ていたように思いますが、一体何があったんですが? まるで別人です」
突然デルガディージョが奇声を上げた。まるで壊れたサイレンの様に無意味な叫びをあげ、てんかん患者の様に両手をブンブンと振り回し、そしてバードの顔目掛け右足を振りぬいた。
寝転がっていただけのバードは、顔面横にヒットした軍用ブーツの威力で大きく向きを変えた。強靭なバードの頭蓋骨を砕くほどでもないのだが、鋭い痛みが走った部分は痛覚情報をカットし、情報として脳へ伝わらないようにした。
「ディージョ隊長?」
「なんだそれは!」
「え?」
「海兵隊は何時からそんな組織に成り下がった!」
再びディージョの軍用ブーツがバードの顔面を捉えた。角度的に危険だとコンピューターが咄嗟の自動回避を行い、靴先の鋭い部分が眼球カメラを破壊しないように首を振った。
「私はデルガディージョだ!」
「……………………っえ?」
驚きの表情を浮かべたバードがディージョを見上げる。
その視線の先にいるディージョは、悔しさの余りに踊っているような状態だ。
「デッ ディージョ隊長はインカのスーパイでは?」
「スパイなんかではない!」
ギリギリと音を立てるほどに歯軋りをしているディージョ。
バードはその瞬間に確信した。偽物だと。
「あなたは誰なんですか?」
「デルガディージョだ! まだ解らないのか!」
感情が極限まで高ぶったディージョは、軍用ブーツの底でバードの顔を蹴り潰した。顔面を何度も踏みつけられたバードは、不可抗力でブーツの裏にキスをした。だが、その行為はバードの心に闘争心と言う炎を点すものでしかなかった。
「肉体的苦痛が無いなら精神的に痛めつけるだけだ」
「目が覚めたらサイボーグだった日に比べれば、どんな苦痛も意味ありません」
「真っ暗闇の恐怖はどうだ! 真っ暗闇に閉じ込めてやれ!」
「オールブラックアウトを知っているはずのディージョ隊長なら、それも意味が無い事など理解しない筈がありませんが……」
何度も踏みつけられ、バードの顔に張ってあった人工皮膚が僅かに裂けた。その奥には鈍く輝く銀色の骨格体が見えている。首を振って鏡を見たバードは、そのグロい姿にニヤリと笑った。
「骨身に染みるまで教え込んでやる。漆黒の闇だ。その気が触れるまでな!」
「あなたは……デルガディージョのふりをしているだけじゃ無いんですか?」
「暗闇は全てを狂わせるのだよ」
「全く未来の無い真っ暗闇の中で死を待っていた私です。闇はむしろ全ての始まりでした。私は闇など怖くない」
バードはあくまで強気にデルガディージョを挑発した。ここで弱気になったら負けだと思ったからだ。声で戦うのであれば、自分を疑ったら負けなのだ。本気で勝ちに行かなければ、結局飲み込まれてしまう。
「さぁ! お前の脳殻ユニットを差し出せ! そして歌え! 豚のような悲鳴を上げて! お前の隠したい事も言いたくない事も全て暴露してやる!」
激昂しているデルガディージョの顔がトマトの様に真っ赤になっていた。その反応を見ていたバードはひとつの確信を得た。
「準備はいいか? 存在する意味を問う時は過ぎたぞ。それが嫌なら死ねばいい」
「インカの死神であったあなたから死を恐れる言葉を聞くとは思わなかった……」
小さく溜息を吐いたバードは哀しみを湛えた目でデルガディージョを見た。
「生命は無限に回転し続ける車輪。生まれては死に、また生まれては死に、そして命は続いていくの。終わらない、決して終わらない古くからの物語なのよ」
「なんだと!」
これ以上なく怒り狂っているデルガディージョの目は、狂人が持つそれだった。その姿が余りに哀れでみすぼらしくて、そしてバードは呟いた。
「プリテンダー」
「その減らず口を叩き潰してやる!」
再び足を振り上げバードを踏みつけようとしたデルガディージョ。
「さぁ、許しを請え! 命乞いしてみろ! 痛みから逃げ出すんだ!」
「私は他人とは違うと言ったらどうするんですか? あなたの下らないゲームに出てくる他のひととは違うんだといったら……」
強い眼差しで見ていたバードの顔を再びデルガディージョが踏みつけた。僅かに顎を引き、丈夫な部分でブーツの底を受けたバードは、幾度も踏みつけられながらもボソリと呟いた。
「あなたはディージョ隊長のニセモノだ」
そのバードの言葉が耳に届いたのか、デルガディージョは肩で息をしながらも、零れ落ちそうなほど目を見開いてバードを見ていた。
「私は絶対屈しない……」
まるで年端の行かぬ子供が自分の思い通りに行かないと癇癪を起すように、言葉にならない奇声を喚いている。
「かつて同じサイボーグだったとは思えない無様な姿ですね……」
「やがて私は魂を売った男だと呼ばれるだろう。あぁそうさ! 私は地球を裏切ったんだ。だが俺達は永遠でなくほんの一瞬のはかない存在だったのさ! 俺たちを使って金儲けする連中の単なる道具だ! これも地球人類史に何度も出てくる古くからの物語さ!」
「そうですね。その通りです」
静かに言ったバードの言葉にデルガディージョは動きを止めた。
「あなたはデルガディージョと言う人物の記憶転写を受けた架空の存在」
「黙れ!」
再びデルガディージョの足がバードを蹴り上げた。わき腹へと加わった一撃だが、重要部品はガッチリガードされているのでダメージは無い。
「私はあなたが嫌がる心の声」
「黙れ! 黙れ!」
「私はあなたが向き合いたくない真実、あなたの心に堕ちる影」
「黙れと言っているだろうが!」
「私は置き去りにされた訳じゃ無い」
「話をするのは私だ! お前は黙れ!」
「私は真実…… 私は敵…… あなたを地獄へ引き摺り下ろす手……」
興奮の余りに呼吸過多を引き起こし、デルガディージョは真っ青な表情になってチアノーゼを引き起こしていた。間違いなくサイボーグではないのが窺い知れる。そして、強靭なレプリカント唯一の弱点ともいえる過剰なまでのガス交換能力が仇になっていた。
「私は必ず…… あなたを跪かせる……」
強い眼差しでデルガディージョを見ているバード。
室内のガラスが共振するほどのボリュームで力強く叫んだ。
「あなたは誰」
「うるさい!」
「あなたは誰なの?」
「うるさいと言っているだろうが!」
「私が知るAチームの隊長は中間達や部下からもディージョ隊長と呼ばれた、いつも温和な人だった。おまえはそれに似ても似つかないニセモノ以下だ!」
「やかましい!」
「正体を見せろ! プリテンダー!」
バードの絶叫と同時に激しい振動が基地全体を揺らした。その余りに激しい振動に恐慌状態となったのか、デルガディージョは奇声を発しながら踊り狂うようにしている。
その姿を見ていた恵も不安そうな表情になっていて、バードはこのふたりが間違いなくレプリカントだと確信した。
「この部屋が全部鏡で本当に良かった」
「なんだと!」
激昂したデルガディージョは白濁した口角泡を吹き出しつつ叫んだ。
その姿はかつて見たあの凛々しい勇姿は無く、また、頼れる上官と言った物も無かった。ただただ、年端の行かぬ子供のように駄々をこねて大声を上げるだけのブザマな姿だった。
「さぁ、鏡を見てご覧なさい。その醜さがよく見える」
「お前は自分の立場という物が『私の知るディージョ隊長はもっと大人だった!』
デルガディージョの言葉を遮って叫んだバード。その一言が切っ掛けになったのか、何かが音を立てて崩れていくようにしてデルガディージョの顔が変わった。いつも余裕を見せていた大人では無く、ただ単に自分の思うようにならぬ癇癪を弾けさせるだけの、なんとも大人げない姿だった。
「なんて哀れな魂なの……」
バードの小さな呟きはガラスの部屋に一瞬の静寂を呼び起こした。怒りを紛らわすかのように踊っていたデルガディージョの体が止まった。顔色を変え、憤怒の形相でバードを睨みつけている。
「自分の事でも嘆いているのか?」
目を三角にして怒りを顕わにしているデルガディージョ。その姿を見ていたバードは、尚も淡々と独白を続けていた。
「私はこの手で百体以上のレプリ幼児を殺してきたけど、あのまま成長してもこんな生き物になったとしたなら、あのレプリの赤子達は死んでよかったのかも」
淡々としたバードの呟きだが、デルガディージョも恵もその言葉に目ぼしい反応を示さなかった。まるで他人事なのだ。その姿勢にバードは自らの確信を強くしている。共感性と感情移入が出来ないと言う事は、レプリカント最大の欠点だ。
自らの感情起伏には幼児の様に素直に従うのだが、誰かの感情を理解したり、或いは共感すると言った機能がすっぽりと欠落している。奴隷として使役される運命に作り上げられた人工生命は、誰かの感情に呼応されては困るからだ。
「それだけ殺せば立派な殺人鬼だな。いや、殺人機械か?」
「毎晩夢に出てきたあの幼児達は成長してこうなる筈だったのね」
ふと思えば、レプリカントとまともに問答をするのもバードにとっては初めての経験だ。自分の怒りだけでバードをやり込めようとしているデルガディージョを見れば、あの火星の地上で怒り狂っていたブルの気持ちが理解出来た。
「あの小さな手が私の心を掻きむしったのだけど……
バードはひとつ溜息を吐いた
……本来、気に病むような事じゃなかったわね」
何処までも冷たい眼差しがデルガディージョを貫く。凍て付く刃のようなバードの眼差しは、正対して視線を戦わせる事ですらも難しいのだった。
「この……
何事かを言いかけ、そして言葉を飲み込んだデルガディージョ。同じタイミングで激しい揺れが基地を襲ったのだ。遅々として進まぬ金星の自転だが、地盤的に弱いところへ艦砲射撃の砲弾が着弾すれば、広い範囲で大きな揺れを引き起こす。
基地の中に様々な警報音が鳴り響き、それと同時に耳障りな電子音がデルガディージョのポケットから鳴り響いた。
「くそ! 緊急召集だ!」
ポケットから取り出した電子端末には真っ赤な文字で表示されたエマージェンシーの文字があった。『ここを頼む』と一言残してデルガディージョは部屋を出て行った。その一部始終を見ていたバードだが、最後まで目を寄こさなかった事に少なからぬ満足感を覚えた。
間違いなく『勝った』と実感したのだ。あのニセモノのデルガディージョは現状から逃げ出す事を優先した。ならば、ここはもう一人の自分を叩き潰す事を優先しよう。そう作戦を切り替えてジッと恵を見たとき、自分と同じ姿をしたそのレプリカントをひどく醜悪なものの様にバードは感じたのだった。
「思えば…… わたしは遠くへ来たものだわ」
「遠く?」
「そうよ。貴女がもう一人の私なら知らない筈がないでしょ?」
途端に不安そうな表情を浮かべた恵。その怯えた子犬のような姿にバードは心の中の何処かで、本当は隠しておきたい何かのスイッチが入ったのを感じた。
「もうここには居たくない。どこか、出来るだけ遠くへ行きたいって願った日」
バードの言葉に震え始めた恵。同じ記憶がない事に対する不安。或いは葛藤と言った物が恵の中に渦巻き始めている。そして、恵が気がつかない部分でバードの言葉が変化していた。
――貴女がもう一人の私なら……
遠まわしにオリジナルは自分だと宣言したバード。
その言葉の意味に気が付いたのか、恵は泣き出す寸前のような表情を作ってバードを見ていた。明らかに動揺している。そう確信したバードだが、不思議と心の何処にも痛みを感じる事が無かった。
「ふざけないで!」
動揺している恵が声を荒げた。
過呼吸気味になってバードを見ている恵の息が荒い。
「何処まで横柄なのよ! このAI!」
「横柄とは随分じゃ無い」
「このブリキの人形!」
「動揺も隠せないで過呼吸起こすとかレプリカントそのものじゃ無いの?」
薄ら笑いのバードが見せた表情は、心底相手を小馬鹿にするものだ。
その表情は恵の心理を一気に沸騰モードへ持っていった。
「家族も兄妹も何もないAIの癖に!」
「あら、それは詭弁だわ?」
「何が詭弁よ!」
「貴女にも病院の記憶があるんじゃないの?」
「当たり前でしょ!」
「じゃぁ家族の繋がりなんて期待するだけ間違いじゃ無い」
「……………………………………」
恵は二の句を失って沈黙した。バードが浮かべていた悲痛なまでの笑顔には、相手を見透かす余裕が見えたからだ。
「どうせ私は一人なんだって…… あの時そう思ったでしょ?」
バードの声が震えた。その震えに恵の心が反応している。しかし、バードはそんな事を気にせず、言葉の攻めを続ける事を選択した。恵の精神は平静を完全に失っているのが明らかだ。
「一人で宇宙まで来て、一人で…… ここで死ぬんだって…… そう気づいた瞬間、病気の悲しみも悔しさもふっと消えたのを、在り余る悲しみが和らいだのを知らない訳が無いでしょ? 全て諦めたら楽になったのを知らない訳が無いでしょ? 貴女がもう一人の私なら! 私があなたのコピーなら! 私の知ってる記憶が貴女に無いわけが無いでしょ? ちがうの??」
バードの震える声に『黙れ!』と何度も叫ぶ恵。
だが、両手で自分の頭を挟み、ガクガクと震えだす姿には余裕のカケラも無い。
「沢山の病院スタッフが集まってる中、思うように動かない身体を裸に剥かれて身体中を嘗め回すように見られて。すっかり声も出なくなって痛いとか叫ぶ事も出来ない中で珪素化した部分を削られてサンプルに取られて。だけど痛みも羞恥心も残っているのに、丸で私が単なる石像の様に扱われて! すっかり実験台になって居るのを恨んで怨んで! なんで私ばっかりって! 思うように自立反応が出来ない私を見ながらヘラヘラ笑ってた若い医者を殺してやる!って恨んで!」
気が付けばバードは最大ボリュームで叫んでいた。どれほど大きな声を出しても喉を痛める事が無いのだから、やっぱりサイボーグは便利だと、ふと、そんな事を思ったバード。だが……
「部屋へ帰ってくればぞんざいな扱いで毛布に包まれ、その毛布が触れている部分が珪素化して行って! まるで燃えるように熱くて凍るように冷たくて! 全ての細胞を一つずつ針で潰されていくような鋭い痛みに一睡も出来なくて! 光りを見れば頭が痛くなり、音を聞けば気持ち悪くなり、それでも『貴重なサンプル』とか言って毎日毎日弄られたい放題に身体中を弄られて!」
まん丸の目をした恵がバードを見ている。
視線が絡み、バードは恵の目の奥にある網膜まで見えたような気がした。
「だけど、それも死ぬまでだって。あの時、タイレル社の弁護士が来てレプリの身体へ乗り換える契約をしませんか?と、そう言ってきて、身体をろくに動かせない自分が唯一出来た舌を動かす事だけで。レプリの身体へ乗り換える事を選んで、痛みと屈辱を上手くかわして、心をしなやかにさせてやっと落ち着いた日を、貴女が知らないわけが無いでしょ? ちがうの?」
バードの厳しい追及に恵は半狂乱となった。
獣のように『あー!』とも『うー!』ともつかぬ唸り声を上げ、錯乱したようにバードの身体や顔や、目に付くところの全てをブーツで踏みつけた。勢いを付け体重を乗せ、ガンガンと繰り返し踏みつける恵は、デタラメに顔を振り回し、長い髪を乱れさせて叫び続ける。
「なんでAIなんかにここまでコケにされなきゃいけないんだ!」
「……あら。素が出てるわよ?」
「なんだと!」
「女の子はもっとおしとやかにね。お母さんに叱られる」
母親と言う単語に反応したのか、ふたたび恵が半狂乱でバードの顔を踏みつけ始めた。どれ程殴っても蹴っても、サイボーグにはダメージなど残らない。もはやそうするしかない恵の余裕の無さをバードはあざ笑った。
「私をブーツで蹴りつけても、抵抗なんか出来なくても、私は平気よ? これくらいじゃ壊れないから。どんなに頑張ったって貴女では私を壊す事すら出来ない。貴女には決して……ね」
ただ、激しく蹴りつけられ顔面左側の人工皮膚が剥がれ掛けている。鼻を含めた正中線付近には亀裂らしきものが入り、左頬はまるで口裂け女の様に破れはじめていた。
このまま千切れて行けば、やがて満足に喋る事も出来なくなる。そうしたらスピーカーモードだなと変なところでバードは冷静になっていた。ハァハァと荒い息を吐き出しながら汗を流している恵。その姿をどこか羨ましそうにバードは見た。
「私はレプリカントのプレデターだけど、正直、汗を掻いたり涙を流したりって羨ましいわ」
ギリギリと音が出るほど歯を食いしばっている恵。悔しさと憤りで精神的に変調を来たしているのがわかる状態だ。血走った異常な目つきには殺意が宿り、バードを睨みつけながらカタカタと震えている。
「私は泣きたくても泣けないのよ? 汗も流さないしね。生身の女と違って生理が来ないのは助かるけど。生理痛で青い顔をしている海兵隊員は多いから、その点だけは助かると思ってるの……」
何とも楽しそうに軽口を叩いたバードだが、突然大袈裟なまでに『ハッ!』とした表情を浮かべ恵を見た。
「生理が来ないのは貴女も一緒よね? レプリカントに生理は無いから」
これ以上無いレプリ認定をされた恵は濁った声で叫びながら拳銃を抜いた。シリウス製の11ミリ自動拳銃だ。この距離ならチタン合金製の頭蓋骨を打ち抜く可能性がある。バードは内心で『やった!』と喝采を叫んだ。
「さぁ、撃ちなさい。良いわよ。撃たれてあげる」
ニヤリと笑って蔑むように笑ったバード。恵の指は引き金に掛かったまま引ききる事ももどす事も出来ず凍り付いていた。撃ちたいという感情と撃ってはならないと言う命令の葛藤が指を止めたのだ。
「情けないわね。結局撃てないじゃない…… 御人形さん」
バードの勝利宣言が静かに流れた。
次の瞬間『ダンッ!』と鋭い衝撃音が響き、11ミリ自動拳銃から銃弾が放たれ薬莢が床へとこぼれ落ちた……