自爆命令
全長400メートルを僅かに超える強襲降下揚陸艦ハンフリーは、月面に駐屯する国連軍海兵隊第一遠征師団の麾下にあって、各地の激戦地へ投入されるだけで無く、第一遠征師団を預かる将軍閣下の座乗艦となる栄誉を浴している。
広く大きな艦内ではあるが、降下する海兵隊の様々な施設が所狭しと並べられている関係で、それほど余裕があるとは実感しない事も多い。事実、下士官以下のプライベートゾーンに至っては艦内の三段ベッドの一つを宛がわれ、寝台面の下にあるハッチ付きの物入れと上の段との間が唯一の『個人領域』となっていた。
「さて、行こうか」
それでもこの艦内にはダッドことフレネル・マッケンジー上級大将の使う広い事務室があり、また、エディ少将用の書斎も用意されている。各士官には四畳半程度の私室も用意されていて、激務の合間の息抜きを行えるよう配慮がされているのだった。
「なんの話しですかね」
「まぁ、だいたい察しは付くが……ね」
「彼らは臆病ですな」
ダッドと軽い会話を続けるエディ。その後ろには硬い表情のテッド少佐が続いていた。士官向けエリアにある将官優先通路を抜けてやって来た将軍の事務室。扉の前には海兵隊の兵士が4名立っていて、ダッドの姿を見るなり敬礼を送り、そして静かに扉を開けた。
「マーキュリー少将」
「なにか?」
「私に一任してくれますか?」
「……えぇ。よろしくお願いします」
エディは信頼溢れる笑みでダッドを見ていた。
「あなたならきっと大丈夫だ。信用とかそう言う問題では無く……ね」
適応率の関係でぎこちない笑みを浮かべたダッドは僅かに首肯して室内へと入っていった。ハンフリーの艦橋にほど近いブロックにある対象の執務室は驚くほど広く、その室内にはぶ厚くて強靭なアクリルガラスの窓があった。
その窓越しには宇宙そのものが見える構造で、ここへ通された者達は体外最初に感嘆の声をあげ、そしてその直後に恐怖を感じるのだと言う。万が一にも窓が割れた時には、この室内が宇宙そのものになってしまうのだから。
――マッケンジー将軍閣下のお越しです!
歩哨兵士の声が室内に響いた。フレディの室内で将軍の到着を待っていたのは、わざわざ地球からやって来たと思しき統合参謀本部付きな地上軍参謀数名と、月面の宇宙軍艦隊基地からやって来たらしい参謀陣。そして、国連軍本部からやって来た背広姿の政治家だった。
「わざわざのお越し。恐縮ですな。エンリケ上院議員」
「いやいや、将軍の貴重な時間を邪魔する事になって、かえって申し訳無い。用件が済んだらすぐに退散するから、どうか邪険にしないでもらいたい」
瞬く星々の大海に見とれていた上院議員はすぐさま戦闘モードに入ったらしく、初っ端から見えない角を突き合わせていた。そのふたりの姿を見ていたエディとテッドは将官向けデジタル通信にさらなる量子暗号変換をかけた通信を乗せた。
【こいつらは?】
【だいたい察しは付くだろ?】
【目的はやはり……】
【そうでも無きゃ、金星くんだりまで来やしないさ】
呆れ果てたような声で呟くエディは、どこか楽しそうな目をしてテッドを見ていた。そして、その視線の意味を気が付かないテッドでは無い。硬い表情を浮かべその視線を受けたテッドは厳しい表情のまま、ハンフリーまでやって来た使者を見ていた。
「早速だが本題に入ろう。ウィリアム・パーシェル参謀総長からマッケンジー上級大将閣下へ具申したいとの件だが……」
上申書に当たる書類を取り出したエンリケ・マルチネス上院議員は、専用の鍵を開けて数枚のレポート紙をダッドの前に並べた。意図的に伏せられている紙面だが書いてある内容は察しが付く。
「まぁ、その前に、金星で行われているシリウス側のパフォーマンスを見届けましょう。彼らにしてみれば最初で最後の晴れ舞台だ」
嫌な笑みを浮かべたダッドはモニターの電源を入れた。
薄型パネルの向こうに見える金星地上での祝賀会場は、大騒ぎするシリウス兵士やレプリカントのらんちき騒ぎになっていた。
「いやいや、賑やかですなぁ」
さも『私も加わりたい』と言わんばかりなエンリケ議員を、テッドは醒めた目で見ている。だが、その脇腹をエディが突いた。
【笑っていろ】
【いや、笑えませんよ】
【だから笑うんだ】
【難しい事を言いますね】
引き攣った笑みのテッド少佐は楽しそうに笑うエディを見ていた。それと同時進行でエディはダッドと暗号通信を行っていた。
【やはり?】
【あぁ。間違いないな】
裏返しになっているレポート紙だが書かれている内容は僅かな裏写りから判別できる。バード少尉の文字と並んで機密保持が書き込まれ、その最後には士官の義務を遂行すると締められている。
つまり、国連軍海兵隊の機密を保持する為に、バードを何とかしなければならない。しかし、人質の奪還を行うほど余裕がある訳ではない。つまり、導き出される結論は唯一つ……
【電波暗室に放り込まれているが……】
【何らかの事情で外へ出したらドンと言う事ですな。ダッド】
【勘弁して欲しいものだな】
【全くです】
舞台裏でそんな会話をしているとは露知らず、シリウス側の放送を楽しそうに見ている上院議員は無邪気に笑っている。テッド少佐はそんな上院議員を横目で睨みつけつつ、シリウスの放送を眺めながら何かを探していた。
「しかし、彼らも無邪気ですな」
何とも嫌らしい笑みを浮かべた上院議員が言う。
シリウスのスポークスマンは頻りに『地球文明の敗北だ』と同じフレーズを繰り返していた。古典的手法だが、繰り返し使われると言う事は効果の程も高いという事なんだろう。
「子供のようにはしゃいで…… まぁ、敗北は事実でしょうけどね」
この負け犬が……
そんな目で見ている上院議員は勝ち誇った様な笑みでダッドを見ていた。
なんとも子供じみた振る舞いにテッドは悟る。こいつはシリウスの回し者だと。
「はしゃぐのも事実でしょうな。なんせここまで良いようにやられていて反撃が決まったと思っているのですから」
皮肉めいた物言いで相手の神経を逆撫でする事にかけては、ブリテン人の右に出る者は居ない。そんな事は誰でも知っていると言って良い。
だが、その物言いには必ず真実を含ませ、瞬間着火でカッとなった者が後から気が付いた時に、酷く恥ずかしい思いをする事になるよう仕込んでおくのを忘れないのもまたブリテン人だ。
上院議員は慎重にエディの物言いを反芻した。どこかに隠された牙があるのだと確信したからだ。そして何度も何度も胸の内で言葉を繰り返した時、ある一つのフレーズが浮かび上がった。
――反撃が決まったと思っている
下世話な笑みも尊大な態度もすっかりなりを潜め、慎重な姿勢でエディの反応を確かめて居るエンリケ議員は、もう一度じっくりモニターを眺めた。相変わらず調子に乗った勝利宣言が続いていた。
――何も問題ない筈だ
そんな心の内が見透かされるような錯覚を覚え、上院議員は背広の襟を整え直している。だが、その直後。唐突に金星地上からの映像が途絶えた。
「……電波障害ですかな?」
確かめるように呟いたエンリケ議員はダッドをジッと見ていた。
だが、そのダッドはその視線を全く気にする事無く平然と言い放った。
「何らかの問題が発生したのかも知れませんな」
椅子に腰掛けていたダッドは、やや大仰な仕草で傍らに立っていたエディ少将を見上げた。そのエディは薄ら笑いを浮かべたままダッドへと視線を返した。
「さて、回線が復旧するまで本題を伺いましょうか」
上院議員に話しを促したダッドはテーブルの上の書類を広げた。
そこには国連軍合同参謀本部の面々による提案書があった。
「……まぁ、予想はしていたが、こんな事だろうと思ったよ」
苦々しい表情で書類をテーブルへと戻したダッド。書類の上にはバードの公式写真と軍籍番号。そして、処遇についてと書かれた小さな文字『自爆処分』がやけに目立っている。
「なぜ…… 自爆させるのかね?」
ダッドは一度言葉を切って、殊更に不機嫌な空気を作り出した。
ややもすれば横柄とも取られかねないものだが、その言葉を発している男は間違い無く歴戦の勇士だ。そしてそれは、夥しい数の人を殺してきたという言い逃れしようが無い現実でもあった。
「問題は三点。まず、海兵隊だけではなく国連軍全体の機密保持。次に、機体や暗号と言った技術的側面の気密保護。そして、最後は……」
上院議員はわざわざ姿勢を正し、ダッドに正対した。
「サイボーグチームを不要という者達に対するプレゼンですな。任務を確実に遂行し、失敗した場合には自爆も辞さない。そう言うプロフェッショナルな集団であると言う事をデモンストレーションするのですよ」
やや首を傾げ勝負に出たという空気を臭わす上院議員は、やや沈痛そうなフリをしていた。
「一人の兵士を、いや、士官を失うのは辛いものがあります。ですが、実際問題、戦闘中であれば士官に限らず兵士を失う事は多々あるのでは無いでしょうか。そして、我々を含め軍を掌握する立場の者は皆本質的な部分で理解しているはずです」
エンリケ議員の顔にグッと力が入った。
その表情はどこか戦闘中を思わせるものだった。
「時に司令官は、払う犠牲の多寡よりも結果を優先しなければならない」
バードの直接の上司であるテッド少佐が来た理由。そして、テッド少佐を直接の部下とするエディ少将がここへ来ている理由。その全てはバードの垂直系統にある司令官と言う事だ。
「つまり、私にバードの自爆スイッチを押せと、そうおっしゃるわけだ」
「……まあぁ、要するにそう言う事ですな」
「拒否は認められない。そうですよね」
「文民統制の原則です」
人民の選んだ議員が軍を掌握し制御する。
巨大な暴力装置として機能する軍は、あくまでも人民の意志の下にあるべきだ。
近代国家の多くがそんな意志を見せて来た20世紀や21世紀の歴史は、数多くの流血というコストを払って地球人類に取っての最適解を導き出していた。
つまり、代議士という人々が熟考を重ねて導き出した結論であれば、軍はそれに従うべきだと言う事だ。
「確かにバードの強制自爆コードを知っているのはこの三人しかいない。それは事実です。しかし、この三人が納得するに至るだけの理由とは言い難いですな」
ダッドもまた椅子に深く座り直した。上院議員を打ち据えるような眼差しに、エンリケ議員はあたかも銃口を突き付けられたような錯覚をおこした。
「納得するかしないかは、この場合ですと問題になりません。何故なら、いま最大の関心事は、国連軍全体の安全と安心。言い替えるなら、国連軍全体の利益の話しです。そして、この問題は私のような国連軍推進派にとっても重要な問題です。なぜなら」
ジロリと視線を部屋に巡らせた議員は、わざわざ言葉を切って間を作り、相手に心理的空白を作り上げた。交渉事に関して言えば相当な手練れの手強い相手と言うことだ。
だが、そんな修羅場を潜ったのは何も議員ばかりではない。立場的に強い議員と違い、対等かそれ以下の立場で『管理する側』と粘り強く交渉する事を求められる軍人もまたディベート慣れしなければ生き残れない。
なぜなら軍人はどこまで行っても使われる側であって、容赦も遠慮もない『結果だけを求める層』から使い潰される運命だから。
「仰りたい事はよく解りますが、現状では自爆は不可能ですな」
「……言葉の意味をよく理解できないのだが」
「現状ではバード少尉の生存を確認出来ません。識別信号が途絶えてますからね。従って自爆コマンドを放っても結果を確認できないのです」
ダッドもまたご丁寧にわざわざ言葉を切って間を作った。
厳しい交渉のキャッチボールは、間の取りかたと手札のきり方で全てが決まる。
「まぁ、逆の視点で見る場合。結果がわからずともバード少尉の存在が無くなれば良い。或いは、バード少尉の存在を消し去った方が都合が良いと言うなら、話は全く変わってきますが……ね」
ニヤリと笑ったダッドは畳み掛けるように続けた。
「仮にバード少尉が金星の地上の相当深いところで何らかのシリウスに関する極秘情報を掴んだとして、それを国連内部の内通者が何らかの方法で知り、政治力を駆使してバード少尉の存在を合法で消し去ろうとしている。または、国連軍の内部で一見名誉ある方法を持って亡き者にしようとしている。そういう可能性を考慮しなければなりませんからな。部下を預かる上官としては」
ダッドの指が鋭い刃の様に上院議員の胸を指した。その仕草はまるで『お前が内通者なのはわかっている』とでも言わんばかりだ。僅かではない動揺を見せたエンリケ上院議員は、急に顔色を変えてジッとダッドを見た。
常に無表情なフレネル大将は適応率の関係で、自らが意図しない限り特定の表情を取る事が無い。その大将がニヤリと笑った以上、何らかの疑いが掛かっていると認識するのも当然と言うものだろう。
「私が内通者だ……とでも?」
「いえいえ、議員は違うでしょう。ですが、国連議会内部にシリウス派が混じっていたのは事実ですからね。何らかのロビー活動を通じて特定の結果を求める層が暗躍している可能性は否定できません」
いちいち大仰な仕草をするダッドはめんどくさそうに振り返り、エディに向け同意を求めた。
「そうだね。エディ」
「えぇ。マック大将の言われるとおりです。残念ですが、私の目の前でシリウス内通者のガバナーが自死を選びましたから……」
「勘違いして欲しくないのですが、けっしてエンリケ議員が内通者だと言っているのではないのですよ。ただね、その取り巻きや委員会の中に悪意ある者が潜んでいる可能性が――
そんな歯の浮くような言葉をシレッと言っているダッドだが、トドメの一撃を入れようとしていたその時突然、消えていたモニターが明るさを取り戻した。戦勝祝賀会の続いていた金星の会場から生中継が再開され、多くの人々が映し出されていた。ただ、先程までとは打って変わって、緊迫した空気だったのだが……
「どうやら…… 始まったようですな」
室内の目が一斉にモニターに集まる。
そのモニターの向こう。金星の会場では複数のモニターに激しい炎で焼かれている基地の様子が映っていた。
「あれは?」
「天王星の第四衛星オベロン。水と岩石で出来た硬い衛星です。ここにはかつてシリウス開発の中継拠点がありましたが……」
説明を続けますか?
そんな表情でエンリケ上級議員を見たダッドは、もはや勝者の笑みを隠そうとすらしなかった。30億キロの彼方にある天王星は、いまちょうど太陽とシリウスを結ぶ一直線上に向かって公転をしている最中で、言うなればシリウス側にとって貴重な『中継点』として機能していた。
「それは私も知っている。何が起きているのだ?」
「ピンボール計画の一環ですよ」
ダッドが指示を出すと事務方が別のモニターへ計画の進行図を表示した。前半戦を終えたところで金星からの一時撤退までしか表示されていないフローチャートは、後半戦部分に『クトゥーゾフ作戦』のカバーが掛けられ、一般には見せていない部分が現れていた。
「ピンボール計画は多岐にわたる複合作戦の集合計画です。大規模輸送やシリウス側の通商破壊作戦や、それに、彼らの輸送計画を邪魔する部分も含めてだったのですが、本当に重要な部分はここなのですよ」
ダッドの指からレーザーポインタの赤い光りが伸びて行き、モニター上の一点に注がれている。
「クトゥーゾフ作戦は帝政ロシア時代の名将クトゥーゾフから名をいただいた作戦ですよ。金星を占領し、完膚なきまでにシリウスを叩き潰し、その後に金星を一旦放棄する。彼らはメンツと名誉に掛けて金星を奪回しに来る筈です。そして、今回はまんまとその誘いに乗ってくれた。外太陽系にある各基地の残存戦力をかき集めた上で総力戦を仕掛けてまでね」
勝ち誇ったような勝利者の笑みがダッドから溢れた。それに対し、上院議員の表情から一切の色が消えた。全ては軍と参謀本部の手の上にあったのだと気が付いた議員は、いま自分が何処にいるのかという事を嫌というほど痛感したのだった。
「そして、クトゥーゾフ作戦の肝は外太陽系からシリウスを一掃する事ですが、どうせならその戦力も撃滅してしまいたい。そんな事を念頭に置いた入念な罠としての作戦はサイボーグチームの様に精強で撃たれ強い存在抜きには実行しえません」
ふとエディを見上げた上院議員は、エディ少将とテッド少佐が『どや?』とでも言い出しそうな顔でジッと自分自身を見ている事に気が付いた。それだけでなく、議員の後方にいた幾人かの参謀たちが苦虫を噛み潰したような表情になっているのを楽しんでいた。
「おやおや、彼らも事態を把握し始めたようですね」
モニターをジッと見ているダッドはせせら笑うような素振りだ。右往左往するシリウス側の参謀陣が事態の把握に努める中、『愉快だ!愉快だ!』と言わんばかりに笑っているのだった。
――オベロン! オベロンはどうなった!!
壇上で蒼白な表情の将軍が言葉を繰り返している。
しかし、その会場に届いたのは、およそ30億キロの彼方から届いた緊急事態を示す警報と、そして、別れを告げる最期の言葉だった。
――金星派遣の諸賢らへ最期の言葉を託す!
猛烈な火災の中、懸命な消火活動を行っているらしいオベロン基地のシリウス軍兵士らは、絶望的な環境下で自分たちが生き残る最後の努力をしていた。オベロンの地下にある水をくみ上げ基地の中に放水し、とにかく炎を消し去る努力だ。
しかし、極寒の世界でもある冥王星軌道では基地内部の水がどんどん凍ってしまうのだった。そして、それに伴い基地の中からは生体反応が消えていった。
――我らは益々意気軒昂! 最期の反撃を試みる! シリウス万歳!
「無駄な努力……ですなぁ」
ボソリと漏らしたテッド少佐の声が室内に漂う。
表情を失って呆然としていた上院議員は、口を半開きにしたままだった。
「これでオベロン基地は陥落でしょう。天王星軌道へは大きく迂回して進軍した400万の兵士が事に当っているはずです。守備隊は推定でも数百程度。もはや戦にもなりませんな」
笑いを噛み殺したエディ少将の言葉で上院議員は我に帰ったらしい。
モニターの向こうを凝視している彼は、やがて一つ溜息を吐いて、そして我に返ったらしい。
「そうか、天王星が地球に手に落ちたのか」
「地球の手に落ちるとは、余り穏当な表現とは言いがたいですな」
「……そうだな。奪回したと言うべきだろう。諸君らの努力を踏みにじってしまったようだな。申し訳ない」
胸に手を当てて謝罪の意を表した上級議員。だが同時に、室内をグルリと見合して議員後方にいた参謀とアイコンタクトをしている。
【何の合図でしょうか?】
【手ぶらじゃ帰れないって事じゃ無いか】
【さて、どうでますかね】
【それは解らんが、気をつけろよ】
【えぇ】
冷ややかな眼差しで見ていたテッドとエディのふたりを視線を絡ませた。
「……どうやらオベロン基地が陥落したようですな」
ボソリと漏らしたダッドの言葉に最も強く反応を示したのは、宇宙軍艦隊参謀だった。内太陽系を守備範囲とする第一遠征師団ではなく、外太陽系の各地球軍基地に駐屯する第二遠征師団が独自に行った作戦だ。
おそらくは宇宙軍艦隊にも話が行っていなかったか、さもなくば限定された人間しか知りえない情報だったのだろう。地球圏にいて政治的闘争が主な任務と言うべき作戦参謀は、外太陽系の事情を把握していなかったと見える。
「しかし…… 天王星だけ切り取っても仕方がないのでは?」
「もちろんその通りです。ですから、これから続くのですよ」
「続くとは?」
「地球国連軍による一大反攻作戦です」
両手を広げたダッドは首をかしげて笑った。
「地球からシリウス軍を追い払う事が第一段階です。これは既に達成されました。いまは第二段階として内太陽系からシリウス軍を追い払う真っ最中です。そして、第三段階では外太陽系をも我々の手中へ……奪還する。その為の非常に重要な一歩なのです。なぜなら……」
広げていた両手をパチンと胸の前で合わせ、まるでハエでも潰すような仕草を見せたダッド。その振る舞いに上院議員は僅かではない不快感を滲ませた。
「内太陽系にいるシリウスを全滅させる事など土台不可能です。ですが、反撃の意欲を絶ち、寿命の限られたレプリを兵糧攻めにし、シリウス派と呼ばれる者たちを炙り出してデリートしていく。その為の重要な一歩です」
フフフと笑ったダッドの指が別のモニターを指し示した。事務方が明かりを点したそのモニターには、木星と土星の基地へ進軍を完了した地球軍の様子が示されていた。10隻を越える戦列艦と100隻近い高速巡洋艦による総力艦砲射撃が開始されようとしているらしく、木星と土星の基地には降伏勧告が届けられていた。
「木星のエウロパ。土星のカッシーニ。その両方にある外太陽系最大規模のシリウス軍拠点は全て焼き払います。投降する者のみ救助を行いますが徹底抗戦を選んだ者は外太陽系の塵へ帰ってもらう事になります」
それぞれの周回軌道に入った艦船は主砲のフォーメーション散開を完了し、今まさに発砲せんとしている時だった。
「シリウス軍の地球侵攻作戦からおよそ30年。我々の反攻作戦はついに佳境に入りますな。抵抗したければ抵抗すれば良い。それも彼らの自由だ。だが、我々は手を緩めない。それだけの事です」
薄笑いを浮かべたダッドが真っ直ぐに上院議員を見ていた。
そして、言葉を繰り返す。
「それだけの…… 事です」
同じタイミングで木星と土星のシリウス軍基地へ総力艦砲射撃が始まった。金星の祝賀会場が怒号と罵声に包まれる。だが、金星の地上でどれほど叫んでも木星や土星に届くわけが無い。
大質量の砲弾が次々と衛星の地上へ着弾し、シリウス軍の拠点がまるで砕けた豆腐の様になって崩れ去っていく。それでも手を休める事無く、執拗に執拗に砲撃を加える国連軍の艦艇は15分以上にわたって文字通りのつるべ打ちを続けていた。
――カッシーニより金星へ 諸賢らの健闘を祈る シリウス万歳
金星の地上だけでなく国連軍の多くが最期の通信を傍受した。エディとテッドはモニターに向かって僅かながら一礼し、死者の冥福を祈る。
――こちらエウロパ 無念ではあるがこれをもって最期の通信とする
ややあって木星からも最期の声が届けられた。シリウス軍の将兵らは最期まで義務を果たしたらしい。その凛とした最期の言葉は、大将事務室の空気をガラリと変えた。
「さぁ、いよいよ次は金星ですな」
「……そうですな」
苦虫を噛み潰したような上院議員は僅かに肩を震わせていた。怒りか恐怖か、それとも、思うようにならぬ苛立ちか。それを窺い知る事は出来ないが、それでも一つだけ解る事がある。議員は手ぶらでは帰れないということだ。
「わざわざ金星まで来て、子供の使いで終るわけには行きません。最後にこれを御渡ししますのでご検討願いたい」
ドスの聞いた声で懐から取り出したのは、持ち回りの国連理事国首脳が連盟で発行した理事会としての命令書だった。書かれているのはただ一言しかない。
――裏切り者を許してはならない
その文言を読んだダッドは一つ溜息を吐いた。間違いなく似せ物だと判別できる代物だったからだ。
ただし、もし交渉が決裂し海兵隊側がバードの処分を行わなかった場合、この書面を使って命令の不履行を理由に上級大将と少将の二名を拘束する。そんな腹だったのだろうと言う事が見て取れた。
「将軍。どうされますかな?」
命令書をジッと見ていたダッドは不敵に笑い、『見てみろ』と言わんばかりにエディへと手渡した。その書面を見たエディは小さく『プッ!』と吹きだし、そのままテッドへと手渡した。
将官向け書面を佐官へと見せたエディ少将の振る舞いに『ちょっと待て!』とざわついた各参謀たちだったが、その前にダッドは執務机の引き出しを開けペンを取り出した。
「とりあえずサインは入れますが……」
テッドから帰ってきた書面にサインを書き込んだダッド。バードの自爆措置命令書はこれで効力を持つ事になる。が……
「その前に書面を少々確認したい。スキャナに掛けるので少々お待ち願いたい」
引き出しの中にはスキャナの口が空いていた。問答無用でそこへ書面を差し込んだダッド。そのシーンを見ていたエディはニヤリと笑って言う。
「よろしいのですか?」
「貴重な人材だがやむをえんだろう」
「いや、そうではなくて」
エディとテッドは肩を振るわせ笑い出した。
「そこはスキャナではなくシュレッダーですぞ?」
驚いたような表情を浮かべ確かめたダッドは天井を見上げ右手で額を押さえた。
「アチャー…… やってしまった。命令書が完全裁断されてしまった」
完全に棒読みでセリフを吐いたダッド。
そのわざとらしい振る舞いに、もう一度エディとテッドが笑った。
「上級大将。それは国連に対する反逆ですかな?」
「いやいや、そんな事はありません。大変申し訳ありませんがもう一枚命令書をご用意願いたい。すぐに用意できるのでしょう?」
どうせ偽物だろと嗾けたダッド。
その向かいで上院議員は顔色を真っ赤に変えていた。
「取りに戻ればよろしいのでは? 今まで色々見ましたが、最低レベルの偽造ですな。所で一つ御伺いしたいのですが……」
椅子に座っていたダッドは椅子の裏手にある小さなフックへ自分の衣服を引っ掛けた。その様子を見ていたエディとテッドは壁際に退き、壁の隠し扉からケーブルを延ばすと、ベルト部分にあるアンカーマウントへ固定したのだった。
「本物の上院議員はどちらですかな?」
「は?」
「たった今、地上から報告が届きました」
ダッドの指差した先。つい先程まで計画フローチャートが示されていたモニターに地上の様子が映る。国連議会施設の議員控え室で保護されたエンリケ上院議員が映っていた。
「まぁ、どちらが本物かはこれですぐに解ります。とりあえず新しい書類をご用意していただければすぐにでもサインを書き入れましょう。では、地上までお送りしますよ。もっとも、皆さんの場合は…… 金星の地上がよろしいでしょうけどね」
引き出しの裏にあったボタンをダッドが押した。
次の瞬間、ダッドの背後にあった巨大なアクリルガラスが粉々に吹飛び広大な執務室の中の空気が一斉に宇宙空間へと吸い出されてしまった。その気流に乗って参謀陣の偽物や上院議員の振りをした偽者が宇宙空間へと吸い出されていく。そして、完全真空中へと放り出された者達は目や耳から白い液体をばら撒きつつ、金星の重力へ引かれ落下していくのだった。
【本当にやるとは思いませんでした】
【中々楽しいね。またやりたいものだ】
真空中でも問題なく動けるサイボーグ三人が手を振るなか、まだ僅かに意識のあるレプリたちが金星へ向けて落ちていった。
【さて、我々の仕事をするか。忙しくなるぞ、テッド】
【えぇ。望むところです】
【そろそろ彼女らも来そうだしな】
【……そうですね】
断熱圧縮で真っ赤になったレプリが金星へと消えていく中、エディは遠く木星方向を見ていた。