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機械仕掛けのバーディー  作者: 陸奥守
第10話 オペレーション・クトゥーゾフ
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惚れた女を助けに行くんだ!

 自分がサイボーグであるとばれた以上、まともな対応をされる事は諦めた方が良いとバードは悟った。そして、思考の対象は『彼らは何を知りたいのだろうか?』にうつっていた。

 シミュレーター上でSERE訓練を受けたバードは訓練用機体でサイボーグに対する拷問も実際に経験している。だから、肉体的苦痛が何の意味も無い事も知っている。

 つまり『サイボーグは脳を破壊されない限り死なない』と言う経験がバードを支える自信の根源になっているのだ。


「さぁどうするの? 火で焼かれる? 氷漬け? グラインダーで削る? どっちにしても死ぬだけよ。死ぬだけ。飢餓状態に陥れば120時間で脳が死ぬしね。サイボーグに拷問なんて無意味なのよ? 解らないわけじゃ無いでしょ?」


 そもそも、ある程度経験を積んだサイボーグなら肉体的苦痛などに対し全く抵抗が無い。機材が破壊されるだけの事であり、パニックさえ起さなければ身体的苦痛を伴う拷問は意味が無い事だ。脳は直接の痛みを感じる事が無く、物理的に破壊したならその時点で情報を引き出すと言う事が不可能になる。

 余裕風を吹かせるバード。だが、そんな言葉を聞いていたシリウス軍女性士官は妖艶に笑ってバードを見た。


「確かに機械で出来た身体には肉体的苦痛に意味が無いものね。だけど……」


 ニンマリと笑った女性の笑みは絵に描いたようなサディストだった。そしてバードはロックを見送った時に感じた嫌な予感の中身を知る事になる。


「とりあえず所属を教えてくれないかしら?」

「……嫌だと言ったら?」

「そうね……」


 やおら拳銃を抜いたその女性士官は、後ろに居た名も知らぬ海兵隊の若い兵士の足に向かっていきなり発砲した。関節部分を打ち抜かれたのか、真っ赤な鮮血がパッと飛び散り、唐突に激痛を受けた兵士が叫ぶ。


「ギャッ!」


 弾丸は右足の足首辺りを貫通し血が止めどなく溢れた。咄嗟に両手で止血を行ったのだが、それを見ていた女性士官に『押さえろ』と命じられレプリがその両手を引き離し、大の字に身体を伸ばされ床に固定された。


「ウフフ。楽しましてね」


 妖艶な笑みを浮かべるその女性がポケットから取り出したのは短い釘だった。短く指示を出し若い海兵隊兵士を動けなくしたあと、拳銃弾が砕いた足の傷口へ釘を突き立てた。濁った絶叫が響き、若い兵士は気絶する。だが、その精神の緊急逃避は左の肩関節へ釘を刺した事により、激痛という形で強制帰還させられた。


「さて、とりあえず言う気になったら呼んでね? 私はこっちで遊んでるから」


 激痛にうめき声を上げる兵士の釘へケーブルをまいていくその女性士官は、そのケーブルを束ね、壁際にある大げさな機械へと接続した。この時点でバードはそれが何の機材だか理解する。電気溶接用の電源部だ。


 ――……うそ


 電圧自体は大したことが無い。だがそれでも、身体を電撃が駆け抜けるのは即死の危険がある事だ。その女性士官は心底楽しそうな笑みを浮かべてバードを見てから、パチンと音を立ててスイッチを入れた。

 その瞬間、部屋中に絶叫が響き、若い兵士の身体が硬直した。そして、肺の中の空気を吐き出しきったのか。絶叫が聞こえなくなった頃に電撃のスイッチを切ると、若い兵士はガクガクと痙攣したあとで再び気絶した。


「あら、まだ死ななかったの? 丈夫ねぇ」


 全くバードを見ずにいる女性の声は妖艶なほどだ。だが、ニヤニヤと楽しそうに笑いながら電撃装置のダイヤルを回し『次は40ボルトね』と呟いてから再びスイッチを入れた。

 ブンと音を立てて電気が流された瞬間、若い兵士は背骨を精一杯までしならせ、全身をガタガタと震わせながら濁った絶叫を上げた。電撃が切れると同時に失神してしまう。股間部には水染みが広がり失禁した事が見て取れた。


「あらあら、地球人はおトイレって知らないのかしら?」


 クスクスと笑った女が再びダイヤルを回してから電撃装置のスイッチを入れた。床に縛られた手首部分から血が滲み、目は精一杯見開かれ、そして漏れた小便の辺りに青白いスパークが幾つも飛ぶのが見える。

 だが、その直後、声がフッと途切れ、小さく溜息を吐いた女性士官はパチンと音を立てて電撃装置のスイッチを切った。


「あら。死んじゃったわ。残念ねぇ…… この生ゴミを捨ててきて」

「イエッサー」


 レプリの兵士が死亡した若い海兵隊兵士をひょいと持ち上げ何処かへと歩み去った。その後ろ姿を見送ったバードの顔から一切の表情が消えていた。


「あの彼は……あなたが見殺しにしたのよ?」


 勝ち誇ったように呟やかれたその言葉がバードの心をえぐった。努めて冷静を装っていた筈なのだが、気が付けば間違いなく顔に怒りの色が滲んでいた。そして、バード自身がもはやそれを隠す必要を感じていなかった。


「……Fucking Bitch」

「あら、育ちの良いお嬢様かと思ったら私と大して変わんないじゃ無い」


 ウフフと笑って文字通り見下しているシリウスの士官は、まともに動けないバードの顔を遠慮なく軍用ブーツで踏みつけた。


「あなたが協力してくれれば誰も死ななくて済むのにねぇ……」


 ニコニコと笑う女性士官は『さて、次はどれにしようかしら』などと楽しそうに呟きながら、捕虜の集団を見ていた。室内に居る海兵隊兵士はその言葉に反応して一斉に不安そうな表情を浮かべている。


「安心して良いわよ。この機械のお人形さんが洗いざらい喋ってくれたら、あなたたちは地球へ帰れるから。私だってこんな事は本意じゃないしね。なんなら誰でも良いからこのブリキのダッチワイフに付けられた名前を教えてくれる? どうせ基地じゃみんな順番に抱くんでしょ?」


 クスクスと笑ったその女性。だが、その笑みを掻き消すようにブーンが叫んだ。


「絶対に喋るな! 何も喋るな! シリウス人など信用なるか! 最終的には全員殺される! 絶対に折れるな! そこのクソビッチの悔しがる顔を見て笑って死んでやれ!」


 床に向かってペッとつばを吐いた軍曹はこめかみに青筋を立てていた。


「誇り高い海兵隊をなめるな!」

「あら、随分と元気が良いじゃ無い」


 ヒョイヒョイと手招きして呼び寄せた女性の動きにあわせ、レプリ達がブーンを引きずってきた。その顔をしげしげと眺めた女性はニコリと優しく笑った。


「私のママはニューホライズンのサザンクロスで地球人にレイプされて産まれた子だったんですって。シリウス開放って大義名分で来た兵士がシリウス人をレイプしてるんだから……」


 その女性士官の手がブーンの頬に添えられた。僅かに香ったバラの香りにブーンが何かを思い出す。シリウス人にとってバラと言う花は特別な意味を持つ。自由と開放の象徴であり、そして自主自決の象徴でもあるらしい。


「地球人なんてそんなもんなんでしょ? 私は地球人とのクォーター。それが私にとって最も――


 女性士官の浮かべた狂気の混じる笑みにブーンの背筋が凍りついた……


 ――最も屈辱的なことよ」


 クククと笑うその姿にブーンだけでなく室内に居た皆が表情を変えた。ブーンの右手を持っていたレプリにブーンの手を開かせたあと、その女はブーンの小指を一本だけ握り締め笑った。その楽しそうな表情に、皆が文字通りのサディストだと気が付いたのだ。


「地球人なんてそんなもんよ。誇りだのプライドだの言ったって、他人の痛みなんか気にしないのよ。だってこのブリキ女は人一人死んだって何にもしないじゃないの。素直に名前だけでも言ってくれればねぇ……」


 室内にポキリと小さな音がし、ブーンの表情が痛みに耐えるものに変わった。必死で声を飲み殺し、右手から来る激痛に耐えたブーン。その右手の小指は付け根からありえない方向へ曲げられ、関節の辺りは見る見るうちに赤から紫色へと変色していった。


「どう? 気持ち良いでしょぉ? まだ9本有るわよ?」

「……ヘヘヘ ホントだな。こんなの初めてだぜ。随分テクニシャンじゃ無いか」

「褒められると嬉しいわね」


 再びポキリと鈍い音がした。今度は人差し指だった。親指側へと強引に曲げられ脱臼した人差し指は、曲げられた後で更にねじられていた。ブーンの顔に冷や汗があふれ出し、まるでペンキでも被ったように蒼白な顔色へと変貌していった。


「さぁ誰でも良いわよ? あのブリキ人形の名前を言って」


 室内をグルリと見回した女性士官は、優しげな声でそういった。逡巡と葛藤が室内に溢れるのを気が付かないわけじゃ無いし、むしろそうなるように仕組んでいるのだから予定通りの流れだ。どこか満足そうにも見えるその姿はバードの心をかきむしっていた。


 ――本当にだんまりで良いのだろうか?


 その疑念が少しずつ重くなり始めたとき、再び室内にポキリという音がした。ブーン曹長の目に激しい敵意が浮かび上がり、ギリギリと歯軋りを立てている。


「この……クソビッチ…… 必ずブチ殺してやる……」

「あら、怖いわねぇ」


 ニヤニヤと笑いながらそれを見ていたシリウスの女性士官は、残っていた薬指へと手を掛けた。


「余裕じゃない。じゃぁ、これも平気よね」


 今までとは違う鈍い音が響き、ブーン曹長は始めて『グアァッ!』と呻き声を漏らした。だが、その手首を握り締めバードに見せ付けるように腕を伸ばさせた女性士官は、楽しそうに笑いながら言うのだった。


「ほら。これはあなたの下らないプライドが招いた事よ? 名前ぐらい教えてくれたって良いじゃ無い。ブリキ人形のAIさん」


 AIと呼ばれカチンと来たバードだが、一瞬の油断を付いてシェーファーがブーンへと駆け寄って口の中にバンダナを押し込むと、脱臼していた右手の指を全部一瞬にして押し戻した。

 鈍いうめき声を上げたブーンだったが、激痛に対し耐えるなら誤算の範囲でしかないものだった。ただ、その直後にレプリの兵士たちが手にしていた銃のストックで一斉にシェーファーを殴りつけ、あっという間に身体中痣だらけになって酷い内出血を起している。


「あらら。自分の状況を解らずに勝手な事をした報いね。それはレプリが勝手にやった事だから罪には問わないんでしょ? だって地球人から見ればレプリは人間で無いんだからね。イヌにでも噛まれたと思って諦めて……死んでね」


 頭部から酷い出血を見ているシェーファーは膝を付いて床に崩れ、そのまま前に倒れた。その後でもレプリたちが蹴りつけたり、或いは銃で殴ったりしている。最初は頭部と喉を守っていたシェーファーだが、15秒もしないうちにそのガードは甘くなり、やがて殴られても蹴られても、全く動かなくなった。


「しっ 少尉!」


 名前を呼びかけて咄嗟に少尉と言い換えたバード。

 だが、その反応は芳しくないものだ。


「あらら、伸びちゃったわね……」


 ウフフと笑ったシリウスの士官は近くに居た部下と思しきレプリに何かを命じた。ややあってそのレプリが持ってきたのは、地球から運び込まれていた慰問品のウィスキーだった。両手に一本ずつ持っているそのウィスキーはまだ封を切ってなく、金星労働者向けに支給されていた物だとバードは気が付いた。


「そこの少尉さんに飲ませてあげて。気付け薬の代わりね。幾らでもあるから」


 伸びていたシェーファーをレプリの兵士が抱え口を強引に開き、その中へ漏斗状になったパイプを突っ込んでいる。それは水を飲ませ続ける拷問の道具だ。


「さぁ、たっぷり飲みなさ『やめなさい!』


 我慢ならずバードが叫ぶ。内蔵へのダメージが予想される状況での飲酒は死に直結する。そうでなくても全身に内出血を起しているシェーファーだ。この状況下での飲酒は絶対にありえない。


「名無しのブリキ人形さんじゃ話も出来ないわね」

「少なくともそこの少尉はサイボーグでもレプリカントでもない筈よ」

「だから?」

「捕虜への虐待は重大な協定違反だと言ってるのよ」

「そんなの誰が見てるのよ」

「……私の視覚を通じて海兵隊本部が見ているでしょうね。なんせ私は――


 バードは一つ、深い溜息を付いた


 ――サイボーグなんだから。あなたが言うとおり、機械なんだから」


 そのバードの言葉にハッとした表情を浮かべた女性士官は急にソワソワとした態度を取り始めた。明らかに慌てているのがわかる。だが、バードは構わずたたみ掛けた。


「戦闘中の死であればともかく、捕虜を故意に殺す事と手当てをせず見殺しにする事は戦闘協定違反なはずよ。少なくとも既に一人殺しているのだから、少しは加減しなさい。戦争犯罪人になりたいのならば、これ以上止めはしませんが」


 グッと力を入れて相手の目を見たバード。スタンスティックにより身体の自由は奪われているが、それでも多少動く程度の事は出来る。ズリズリと床を這いずってシェーファーに寄り添ったバードは、レプリの持っていたウィスキーの瓶を奪い取ると、指一本で勢い良くキャップを飛ばしラッパで全部飲みきった。

 その惚れ惚れする様な飲みっぷりに言葉を失ったシリウスサイドだが、バードはレプリが持っていたもう一本のウィスキーまで一気に飲みきった。こんなに酒を飲んだのは、何時ぞや月面の自室でトラウマから来る不眠症に苦しんで以来だ。そしてバードはハッと気が付いた。怒りに我を忘れていたが、鷹司の手でアルコールのスクリーニング機能がウンと落ちている事に……


「私はバード。国連宇宙軍海兵隊、第501独立野戦大隊、第1作戦グループ、Bチーム所属。階級は少尉。本籍拠点は月面キャンプアームストロング。海兵隊技術班により与えられたサイボーグとしての職能は……」


 この時、グラリと世界が回った。一気にアルコールが脳殻内へと浸入して来たのがバードにも解った。目が回る錯覚を覚え、視界の中にダミーシステム移行警告が一瞬浮かび上がり、直後にサスペンドの文字が表示される。

 スタンスティックを差し込まれるとダミーモードですら起動しなくなる事をバードは初めて知った。だが、そんな事とは関係なく、バードはシェーファーを庇う様にして、立て板の水の言葉を一気に叫んでいた。


「職能は……ブレードランナー。お前たちレプリカントのハンターだ。そして、息の根を止めるプレデター」


 自らの全てを正直に吐いたバード。だが、その直後、いきなりバードの脳幹に強い衝撃が走った。すぐ近くに居たレプリカントが恐ろしい形相を浮かべ、バードの後頭部を蹴りつけたのだ。

 瞬間的に5G程度の加速度を受けバードの意識が一瞬途切れる。そして、その直後に今度は反対方向への強い衝撃を受け、前から蹴られた事をバードは知った。その後も頭といわず顔といわず全身に強烈な一撃を受け続け、まるで巨大なミキサーの中でかき混ぜられているかのような錯覚を覚えた。


HALT(待て)!」


 女性士官が停止を命じた時、バードは身体を起している事も維持する事も出来ずに床へと崩れ落ちた。一滴の血を流す事も無いサイボーグだが、その精神は柔らかで暖かな甘き死の淵へと落ちていく錯覚にひたっていた。


 ――あぁ…… 死ねる…… これで良い……


 身体制御機能に異常が発生しているのか、バードは無意識に床を舐めた。そして、舌先に感じた妙にザラ付く感触を感じた直後、どこか遠くにシェルのエンジン音が聞こえ、遠くから正確な等間隔の歩幅とリズムで歩いてくる足音を聞いた。その音はまるでサイボーグのように正確で精密な『作り物』の気配を感じさせるモノだった。そしてバードの脳裏にロックの姿が浮かび上がった。


 ――俺と一緒に逃げろ!

 ――必ずバードの隣へ帰ってくる!

 ――俺にはバードが必要だ!


 耳の中にリフレインしてくるロックの言葉。男らしい笑みを浮かべる暖かな幻を感じた。『ごめんねロック…… また会えるよ……』と、静かに呟いて、目を閉じた。全てを諦めるように。


「すまない…… バード少尉…… 申し訳ない…… 自分の為に……」


 意識を失っていた筈のシェーファーが呟いた。脳殻内への急激なアルコール浸潤と強い外的衝撃により意識を削られていたバードだが、それでもシェーファーの反応に驚いたバード。


「死んじゃだめよ…… 死んじゃだめ 生きて帰るの 必ず……」

「サー イエッサー」


 半分死に掛けたシェーファーに励まされたバードはここで死ぬ訳にはいかないと気合を入れなおし身体を起こした。だが、その直後に激しい頭痛がバードを襲った。全身に寒気を感じ、激しい眩暈に襲われた。何時ぞや感じた二日酔いではない症状だ。

 普段ならその理由を考えるのだろうが、酩酊状態になりつつあるバードは正常な思考能力ですらも失っていた。


「そう…… あなたはバードって言うのね」


 今までとは違う声が聞こえ、思うようにならない身体で声の主を探したバード。その視線の先に立っていたのは、驚くほど丁寧にメイクしたシリウスの女性士官だった。つい今しがたまでバードたちを尋問していた女性士官とは違うらしく、襟章には少佐のマークが合った。


「……誰が捕虜を虐待しろといったの?」


 冷たい口調で詰問された女性の少尉は蒼白になって立っていた。


「答えなさいエレナ。誰が虐待しろと言ったの?」


 言葉を発せず僅かに震えているエレナと呼ばれた女性の士官は、床に目を伏せていた。そのエレナの頬へ向け、少佐はテイクバック無しでいきなり平手打ちを入れた。強い衝撃に姿勢を崩し、すぐ隣へ立っていたレプリカントの胸に倒れこんだエレナだが、少佐の手がエレナの襟倉を掴んで立たせると、再び強い平手打ちを見舞った。


「誰が命じたの?」


 言葉を発する事が出来ず震えるエレナ。その頬に再び平手が入った。


「誰が?」


 少し冷たい言葉になったのをバードは気が付いた。そして、一瞬だけ目が合ったとき、その女性少佐がレプリの身体を持つ人間だと知った。


「答えなさいエレナ。誰が命じたのですか?」


 今迄で一番冷たい口調での詰問に、エレナは目に見えて身体を振るわせ始めた。ガタガタと音を立てて震える程なのだが、女性少佐の左手はエレナの襟倉を掴んだままだった。


「……誰が?」


 怒りを噛み殺したような言葉に思わずバードは背筋がゾッとする恐怖を覚えた。そしてふと気が付く違和感と、表現できない妙な感覚。この怒りを噛み殺した女性少佐の持つ『雰囲気』は、バードにとってまるでテッド少佐のようであり、そしてそれはエディ少将の様でもあった。


「地球軍の情報部によりこのサイボーグの少尉が見ている視覚情報が世界中にばら撒かれています。あなたがした事はネットワークを通じて地球でも火星でも、世界中で見る事のできるオープンな情報として広まってしまいました。我々シリウスの軍は良識と法による支配を尊重する紳士淑女の組織である筈なのに……」


 その女性少佐が()()()()()()()()()()()()()()をバードは理屈ではなく肌感覚として感じ取った。そして、見上げるようにして見ていたその女性少佐の横顔に、バードはハッと思い出した。


 ――この女性(ヒト)! あの火星の工場で見たカプセルに入っていた女性だ!


 初めて火星に降下したとき見た、カプセルに納められた未起動のフィメール型レプリカントの中の一体だ。同じ女性であるバードが嫉妬するほどに美しいと感じたその姿は、優雅な振る舞いを見せつつも苛烈な性格を示していた。


「わっ…… 私の…… 独断です」

「独断? 本当に?」

「はい。私が勝手にやった事です。シリウス軍は関係ありません」

「本当に関係ないの?」

「はい。協約違反を承知で行った事です」


 その女性少佐は満足そうに微笑んだ後、バードを見下ろしてからウィンクした。


「バード少尉。今の映像、ちゃんと流れたかしら?」

「はい。私に機能的損失が無ければ、おそらくは」

「そうね。そう祈りたいわ。我が軍の名誉のためにもね」


 満足そうに微笑んだその女性少佐はエレナを突き飛ばして壁に打ち付けた。レプリの強い力で跳ね飛ばされれば、生身の人間にとっては致命傷になりかねない。


「この事は軍本部とヘカトンケイルに直接報告します」


 冷たい口調で言い放った腰の拳銃を抜き、エレナに向かってポンと投げ渡した。


「面倒な手続きは…… 嫌でしょう?」


 自決を促した。そう悟ったバードが『待って!』と叫ぶ直前、エレナはスクリと立ち上がって銃口を喉下に当て、天井を見上げて叫んだ。


「シリウス万歳!」


 同時に響く発砲音を聞き、バードは表情をしかめた。何が起きたのかを理解出来ないほど愚かではない。この女性少佐はエレナと呼んだ女性少尉に責任を取らせたのだ。そして、この時点でこの女性少佐はとんでもない実力と実行力を持っていると知る。


「あなたが無事で良かったわ。長い付き合いになりそうだからね。よろしく」


 ニコリと笑った少佐。だが次の瞬間、バードの意識は深い闇の底へ沈んで行った。急激なアルコール摂取による一時的な脳の機能不全に陥り、バードは意識を繋ぎ止めて置く事が出来なかったのだった。

 ただ、その直前にバードは大量の記憶をフラッシュバックさせていた。あの火星で見たレプリドーリーに描かれていたマークや、病院基地で見た完全に干からびている身体や、何処かで見た狼のマーク。ただ、そのマークがテッド隊長のシェルにも付いている事をバードは気が付いた。だけど、まだその断片的な情報を立てに結ぶ糸は通っていない。

 そして、海兵隊は基地内で何が起きているのかを把握する手段を失った。





 同じ頃





 金星を周回するハンフリーのシェルデッキでは、強引に出撃しようとしているロックと、それを止めようとする下士官達が激突していた。まだ修理が完了していないロックの左手は応急修理でマジックハンドが取り付けられている。

 それだけで無く、機能停止したリアクターは再起動しておらず、内蔵電源だけで動いているロックの稼働時間はどんどん減っていくのだった。


「少尉! 待ってください!」

「良いから止めるな!」

「止めるなといわれましても、エディ少将閣下から直々に押さえておけと!」


 頭から湯気を吹き上げている状態のロックはバードからの視覚情報が途切れた時点でメンテナンスルームを飛び出していた。身体中に接続されていた各種ケーブルを引き千切ってだ。


「とりあえず落ち着けロック!」


 突然聞き覚えのある声が聞こえ、ロックは初めて動きを止めた。ロックの腰にタックルを入れていたODSTの先任曹長が汗を拭きながら床にへたり込んだ。それを見つつも声の主を探したロック。シェルデッキ入り口付近にはジョンソンが立っていて、デッキ内部へツカツカと歩いてくるところだった。


「なんてブザマな姿だ!」


 ジョンソンの一喝で足を止めたロック。

 だが、鬼気迫る形相でジョンソンをにらみつけた。


「無様でも何でも良いんだ!」


 バードからのシグナルが途絶えて既に30分。修理の為に剥がされた人工皮膚の張りなおしも済んでいない銀色のボディなロックは、その上にシェル用の装甲服すら着ていない状態だった。


「もう一回言うからよく聞けロック! 落ち着け! 落ち着いて事態を分析しろ」

「落ち着けって? これが落ち着いていられるか!」


 タックルを入れた下士官を引き剥がし、構わず放り投げたロック。その前に立ちはだかったのはテッド隊長だった。ロックがそうであるように、テッド隊長もまた鬼気迫る形相で立っていた。


「どうした! 配属直後に逆戻りか!」

「隊長! 俺を出撃させてくれ!」

「出来る訳が無いだろ! 馬鹿者!」


 ジョンソンの数倍な勢いで一喝したテッド隊長は当然の様に出撃を許可しない。それを不服としたロックはより一層荒れ狂い、鬼気迫る顔には凶相が入り混じる。


「バーディを助けに行かせてくれ! 頼む! 命令違反と言うなら後になって処分してくれて構わない。これから奴隷だと言われればすべて甘んじる。だから!」


 ロックの引き起こした騒ぎを聞きつけ集まって来ていたBチームだが、その騒然とした場にエディも姿を現した。遠めに見ていたエディは人込みを割って入り、ロックの近くへと歩み寄っていきなり右の頬を殴った。まるであのシリウス士官な女性少佐のように。


「テッドの手間を増やすなロック」

「エディ! 頼む!」

「何をそんなに慌ててるんだ。理由を言え」


 冷静な表情でロックを嗜めるエディ。どこか冷め切ったその振る舞いにすらロックは怒りを覚えた。バードが捕まっている。捕虜として捕まっている。シリウス軍にとってサイボーグは人間のうちに入らない。そんな所に捕まったバードがまともな対応をされるとは到底思えない。ロックの精神は沸点を軽く飛び越え、今にも全ての自制心が消えて無くなりそうな程に白熱していた。


「バードが捕まってんだ!」


 あらん限りの大声で叫んだロック。発声機能の限界までボリュームを上げたその声は、シェルデッキの隅々まで響き渡った。


「惚れた女を助けに行くんだ! 男にこれ以上の理由が必要ですか……」


 絞り出すように言ったロックは今にも泣きそうな顔だった。


「確かに男には必要ないが、軍隊という組織には必要なんだ」


 エディの冷静な言葉がロックの胸に突き刺さった。軍隊という組織が法と階級によって徹底的に雁字搦めにされている最大の理由。強力な暴力装置そのものである軍隊は、個人でも組織でも突然の暴走を引き起こさないよう、とにかく縛り上げらている。つまり、上の命令がなければ動くことも出来ないし、自由など微塵も無い。全ては暴走させない為の安全装置なのだが……


「血は争えないな…… テッド」


 どこか楽しそうに笑ったエディは優しげな眼差しでテッドを見ていた。

 そのテッド隊長も静かに笑みを浮かべている。


「こんな風に見えていたんだな」

「懐かしい昔話さ」


 見えない話で懐かしがるエディとテッド。そんなふたりを見たまま沸騰し続けるロックを止めるには、穏便な手段だと事足りないらしい。ジッとロックを見つめたテッド隊長は、突然とんでもない事を提案した。


「ロック。俺と決闘しろ。抜き撃ち勝負だ」

「え?」

「俺はBチームの責任者だ。その俺が引き留めても出撃していったとあってはエディにも迷惑が掛かる。だから、俺に勝ったら行って良い。責任は俺が取る」

「隊長……」

「ただし脱走兵扱いだ。士官の職務放棄は問答無用で銃殺だ。つまり、お前には軍令本部から自爆コマンドが送られるだろう。それは覚悟しておけ。いいな」


 全員下がれの言葉と共にテッド少佐の声がシェルデッキに響き渡った。およそ10メートルほどの距離で相対したテッド隊長とロックのふたりは腰のホルスターにあった留め金を外した。銃を引き抜いてトリガーを絞れば銃弾が放たれるのだ。

 テッド隊長の両腕は肩より上に持ち上げられた。早撃ち勝負の構えを取ったふたり。シェルデッキに身を切るような緊張が溢れた。皆が息を殺して見ているなか、先に動いたのはロックだった。


 ――よしっ!


 一瞬だけ勝利を確信したロック。居合い抜きの要領で抜き放った銃のトリガーを七割まで引いて、そして狙いを定めるべく腕を振り続けた。だが、テッド隊長の早撃ちはそのロックの動きよりも数倍早いモノだった。乾いた銃声が一発だけ響き、ロックの応急修理部分は呆気なく機能を停止した。


「俺の勝ちだな。ロック」


 静かな声でゲームセットを突き付けたテッド。

 ロックは姿勢制御を失って床へと倒れこんだ。


「なんでだよ! なんで行かせてくれないんだ!」


 ロックは右手を握りしめ床を叩いた。シェルが踏みつけても平気なはずのデッキがわずかに凹み、ハンフリー全体に打撃音が響き渡る。悔しさの余り床を叩き続けたロック。その右手部分がどんどん変形していき、やがて手を開く事すら出来なくなった。


「バードが捕まってんだよ。バードが。バードが……」


 自分の腕だけでなくシェルデッキの床を叩き壊して悔しがるロック。だが、そんな姿を見ていたエディはダニーに『ロックへスタンスティックを挿せ』と指示した。テッド隊長もダニーを見て『やれ』と目で合図する。そんな指示でダニーがスタンチップを押し込むと、ロックは身体の自由を奪われた。


「なんでダメなんだよ…… チクショウ」


 怒りと自分の不甲斐なさに悔しくて口惜しくて震えるロック。

 その目から一筋の液体が流れ落ちた。一瞬だけシェルデッキがザワ付き、皆が声を殺して驚く。しかし、ロックは自分が泣いている事すら気が付かず、悔しさに震え続けた。ハンフリーのシェルデッキに涙の染みを作りながら。


「お前の出番はもう少し後だ。眠れる森の美女を起こす王子様は最後に登場するもんさ」


 溜息混じりに言葉を漏らしたテッド。その肩をエディがポンと叩いた。


「家族の歴史は繰り返されるもんさ」

「……そうだな」

「止める方も辛いもんだろ?」


 どこか楽しげに笑っているエディは、クルリと背を向け歩き出した。周囲の部下に指示を出し、そして再び作戦検討室へ消えていく。そのすぐ後ろにテッドが続き、誰にも聞こえない声で会話を続けていた。その後ろ姿を見つめながら、ロックはバードの名を呟き続けていた。


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