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【第2章】Find raw stones!

 玉響みなもは小学五年生の時に転校してしまい、それ以来琢磨とは疎遠になっていた。家に残っていた当時の連絡網は役に立たず、現在の連絡先を知る共通の知り合いもいない。

 琢磨も頭を捻って心当たりを当たってはみたがことごとく空振りに終わり、結局学校で直接彼女を探すのが一番手っ取り早くて正確だという結論に至った。

(――とはいったものの……)

 翌朝、土曜日。

 昨日と同じ時間帯の同じ車両で登校した琢磨だったが、みなもの姿は無かった。

(今更あいつに会って、何を言えば……)

 何事もなく学校に着き、溜息交じりに教室の扉を潜ると、何やらクラスがざわざわと異様な雰囲気に包まれていた。

「ローラン、なんかあったの?」

 既に登校していたローランに尋ねたが、彼も肩を竦める。

「さあ。みんな僕が話しかけても逃げちゃうんだ。なんでだろうね。緊張しちゃうのかな」

「シャツの前が全開だからじゃね?」

 埒が明かないので、もう一人の知り合いに尋ねることにする琢磨。

「おーい鹿菅井ー」

「げっ」

 他の女子と群れていた蓬を呼ぶと、彼女はあからさまに顔を顰めて振り向いた。

「何だよ……教室で話しかけんじゃねーよ……」

「え、なに蓬、その男子と仲良いの?」

「どういう関係!? もしかしてもしかしてっ!?」

「絶対あの二人ゲイだと思ってたのに」

「いやっ、違っ――ああもう! こっち来い馬鹿!」

 周囲の女子に問い詰められた蓬は琢磨の襟首を掴むと、そのまま駆け足で廊下に引きずっていった。

「なんだよ引っ張んなよ!」

「うるせえ! ちょっとは空気読め! ……で、何の用だよ」

「いや、なんか教室の雰囲気がおかしかったからさ。なんかあったのかと思って」

「はぁ? そんなことかよ……その程度のことであたしの手煩わすな」

「すいませんね。女子の皆さんが俺たちになんも教えてくれないもんで」

 琢磨が殊更に厭味ったらしく言うと、蓬は頭を掻きながら舌打ちをした。

「チッ、ったく……まああくまで噂なんだけど、『死神』が出たとかなんとか――」

「『死神』?」

「昨日、剣道部の先輩が頭をモロに打たれて、面がU字型に凹んで保健室に担ぎ込まれた。さらに卓球部でも、誰かの手からすっぽ抜けたラケットが眉間にめり込んだ二年生が保健室に。おまけに陸上部の選手が、誰かの投げた砲丸を鳩尾に受けて三〇メートル吹っ飛んで保健室。幸い全員軽症で済んだらしいけど」

「何だそれ。ギャグマンガじゃあるまいし」

「あたしだって人から聞いた話よ。どこまでホントか知らないわ。でも怪我人が出たのは本当。しかも原因になったのが全部同じ人なんだって。それが仮入部中の一年生だってことで、付いた名前が『仮入部の死神』」

「ええっ……うちに来たら怖い……」

「部長が喜び勇んで入部させそうだけどね。『死神』とか好きそうだし」

「確かに」

 しばし二人でケタケタ笑った。

「――って、なんであたしはコイツと楽しく談笑してんだ! いいか!? もう金輪際こんなどうでもいいことで話しかけんじゃねーぞ! 分かったな! フリじゃないかんね!?」

 蓬は肩を怒らせながら教室へ戻っていった。

「ちょっと蓬~、なに二人っきりでイチャイチャしてんのよ~。笑い声聞こえてたゾ~」

「ほんっとやめてそういうの。違うから。そういうんじゃないから。部活の話だから」

 女性陣がギャーギャー騒ぐ声を掻い潜り、琢磨は席へ帰った。

「おーい琢磨~。なに二人っきりでイチャイチャしてんだよ~。笑い声聞こえてたゾ~」

「うるせえローラン。キモいぞ。ったく、誰があんなカス眼鏡女と。俺はあいつの身体以外には興味ないからな」

「おいおい、その言い方は無いんじゃあないの」

「だってあれでもあいつ俺好みの良いケツでさ、しかも意外と胸も――」

「テメエの死神はあたしだ」

 一瞬で距離を詰めた蓬が、琢磨の首筋に手刀一閃。琢磨は意識を失った。


■□   □■


 土曜日はソフトボール部がグラウンドを使用する日で、野球部の活動は昨日と同じく新入生狩りであった。

 効率化を目指し、茶々・みま・彰子・琢磨と、エリス・中・蓬の二チームに分かれて回ることになり、それぞれ部室を出発した。

「えっと、昨日回ったのがバレー部、サッカー部、バドミントン部、テニス部、ゲートボール部、銃剣道部、アームレスリング同好会、オージーフットボール同好会……今日はどこに?」

 琢磨が茶々に尋ねると、彼女は迷いない足取りで三人を先導しながら答えた。

「まずは陸上部だ。目指すは第一グラウンド」

「なるほど。陸上部のフィジカルエリート狙いですね」

 この学院は広い。第三グラウンドから第一グラウンドまで、歩いて十分弱かかる。この時間を有効活用しようと、琢磨はあまり交流の無い彰子に話しかけた。

「なあ鳴楽園、ちょっと訊いていい?」

「はい、なんでしょうか」

「鳴楽園って野球歴何年? 思ってたよりも随分上手かったから気になって」

「そうですね……一〇年以上はやっていますね」

「じゅ、じゅうねん!? そんなに小っちゃいころから!? えっと……なんで?」

「はい。大変な野球好きの父が自分のチームを持っていまして。わたくし、初めてその試合を見に行ったときに、野球の楽しさに魅せられてしまいまして――駄々をこねて一緒に練習させていただいていたのです。今思えば、随分と図々しい真似をしてしまいました」

「へぇ、お父さんのチーム? 草野球とか……少年野球の監督?」

「いえ、社会人チームです」

「はい……?」

 社会人チーム――企業チームや、地域のアマチュアクラブチームのことである。

「……ちなみに何て言うチーム?」

「メイラークという――」

「メイラーク!?」

 メイラークHD(ホールディングス)株式会社野球部――日本選手権や都市対抗野球で何度も優勝しプロ選手も多数輩出している名門チームである。その母体であるメイラークHD(ホールディングス)は、その歴史は明治まで遡る、日本有数の食品会社であり――

「――うちの親父が勤めてる会社だ……」

「あら、そうでしたか。これは数奇な巡り会わせですね」

「え、待って。あの、メイラークの社会人チームで練習させてもらってたんだよね?」

「はい」

「で、そのチームは鳴楽園のお父さんの持ち物――」

「そうなりますね」

「ってことは……き、君のお父さんは――」

「父ですか? CEOの方を少々」

「――CEO(代表取締役社長)……」

 この金剛学院は元お嬢様学校。「元」が付いたのは共学になったからであり、別にお嬢様が居なくなったわけではない。

 思わず琢磨はその場に崩れ落ちる。

「――お、お嬢様……畏れ多くも私、先程からタメ口や呼び捨てなどという数々の無礼千万な振る舞いを……何卒……何卒ご容赦を――まだ父には家のローンが残っておりまして!」

「ま、まあ! お止めになってください!」

 無様に地面に額をこすりつけていた琢磨に対し、彰子は膝を地に付け、彼の手を取った。

「父同士の間柄など関係ありません。わたくし達は同じ学び舎で学ぶ友人であり、何よりも共に汗を流す仲間ではありませんか。野球を愛する者同士、どうぞ、今まで通り気楽なお付き合いをしてくださいませ」

「お嬢様……いや、鳴楽園、ありがとう……! ごめん。俺のせいで足汚れちゃって――」

 彰子のスカートから覗く膝小僧が土で汚れていた。しかし彼女は全く気にしていない様子で、片手で土を払い落としながら言った。

「大丈夫ですよ。元々わたくしが野球に惹かれたのも、土に塗れながらプレーする選手達を見たからなのです。それまで外で泥んこになって遊ぶという経験がなかったものですから。その影響で、土で汚れる内野の守備練習ばかり好んで――」

「それであんなに上手くなったのか。納得だ」

「いえいえ、それほどでも――うふふ♪」


■□   □■


 陸上部専用の第一グラウンドに到着するやいなや、茶々はみまから古めかしい折り畳み式の望遠鏡を受け取り、競技ごとにグラウンドのあちこちで活動している陸上部の面々を舐めるように観察しだした。

「さて、有望そうな新入生は――むむ。奴など良さそうだ。往くぞ」

 いつものように自信に溢れた足取りでさっさと歩き出す茶々に続く他の三人。

「何あの人たち」「野球部?」「げっ、男がおる……」「やだ……卑猥……」

 すれ違いざまに陸上部員達の呟きが聞こえてくる。

「……部長。さっさとお目当ての子勧誘してこっからおさらばしたいんですけど」

「そう焦るな。今こちらに来る」

 そう言って茶々は立ち止まった。トラックの正面ストレートの端、フィニッシュ地点の前である。ちょうど一〇〇メートル先に、今まさにクラウチングスタートの体勢をとっている人影が一つ。

「まさか、あの子ですか?」

 茶々は獲物に狙いをつけるライオンのように黙って見ている。

 彼女がスタートした。前傾姿勢のままぐんぐん加速し、スピードに乗り切ると体を起こして胸を張る。頭の上の方で二つに結んだ褐色の短めの髪が風に靡き、四人との距離がどんどん詰まる。体の軸にブレがない、無駄のないフォーム。

「はっや……!」

 身長は大して高くない。だが全身に搭載しているバネが、明らかに常人のそれとは違う。まるでサバンナを駆けるチーターのようだった。

 フィニッシュ地点を走り抜けた彼女――紋白ノノは、息を整えながら、少し睨みつけるような顔をして闖入者たちの許へやって来た。

「何よあんたたち。ノノになんか用?」

「貴様は現在の境遇に満足しているか。さらなる甘美な世界へ、羽ばたいていきたいと思うことはないか。我に従うと誓え。さすれば貴様の力を存分に奮う戦場(いくさば)を与えることを約束しよう。我と契約を交わすのだ」

「――何言ってんのこの人……」

 茶々の勧誘を受けて、頭に「?」を浮かべる陸上少女。見かねた彰子が通訳を始めた。

「練習中に申し訳ございません。実はかくかくしかじか――」

「――まるまるうまうまというわけね。なるほど……」

 少し考える素振りを見せるノノ。ぱっちりとした大きな目。キャラクター物のTシャツを着て、下は青いスパッツを穿いている。そこから伸びるのは、すこぶる敏捷性に優れていそうな、カモシカのような脚。

(まーでも、こんだけ速い子は陸上部でも期待されてるだろうし、そう簡単に心変わりして野球部へ来てくれることは無いだろうなー……)

「いいわよ、入部してあげる」

「あらまアッサリ! 本当にいいの? 陸上部は?」

 思わず琢磨が尋ねると、ノノは「あっは、いーのいーの」と手を振った。

「陸上部には何となく来ただけだから。野球は何度か助っ人頼まれてやったこともあったし、嫌いじゃないしね。あとほら、陸上と野球のどっちが将来稼ぎが大きいかって考えたらねー」

「そりゃあトップクラスは何億も貰ってるけど……そんなのほんの一握りで――」

「はあ? あんた、このノノのこと誰だと思ってんのよ。このノノがその一握の砂にならずに誰がなるというのか」

「よく分からないけど凄い自信だ……」

「とーにーかーくー、このノノが入ってあげるんだから、野球部は今日から強豪の仲間入りよ。感謝しなさいよねー」

「フフッ、何とも心強い。よろしく頼むぞ、紋白」

 満足げにほくそ笑む茶々と、ノノは握手を交わす。その時、グラウンドの反対側から女の怒鳴り声が響いた。

「ちょっと! 野球部がここで何やってんの!」

 怒りの形相で走ってきたのは陸上部部長の飯島だった。茶々がその姿を発見して、こちらも大声で叫ぶ。

「フーハハァ飯島ァ! この一年生を戴いていくぞ!」

「ふざけんな藤原ァ! ダメ! その子は絶対ダメ!」

 飯島は猛ダッシュで茶々に食って掛かる。

「紋白さんはうちのエース候補なんだから! 野球部になんか絶対やらん!」

「だが本人が野球をやりたいと言っているのだ。それを妨げる権利は誰にもあるまい」

「ハァ!? ちょっと紋白さん! どういうこと!? 私たちを捨てるの!?」

 必死にノノに縋り付く飯島。しかしノノは素気無く舌を出してウインク。

「悪いけど、そういうことなんで。ごめんなさいね部長☆」

「そんな……ね、もっかい考え直して! 今年は全国間違いなしってOG会にも言っちゃったの! それならって寄付金増量の約束まで! 今更紋白さんがいなくなったりしたら私達どうしたらぁ……!」

 泣き落としにかかる飯島。そんな彼女の肩に、茶々が優しくポンと手を置く。

「藤原……」

「飯島……目指せ全国っ!(輝く笑顔)」

「ブッ殺ス……ッ!!」

 飯島が茶々の顔に拳を叩き込もうとした瞬間――

「これは何の騒ぎだ!」

 突如また誰かの声がした。先生か誰かにこの騒ぎを見られたのかと一同は固まるが、やって来たのは一人の生徒――伊藤我美鶴である。

 髪は短く、目鼻立ちがくっきりしている。身長は、男子の平均程度の琢磨より高い。「宝塚の男役スターです」と言われたら疑いなく信じてしまいそうなほど男前だ。投擲系の選手らしく、上半身の筋肉がかなり発達している。

「どうしたんですか部長、紋白に泣きついて」

「伊藤我さ~ん! それがかくかくしかじかで――」

「まるまるうまうまというわけですか――まあ紋白は陸上に愛着がある様子ではありませんでしたし、無理にやらせるのも……本人が決めた以上、仕方ありませんよ」

「そんにゃ~……」

 飯島はがっくりと肩を落とした。

「ありがと美鶴。そういうことだから、ノノはこっちにお世話になるわね」

 ノノは軽い調子で言った。美鶴は溜息を吐き、野球部側に会釈。

「……ッッッ!?」

 そして何かに衝撃を受けたように固まった。

「――ん? 美鶴……?」

「――――――――」

 ノノが呼びかけても返事がない。ある一点を見つめたまま、瞬きすらしない。その視線の先には、おろおろする彰子が居た。

「あ、あの……わたくしが何か失礼を……?」

「あ、あー……申し訳ない。ついぼーっと――あの、き、君!」

 美鶴は妙に興奮した様子で彰子へ歩み寄る。

「参ったな……このグラウンドの芝はいつも綺麗に整備されているというのに、こんなところにこんなにも美しい花が咲いていただなんて――ああ! 今まで君という大輪を見つけることが出来なかった私をどうか許してほしい」

 美鶴は彰子の瞳を覗き込み、そっと彼女の手を取って口づけをした。彰子は途端に頬を赤らめて右往左往。

「ま、まあ……! いやですわ……皆様の前だというのに、そんなお恥ずかしいことを仰られては……わたくし照れてしまいます……!」

「ふふ、君のその日本的美しさ――まるで椿の花のようだ。しかし君はどんな花よりも気品に溢れ、麗しい。是非とも君の名をお聞きしたいな」

「はい――彰子。鳴楽園彰子と申します」

「ああ、彰子、君に相応しいなんて可憐で凛とした名前なんだ。私のことは美鶴と呼んでほしい」

「美鶴様……ああ、このままではわたくし、道を逸れてしまいそうです……」

「全て運命だったのさ。こうして二人が出会うことも、共に迷宮(ラビリンス)に迷い込むことも……」

「ああ……わたくし、きっとあなたに出会うためにこの世に生を受けたのだと……!」

「ところで彰子。君は、陸上部に入る気は無い?」

「陸上部、でございますか?」

「ああ! 私が見るに、君はなかなか筋が良さそうだ。そうだな……その脚の形状、跳躍系がベストだろう! 跳躍といえば走り幅跳びだな! 三段跳びも良いかもしれないね! うん、その二択だな! むしろそれ以外はダメだ! 君の才能が発揮できない!」

「あの……跳躍なら他にも走り高跳びや棒高跳びが――」

「あれはダメだよマットだし」

「マット?」

「とにかく! どうだい? 晴れた日も雨の日もドロドロに土に塗れて私と――」

「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」

「な、なぜ……」

「お誘いいただいたことは本当に感謝しています。ですが、わたくしはどうしても野球を――野球部を裏切ることはできないのです……!」

「野球、か――――――ちなみに訊くけど、君のポジションは?」

「二塁手を務めさせていただいております」

「内野……土……ふむ。ではもう一つ訊きたいんだけど――君は練習で泥だらけになることについてどう思う?」

「大好きです!」

「飯島部長! この伊藤我美鶴、野球部へ入部することを今、決断いたしました! 今日までの親身なご指導ご鞭撻、真に感謝いたします! 私達、幸せになります!」

 美鶴は、茫然としたままの飯島に深々とお辞儀すると、茶々の方に振り返って「今日からよろしくお願いします!」と再び一礼。

「お、おう……」

 美鶴と彰子のやり取りを無表情で傍観していた茶々は引き気味に頷いた。

 その様子を見て溜息を吐いたノノが、頬を掻きながら言った。

「その……美鶴は悪い子じゃないから。ちょっとだけとっても欲望に正直なだけなの」

「……まあ、うちとしては部員が増えるなら万々歳だから。これで八人だから、あと一人で試合ができる」

 そう返した琢磨のことを、ノノはその猫のような大きな瞳でじっと見上げた。

「な、なんだよ」

「――あんた男よね? あんたも選手なの?」

 その質問には悪意や嫌悪感のようなものは感じられなかった。

「いや、俺はマネージャーというか雑用というか――あ、そうだ。紋白って何組?」

「え? 二組だけど……なによいきなり」

「二組にさ、玉響みなもって女子いない?」

「たまゆら? さぁー……知らないわね」

「そっか……」

 琢磨と蓬の三組にはもちろん居ない。そして二組も空振り。

「幼馴染の方、まだ手がかりは見つかりませんか……?」

 そう尋ねてきた彰子の四組にもみなもは居なかった。

「うん……休み時間に教室回っても居ないし、女子にはすぐ逃げられて聞き込みにもならないし……」

「よく分かんないけど」ノノが割って入ってきた。「初対面の男子にそんないきなり女の子の所在訊かれたら、まずストーカーを疑うわ」

「うん。今日だけで七回通報された」

「あー……ドンマイ」


■□   □■


 ノノと美鶴という戦果を挙げ、琢磨達は部室でエリス組と合流した。

「そっちはどうでした釣果は」

「Nothing...」

 琢磨の問いにエリスは肩を竦めた。

「そうですか……おいカス。お前がついていながらこれはどういうことだ」

「うっせクソ野郎」

 蓬は横目でチラリと中を見た。相変わらず暗黒オーラを醸し出しながらぐふぐふ笑っている。

「……あんなのを連れてて寄ってくるのがいるわけないでしょ」

「ああ……それで、やっぱりどこにもみなもは――」

「居なかったわ」

「そっか……」

 この二日間に回ったどの部にも、みなもの姿は無かった。

 さて野球部は新人二人の紹介を済ませ、茶々を中心に今後の方針について会議を開始。

「二日目で八人まで集まったのだ。悪いペースではない」

 みまの用意した椅子に座り、みまが淹れたコーヒーを啜りながら、茶々が口を開く。

「あと一人で我が軍勢は形になる」

「しかし、その一人が難しいデスネ……」

 エリスは部活一覧表にチェックを付けつつ溜息をつく。

「昨日今日と、かなりのQuick paceで回りマシタから、残った運動部はどこも少人数なところばかりデス。新入生の囲い込みも必死デショウネ」

 琢磨はエリスの肩越しに一覧表を覗き込んだ。規模が大きく、新入部員の集まりそうな部を優先して回った為、後回しになっているのは弱小同好会ばかり――

「――あれ? 先輩、これまだじゃないですか。ほら、ここ」

 琢磨は規模の大きい部活で唯一チェックが付いていないものを発見した。

「Um……Softball clubデスカ……」

 エリスは変な反応だった。それと同時に、茶々と鵜みまも一瞬ピクッとして背筋を緊張させている。そんな妙な空気を無視して、蓬が突っ込む。

「確か金剛学院(ウチ)のソフト部って全国レベルの強豪でしたよね? なんで真っ先に行かないんですか?」

 そう尋ねられたエリスは「それはその……」と口ごもりながら、腕を組んで難しい顔をしている茶々のことをチラッと見た。

「なんと言いマスか……まあその――似たような競技で、しかも同じGroundを使う部として、色々と、um……険悪ってわけじゃないんデスガ……えーっと――」

「――もう良い、ランスフォード」

 茶々がやや重い口調でエリスの言葉を遮った。

「そうだな……鹿菅井の言う通りだ。四の五の言っていられる状況ではない。ソフトボール部へ出向くぞ。丁度目の前で練習中だ」

 茶々は意を決した様子で立ち上がった。背後に控えていたみまが心配そうに声を掛ける。

「しかし、茶々様は確かあちらの部長とは――」

「部全体の存亡が懸っておるというのに、我一人の都合など考慮しておれるか」

 そう答える茶々の肩が僅かに震えている。琢磨は少し焦りながら蓬に小声で話しかけた。

「ソフト部に触れたのマズかったのかな……」

「ソフト部の部長と個人的な確執でもあるのかしらね」

 不安げな蓬に続き、彰子も怪訝な顔で胸に手を当てる。

「片や全国クラスの強豪、片やメンバーの確保にすら難儀している弱小……部長はあのように『頼れるリーダー』の仮面を被っていらっしゃる御方ですから、その裏で、様々な悩みを抱えておられるのやもしれませんね」

 さらにその後ろから元陸上部の二人も顔を出した。

「気丈に振る舞っている人間ほど、心は敏感だったりするからね。そう、まるで白く美しいものほど汚れが目立ってしまうように――だがそれがまた素晴らしい」

「美鶴は黙ってなさい。とにかく行きましょ。折角このノノが入ってあげたのに、人数が足りなくて大会出られませんでしたーなんて許さないんだからね!」

 重い腰を上げた茶々に続き、一同はソフト部の練習するグラウンドへ向かった。


■□   □■


「おーぅ! ちゃっちゃちゃ~ん! ひっさしぶりじゃ~ん! お昼休みに一緒にお昼食べようと思って教室行ってもいっつも居ないから淋しかったんだぞ~! 相変わらずフリフリでカワイイ制服だこと! まーた十字架とかドクロとかいっぱいぶら下げちゃって! おう? そのお兄ちゃん特製勲章また増やした? 重くないのソレ? で、今日はなになに~? どったの~? そっちから来てくれるなんて珍しいじゃ~ん! え? 新入生の勧誘? あー野球部は毎年部員揃えるの苦労してるもんね~! でも今年は割と集まってる方じゃん? え? あと一人? ほぉ~う頑張ったね~! よ~しもっとなでなでしてやろ~ぅ! うりうり~! ぅわっは~今日もプリチーだんねぇ~!」

 茶々はグラウンドに足を踏み入れた瞬間、弾丸のように突進してきたソフト部の練習着姿の女性にとっ捕まった。そのまま飼い主に溺愛されるネコのように体中を撫で繰り回されている。

「やっ、やめ……! ちょ……だから、おい……! いい加減に……ひゃめぇ……っ!」

「茶々様を離してよ! もう涙目じゃないか!」

 みまが必死に引きはがしにかかるも、茶々を可愛がる女性の手は止まらない。

「よいではないか! いっつも私のこと避けやがって~! もっと愛でさせろ~!」

「ああ……やっぱりこうなりマシタカ……」

「エリス先輩、この惨状は一体――」

 琢磨が尋ねると、エリスは苦笑いしながら答えた。

「Um、あの方がソフト部の部長の――」

野上静佳(のがみしずか)だよ!」

 やたら元気でとにかく快活。茶々が力で全く敵わないのも頷ける立派なガタイ。鍛え上げられた全身の筋肉。正しくアスリートの体である。しかしその笑顔は、じゃじゃ馬少女がそのまま大きくなったような悪戯っぽさ全開だった。

「ほうほう! 君が今年入ってきた男の子か! 茶々ちゃんやぁるぅ~! さっそく男子を囲い込みやがって! 色気づくお年頃かね~? ん~?」

「断じてそのような下世話な理由はない!」

「そぉ~だよねぇ~! 茶々ちゃんはず~っとお兄ちゃん一筋だもんねぇ~?」

「おにっ――奴のことは言うな! 毎度毎度いい加減にしろ!」

 静佳は楽しくて仕方がないという様子で、琢磨ら新入生に茶々の秘密を暴露する。

「私と茶々ちゃんは幼稚園からず~っと一緒なんだけどね? この子中学校の頃からこんな変なキャラになりきってるくせに――」

「やめろ馬鹿者! お前らも聞くな! 鵜飼! 石山達の耳を削ぎ落として溶けた錫を流し込め!」

「申し訳ありません! 錫なんて常備していません!」

「常備してたらするんですか!?」

「むふふ~、茶々ちゃんね~、二個上のお兄さんがいるんだけど~、お兄さんの前でだけは、甘えまくりのデレデレお兄ちゃん大好きっ子なんだよねぇ~!」

「マジっすか!?」

「ぐあぁあああぁあぁあああぁぁあああぁあぁああぁあぁぁ……!」

「大学生になって一人暮らししてるお兄さんの部屋に押しかけてご飯作ってあげてたよねぇ~? その後無理やり泊まりこんで『おにいちゃ~ん♡』なんて甘えながらベッドに潜り込んだりしてるって話だけどぉ~? 全部お兄さんから聞いてるよぉ~?」

「――うっ……うぅ……もう、やめて……頼むからぁ……」

 茶々は真っ赤になった顔を両手で隠しながら、その場に崩れ落ちた。いつも無理やり演じている低い声はどこへやら、高めの地声が出てしまっている。

「ぐすっ……ひぐっ……これだから、貴様に会うのは嫌だったんだ……!」

「むふふふ~! ホント茶々ちゃんってかんわいい~! あ、新入生勧誘の件はOKだよー! やっぱり新入生には自分のやってる競技を好きになって、三年間部活を続けてほしいじゃん? だから『こっちの方が好き! 頑張れる!』って思った方に入ってくれれば一番良いからさ! 仮入部のみんなはあっちでバッティング体験中だから、行ってくるといいよ!」

 やりきった顔で額の汗を拭う静佳。やっと解放された茶々は、みまに肩を支えられながら涙目で静佳を睨む。

「――覚悟しろよ……一人残らず掻っ攫ってやるからな……」

「んふふふ、やってみれば~?」

「――貴様が野球を選ばなかったことを後悔させてやる。鵜飼、もう大丈夫だ。一人で歩ける――往くぞ」

 羽織ったユニフォームを翻し、胸の勲章をチャリンと鳴らして、茶々は大股で歩き出した。みまを筆頭に、その他の面々もそれに続いた。

「……『選ばなかったことを後悔させてやる』ねぇ」

 静佳は笑顔で、誰にも聞こえない声で呟いた。

「そんなこと無理に決まってるじゃん、私達にはさ♪」


■□   □■


 グラウンドの端。揃いの練習着を来たソフト部員の中に、ジャージ姿の女子の列が出来ていた。どうやら、ソフト部員が投げた緩い球をバットを振って打ってみよう、という趣旨の体験会らしい。

「凄い人数ですね……毎年このくらい入部するんですか?」

「ええ、大体四、五〇人は来マスネ。強豪デスから」

 琢磨の質問に対し、エリスは複雑な表情で語った。

「でもその分練習はキツイので、半年で約半分になってしまうそうデス」

「中学までは野球をやってた子が高校からソフトに転向して、でも合わなくて結局辞めちゃうってこともあって……そういう子の受け皿にもなれたらいいんだけど――」

「フッ……目標が低いな鵜飼」

「あっ、茶々様、復活なされましたか」

「ふん、野上の奴の鼻を明かしてやる為にも、特に素質のある者を、どんな手を使ってでも強奪してやるのだ……!」

 そういうわけで、ソフト部の新入生達に「なんだろうあの個性豊かな集団」という目で見られながら、彼女らのバットスイングを観察する野球部である。

「ふむ……大体三分の二がソフトか野球の経験者で、残りが初心者という感じデショウカ」

「強豪といっても、経験者ばかりってわけじゃないんですね」

「ウチは少数精鋭で大会に臨まなきゃならないし、経験者が欲しいところね」

 真剣な視線を注ぐエリス・琢磨・蓬。その隣で彰子がふんわり微笑む。

「皆様やる気に満ち溢れていて素晴らしいですね。わたくしも身が引き締まる思いです」

「そうだね。青春の汗ほど清々しいものはない」

 美鶴が彰子の肩に手を回す。

「しかし彰子、私はやはり君の頑張る姿が一番好きだな。汗する君の姿はまるで、朝露を湛えた可憐な百合の花のようだから――」

「さっき初めて会ったばっかで何言ってんのよあんた」

 そんなノノの言葉も意に介さず、二人の世界は続く。

「そんな身に余るお言葉――わたくしはただ、好きなことを必死にやってきただけで――」

「好きなこと、か――私も、君に必死に追いかけてもらえる存在になりたいものだ。嫉妬してしまいそうだよ、野球という競技にね」

 美鶴は彰子の耳元でそっと囁きながら、彼女の細い腰を抱き寄せた。

「ああ……お止めになってください美鶴様――皆さん見ていらっしゃいます……!」

「構うものか。さあ、顔を上げて」

 恥じらい、紅潮した顔を伏せていた彰子の頬に、美鶴の手がそっと触れる。

 ヌチョ、ヌチョリ。

「ちょ! 美鶴! 何あんた手! 泥んこ!」

 ノノが伊藤我の汚れた手をチョップで叩き落とした。

「ふふふ……彰子の白い肌と赤く染まった頬。そしてドス黒い泥という色彩と清濁の見事な対比……陰と陽……(エロス)(タナトス)――ああ! 迸る! 辛抱たまらん! もっと穢したい!」

「穢れてんのはあんたよ!」

 ノノがローキックを放つ。美鶴は「くっ……!」と唸って倒れた。

「――あ、あの人……!」

 とその時、みまが声を上げた。今バッティング中の新入生を真っ直ぐ見つめている。

「さすが先輩ね。アホと違って真面目にスカウティングしてるわ」

 感心したように頷くノノだが――

「あの人の首にある痣……あれは縄の跡だよ! 間違いない! あの人には緊縛趣味があるんだ! うわあ……ボク奴隷仲間(トモダチ)になりたいな! 良いグッズ置いてるお店の情報交換とか、ご主人様スワッププレイとかしたい!」

「なんなのよこの変態の巣窟……ずっとノノのおしりチラチラ見てる奴もいるし」

 琢磨の身体がビクリと跳ねた。

 しばらくそのまま見物していると、一人の女子に順番が回ってきた。明るい髪色で、毛量のあるその髪を一本の三つ編みにして後ろに垂らしている。身長はそこそこあるが痩せている。

「じゃあ、次!」

「は、はいぃ!」

 先輩に呼ばれ、その子はおずおずと前に進み出て、手ぶらのまま立ち尽くした。

「こらこら、バット持たないでどうすんの」

「ああっ! す、すみません! ごめんなさい!」

 かなり緊張している。先輩からバットを受け取ると、右打ちの構えをとった。しかし手が上下逆さまで、背も腕も縮こまっているし、どう見ても初心者である。

「いくよー!」

「よ、よろしゅくお願いしみゃうっ!」

 ボールを投げる役の先輩はなるべく緩い球を下から放った。山なりのボールがゆっくりと向かってくる。三つ編みの少女は、運動音痴な女子っぽさ丸出しなフォームで思い切りバットを振った。それはもう、思いっきりだった。その瞬間を見ていた全員が思わず息を飲んだ。

 バットが消えた。あまりのスイングスピードの速さで、バットが見えなかったのだ。

「……み、見まシタ?」

「見た……と言うか見えなかったというか……」

「うん、まるでバットが消えたように…………って、あれ?」

 スイングをした後の三つ編み少女を見ると、その手にバットは握られていなかった。

「バ、バットが本当に消えた!」

「ま、まさか空気との摩擦で燃え尽きたとでも言うのか!?」

「…………ねえ、あれ――」

 皆があっけにとられる中、ノノがボールを投げた先輩を指差した。

 先輩はその場に意識を失って倒れていた。

「なっ! なんだどうした!?」

 それに気づいた野球&ソフト部員たちが急いで駆け寄る。

『……ッ!?』

 全員、驚愕の光景に一瞬言葉が出なかった。

 先輩の顔面のど真ん中に金属バットが突き立っている。バットは半分ほどめり込み、顔の部品の全てがその穴に陥没している。まるで杵で突かれた臼の中の餅のようだ。

 ちょっとしたパニックになるグラウンド。騒ぎを聞きつけた静佳が駆け寄ってきた。

「あかり! 大丈夫!? 意識は!? 喋れる!?」

「その声は、部長……? 何も……何も見えない――」

 あかりと呼ばれた彼女はバットを顔面に突きたてたまま静佳に抱き上げられ、両手をもがくように動かしている。

「ご……ごご、ごめんなさぁーぁい!!」

 三つ編みの少女は、涙を流しながら謝罪の言葉を叫んで、その場から逃走してしまった。静佳が慌てて呼び止めようとする。

「ああっ! ちょっと待って――って行っちゃった……とにかくあかりを保健室に! ごめん仮入部のみんな、見学はまた今度ね。野球部のみんなもごめんね! あ、グラウンドは使ってていいから!」

 最早その場は大混乱で部活どころではなくなり、野球部だけがグラウンドにぽつんと取り残された。

「すごく痛そうだったな…………閃いた!」

「ミマ、頼みマスから、怪我だけは勘弁してくだサイネ?」

「――も、物凄い事故でしたね。金属バットが、まるで砲弾のように……」

 若干顔を青くした彰子が呟く。

 起こったことは単純だ。スイングした三つ編み少女の手からバットがすっぽ抜け、あかりの顔面に当たった。可能性としては十分に起こりうる不幸な事故。しかしその被害の度合いが尋常ではない。あかりの顔は潰れた低反発枕のように凹んでしまった。この破壊力、人間業とは思えない。

 蓬が、琢磨の脇腹を肘で小突いた。

「ぁふんっ……ちょ、やめてくれ。脇腹は弱いんだ」

「キモイ声出すなよ……ねえ、もしかして、あれが例の――」

「――お前もやっぱりそう思う?」

「『仮入部の死神』――まさか本当に姿を現すとは……」

「あんな気弱そうな子がねぇ……」

「夕霧先輩の方が何倍も死神っぽい……」

 するとその時、みまが辺りを見回して言った。

「あれ? 茶々様は?」

 さっきまで居たはずの姿がどこにも見当たらない。

「……まさか――」

 琢磨と蓬は同じ予感を抱きつつ、互いに顔を見合わせた。


■□   □■


「戻ったぞ。宴の準備だ」

 一旦部室に戻り、眠りこけていた中を叩き起こしていた琢磨達。そこへ帰還した茶々は、じゃらじゃらと音を立てる太い鎖を握っていた。鎖の繋がれた先には――

「な、なんなんですか!? こんなところに連れ込んで、わ、私ナニされるんですか!?」

 顔を青くしてぷるぷる震える『仮入部の死神』だった。昔の海賊が縛り首になるときに嵌められていたような木製の手枷を嵌められ、明らかに犯罪チックな光景だ。

「絶対こうなると思ってたんだよ! 『死神』なんてワード好きそうだもんこの人!」

「ボク以外に雌犬奴隷を!? もうボクはお払い箱ってこと……? 嫌だ……捨てないでくださいお願いしますご主人様……っ!! ほら靴も舐めますれろれろれろれろれろ――」

 茶々は琢磨の発言を意にも介さず、みまを軽く蹴とばして(「あひんっ♪」)退かすと、パイプイスに腰かけて堂々と足を組んだ。鎖に繋がれた『死神』は彼女に引っ張られて皆の中心に躍り出る形になった。

「あ、あの……も、もしかしてさっきの復讐とか、ですか……? あ、あれはわざとじゃないんです! 昔からスポーツやろうとすると緊張しちゃって……それでいつもうっかり誰かを保健室送りに――誤射なんです! 触れるもの皆傷つけちゃうんです!」

「いえいえそんな……第一わたくし達は野球部で、あの被害者の方とは無関係ですし……」

 恐怖に泣きじゃくる『死神』を、彰子がなんとか宥めようとする。一方の茶々は実にご満悦そうな笑みを浮かべた。

「ふん……持つ者ほど、その幸運には無自覚なものだ。『死神』よ、貴様は自らの持つ忌まわしき力を制御しきれず、その結果多くの者を傷つけてきた。そうだな?」

「『死神』……? わ、私は人間ですよ……?」

「我らならば、巨大すぎる貴様の力を操る方法を伝授し、有効に利用してやることが出来るぞ。さあ、我らに従え『死神』――貴様のような者こそ、我が軍団の一員に相応しい」

「――え……? え……?」

『死神』は全身の至る所から「?」をポコポコ排出しながら、助けを求めて周りをキョロキョロ見回す。

 そんな『死神』に手を差し伸べたのは、野球部の『女神』だった。

「――そんなに怯えなくても大丈夫デスヨ」

 エリスは見る者を安心させる笑顔で『死神』をそっと抱きしめた。まるで天から降り立った女神が、震える子羊の許へふわりと寄り添うかのように。

「え、ぇあ……?」

「怖くない、怖くなーい――ほらチャチャ、その手枷外してあげてくだサイヨ」

「ふん、逃がすなよ」

『死神』の頭をよしよしするエリスに急かされ、茶々はポケットから古めかしい鍵を取り出し手枷を外した。

「そんなもんどこから持ってきたんですか……」

 蓬が呟くと、茶々は目を逸らした。

「……たまに鵜飼を、な」

「えへへ……」

「あー、はい……」

 さて、エリスは『死神』の自由になった手首をさすってやりながら、会話を続けていた。

「ゴメンナサイ、部長が無理やりこんなことを――アナタ、お名前は?」

「く、倉しほり、です」

「OK、シホリ。緊張しなくても大丈夫デス。ちょっとワタシとQuizをしまショウ」

「クイズ……ですか?」

「YES! さて問題デス。去年の夏に行われた、全国高校女子野球選手権大会。全試合通して、HR(ホームラン)は一体何本出たデショウカ」

「ホームランですか……? えーっと――」

 だいぶ落ち着いてきた『死神』ことしほりはうーんと考える。

「――ひ、ヒントお願いします」

「OK。そうですねー、去年の男子の夏の甲子園で飛び出したホームランは四十二本デシタ」

「男子が四十二…………えっと、じゃあ、半分の二〇本くらい……?」

「ふむふむ。OKOK。では、ヨモギ。答えはご存知デスカ?」

「ええ――ゼロよ」

「……えっ、ゼロって……一本も出てないってことですか?」

「そういうことデス。それも去年だけではなく、十五年前に開かれた第一回大会から今までを通じて、Fence越えのHome runは一本も出ていマセン」

「――理由はいくつかあります」

 彰子が後を受ける。

「まず一つ――そもそも選手の母数が少ないこと。当然アスリートとしてトップクラスの才能を持つ方の数も少なくなります。そして二つ目にして最大の理由が――」

 それは考えなくても分かる単純な理由である。

「――筋力という点において、女性は男性に及ばないということ。女子野球の試合は、男子と共通の球場で行われます。そんな遠いスタンドまで打球を飛ばす程のパワーを獲得することは、女性には不可能に近いことなのです」

 さらにみまが静かに、優しい声色で続ける。

「プロリーグでも、年に一本打てば快挙だからね。ボク達高校生にとって、ホームランは夢であり、憧れであり――絶対に越えられない、高い高い、大きすぎる壁なんだ」

「しかし――」

 エリスがしほりの両手をそっと握った。

「ワタシ達は見つけました――皆が無理だと諦めた壁を乗り越える希望を……誰も見たことのない、前人未到の世界へ羽ばたける可能性を――」

 窓からは傾いた陽の橙色が差し込み、エリスのブロンドを黄金色に輝かせていた。しほりの瞳にもその神々しい煌めきが映り込む。

「シホリ、アナタのそのPowerは天から授かった素晴らしい才能デス。どうかその力を、ワタシ達に貸してはいただけマセンカ?」

「――えっ……あ、わ、私が、ですか……? で、でも私なんて……力がちょっと強いだけで、全然運動とか出来ないし――」

「野球はたった一つだけでも武器があれば戦える世界デス! ましてやシホリの武器なら、それ一つで戦略級デス!」

「そそ、そんな……自分でも制御が利かなくなるのに――」

「なら制御できるように練習あるのみデス! もし、シホリが自分の武器の使い方を覚え、使いこなせるようになれば――」

 しほりは運動音痴のド素人だ。当分は戦力にならないだろう。だがそれを補って余りある、破壊的とも言えるパワーがある。

 そこに技術が加われば、彼女の打球はいったいどこまで飛んでいくのだろう。

 ホームランなんて打てないのが普通――女子野球界を支配する、そんな観念を豪快に打ち砕く大革命。

「それは最早、歴史が変わる瞬間デス……!」

「――わ、私が……私で本当にいいんですか……? こんな、不器用で、皆さんに迷惑しかかけられないような私が、皆さんの仲間に入って、本当にいいんですか……?」

「『アナタでいい』んじゃないデスヨ。『アナタが欲しい』んです。シホリ、アナタの力が、ワタシ達には必要なんデス」

 しほりの瞳から、一筋の澄んだ涙がつーっと零れ落ちた。

「わ、私……っ、自分を変えたくて、高校からは運動部でなんとか頑張ってみようと思って、でも……っ、なかなかうまくいかなくて……っ――それでも……! こんな……こんなどうしようもない私でも、皆さんのお力になれるのなら――」

 しほりはエリスの手を離れ、頭を下げた。

「――よ、よろしくお願いしますっ!」

「まず一歩、変われマシタネ!」

「はい……っ!」

「ふっ……ふふふ……ふっふっふ……はっは……フゥーハハハハハハハハァ!!」

 茶々がいきなり、どこぞの悪役のように高らかな笑い声をあげながら立ち上がった。

「遂に! 遂に揃ったぞ! 我が九人の軍団が――我がチームが! 戦いへと赴く準備はこれで整ったのだ! 鵜飼ィ! 法螺(ほら)を吹けィ!」

 脇に控えるみまがサッと取り出した法螺貝を雄々しく吹き鳴らし、高らかな歓喜の咆哮が全校に激しく反響する。

 そう、これで選手は九人。野球の試合に最低限必要な人数は揃ったのである。

 ただし、これで十分だと思わない者は、当然いる。

「…………倉」

 しほりを怖がらせないよう、琢磨は慎重に声を掛ける。

「おっ、男の子がいる……っ!?」

「うん、それについては後で説明するから。で、倉って何組?」

「い……一年一組、です……」

「一組にさ、玉響みなもって女子いない?」

「えっ……? み、みなもちゃんを知ってるの……?」

「っ!?」

 琢磨は全身の肌が粟立つのを感じた。

 ついに彼女の尻尾を掴んだ――

「いるんだな!? みなもは一組に……!」

「ヒッ……!」

 琢磨は思わず大声でしほりに迫ってしまい、彼女は驚いて尻もちをついた。

「あ……ごめん、つい……。それでみなもは――」

『ピンポンパンポ~ン♪』

 琢磨の言葉を遮ったのは、校内放送の開始を知らせるチャイム。すぐに続いて事務的な声がスピーカーから流れだした。

『硬式野球部部長、三年二組藤原茶々さん。至急理事長室へ来てください――』

「む? 我を召喚せんとするか……」

「部長、一体何やったんですか」

「鹿菅井、なんだその、さも我が問題でも起こしたのだと言わんばかりの――まあ心当たりは無いでも……うーむ……まあいい。往ってくる。貴様らは先に帰って構わん。鍵は我が閉めて帰る」

「お供します、茶々様」

「要らん、鵜飼も帰って休め。明日も午後から練習だ。人数も揃った。遂に練習に本腰を入れられる。全員、覚悟しておけ」

 そう言い残し、茶々は颯爽と部室を出ていった。

「なんなんだろう……あ、そんなことより倉。みなもについてだけど――」

 琢磨は簡単に事情を説明した。しほりは一応納得したようで、おずおずと口を開く。

「えっと……わ、私とみなもちゃんは附属中学からクラスも部活も一緒で、い、一番の友達っていうか……私はそう思ってるっていうか……」

「……一緒の部活って、何部?」

「漫研……あ、漫画研究会、だけど……」

「――そっか……あのさ、俺どうしてもあいつに直接会いたいんだけど、なかなかタイミング合わなくてさ。もしよかったら協力してほしいんだ」

「あ、その……む、難しいと思う……」

「な、なんで?」

「あう……あの、みなもちゃん、今、不登校で……」

「不登校……?」

「入学式には来たんだけど……つ、次の日から一回も……。連絡もつかなくて、わ、私も心配してて……ご、ごめんなさい……」


■□   □■


「失礼する」

 茶々が理事長室の扉を開くと、部屋の中には二つの人影。

「よーぅ茶々ちゃん。さっきぶり」

 一人は静佳だった。ソファに深く腰掛け、いつものように軽い挨拶を投げかけた。

「……貴様も呼ばれていたのか。先刻保健室に運ばれた部員の具合はどうなのだ」

「んー、ご心配ありがと。おかげさまで、ちょっと休めば大丈夫みたい。いや~、あの子一応レギュラーだからね。ヒヤッとしたよ」

「……貴様――何やら様子がおかしいな。覇気が感じられん」

 静佳はふーうと長く息を吐くと、ソファの背もたれに沈み込んだ。

「……ま、話を聞けば分かるよ」

「ふん、そうか。ならば早く済ますぞ」

 二人は揃って、この部屋の主の方へ向き直った。高級な黒い革張りの椅子に腰かけている、縁無し眼鏡を掛けた鉄面皮の痩せた女。金剛学院高校理事長である。

「ソフトボール部部長、野上静佳さん。そして硬式野球部部長、藤原茶々さん」

 あまり抑揚の無い、感情の籠らない冷たい口調。

「野上さんには先にお話ししましたが、あなた達を呼んだのは、ソフトボール部と野球部の今後の話をするためです」

 その会談は、空気も内容も殊更に重いものとなった。

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