【第1章】女子野球部の男子マネ
視界を占める女子中高生の群れ――石山琢磨は思わず息を飲む。
ここは朝のラッシュで激混みの電車内。その内訳は中等部と高等部、二種類のブレザーを着こんだ女子ばかりだ。彼女らは全員、中高一貫の私立校・金剛学院高校の生徒達。
そんな中に紛れ込んでしまった男・琢磨は冷や汗を流していた。
女子に囲まれたからといって嬉しくもなんともない。車両を満たすのは、イケメン以外の男に一切の容赦が無い多感な年頃の女子中高生である。残念ながらイケメンとはいい難い彼が少しでも不審な動きをすればどうなるか――
「この人痴漢です!」
その時、車内に木霊する死刑宣告。
「ちっ、違う! 私は痴漢なんぞやってない! 濡れ衣だ!」
痴漢の疑いをかけられたのはスーツの男性。彼は必死に否定しているが、周囲の女子達は一切耳を貸さない。
「痴漢だ! 殺せ!」「ふざけやがってェ! 死ねェ!」「ほら踏め踏め!」「股間狙って股間!」「玉潰せ! 変態に子孫を残させるな!」「骨も残すな! 一本残らずへし折れ!」「ヒャッハー! 生きのいいミートパティにしてやるよおおおおおお!」
男性は一方的な暴力により、たちまち物言わぬ肉の塊と化し、誰かが拳で割った窓から車外へ放り出された。この路線における日常的な光景である。
琢磨には、この死のリスクが三年間常に付きまとうのだ――
■□ □■
昨年、進路指導室。
「えーと石山の志望校は……金剛学院? あそこって女子高だろ? 金剛女子学院つったら有名なお嬢様学校じゃないか」
「チッチッチ、リサーチが甘いですね先生。なんと来年度から共学になるんですよ!」
「へー。で、なんでそこにするんだ? 家も近くないだろう」
「ふふふ……共学といってもまだ試験的な導入らしくて、男子の募集人数はたったの十二人だけなんですよ!」
「お、おう。それがどうした」
「分からないんですか!? その十二人以外は全校生徒みんな女子! しかも中高一貫の女子高で育った純粋培養のお嬢様だらけなんですよ!? この中に飛び込まずして何が男か! ハーレムわっしょい! ハーレムわっしょい!」
「こら机の上で踊るな石山! まあ……動機は不純でしかないがとりあえず置いておこう。問題はまだあるぞ」
「なんですか? 避妊はちゃんとしますよ?」
「黙れ。そうじゃなくて、お前知ってるのか、金剛の偏差値。トップクラスの進学校だぞ。しかも高校からの一般入学組は、中学からのエスカレーター組とは別枠だからさらに狭き門だし、さらに男子枠の十二人に入るとなると今のお前の成績じゃ……」
「――先生、俺を甘く見てもらっちゃ困りますよ。俺のハーレム生活への情熱にかかればね、その程度の障害なんて軽く乗り越えてやりますよ!」
「そうか……まあ、頑張れ」
「ありがとうございます! わっしょい! ハーレムわっしょい!」
■□ □■
それで本当に受かってしまったのだから、ある意味凄い男である。
(馬鹿なのかあの頃の俺は……!)
しかし今、彼はひたすら後悔していた。女に多数派を握られた男の立場は、雨に濡れた飢え死に寸前の犬畜生と同等であることを、一日で思い知ったのだ。
(――いや、やめよう。過去をいくら嘆いても仕方ない。今出来ることをしよう。この過酷な三年間を生きて終える為にも……)
左手で吊革を握り締め、右腕で鞄を胸に抱き締め、『私の両手はご覧の通り埋まってますので貴女のおしりを触ることは不可能ですよアピール』をしつつ、なるべく周囲の女子の身体に触れないよう体勢を維持する。
『次は、琴張。琴張です』
しばし辛抱すると、降りる駅の名を車内アナウンスが告げた。
(よし、もう少しで今朝を生き延びられ――)
「えっ……あっ……んんっ……! 嫌ぁ……っ」
その時、彼の前に立っていた頭一つ分ほど背の低い女子が、何やら怪しげな声を上げ始めた。
「や、やめ……うぅ……ひぅっ……」
怯える小動物のようにぷるぷる震えながら瞳を潤ませる女子生徒。その周辺に男は一人。
(……ヤバい。これどう見ても俺が痴漢してるようにしか見えない)
周囲の女生徒たちが疑いの目を向け始めているのを感じる琢磨。
(どうする? 今この瞬間に疑いを晴らさなければ、俺もさっきの憐れな男性と同じく――そうだ!)
「ねえ」
彼は涙目になっている少女にそっと声をかけた。
「大丈夫? 調子でも悪い?」
犯人になりたくなければ、助ける側になればいい。ついでに女性に優しくて頼れる男イメージも付いて一石二鳥――という作戦である。
「痴漢? ああなんてこった……同じ男として恥ずかしい。今この俺が君を助けるからね」
そう優しく語りかける彼を見上げた少女は、恐怖で掠れた声を振り絞った。
「た……たす、けて……」
(勝ったッ! あとは痴漢を仕留めれば俺は一躍ヒーローに……)
琢磨は顔を上げるが――改めて言おう。この周囲に男は彼を除いて存在しない。
「――えーっと……痴漢、は……どこ?」
「うぅっ……あっ……! パ、パンツはやめ……っ」
(チッ、こうしてまごまごしている間にも彼女が変態の毒牙に!)
もう間もなく電車は琴張駅に到着する。このままでは混雑の中で逃げられてしまう。
(時間がない……少し手荒いけど、彼女を脇に退かせて、犯人の手を捕らえるしかない!)
「ちょっとごめん!」
琢磨は左手を吊革から離し、彼女の肩に手を置こうとした――その瞬間、電車が琴張駅のホームに滑り込み、減速を開始。彼は不意を突かれて痴漢被害少女の方へとよろめいた。
「ぅおっと!」
「ひっ!」
驚いた彼女は思わず身を捩ろうとする。そして――
『琴張ー。琴張ー』
電車が停止し、ドアが開く。車内の学院生が、津波のように押し寄せる。
「うわっ!?」
「ひゃあ!?」
バランスを失っている状態で後ろから押された彼は、目の前に居た少女を巻き込んで前のめりに倒れた。受け身を取ることも出来ず顔から床へダイブ。
(痛ッ……くない?)
彼の顔を、何か温かくて柔らかいのに適度な弾力のある物体が受け止めてくれたのだ。
「な……なんだ、これ……」
それに左手で触れながら体を起こす。手に吸い付くような心地良い湿気と、すべすべした手触り。ずっと触っていたくなる魅惑の物体だ。
「……あ、そうだ! 君、大丈夫だった!?」
道連れにして床にはっ倒してしまった少女の事を思い出し、真っ先に姿を探す。彼女は目の前に居た。俯せに倒れた姿勢からオットセイのように上半身だけ持ち上げている。床にぶつけたのか鼻と顎が赤くなり、相変わらずすすり泣いている。
「ごめん……バランス崩しちゃって……」
「……ど、どいてぇ」
「え?」
彼はそこで初めて下を向き、顔面を優しく受け止めてくれたものの正体を見た。
目の前の少女の立派なおしりだった。スカートが捲れ上がり、痴漢にやられたのかパンツが半分ずり下がっている。彼女の体つきと比較するとやや大きめ。程良く鍛えられた大殿筋の盛り上がり。その上を覆う脂肪が女性らしいラインと柔らかさを演出し、肌はシミ一つなく赤ちゃんのほっぺのよう。そんな機能美と健やかさを兼ね備えた、痴漢ウケしそうな素晴らしいおしりであったと彼は後に語る。
「もう……いやぁ……うぇーへぇん……」
遂には声を上げて泣き出した少女。一方琢磨は――
(あ、これ死んだ)
感じる。ムンムンと絡みつく女子中高生たちの特濃の殺気。事情を知らぬ人にとって今の彼は、女子のパンツを脱がし、おしりにしゃぶりついたド変態糞野郎だった。
そして電車内にはただ、骨が砕かれ、肉が引き裂かれる鈍い音が響いた――
■□ □■
その後、痴漢の現行犯として駅員室へしょっ引かれた彼を救ったのは、先程のおしりの子だった。
「あ、あの! そ、そのひ、人はちち痴漢じゃない、です……!」
必死に証言してくれた彼女のおかげで疑いは晴れ、琢磨の未来と人権と名誉は守られたのだった。
「本当にありがとう……! 君の弁護が無かったら俺は今頃どうなってたか……!」
石山琢磨、駅のホームで感謝の土下座であった。少女は視線の高さを合わせるようにしゃがんで、ぎこちなく微笑んだ。
「いえ、本当のことを言っただけですから。あなたの方こそ……本物の痴漢から助けようとしてくれたんですよね? お礼を言いたいのはこちらの方で……」
「いやいや、それこそ当たり前のことじゃないか」
琢磨は可能な限り爽やかなスマイル。すると彼女は照れたように視線を外し、肩口まで伸びた柔らかそうな栗色の髪を掻き上げた。ちらりと覗く小ぶりな耳が赤くなっている。
(こ、これは好感触……!)
琢磨は流れるように素早くスマホを取り出す。
「れ、連絡先とか聞いてもいい?」
「え……?」
彼女はちょっと怪訝な顔。
(くっ、性急過ぎたか……いやここは畳みかけろ!)
「ほ、ほら、もし今回の事で今後疑いを掛けられたときにまた証人になってもらうかもしれないし……あと今度改めて今日のお礼とかしたいし……それに君も金剛学院だよね? やっぱり男子は遠巻きにされてて、俺まだ女子の友達とか居なくて……ダメかな?」
咄嗟に口から出た言い分。しかし少女は少し悩んで頷いた。
「……分かりました」
(よっしゃ、この子ちょろいぞ!)
少女が鞄からスマホを取り出すのを待って、まず琢磨の連絡先を送信。彼女のスマホから受信完了のアラームがピロ~ンと鳴る。
「じゃあ次は私が――」
だが、彼女は液晶に表示された琢磨の個人情報を見た瞬間、愕然として動きを止めた。
「――クマちゃん……?」
「えっ……?」
琢磨は耳を疑った。自分をそう呼ぶ人間を、彼は一人しか知らない。
「君は……まさか――」
■□ □■
「遅いぞー。初日から授業サボるなんてやるじゃないの」
金剛学院一年三組、その一時間目の後の休憩時間。琢磨がこそこそと教室に入ってくると、唯一の男子クラスメイトであるフランス人、ローラン・ルフェーブルが面白そうに笑っていた。
「いや……ちょっと痴漢されてる子を助けてて」
「マジか。ちゃっかり恋愛フラグ立てやがって。で、その子とはどうなったの?」
「…………逃げられた。ダッシュで」
「なんじゃあそりゃ。馬鹿じゃないのか。みすみすチャンスを逃すなんて……君は何のためにこの学院に入ったんだ。このフニャチン野郎が!」
「ええ……そこまで責められなきゃいけないの俺……?」
「フランスではね、誘うべきところで女性を誘わない男は生きていけないんだよ」
「いやお前日本生まれ日本育ちでフランス行ったことないって昨日言ってただろ」
このローランという男、ウェーブのかかったアッシュブラウンの長髪を後頭部で団子にし、高校生のくせに口髭と顎鬚をばっちり決めた、どこからどう見てもフランスの伊達男。中身は完全に日本の小市民のくせに、『日本女性が憧れる外国人男性像』というものを完璧に把握し、演じているのだ。
「その子、美人だった?」
「……美人というよりかは可愛い感じ」
「ふーん……胸は?」
「…………慎ましくてお淑やかだった」
「……尻は?」
「いい感じにむっちりしてて白くて滑らかで最高だった」
「お前は尻フェチか…………待て。なぜその子の尻の色と触り心地まで知って――」
「さて、次の授業の準備しなきゃ」
「おい琢磨! おい!」
その時である。一人の眼鏡を掛けた女子が、ボリュームのある赤っぽい髪を揺らしてツカツカと歩み寄ってきた。いち早くその気配を察したローランが、スッと立ち上がり彼女を迎え入れる。
「やあマドモアゼル、僕らとの同席をご所望ならば、さっそく席を用意するよ」
「要らん。おい、そこのクソ遅刻野郎」
彼女はローランのことを見もせず、琢磨に向けてそう吐き捨てた。
「……なんか用ですか。えっと……確かクラス委員の……カス……なんとかさん」
「鹿菅井だ!」
いきり立つ彼女は、琢磨を道端の吐瀉物を見る目で見下したまま、「今朝配られたプリントだから」と机に一枚のプリントをぐちゃりと叩き付けた。
「……おい、ありがたいけどその態度はネェだろうがこのカスメガネ女がコラァ……」
「――チッ。やる気かテメエ……廊下出ろクソ野郎。このクラスの序列教えてやんぞ……」
「まあまあ、そう邪険な態度を取っていては、芽生えるものも芽生えはしないよ」
お互い鬼の形相で口から威嚇音を出していた二人の間に、ローランが割って入る。
「これから共に学んでいくクラスメート同士、親睦を深めて、友情を育んでいこうじゃあないか。まあ僕としてはね、ゆくゆくはそれ以上の関係へ溺れていくのも吝かじゃあ――」
ローランは委員長の肩にそっと触れた。その途端、彼女はチョキの形にした右手をローランの両の眼にぶっ刺した。
「触んじゃねえよ常時発情毛唐野郎がァ!!」
「ギャァア!? 僕の眼球が!!」
床を転げまわるローランに一瞥もくれず、委員長は去って行った。
「なんて野蛮な女だ。せっかくあいつもなかなか俺好みの尻を持っているのに……」
「まったく……この学校のマドモアゼル達は身持ちが固いね」
半泣きで立ち上がったローランは、やれやれと肩を竦めながらワイシャツのボタンを二個ほど多めに外した。
「まあ、だからこそ挑み甲斐があるのだけれどもね」
「物好きめ。俺は女の本性を見せつけられてうんざりだよ」
「でも君だって、この学校に来るくらいだ。そういう野望が多少なりともあったんだろ?」
「うぐ……ま、まあそうだけどさ。見ろよこの現状を。俺達が男だってだけでこんだけ邪険に扱われてさ……」
ここで教室内の話し声に耳を傾けてみると――
「なんで男なんかと……」「せっかく中高一貫の女子高に入ったのに……」「絶対ウチらのことエロい目で見てるよ」「男だけ別クラスにしろよ」「気を付けて、目が合うと孕まされるよ」「胸板全開じゃん……フェロモンでむせる」「授業初日から遅刻とか不良なのかな……怖い……」「……やっぱ外人が攻めかな」「王道だね……外人じゃない方はどう見ても受け顔だし」「は? 外人誘い受けの外人じゃない方攻めっしょ?」「何言ってんの殺すよ?」「外人攻め以外認めない」「死ね」「そっちが死んで」「おう戦争だ」「構いませんことよ」
(名前も『外人』と『外人じゃない方』としか呼ばれてないし……片方だけ売れてるお笑いコンビかよ)
「……チンコ切り取れば助かるのかな」
「おいおいこの歳で男としての幸せを捨てるのか? 冗談きついぜ琢磨」
「ああ……で、なんだこのプリント」
プリントを左手で捲った。そこには『部活動入部届』の文字。
「部活……俺、帰宅部でいいよ。どうせどこの部に入っても男はこんな扱いなんだろ」
「残念ながら校則で部活への入部は必須だ」
「ぐへぇ……お前はどうすんだよローラン」
「フェンシングと迷ったけどね、僕は乗馬部に入るよ。なんでか聞きたいかい?」
「モテそうだからだろ。はぁ……俺この先やっていける自信無い……」
「そう悲観的になるなよ。いいことを教えてやる。女性にモテる秘訣だ――誠実に、前を見据えて生きること。あとは、ちょっと女性に優しく」
「――それだけ?」
「それだけ。ま、頑張れよ」
ローランのウインクと同時に、二限目の開始を知らせるチャイムが鳴った。
「う~ぃ……授業始めんぞ……。席着けコラぁ……っぷ」
担任の青梅先生が二日酔いでえづきながらヨタヨタと入ってきたので、琢磨は少しでも男子の評価を上げる為、真面目に授業を受けるのだった。
■□ □■
その日の放課後。仮入部期間である現在、校内の至る所で新入部員の勧誘活動が積極的に行われているのだが――
「あっ……あれが一年に入ってきた男子……」
「しっ! 目を合わせると襲われるわよ……!」
桜花咲き乱れる前庭にて、『新入部員募集中!』と書かれたビラを新入生にばら撒いている先輩達は、琢磨には一切ビラをくれないどころか「お前がいると新入生が寄ってこないからさっさとどっか行きやがれ」みたいな目で睨んでくる。
(この先どうしよ……ま、仮入部期間は二週間あるし、ゆっくり身の振り方を考えよう。ふん、男性差別主義者共の部活なんぞこっちから願い下げじゃ――)
「よろしくお願いしマース!」
唐突に差し出されたビラに虚を突かれて、琢磨は足を止めた。
(俺を勧誘って……一体どんな人――)
桜色の花びらが舞い散る中、彼の前にいたのは、神話の世界から跳び出してきたかのような見目麗しい白人の女性だった。春の日差しを受けて神々しく煌めく、長く波打つ純正のブロンドヘアー。汗が滲み、ほんのりと色っぽく紅潮した木目細かい真っ白な肌。呼吸するたびに、制服のブラウスの下で轟然とその存在感を誇示する豊満なバスト。美少女フィギュアのようにキュッと括れた魅惑のウエスト。日本人には真似できないド迫力のヒップ。スカートから覗く身長の半分以上ありそうな長い足。
しかし、彼をまっすぐ見つめるその瞳だけは、まるで日本人のような焦茶色だった。
「――――――――――」
「……あれ? どうしマシタ? 大丈夫デスカ?」
「――――――――――」
「止まっちゃいマシタネ……うーん、うふふ――えいっ」
「ぽぬがっ!」
片言少女に悪戯っぽく鼻を摘ままれて、琢磨は正気に戻った。人間、本当に美しいものを目にしたとき、言葉を失うというのは本当らしい。
「あ、生き返りマシタ。駄目デスヨ~、朝ご飯はしっかり食べないと元気出マセン!」
「え、あ、はあ、そうですよね! 食べます俺! 毎朝しっかりご飯食べます!」
(いや朝ご飯は毎日しっかり食べてるんだけどね)
「初めまして! ワタシ、二年二組のEllis Lansfordと申しマス! 男の子ということは一年生デスヨネ? どうデスカ、うちの部、興味ありマセンカ?」
名前の発音がとても流暢だった。琢磨は緊張の色が隠せぬまま、しどろもどろで答えた。
「いっ、一年三組の石山琢磨です……え、えっと……いいんですかね……その……男でも」
「全く問題なしデス! まあ確かにいろいろと苦労することはあるかもしれマセンが、一緒に頑張って乗り越えていきマショウ!」
片手で小さくガッツポーズをする彼女に、琢磨の心は完全に奪われていた。
「ランスフォード先輩……ッ!」
「エリス、で構いマセンヨ♪」
「エリス先輩ッ!」
(ローラン、俺頑張るよ! 誠実に、前を見据えて生きてみるよ!)
「俺部活入ります! エリス先輩と一緒に汗流したりとか色々したいです!」
「本当デスカ! 一緒に頑張りマショウネ! 野球!」
「はい! 俺頑張ります野球――やきゅう……?」
「Yes! We are the baseball club!」
エリスが差し出してきた手作りのビラにはしっかりと『硬式野球部』の文字。
「こ、この高校……野球部あったんですか!?」
「あったんデス! 早速部室へGO!」
エリスは琢磨の右手を取り、跳ねるように走り出した。
■□ □■
「ここが我らが部室デス!」
寄付金が潤沢にある金剛学院は様々な設備がとても充実しており、体育の授業や運動部で使用するグラウンドが、大小合わせてなんと五つもある。琢磨が引っ張ってこられたのは、そのうちの一つで野球・ソフトボール専用の第三グラウンド――の一塁側ベンチの裏に建てられたレンガ造りの小屋だった。西欧の街角にひょっこり建っていても違和感のない佇まいで、扉には『硬式野球部』と書かれたプレートが掛けられている。
「さすが金剛は部室も立派ですね……」
「フハハ、そうデショウ。さあ中へご案内~♪ HEY! 新入部員GETしてきマシタヨ~!」
エリスは部室の扉を勢いよく開け放った。部室は十畳ほどで、ロッカーや野球道具の詰まったダンボールが壁沿いに並び、床にはごちゃごちゃといろんな物が散乱している。
そこには三人の女子が居た。そして着替えの真っ最中だった。
『……………………』
突然のことにポカンと動きを止める一同。しかしそこは誇り高き男子高校生。琢磨は目の前の甘美な光景を詳細に記憶せんと、両の目と脳をフル回転させた。
一番手前に居る、ちょっと伸びたジャギーカットと遠くを見つめているような眼が特徴的な女子は、丁度スカートを下ろしたところだったらしく、上半身は制服のブラウス、下半身は下着姿で突っ立ったまま、大して動揺することも無く振り向いていた。レースがふんだんにあしらわれた黒の大胆なスキャンティから、肉付きの少ない小ぶりなおしりが少しはみ出している。
その向かい側には、艶のある長い黒髪が美しい、すらっとした体型の色白美人が居た。彼女はスカートはまだ穿いているが薄桃色のブラジャーが露わになっており、脱いだばかりのブラウスを両手で抱き締めて隠している。しかし恥ずかしそうに体を捩っているおかげで、無駄な肉が無く洗練されたボディラインが、一つの芸術作品のように引き立てられている。
そして一番奥で最も肌色を曝け出しているふわふわ赤毛女子は、スポーツブラに付け替えるところなのか、柔っこそうな中くらいの膨らみ二つがバッチリ見える。さらに下半身はスライディングパンツ(略してスラパン。スパッツのような形状の野球用の下着。スライディングなど激しいプレーをしても大丈夫なように、伸縮性・吸湿性に優れていて、クッションがついている場合も。あくまで下着なので素肌に直穿きが基本)を穿いていて、尻周辺のラインがはっきり見て取れる。
「ん……? あのなかなか鍛えられて成長した味のあるケツは……あ! カス委員長!」
「誰がカスだクソ覗き野郎!」
「お前野球部だったの!?」
「今から死ぬお前が知る必要はない」
怒りに燃えた彼女は阿修羅観音のような顔で、胸元を左腕で隠しつつ、床に転がっていた金属バットを右手に取って琢磨を殺しにのしのしやって来る。彼はその迫力に圧されて地面に尻をついた。
「ちょっと待てカス! 凶器はダメだろ! ヤるならステゴロで来いよ!」
「安心して。私は野球部。バットは体の一部よ」
委員長は一切の慈悲無くバットを振り上げた。琢磨は息を飲んだ。
(――ここでボコられたらどうなる。きっと俺は一生委員長に頭が上がらなくなる。そして彼女がヘッドを張るクラスの女子にも逆らえなくなる。女の前でへこへこするだけの、しょうもない腐った男として三年間が終わってしまう。それは嫌だ。誇りを捨てたら男は終わりだ。痴漢冤罪騒ぎの悲劇を繰り返すな。ラッキースケベに行き逢った主人公はヒロイン達にボコられて然るべき――そんなラブコメの常識を打ち崩せ……ッ!)
「――俺は……俺は絶対に暴力には屈しない! 絶対にだ!」
琢磨は委員長のバットを掻い潜るように姿勢を下げて彼女に肉薄。そして彼女の右脚のスラパンの裾と太ももの間に、親指以外の四本の指を突っ込んだ。太ももの心地よい弾力を左手の甲に感じる。
「なっ……!? テメッ、何を――」
狼狽する委員長を見上げながら、スラパンの裾をしっかりと握った。
「殴りたければ殴れ! でも俺だって男だ……最期まで戦って死んでやる! お前がそのバットを振り下ろした瞬間、俺はお前のスラパンをずり下げる!」
「はぁ!? バカかお前!? ぶっ殺すぞ!」
「太ももの触り心地に反して可愛げの無い女め、そういう口を利くなら――えいっ」
スラパンをちょっと引っ張った。委員長の鼠蹊部がチラリ。
「ちょっ……おまっ、マジかよ!」
泡を食った委員長はバットを放り投げ、慌ててスラパンを右手で押さえた。
「ハッ! 狙い通りだぜ! 既に胸を押さえるのに片腕を使っているお前は、そうやってバットを手放すしかねえよなぁ!」
「畜生ッ! やられた……!」
「さあ、俺を殺したいなら胸か下半身のどちらかを諦めて白日の下に晒せ! さもないと俺はスッポンの如くいつまでも――グゴッ!」
その瞬間、琢磨の視界に火花が散った。遅れて頭部に燃えるような痛み。
「な……なに……を――」
「ハッ……ハッ……! や、やってしまいました……!」
艶やかな黒髪の少女が、委員長の落としたバットを両手で握り、顔を紅潮させ、肩で息をしていた。琢磨は彼女にブン殴られたのであった。
そのまま彼は意識を失った。
■□ □■
意識を取り戻した琢磨は、真っ暗で、座ることもできないほど狭い場所に立っていた。手で辺りを探ろうとしたが、腕が動かせない。体をぐるぐる巻きに縛られているようだ。
「な、なにこれ! ここどこ! 助けてえっ! 誰か! 誰かいませんかあああぁ!」
「うるせえ!」
怒鳴り声と同時に、耳元で金属を激しく打つ大きな音がして空間がガタンと揺れる。
「やめて殺さないでください謝りますからごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「ダメだ。テメェはこのままプールに沈めて駆除する」
「も、もうやめませんか? 何やら精神に異常をきたし始めているような……わたくしの殴り所が悪かったのでしょうか……」
「あの一発はグッジョブだったわ。まあ、アタシとしてはもう二、三〇発は……」
「まあまあ。元はと言えば、鍵掛けずに着替えたり、KnockせずにDoor開けたり、女子しかいなかった去年までのノリが抜けていなかったワタシ達が原因デスし……」
「先輩も先輩ですよ! なんで男なんて連れて来るんですか!」
「そんなこと言われてもデスネ……」
琢磨に聞こえてくる話し声は、委員長とエリス、そして彼にトドメを刺したあの黒髪の子。もう一人のジャギーカット娘の気配はない。さらにしばらくすると、遠くからドアの開く音と、複数人の足音がした。
「貴様ら、何をしている」
地声は高めなのに、無理やりドスを利かせているような女性の声。
「あ、部長お疲れ様です。ちょっと害虫駆除をですね」
「ふむ、そうか……徹底的に駆逐しろ。虫だらけの部室では新入部員も寄り付かん」
「そういえばチャチャの方は、勧誘どうデシタ?」
「ふん、どうやら我の眼鏡に適う者は、そうそう易く姿を現してはくれぬようだ。貴様はどうだったのだ、ランスフォード」
「Umm……一応、一人……」
「ほう、貴様が認めた者ならば、幾分か期待も持てよう」
「期待なんてするだけ無駄ですよ部長」
「む? 何故だ鹿菅井。訳を話せ」
「エリス先輩が連れてきた奴、男なんですよ!」
「……何? 男、だと? つまり例の十二人のうちの一人というわけか。フッ、フフフフ、素晴らしい! 面白いではないか!」
「はい? ぶ、部長……?」
「鹿菅井、そこをどけ。我には隠し事は叶わぬ。そのロッカーの中に囚われた者がそれなのだな? さっそく顔を拝ませろ」
「えっ、い、嫌だなぁ……この中には本当に汚らわしい害虫がギチギチに満載で――」
「鵜飼、鹿菅井を退かせろ」
「はい。ごめんね鹿菅井さん」
「ちょ、きゃっ……!」
「さて……この我に姿を見せろ!」
琢磨が囚われていた監獄――部室の空ロッカーの扉が勢いよく開かれた。眩しさに目を細めた彼の目前に仁王立ちしていたのは、なんとも独特な女だった。
硬質で殺気を纏う、まるで黒曜石のような漆黒の髪を長いツインテールにしている。黒い瞳の三白眼。口元は不敵な笑みの形に歪んでいる。白いレースやチェーンで装飾された制服の胸ポケットには、どこかの軍の偉い人のように勲章がジャラジャラ下げてある。野球部のユニフォームを肩に羽織り、スカートから伸びる鍛え上げられた美しい足のラインは真っ黒いレギンズに覆われている。ただし胸は真っ平らだった。
「鵜飼、此奴の縄を解いてやれ」
彼女が命じると、脇に控えるゆるふわボブカットの女性が琢磨の縄を解いた。
「貴様、名と所属は?」
威風堂々と胸を張り、両腕を組んで問う部長。
「い、石山琢磨。一年三組です」
「石山か、覚えたぞ。我は金剛学院高校硬式野球部部長兼エース・藤原茶々(ちゃちゃ)である」
茶々はニヤリと笑い、他の五人の部員へ向き直った。
「貴様らも自己紹介だ。まずは二年生の二人」
「OK♪」
呆気にとられる琢磨の前で、まずエリスが笑顔で先陣を切る。
「改めマシテ、Ellis Lansfordデス! PositionはShortstop(遊撃手)。父がAmericanで母が日本人デス。日本には十年住んでマスので日本語は大丈夫デスヨ。あと一応副部長なので、分からないことがあったら何でも訊いてくだサイネ♪」
「――じゃあボクだね」
続いて声を上げたのは、鵜飼と呼ばれたゆるふわボブ少女。運動部で鍛えている割には細身で、どこか儚げな、森の奥にひっそり住んでいる妖精のようだった。
「鵜飼みまです。野球は高校から始めたからあんまり上手くないけど、なんとか頑張ってるって感じかな。ポジションはファーストと、茶々様のメス犬奴隷を務めさせていただいているよ。よろしくね」
(俺の勘違いかな……なんか聞いたことないポジション名が聞こえた気がする)
「あの、メス犬奴隷って――」
「それについてはツッコまないでくだサイ」
エリスが琢磨の質問をピシャリと遮った。野球部の暗部であるようだ。
「よし、では次は一年生。二人とも春休みから練習に参加してくれている。ほら鹿菅井、そのように露骨に嫌な顔をするな」
「はぁ……」
茶々に促され、鹿菅井が嫌々ながら口を開く。
「鹿菅井蓬。キャッチャー」
それだけ言ってプイっとそっぽを向いてしまったので、黒髪の美しい少女が苦笑いで後を受ける。
「えーと……ではわたくしが。鳴楽園彰子と申します。内野ならばどこでも守れますが、二塁手がメインとなる予定です。先ほどは殴りつけてしまい、本当に申し訳ありませんでした……」
深々と頭を下げる彰子に、琢磨は慌てて言った。
「いやいや! あれは俺も半分くらい悪かったから! 気にしないで!」
「完全にテメエの過失だ変態野郎!」
蓬が吠えたが琢磨は無視。その模様を満足げに眺めていた茶々が、パチンと膝を叩く。
「さて、部長権限により、この石山琢磨の入部を許可する! 異論は無いな」
「異論ありまくりです! なんでこんなセクハラ男を!? それに女子じゃないと試合メンバーにも入れられないし存在が無駄じゃないですか!」
「諫言は歓迎するがな、鹿菅井――」
当然異論を唱える蓬に、茶々は落ち着いた声色で諭すように反論した。
「我が部は人材難に喘いでいる。試合に臨む為の九人にすら満たぬ危機的状況だ。数は力。人数が多ければ多いほど、より効率よく効果的な修練が可能となる。その戦力に男も女もありはしない」
「……それはつまり『チームには入れないから雑用として扱き使う』という意味では――」
「さて石山よ! 嫌とは言うまいな。我ら一同、歓迎するぞ!」
茶々は再び琢磨にダイナミックな笑顔を向けた。琢磨は気まずそうに口ごもる。
「……えーっと……野球部の部員はこれで全員ですか?」
「そうだ」
茶々が頷く。琢磨は視線を落とした。
「そうですか……『入部する』ってエリス先輩に言ってしまった手前、非常に申し上げ難いんですが……俺、この部には入れません」
「その右手が理由か?」
「っ……!?」
茶々の指摘に、琢磨は目を見開いた。
「……気づいてたんですか?」
「先程から観察していて、違和感を覚えた。動かないのか?」
「……はい」
「え、あ、あの……どういうことですか?」
彰子が尋ねる。琢磨は言いにくそうに説明した。
「小学生の頃、事故で手の腱を切っちゃって」
全員の視線が彼の右手に集まる。物を軽く握ったような不格好な形のまま、彼の五本の指はピクリとも動かない。
「もう日常生活は慣れたもんですけど、当然野球は出来ません」
「でもタクマ、アナタ野球経験者デスヨネ?」
「へ?」
今度はエリスからの指摘だった。
「まあ……怪我する前はリトルリーグでキャッチャーやってましたけど……えっ、この部の人たち洞察力高すぎません……?」
「だって、スラパンの存在なんて経験者くらいしか知りマセンし」
「ああ確かに……」
「勝手のわかる経験者なら、Playは出来ずとも、いろいろ出来ることはあるハズ。チャチャの言う通り、今ワタシ達は一人でも多く人手が必要なんデス! Managerとしてでも構いマセン。お願いシマス……ワタシ達を助けてくだサイ!」
必死の形相で懇願するエリス。琢磨はその視線を避けるように顔を背けた。
「……ごめんなさい。ダメなんです」
「どうして――」
「俺は昔、一人のピッチャーから野球を奪ってしまいました」
琢磨は動かない右手を眺めながら、うわ言のように言った。
「あいつが失った野球を、俺が勝手に楽しむわけにはいかないんです」
「……そうか」
茶々はふっと息を吐いた。
「詳しくは分からんが、貴様なりの事情があるなら――」
「でも」
彼女の言葉を遮って琢磨は続けた。
「あいつはこの学校にいるんです」
琢磨は思い返す。朝の琴張駅ホームで会った少女。彼の名を知った途端逃げるように走り去っていった彼女の姿を。
「玉響みなも――もしあいつがまた野球をやる気になってくれたなら、その時は――」
「つまり、そのピッチャーが我が野球部の一員となるならば、貴様も入部すると?」
茶々の問いに、琢磨は頷いた。
「いいだろう! 投手が増えるのはこちらとしても願ったり叶ったり。その玉響とやらの捜索と勧誘、貴様に協力しよう。その代わり其奴が入部するまで、貴様は仮入部として顔を出せ。もちろん玉響の復帰が叶わぬと思った時、いつでも辞めて構わん。どうだ?」
茶々が左手を差し出した。琢磨は少し考えて、その手を握った。
「よろしくお願いします」
「よし、交渉成立だ。さて、ではさっそく今からグラウンドへ――」
「ちょっと待ってください」
横やりを入れたのは蓬だった。
「なんだ鹿菅井。これ以上貴様が何を言おうと石山の件は――」
「いえ、部長がそうなのは知ってますから諦めました……ホンット不本意ですけど。そうじゃなくて、まだ自己紹介してない人がいるんですけど」
蓬の視線の先には、まだ一言も発していないジャギーカットの少女。練習着姿の蓬と彰子。制服の茶々とみまに対し、一人だけ学校指定のジャージ姿だ。
「む……」
茶々も彼女を見る。
「………………誰?」
「知らない人!?」
ツッコむ琢磨。他の部員も同じく目を丸くする。
「えっ、誰も知らなかったのかよ! 普通に一緒に着替えてたじゃん!」
「いや……休み中は来てなかったマネージャーの先輩かと……」
「ワタシはてっきり今日から来た一年生かと……」
「じゃ、じゃあ誰!?」
「――二年五組、夕霧中だよ……」
ねっとりとした声を発した彼女はぬめりと立ち上がり、背中を丸めたまま一歩一歩、皆の輪の中心へ歩みを進めてくる。
「――ふふ……ぐふふふふ……野球は未経験だけど、入部希望……よろしく……ふふふ」
「な、なんデスカこの人……」
「そういえば、入学以来一度も登校していない人が居るって聞いたことあったような……」
エリスとみまが怪訝な顔を見合わせている一方で、茶々はあっさりしたものだった。
「まあいいだろう。入部を許可する」
「ふふふ……どうも」
「――では改めて」
茶々が全員へ向かって声を張り上げた。
「貴様ら、今から我らは更なる部員獲得の為、他組織へ特攻を仕掛ける」
「え? 練習はいいんですか? もう着替えちゃったんですけど」
蓬の質問に、部長が答えた。
「全生徒に部活動を強制している我が学院では、新入部員を獲得するチャンスはこの仮入部期間くらいしかない。だがビラやポスターだけではとても確実とは言えぬ。よって、他部に仮入部している有望な一年生をこちらからヘッドハンティングしに往くのだ! 者共続け! この学院に集いし才能を、根こそぎ奪い取るのだ!」
茶々は背番号1のユニフォームを翻し、先頭に立って部室から出ていった。
■□ □■
陸上競技専用の第一グラウンドに一迅の風が吹いた。
「よーい――ドン!」
合図と共に彼女は走り出す。前傾姿勢から段々と加速しながら体を起こす。最高速度。空気の壁を胸を張って引き千切っていく。褐色のツーサイドアップの髪が後ろへ激しく靡く。前へ、もっと前へ――スピードを保ったまま、胸を突き出しゴールを駆け抜ける。ストップウォッチを持った先輩が、彼女の一〇〇メートル走のタイムをチェック。
「一二秒一六!? すっごいじゃない紋白さん! これなら一気にうちの短距離エースよ! やり投げでもスゴイの入ってきたし、今年はいけるわコレ~!」
陸上部部長である飯島は小躍りしているが、走り終わった少女は不満げに鼻を鳴らした。
「フンっ、当然よこのくらい……」
「絶対ウチに入部してね! 頼むから! ね!」
「はいはい」
飯島がスキップで行ってしまうのを見送ってから、紋白ノノはタオルで汗を拭いた。昔から運動に関して大抵のことは出来た。体育の成績は常に最高ランク。そんな彼女にとって短距離走は、非常にシンプルで、そして大変退屈だった。
(もっと他の部も見とくべきだったかしら……ま、どの部に入ったところで、結局このノノが一番になっちゃうんだけどね~)
「あんなに気持ちよく風を切っていたのに、不機嫌そうな顔だね」
声をかけてきたのは、彼女よりもかなり背の高い、中性的なショートカットの女性。
「フンッ、別に楽しもうとなんて思ってないもん。ノノはノノの才能を伸ばしたいだけよ。将来じゃんじゃん稼ぐためにね」
「そうか。まあ現実的なことは悪いことではないよ」
「そういう美鶴こそ、なんかやり投げで随分な記録持ってるらしいじゃない。もっと強い高校行けたんじゃないの?」
問われた伊藤我美鶴は「ちょっと照れくさいのだけど」と頬を掻いて、熱っぽく語った。
「中学の頃、体育で走り幅跳びをやった時、砂場に飛び込んで泥だらけになっているクラスの皆を見て『女の子が汚れてる姿ってエロいなぁ』ってとっても興奮してね。更なる泥んこ美少女を求めて陸上部に入ったんだ。そしたらたまたまやり投げ――まあ中学だからジャベリックスローだったんだけど――その才能があったらしくてね。いくつかの高校から推薦の話もあった。でも、私が可愛い子を手当たり次第に落として抱きまくったせいで、三年の頃には私を中心とした校内の恋愛関係がこじれまくっていてさ、そのうち誰かに刺されそうだったから、一度全部の関係をリセットするために遠方のこの高校に来たというわけさ」
「いやそれ『ちょっと照れくさい』ってレベルじゃないわよ!? ただのヤリチン野郎じゃないの!」
「いやぁ、はっはっは。ところで話は変わるんだけど、紋白、走り幅跳びやってみないか?」
「話変わってない! ちょ……やめてよそんなギラギラした目でノノを見ないで! ノノはそんな趣味無いからぁ! 来ないでーッ!」
「逃げても無駄だー。いくら君の足が速くとも、こちらには槍があるんだぞー」
「いやああああああああ穢されるううううううううう!」
この日死ぬほど走り回ったノノは、一〇〇メートルのタイムが少し縮まったのであった。
■□ □■
野球部員達はいくつかの運動部を回ったが、何の成果も得られなかった。
「嘆いても仕方がない。時間はあまりないが、新人のオリエンテーションも含めて軽く練習だ」
茶々の指示を受け、部員達は外周ランニング、ダッシュ、ストレッチ、キャッチボール、素振り、ティーバッティングとメニューをこなしていく。その間琢磨はエリスに機材がしまわれている場所などを教えてもらいながら、水分補給用のドリンク入りボトルを用意。
それを持ってグラウンドに戻ると、最初のランニングの途中で夕霧中が死んでいた。
「だ……大丈夫ですか……?」
琢磨が駆け寄ると、中は炎天下のアスファルトに放り出されたカエルのようだった。
「ドヘェ……ゼェ、ゼェ……なんだ、男か……」
「男で悪かったですね」
ボトルを手渡すと、中はぷるぷる震える細い手でそれを受け取り、捕らえた獲物の体液を吸う虫のようにジュルジュルと中身を吸い上げた。
「先輩、運動とか普段してないんでしょう? なんでいきなり野球部に? もしかして野球観戦が趣味とか?」
「野球なんてこれっぽっちも知らないよ……何点入れたら勝ちなの……?」
「いや、そういう競技じゃないですけど」
「じゃあ何さ……相手を戦闘不能にすればいいの……? あたしゃ知ってるよ……金属バットで殴り合うんだよね……不良マンガで読んだよ……」
「野球マンガを参考にしてくださいよ」
「……え、でも……刺したり打ったり殺したりするって聞いたけど……」
「それは用語を訳した人のお茶目です」
「えぇー……じゃあもう分かんないよ……何なんだよ野球とかよぉ……死ねよぉ……」
(何なんだこの人は……なんで来たんだ……)
中はその後の練習でも何度も死にそうになり、その都度琢磨に恨み言を零しながら、しかし投げ出さずに追い縋ってきた。キャッチボールでも、みまが優しく投げたボールをなんとか捕球したものの――
「痛っ……! 何だよこれ硬っ……もう石じゃん……そうかこれをぶつけ合って……」
「野球は戦争じゃありません」
「いやお前これマジ死ぬほど痛いぜおい……」
「でもそこがまたイイんだよ」
唐突にみまが会話に参入。
「捕球したときグラブ越しに伝わる衝撃とか堪らないよね。ボクいつも思わず声がでちゃうんだ。一度知ってしまったらもう野球はやめられないよ」
「……鵜飼先輩、一体何を――」
「ましてやファウルチップがつま先に当たった時なんて立っていられなかったよ。衝撃と快感の両方でね。まるで足をプレス機に挟まれたみたいな痛みが瞬間的に襲うんだ。もう顔が弛んじゃって弛んじゃって……!」
「あの、何言ってるのか――」
「初めて出た試合で受けたデッドボールのことは今でも忘れられないんだ。背中を槍で突き刺されたような痛み……! もうボクは、その場で腰砕けになって、朦朧とした意識の中、何度も何度も――ああっ! 駄目だ! もう我慢できないよぉ!」
琢磨と中があっけにとられている目の前で、みまは「フーッ! フーッ!」と過呼吸状態で顔を真っ赤にして自分の体を抱きしめ、歯を食いしばって自らの中から湧き出る何かに耐えていた。
「やれやれ、またかこの駄犬め」
そこへ歩み寄ってきたのは茶々。
「茶々様ぁ……! ボ、ボクに……ご主人様の言い付けも守れず練習中に発情しちゃうこのだらしのない淫乱ビッチ肉奴隷めにどうかお仕置きをぉぉぉん……っ!」
みまは涎などを垂れ流しながら、部長の足元に縋り付いてケツをフリフリ内モモもじもじ。穏やかで優しくて儚げな妖精っぽいイメージは完全に消えた。
「ああ、気にするな石山。此奴はいつもこうなのだ。全く、本当にどうしようもない発情犬だ……望み通り罰を与えてやる。さっさと部室に行くぞ」
「ご、ご主人様……ボク、足が震えちゃって立てませ――」
「なら這っていけ。奴隷風情が甘ったれるな」
「は、はひぃ……!」
みまは命令通り、部室へ向かってぎこちなく、しかし嬉しそうに匍匐前進を始めた。
(ああ……雌犬奴隷ってそういう――)
この光景は野球部の日常のようで、琢磨と中以外は「おー、またやってるよ~」という雰囲気で練習を続けていた。
そのままの流れで素振りへ移行。
「ハイ、そのまま振ってみてくだサイ」
「無理無理無理無理……バット重っ……」
エリスが付きっきりで中に持ち方から教えていた。
「重心と軸を意識して、下半身主導で……こうデス!」
お手本として美しい素振りを披露するエリス。見ていた琢磨はあることに気が付く。
「あれ? エリス先輩って左打ちなんですか?」
「ハイ。ワタシLeftyデスヨ」
「でもキャッチボールの時は右投げでしたよね」
「右投げにしたのは日本に来てからデス。元々はPitcherだったんデスが、投げ過ぎで肩が壊れちゃったもので。ヘヘヘ……」
(ポニーテールなユニフォーム姿のエリス先輩も美しいなぁ……石膏で全身の型をとって精巧な像を制作して庭に飾っておきたい。それにしても、怪我か……)
「おい」
考えに耽っていた琢磨に声を掛けたのは、本当に嫌々といった様子の蓬。
「部長がブルペン入るから、テメエも見とけってさ。あと死ね」
「生きる」
二人は悪態をつき合いつつグラウンドの隅のブルペンへ。
「む、来たか石山。とりあえず何球か投げる。鹿菅井の背後に立って観測しろ」
「分かりました――そういえば鵜飼先輩は……」
「目を覚ませばそのうち戻ってくるだろう。いつものことだ」
(気絶するまで部室でどんなことをしていたのだろう)
言われた通り蓬の後ろに回り込む。ついでに質問も投げかける。
「お前春休みから来てるんだよな。ぶっちゃけ部長ってどんなレベルの投手なんだ?」
「黙って見てろ」
(このアマ……)
しかし言われた通り黙って茶々に目をやると、彼女はすでにモーションに入っていた。
右投げだ。グラブを胸に置いたセットポジションから、スッと左足を上げ、体重を前に移動させながら、背筋を伸ばしたまま腰を曲げ、マウンドの上で低く沈み込む。すると背後から腕が、地面と平行に体の真横から現れた。サイドスローだ。流れるようなフォームから放たれた白球は、浮き上がるように蓬のミットに収まり、硬球とミットが衝突する「パーンッ!」という小気味良い破裂音がグラウンドに響いた。
日本女子野球では、ストレートの球速はプロの最速クラスでも一二〇キロ代中盤程度。茶々のストレートはおよそ九〇キロ少々。
「どうだ石山よ! 我の球は!」
茶々がグラブを嵌めた手を腰に当て、琢磨に不敵な笑顔を向ける。
(女子野球のレベルがよく分かんないんだけど――)
「ナイスボールです!(多分)」
「ふふん、我の奥義は占めて五つ! 『穿月』『磨珠』『断龍』『舞神』『絶鸞』――その総てが必殺の秘技よ! さあ鹿菅井! そこの新入りに我が力の一端を示してくれようぞ!」
「んー、ちょっと専門用語が多くてよくわかんない。助けて鹿菅井さん」
「キモイ。……あの人、自分の持ち球に技名つけてんの。それぞれストレート、カーブ、スライダー、シンカー、シュートよ」
「そんなに変化球が……!」
「部長、言ってることはたまに大げさで意味不明だけど、それぞれの球のクオリティも、かなりのものよ。さすがエース、って感じ」
「マジでか――」
昔から野球界には『大きな尻は名投手の証』という言葉がある。投球に必要な、安定した下半身を得ようと鍛え上げると自然と尻が大きくなるからである。マウンド上に君臨する茶々の安産型の立派な尻も、その賜物ということなのだろう。
「では往くぞ! まずは『穿月』からだ!」
茶々は技名を叫びながら、テンポよくポンポンと球を投げ込んでいく。スピードこそ無いが、変化球のキレ・コントロール共に高いレベルなのは琢磨にも分かった。
(軟球派の変化球投手としては申し分ないピッチャーなんじゃないかな、たぶん。それはそれとして――)
「……鹿菅井、お前キャッチング地味に上手いよな」
茶々は次々に変化球を投げ込んでくるが、どんなに落ちても、ワンバウンドしても、蓬は一球も逸らさない。ボールがミットにぶつかる破裂音も良い音が出ている。元キャッチャーの琢磨は素直に感心していた。
「……テメエに褒められても嬉しくねーし」
マスクの下からそう小さく聞こえた後は、茶々が三〇球ほど投げて満足するまで会話は無かった。
■□ □■
段々日も落ちてきたところで、茶々が全員を集めた。グロッキーな中はエリスと彰子に引きずられてきて、ボロ雑巾のように潰れている。
「よし、では最後にシートノックをしたいのだが、まだ外野とサードがおらん。鵜飼は……戻っているな。では鵜飼、鳴楽園、ランスフォード、鹿菅井は守備に着け。石山はボール出しを頼む」
というわけで、内野(サード抜き)のシートノックが始まった。茶々がノックバットを持って打席に立ち、内野手三人は、腰を落とした低い体勢で構えた。
「Come on! ガンガン来てクダサイ!」
「バッチコーイ、です!」
「ボクにもっと痛いのください!」
「よし、ランナー無し! ショート!」
茶々の打球が三遊間へ跳ねる。エリスの定位置から少々サードより。
「OK!」
エリスはすぐさま反応。声を出しながら真っ直ぐ右斜め前へダッシュし、グローブを嵌めた片手だけを伸ばし逆シングルでボールを捕らえる。そのまま右手に持ち替え、ノーステップでファーストへ矢のような送球を放った。ボールは完璧なストライク送球。吸い込まれるようにみまのグラブに収まった。
「ぁんっ!」
みまが喘ぎ声を上げてビクンと体を震わせたが、やはりいつものことらしく全員無視していた。琢磨もそんなことに構っていられないほど興奮していた。
(エリス先輩すげぇ! なんだあの人……YOUTUBEで観たメジャーのスーパープレイみたいだったぞ! 何だあの球の速さ! 狙いも正確だし!)
「AH‐HA! これがUSA流デス」
目を輝かせる琢磨に気付いたエリスが、右手の人差指をぴっと立ててウィンク。
「じゃあ次! セカンッ!」
続いて茶々はセカンドに向けてゴロを打った――が、打球が右に跳ねた。これでは一二塁間を抜けるライト前ヒットコースだ。
「参ります!」
しかし彰子は迷わずボールを追っていた。長い髪をはためかせながら自らの数メートル左を抜けようとするゴロに喰らいつく。
「ほ!」
一切の躊躇なく、土のグラウンドへ飛び込んだ。その左手は白球をしっかりと捕らえている。一度身体が地面を滑るが、すぐさま立ち上がり、丁寧なサイドスローで確実にみまのグラブへと球を運んだ。
「んっ……ふぅ……」
送球が弱かったからか、みまは吐息だけだった。
■□ □■
シートノック終了後、琢磨はドリンクを渡すついでに、「うふふっ、泥だらけですね」と満足げにユニフォームの土を払っている彰子に声を掛けた。
「すごいな。正直ここまでだとは思わなかったよ」
「いえいえ、内野守備ばかり好んで練習していましたから、わたくしがチームに貢献できるのはこのくらいしかないのです」
そう彼女は謙遜するが、これほど堅い二遊間には、高校レベル――それも女子ではなかなかお目にかかれるものではない。
「――で、あの喘ぎ声は何なんですか鵜飼先輩」
琢磨が視線を隣に向けると、みまが何事も無かったかのように汗を拭いていた。
「ん? ほら、練習では声出しも大切だからね。ボクまだ下手だし、そのくらいはみんなに負けずに頑張らないと」
「頑張る方向性が大暴投してません?」
一塁に送球される度に艶めかしい喘ぎ声が上がるので、ずっと悶々とした気分の琢磨である。
「ですが、鵜飼先輩はお上手ですよ。どんな送球も絶対に逸らしませんし、安心して送球できます。とても野球を始めて一年とは思えません」
彰子がそうフォローすると、みまは照れくさそうに頬を掻いた。
「えへへ……快楽は逃したくないから……」
「性欲が原動力……」
琢磨は呆れたように呟くが、彼もハーレムへの情熱で受験を潜り抜けた男である。
「さて、そろそろ下校時刻だ。全員着替えて――」
「He~y、チャチャ~♪」
茶々が練習終了を告げようとした時、エリスが楽しそうに寄ってきた。
「New faceもいることデスし、久しぶりに勝負しマセン?」
「ほう、やるか? 我は構わんぞ」
茶々もニヤリと笑った。
■□ □■
「ヒット性の当たりで貴様の勝ち。四死球はノーカン。それ以外なら我の勝利。それでいいな」
「OKデース!」
マウンド上の部長、バッターボックスに立つエリス、そして捕手兼アンパイアの蓬以外は、一塁側ベンチに座って見物である。ある意味定番の一打席勝負だが、まだ見ぬエリスの打撃を見られるとあって琢磨は大変興奮していた。
「それにしても」彰子が呟いた。「このルールでは、打者側が不利なのでは?」
三割打てれば好打者な野球である。単純に考えれば投手が絶対に有利。
「ああ、エリスに関しては大丈夫だよ」
呟きを聞いたみまが、当たり前のように答えた。
「エリスの通算打率、四割七分二厘だから」
「…………は? ヨンワリナナブニリン? 何ですかそれ……化け物じゃないですか!」
半信半疑の琢磨に、みまはコクリと頷いた。
「うん、化け物だよ。ボクらの世代で野球やってる女子なら、エリスのこと知らない人はいないんじゃないかな。ちょくちょく記者やスカウトも来るし、ファンも多いよ」
「ほえ~……」
そんなことを話している間にも、勝負は始まっていた。
第一球、茶々はエリスの内角高めに穿月を投げ込む。スイングにいったエリスだが、ボールの下を擦るファウル。白球はバックネットに当たって落ちる。
「Nice ball!! 走ってマスネ!」
「ふん、ほざけ。それを初球からタイミング合わせてくるのだから始末に負えん」
お互いに楽しそうだ。琢磨達は完全に観客と化して、その勝負に見入っている。
「エリスの異名、教えてあげようか。『金色夜叉』だって」
「なぜ尾崎紅葉?」
琢磨はグラウンドの方を見たままみまに尋ねた。彼女はクスリと笑う。
「知らないよ。付けたのボクじゃなくて雑誌記者だし。多分見た目の印象だけだよ」
第二球、膝元への断龍。エリスは見逃す。蓬の判定はボール。
「『金色』はまあ、金髪からなのは分かりますけど、『夜叉』は?」
(あの天使のようなエリス先輩に『夜叉』なんて似つかわしくないような……)
「『夜叉』って、元々は人喰いの鬼神みたいな存在らしいけど、ボクはピッタリだと思うよ。今はほら、半分遊びみたいなものだからあんな感じだけど――」
第三球、もう一球断龍。今度は懐に抉りこむような高さ。容赦のない内角攻めにも、エリスは余裕の笑顔を崩さない。これもボール。
「――試合でのエリスは凄いよ。オーラが違う。味方のボクでも体が震えるくらいだから、ピッチャーとして向かい合うと、本当に怖いと思うよ。あれはまさに、鬼だと思う」
第四球、ここで蓬が初めて外角にミットを構えた。茶々が投じたのは、渾身の舞神。完璧なコントロールでもって、ストライクゾーンの端を掠めるように、外のボールゾーンへ逃げていく軌道。散々内角の球を見せられて、これについていくのはかなり難しい。普通なら腰が引けてまともにバットに当てられない。
だが彼女は普通じゃない。
金色に輝く鬼である。
エリスは迷わず踏み込み、しっかりと腰を入れたスイングで、いとも簡単に逃げる球を捕まえた。無理に引っ張らず、テニスの逆クロスショットのように自然な流し打ち。ボールは三遊間を抜けていく。完全にレフト前ヒットコース。
「完敗だ! さすがは我が軍の中心打者といったところか。味方で良かった」
茶々が文字通り脱帽しながらマウンドから降りてきたが、エリスは首を振った。
「いえ、ワタシの負けデス」
「何故だ?」
そう尋ねた茶々に、エリスは真面目な顔で告げる。
「だってワタシが守ってたらOUTデスもん」
「……ハッ、こやつめ。尚更心強い」
ふふふふ……と不敵に笑う二人。
(このチームは強い)
琢磨は心の底から思った。
メンバーさえ集まれば、かなり良い成績を収めることも夢ではない。
(そう、メンバーさえ集まれば――)