生道
「俺の負けだ……殺れ……」
かしずいた男と対峙した男は、刀を納め、声高らかに叫ぶ。
「殺らん! あんたを殺すには惜しい!」
誇らしげに叫んだ男は、敗者に用は無いといわんばかりに振り返ると、その場をあとにする。
頭を垂らしたまま男は、生きている喜びを噛み締めた。
圧倒的に有利だと思っていた戦に負けたことを悔いる前に、故郷の憧憬、家族の顔、去って行った仲間たちの事が浮かんでは消え、そして浮かんでは消えていった。
こんなに生きている瞬間に喜びを感じたことはあっただろうか。
死を覚悟した瞬間の、恐ろしさ。
初めて感じた圧倒的な強さに、成す術もなく男は膝をつき、勝利をあきらめた。
自分に絶対的な恐怖を与えた、兵は器の大きさまで自分よりも偉大であった。
そんな兵の男は、張り上げた声で勝利宣言をする。
自分が一番だと思っていた剣の道で、さらに上を行くものの背中を見上げてみる。なんと隙だらけではないか。
男の心の中にある思いが募る。
自分は敵に背中を向けるような男に負けてしまったのかと。
今なら……今なら間に合う……。
力が抜け、だらしなく垂れた右腕に今一度力を入れ、しっかりと柄を握りなおし……
「それでどうしたのですか?」
子供が、鬼を見るような眼で見上げる。
「あぁ、あれはよく入ったよ……心の臓を狙ってな……あやつ、信じられない、という顔をしたまま逝ったよ……」
老人は下衆な笑い声をあげたまま、愉快そうに自らの太ももを叩いている。
「それでは卑怯者ではないですかっ! なぜそのような恥ずべき真似をしたのです!」
「小童の分際で何がわかる……っ!」
老人は子供の襟元を絞めながら言う。
「どんなに美しく生きても、生きなければ意味がないんじゃ……。生きたのも勝ちなんじゃ……美しいものは美しいまま死ねばいい。儂は生きたかったんじゃ……そしてあやつはこうして美しい話を残して死んだんじゃ……」
そう言うと老人は襟元から手を離して、高らかに笑う。
子供はむせ返りながら、思った。
この老人の考えは、とても恐ろしいものだと。
そして子供ながらに考えた。
この老人の考えが他人に広まったら、人間の美学、倫理観、全てが崩れ去ってしまうのではないかと。
広がる生温かい感触。かかる一人分の重さ。荒い呼吸。
子供は突いていた。
護身用と渡されていた脇差しで、心の臓を、一突きにしていた。
真っ白になった頭が次に認識したのは、老人の、信じられない、という顔だった。