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《部屋》から離脱した太智と恵子は、《失われた記憶》のギルドルームにいた。
ベッドに腰かける恵子の右腕にはデータの包帯が巻かれていた。このデータ包帯は、仮想空間におけるバイ菌――ネットワークに飛散している普通のウィルス――に侵されないように改良されたワクチンプログラムである。
表面のデータは時間が経てば勝手に治るのだが、その間に内面のデータがウィルスに感染すると癌のように増殖して取り返しのつかないことになる。それを防ぐための包帯である。単なる気休めではない。
太智は再び複数のディスプレイを操っていた。ゲームをしているわけではない。
今まで沢山のバグウィルスを二人だけで削除してきた恵子と太智は、それなりに有名になってきていた。友人作りが下手な恵子とは対照に、太智は気さくに話しかけて連絡先を巧みに入手しているのだ。
勿論、相談する為や手強い相手を見つけた時の手助けを頼むためである。
彼は今、先ほど戦ったバグウィルスの情報を知り合いにメールで聞いているのだ。
恵子にも相談できる相手がいないわけではない。一人だけ、リアルにいながらあらゆる情報を調べ上げることのできる勘の良い相談相手がいる。恵子をログインダイバーに導いた張本人とも言える人物である。
左手だけでウィンドウを開き、
『バグウィルスと戦ったんだけど、大刀じゃ斬れなかった。だけど銃の弾は効いてた。見た目はワニガメみたいだったんだけど、動きが速かった。甲羅がすごく硬くて、石でできた壁を壊すぐらい。大きさは大体五メートル、《部屋》は薄暗い正方形の石室で一辺が三〇〇メートルくらいだった』
とメールを打って送信する。
太智が送ったメールが返ってくるより早く、恵子のメールの返信が来た。
『斬る時、どこを斬ろうとしたのか覚えてる?』
記憶を辿り、その時のことを脳内で再生する。
不意打ちで弾かれた後、上半身だけ出したバグウィルスの無防備な背中を斬り裂くべく刃をつき立て――
「あっ!」
バグウィルスの全体と特徴を知った今なら、何故大刀が弾かれ、銃弾が効いたのか、合点がいく。
甲羅のような外殻である。石の壁さえ粉砕するほどの強度を持っているあの外殻に大刀を叩きつけたのなら、弾かれた理由が付く。そして、逃げる直前に太智が放った四発の銃弾。あれは見事にバグウィルスの足を貫き、転倒させた。
そのことを考慮すると、出てくる可能性はひとつ。外殻に覆われていない個所ならダメージを与えられるということだ。銃弾だから効いたわけでない、狙った場所が良かったのだ。
『ありがとう! これで攻撃が通るかも知れない!』
すぐに返信。
『薄暗いってことは、よく見えないってことだよね。きっと手強かったんでしょ? 私に相談するくらいだから。ということは、恵子の場所を的確に攻撃してきたでしょ。夜目が効くタイプかも知れないけど、もう一つ可能性がある。風が吹いてなかった?』
『うん、吹いてたよ。なんで?』
『きっと臭いで場所を探していたのよ。何らかの方法で風を起こして、その臭いを頼りに恵子を狙ってきたのよ』
確かにそうだ。最初は地面の中から太智の発砲音を頼りに攻撃。地上に出ると、風が吹いてから攻撃を始めた。つまり目はほとんど見えていないのだ。思い出してみると、風はいつも追い風、後ろから吹いていた。あの風は常にバグウィルスを中心に吹き込んでいたのだ。
やはり彼女の勘は鋭い。彼女の助言で今回もバグウィルスの謎が解明した。彼女の、特にバグウィルスに関する助言は不思議なほどに当てはまり、謎が一気に解明することが多い。
『そっか、ありがとう! また助けられたよ』
送信すると、ウィンドウを閉じた。
バグウィルスについて恵子がいろいろ理解した頃、太智はまだ多数のメールを相手にしていた。
「どう? そっちは」
「全然ダメだ。解決策が『メイスを持ったダイバーを探して手伝ってもらう』だけだ。恵子もなんかやってたが、どうだ?」
「うん、大収穫。まず、私の大刀が効かないで太智の銃弾が効いた理由。次にその解決策。あと、あのバグウィルスが視覚以外に頼っているかもしれないという可能性」
恵子は、その三つとそのことを考慮した上での戦術を一通り伝える。
恵子が本筋を伝え、太智が変更の意見や失敗した時の改善策を問う。そのような話し合いをイメージを膨らませながら続ける。もしもの可能性も考え、話し合いは一時間半ほどしてから終わった。
有効だと考えられる作戦を頭に叩き込み、今日――既に日が変わって四時だが――の活動は終了した。
恵子の仮想体の自然回復には、ダメージの大きさにもよるがおおよそ一八時間を要する。万全を期す為にどんなダメージでも完全回復する二四時間、アバターを休めることにした。太智は武器にする不要なページを探しにインターネットへ出た。
太智を見送ると、恵子はログアウトしてリアルへ帰還した。
***
「さて、私も動きますかね」
送られてきたメールを閉じると、表示しておいたもう一つのディスプレイを手元に移動させる。そこにはあのワニガメのようなバグウィルスのホログラムと、特性などの詳細が載せられていた。ワニガメだけではない。その他にも、二〇〇種以上のバグウィルスの詳細データが彼女の部屋には浮いていた。
「《甲殻種》ね……。ふふ、斬れないのは武器やあの子のせいじゃなくってよ」
銀の鎧に全身を包んだ彼女は、鈴のような声で失敗した子供に言い聞かせる親のように呟いた。
「斬れない理由はただ一つ、貴女がまだ本気じゃないから。……貴女は自分の可能性に気付いていないだけ、人間の私にできるのだから、貴女にできないはずはないのよ。私が直接見せてあげる。人間でも様々な可能性があることを」
ふふふ……と笑う彼女のいる部屋、その扉を誰かが叩いた。
「《シルバーアーマー》様! 時間でございます」
「わかっている。そう騒ぐな」
同一人物とは思えない、男ともとれるし女ともとれる中性的な声で彼女は返事をした。
今日はここまでね……と遠くにいる恵子へ心で別れを告げると、扉をくぐった。
彼女が出てきたのは、十字の印の盾、それを二頭の獅子が左右で支えている旗の上。最強のギルド、《騎士の剣》のギルドマスター《シルバーアーマー》の指定席である。
彼女の眼下には、膝まづいた騎士たちが綺麗に並んでいた。服装こそ違うが、共通なのは全員白衣なことだ。
「総員、行動開始!」
御意、の返事と共に一瞬ギルドルーム内に青い光が満ち、八〇の騎士たちが一斉にそれぞれの持ち場へ移転した。
誰もいなくなった広すぎるギルドルームを見渡し、誰も居ないことを確認すると、フルフェイスの仮面の下から鈴のような彼女の本当の声が響いた。
「あと二四時間……」