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33.どうしてこんなことに… sideソフィア

 sideソフィア



 いったい、何なの!



 昨日、二週間の休職を終えて、久しぶりに職場の扉を開けた。視線が集まり、そしてすぐに逸らされる。先輩たちの顔に浮かんだのは、歓迎でも安堵でもない。



 『なんだ、お前か』とでも言いたげな、あからさまな失望。


 本来なら、こういう時は言葉があるべきでしょう?


 良く戻ってきた! やっぱりソフィアがいないと。それが普通の先輩の対応じゃないの? フローリアが帰ってくるとでも思ったわけ? 残念でした、帰りたくないんですって!


 声をかけても、返ってくるのは生返事ばかり。忙しいから、と目も合わせずに作業を続ける人。書類から顔を上げもせず、私の話を片手間に聞き流す人。中には、わざと聞こえるように小さくため息をつく人までいる。


 誰一人として、私の復帰を喜んでいるようには見えなかった。


 私、ここに戻ってきちゃいけなかったの?




 ウィリアムも、ウィリアムよ。


 私の顔を見るなり、労いの言葉ひとつなく、次々と仕事を押し付けてきた。

 

 薬草をとってきて。このパターンを試して、結果をまとめてほしい。時間がない、急いで。


 眉間に皺を寄せ、苛立ちを隠そうともしないその態度はなんなの! 私が休んでいたこと自体が迷惑だったかのように。気遣う余裕も、感じられない。



 だから今日は、休んでやったわ。




 光がたっぷりと差し込む、広々としたサロン。私はお気に入りのドレスを纏い、静かに椅子へ腰を下ろした。


 最近、働き過ぎだったもの。こういう日があっても、いいでしょう?


 他の誰かが忙しなく働いている時間に、私はここで何もしない。責められることも、急かされることもない、ああ、幸せ。なんて贅沢なひとときなのだろうか。


 高級な磁器のティーカップを指先でそっと持ち上げる。一口、紅茶を口に含んだ。上品な香りとほどよい渋みが舌に広がり、喉を通っていく。そして、私はゆっくりとカップをソーサーへ戻した。小さく澄んだ音が、サロンの静けさに溶けていく。




「……それにしても、フローリアがあんなに美人だっただなんて」


 フローリアに、姉が二人いて、どちらも社交界の華と呼ばれている存在だということは知っていた。その妹なのだから、それなりではあるのだろうとは思っていたけれど……正直、もっと地味な子だと決めつけていた。


 なのに、あれはどういうこと? すっかり、騙された気分だわ。


 美容に興味がなさそうに振る舞っていたくせに、よく整えられた髪、滑らかな肌。どこをどう見ても、手を抜いている人間のそれじゃない。


 なんだ……結局、私がわざわざ親切に教えてあげなくても、共同研究だって、もっとフローリアに任せておけばよかったってことじゃない?


 善意の行動が、今になって全部、無駄だったように思えてくる。



 第3騎士団の騎士たちもそうだ。


 フローリアとエドモンド様がいなくなった途端、もう私の存在なんて視界に入っていないみたいで、話題はずっとフローリアのことばかり。


 エドモンド様も、きっと前からフローリアの顔を知っていたのよね。だから……あんなに、私がアプローチしたのに、どこか気のない態度だったわけなのね。


 すべてが、腑に落ちると、余計に腹が立った。


 はぁ、と小さく息を吐く。嫌だわ、本当に。男の方って。


      ◇



 コンコンコン。


 

 ドアが静かにノックされた、その音に私は視線を上げる。




「どうぞ、入って」


 扉が開き、使用人が一歩中へ入ってくる。無駄のない所作で歩み寄り、深々と頭を下げた。




「お嬢様、旦那様がお呼びです」


 お父様が? こんな昼間に、もう屋敷へ戻ってきていたなんて、珍しいわ。


 そのまま軽やかに立ち上がり、使用人へ小さく頷く。


 いったい、何の用かしら? 


 私は案内されるまま廊下を進み、お父様の執務室へと向かう。扉を開けた先の部屋には、すでにお父様がソファに腰掛けていた。


 

 いつもの穏やかな表情は影を潜め、眉間には深い皺が刻まれている。




「ソフィア、とりあえず座りなさい」


 重々しい声が、執務室の静寂を切り裂いた。その一言だけで、ただ事ではないと分かる。私は言われるまま向かいの席に腰を下ろし、お父様の様子を窺った。


 表情はますます険しくなり、視線も鋭い。その深刻さを、否応なく察してしまう。


 ……今日、仕事をさぼったことかしら?


 わずかな不安が生まれる。けれど、それだけでここまで険しい顔をするだろうか。答えが出ず、不安が募る。


 長い沈黙が続いた。そしてお父様は、ようやく口を開いた。




「……ソフィアの結婚が決まった」


「はい? 婚約者もいませんが、結婚ですか?」



 一瞬、耳を疑った。頭の中が真っ白になる。


 結婚? 私が?


 お父様は、確かに言っていたはずだ。跡取りであるお兄様がいるのだから、私は自由に生きていい、結婚も自分で好きな人を選べばいいと。だからこそ、仕事にも打ち込み、ここまで来たのに。


 それなのに――結婚?




「そうだ。婚約ではなく、結婚が決まったんだ。仕事も辞めてもらう」


「仕事を!? なんでですか? 私、まだ仕事を辞めたくありません! 王妃様からの依頼で作った部門の主任ですし、そんな簡単に……」


 思わず声が強くなる。積み上げてきたものが、切り捨てられようとしている。どうしても受け入れられなかった。


 私は身を乗り出し、お父様を見つめる。視線を逸らさず、必死に理由を求めた。




「その王妃様からの縁談だ。先に言っておくが、決して良縁ではない」


 

 良縁ではない――?


 意味が分からない。王妃様からの縁談なのに、それが、どうして良縁じゃないの?




「……私は、ソフィアが王妃様から直々に褒められ、王妃様のお気に入りだと聞いていた。だが……いったい、何をやらかしたんだ!」


 

 責めるような視線に、思わず肩が強張った。



「何もやらかしてなどいません! 強いて言えば、ご依頼の品がまだ完成していないくらいで……」


 反射的に言い返していた。確かに、仕事は順調とは言い難い。思うように進まない部分もある。でも、それは私一人の責任じゃない。


 そんなことで……王妃様は、気分を損ねたというの?


 納得できないわ。




「依頼の品? ……おそらくそれだけではない。王妃様からこう言われたのだ。『令嬢が他者の功績を、ご自分のものとして扱っておられるという噂を耳にしましたの。まさか、この国でそのような振る舞いをする方がいらっしゃるとは、少々驚かされますわ。それに加えて、薬師としてのお役目よりも、ご自身の恋愛に重きを置かれているご様子とか。ですので、私の方からふさわしいお相手をご紹介するのも一興かと。いかがかしら?』と……」


 一語一句を確かめるように、淡々とその言葉をなぞった。王妃様の柔らかくて冷たい口調が、そのまま執務室に再現されているようで、背筋が冷たくなる。




「そんな! 嘘です!」



 そんな噂、いったい、誰が流したというの?


 理解できない。納得できない。だが、父は私の動揺を意にも介さず、続けた。




「私もそう思い、室長に確認を取った。しかし、お前の栄光や地位が、実際には同期たちの力なくしては成し得なかったことを知ったのだ。協力ではなかったのだろう? 功績のほとんどはフローリアという同期のものだったと……」


 頭を殴られたような衝撃だった。フローリアの名前が、ここで出てくるなんて。



「違います! それは誤解です。私は……」


 必死に言葉を紡ごうとする。説明すれば分かってもらえる、そう信じたかった。けれど父の冷ややかな視線が、それ以上、何も言わせないと言っていた。




「違っていようが、違っていまいが、もう手遅れだ」


 手遅れ……。


 私の運命は、王妃様のたった一言で、決められてしまったの? 反論の余地も、弁明の機会も、最初から与えられていなかったってこと?


 ……それでも。確認しなければならないことが、一つだけ残っていた。




「……私の結婚するお方は」


 震えそうになる声を、必死に抑える。父は重苦しい表情のまま、短く息を吐いて答えた。





「ラグナリア国の貴族、アルフォンス・デュ・ヴァリエ伯爵だ。我が国と深いつながりを欲しがっていると聞いたことがある。もちろん我が国も。……非常に計算高く、自分の利益を最優先に動く人物だ。人を操り、言葉巧みに取り引きや人間関係を操作する手腕は一流。周囲の人間など自分のための駒としか見ておらん。歳は私と同じくらいだったか……なんでよりによって……」


 異国の貴族との結婚? しかも、お父様と同じくらいの年齢。


 頭の中に、次々と不安が押し寄せる。全く知らない世界。見知らぬ風習。言葉さえも通じるか分からない土地。そこへ、私は一人、送り出されるというの?


 

 いえ、そんなことより、そんな、ひどい人がこの世に本当にいるの?





「お、お父様……嫌です。何とかお断りできませんか?」


 縋るように問いかけた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。




「無理だ。これは王妃様の命令と同じだ。断ることなどできはしない。『お似合いの二人だもの。うまくいくんじゃないかしら』そうも、言われてしまった。つまり、王妃様の目には、お前も同じような人間だと映っているということだ。これ以上何か言ったら私の地位も危うい。……あとは、愛人などいないことを願うのみだ」



 抗うことも、覆すこともできない。ただ、命じられた未来を受け入れるしかない。


 「お前も同じような人間」? 一体だれなの、そんな嘘を王妃様に吹き込んだのは!




      ◇





 お父様の言葉に衝撃を受けたまま、私はどうにか自分の部屋へと戻ってきた。廊下を歩いた記憶は、ほとんど残っていない。気づけば、いつの間にかこの部屋の扉を閉めていた。



 お父様の無情な宣告が、何度も何度も繰り返し響き、耳から離れない。私は何も考えず、そのままベッドへ身を投げた。


 ふわりと身体を受け止める布団。その柔らかさに反して、心は、少しも軽くならない。


 悔しさに耐えきれず涙が溢れる。枕を掴み、何度も、何度も叩いた。行き場のない感情を、ぶつける相手がそれしかなかった。




「権力や富を得るために冷酷に周囲を利用するような人と結婚? 無理よ、そんなの!」


 声に出した瞬間、喉がひくりと痛んだ。顔も、声も、考え方も分からない相手と結婚して――どうやって幸せを築けというの?




「愛など育めないわ、そんな人と……」


 枕に顔を埋め、声を潜めて呟く。

 


 自分の人生が、他者の手でこんなにも簡単に決められてしまうこと。


 努力も、誇りも、積み重ねてきた時間も、すべて無視され、無慈悲に運命をねじ曲げられることへの悔しさと無力感が膨らんでいく。


 どうして……。


 どうして、こんなことに……。




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