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29.もう、私を利用しないで

『したたかに、女の武器を使って、利用できるものは利用する』


 その言葉が、何度も頭の中で反芻される。




 ――したたかに。


 うう、できるかしら。私の場合、口では負けてしまいそうだ。考え込んでいるうちに、自然とため息が漏れた。




 ――女の武器


 って……。胸のこと? ……違うわよね。


 自分で自分に問いかけてみるものの、すぐに否定してしまう。そんなもの、使い方もわからない。




 ――利用する。


 一体、何を。それとも、誰を?


 

 だめだ。人を利用するなんて、私にはできない。それが賢く生きる方法だとしても、簡単に割り切れるほど、私は器用じゃないのだもの。


 そんなことを考え続けながら、日々は容赦なく過ぎていった。気づけばソフィアが来てから、二週間が経とうとしている。


 気分は、ずっと重いままだ。


 

 昼になり、食堂へ向かう足取りも自然と遅くなる。




「それで――エドモンド様の好きな食べ物って、何なの?」


 やっぱりいた。不意に聞こえてきたソフィアの声に、足が止まる。




「ソフィアちゃん、なんでそんなに副団長のこと、知りたがるんだ?」


 騎士の問いかけに、ソフィアは一瞬、言葉に詰まった。



「え……それは……やだ。内緒です」


 はにかむように、そう答える姿。周囲から、小さな笑い声が上がる。


 ……ああ。


 

 何がいけないわけでもない。誰かが悪いと、断言できるわけでもない。自分が何もしていないうちにどんどん外堀をうめられていくようなそんな気さえしてくる。


 


『うわー、まじかよ』

『そんな気がしていたんだよな』

『いいなー、副団長』


 そんな声が飛び交う一角。


 数名の騎士たちに囲まれ、エドモンド様の話題で盛り上がるソフィアの姿が目に入る。楽しそうに、少し誇らしげに笑うその横顔を、見ているだけなのに――胸が、ちくりと痛んだ。


 ……視界に入れなければよかった。


 そう思って踵を返そうとしたけれど、もう遅い。すでに食堂に足を踏み入れてしまっている。


 仕方なく、視線を落としながら、目立たないようにランチを取りに行く。


 こっそり、誰にも気づかれないように。





「なんなの、あれ。食べたら早く出て行ってほしいんだけど……」


 ランチを手渡してくれた、サラが憮然と呟く。




「水でもかけてこようかしら。なんて、冗談よ。でも、空気読まなすぎでしょ」


 その一言に、気持ちの重さがほんの少しだけ和らぐ。

 

 その時だった。




「あ! フローリア様!」


 突然名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ねる。声のした方を見ると、以前、上級ポーションのお礼を言ってくれた騎士――レオさんが、こちらに駆け寄ってきていた。




「裏口に、ウィリアムって人が来て同期だから呼んできてくれって言っているんですが……本当に同期ですか?」


 ……え?




「もしストーカーなら、俺、殴って追い返しますよ!!」


 やけに気合の入った宣言に、思考が一瞬止まる。



 ウィリアム? どうして、ここに? ソフィアに会いに来たのではなく私に?


 


「ええと、同期で間違いないわ。私を呼んでいるの?」


「ええ、連れてきてほしいって」


「分かったわ、ありがとう。でも大丈夫、一人で行ってくるわ」


 そう告げて、食堂を抜け、裏口へ向かう。扉を開けると、そこに立っていたのは少しやつれたウィリアムだった。




「ウィリアム、どうしたの?」


「あっ、フローリア! やっぱり居たんだ」


 私の姿を確認した瞬間、ほっとしたように、それから焦ったように、彼は一息で言葉を続ける。




「何か用事?」


「ああ……ソフィアが、ここに居るだろう?」


 一瞬、言葉に詰まり、それでも覚悟を決めたように、彼は私を見た。




「……っ、頼むよ。フローリアから、戻ってくるように言ってくれ!」


 

 ――私だって、本当は戻ってほしい。



「……それは、できないわ。ソフィアは、望んでここに居るのよ。誰かに命じられたわけでも、無理やりでもない」


「でも……!」


「私が言っても聞いてくれないわ、きっと。……ねえ、そんなに戻ってほしいならウィリアムが直接言いに行けばいいわ。ちょうど食堂にいるし」


 自分に言い聞かせるように、「利用できるものは利用する」と心の中でつぶやく。



「ソフィアは、俺の言うことなんて……あっ! エドモンド様の言うことなら聞くかも。フローリアから頼んでくれないか?」


「エドモンド様に?」


 ウィリアムは、ソフィアがエドモンド様のことを好きなのを知っていたのだったわ。


「それか、フローリアが戻ってきても……、ああ、それでいい! そしたらまた一緒に共同研究しようぜ。俺今、一人だから困ってんだ」



   なぜソフィアもウィリアムも、こんなに無邪気に自分勝手なお願いをできるのだろう。内心で「したたかに、したたかによ!!」と自分を鼓舞する。




「冗談じゃないわ! 今まで私が困っているとき、何をしてくれたの?」


 声が、思ったより強く響いた。





「な、何を言っているんだ。アドバイスもしたし、励ましただろ?」


「それだけでいいなら――私も今、してあげるわ」


 ウィリアムが、ぎょっと目を見開く。




「ウィリアム。一人でもやるしかないわ。もっと必死に、頑張って。もっとたくさん論文を読んで、研究して。そうしたら、きっとうまくいく……これで、いい!?」


 自分で言っておいて、胸が少し痛む。でも、これは彼が私に向けてきた言葉と、何一つ違わない。


 ウィリアムは唇を噛みしめ、悔しそうに睨んできた。



「これが何になるの? 仕事が減るわけでもない。結局、他人事だって思っていたんでしょ? 傷ついただなんて想像していなかったでしょ? 私のことを考えてくれないアドバイスなんていらないわ。もう放っておいて!!」




 一気に言いたいことをぶちまける。こんなに感情的になるのは初めてだ。





「なんだよ急に。怒っている意味が分からない……」



「分からない? 分かろうとしないじゃなくて? じゃあ、もう相容れないのよ、私たち」


 感情が高ぶり、言葉が次々と溢れ出す。



「あなたは宮廷薬師、私は騎士団の薬師。それでいいじゃない。同じ薬師だけど、もう私たちは違う道を歩んでいるのよ」



 言葉に力がこもり、自分でも驚くほどだ。


 ウィリアムの顔には、驚きと戸惑いが混じった表情が浮かんでいる。彼の目が大きく見開かれ、信じられないというように私を見つめている。それでも私は止まらない。今こそ、ずっと胸に抱えていた想いを吐き出すときだ。



「一方的なお願いは、もう聞けないわ。私のことを何も考えずに、自分の都合ばかり押し付けてくるのは、もう耐えられないの。もう、私を利用しないで!」




 声が震えたが、それでもはっきりと伝えた。ここで立ち止まってしまえば、また同じ繰り返しになる。私の言葉が、ウィリアムの心に届いてくれることを願うしかない。


 ウィリアムは呆然として、しばらくの間、言葉を失っていた。彼の顔からは、今までの自信満々な表情が消え、戸惑いと混乱が見て取れる。私がここまで強く出るとは思っていなかったのだろう。



 その瞬間、私の中で何かが変わった。胸の奥にあった重苦しい感覚が、少しだけ軽くなったような気がする。


 ああ、このままの勢いで、ソフィアにも言いたいことが言えそうな気がしてきた! 



 心の中で自分を奮い立たせる。ソフィアにも伝えるべきことがある。今のままではいけない。


 よし、したたかによ! 私!!



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