黒芙蓉寮の×××先輩(3)
星が輝き始めた夕暮れどき。
冬の空気を含んだ風が顔に吹きつけてくる中、コートの裾を揺らし、筒井筒を筆頭にニカと宇津季はケーブルカーの駅へと入った。
気のいい老齢の駅員からは「こんな時間に」といった風にいぶかられたものの、幸い、改札口は通してもらえた。
「もう遅いから、門限に間に合うように帰って来るんだよ」
優しく釘を刺されたが、三人ともが果たして寮の門限までに帰れるのかどうか、わからない状態だった。
「おい異世界。お前って今どこにいるの?」
『……麓の駅舎。ケーブルカーの。改札口前のベンチにいるよ』
「わかった。とりあえずそこ目指して乗ってみる」
『こっちは異界だよ? 入れる保証はないよ』
「じゃあ入れるよう祈っててくれ」
筒井筒はそう言ったが、スマートフォンのスピーカーからは返事どころか、ため息すら聞こえては来なかった。
ケーブルカーに乗り込みしばらくすると、乗員が扉の鍵を閉めて回る。
こんな時間帯なので、学園側から乗り込んだのはニカたち三人だけで、乗員も合わせると車内には四人しかいない。
そうこうしているうちに、ゆっくりとケーブルカーが動き出した。
「……行けなかったらどうしましょう?」
『来なくていいよ』
「行けるまでチャレンジするだけだな」
不安に駆られたニカの言葉に、異世界先輩は電話越しにそう言ったが、筒井筒は無視して力強い返事をする。
ゆっくりと山を下って行くケーブルカーの前に、暗いと言うよりも、ひたすら黒いトンネルの入り口が近づいてくる。
前回。連休の最終日の記憶は、麓の駅舎からケーブルカーに乗ったところで途切れている。
もちろんニカはこのケーブルカーに何度も乗っていたが、今からなにが起こるのか――あるいは起こらないのか、まったく予想がつかなかった。
ケーブルカーの窓が、ケーブルカーそれ自体の振動と、強風が吹きつけてくることにより、ガタガタと震えた。
ケーブルカーがトンネルの中に入る。
不意に、車内の電灯が不自然にちらつき、揺らめいた。
その動きに、ニカは恐怖と、期待の両方が湧き立つのを感じた。
一瞬だけ、電灯が消えた。
それから何度か明滅して、再び明かりが点いたころに、ケーブルカーはトンネルを抜けた。
その間、だれもなにも言わなかった。
いや、言えなかった。
「あ」
その空気が漏れたような音は、だれの口から出たものだっただろう。
麓の駅を前にして、アナウンスが流れる。
妙に低いそのアナウンスを、ニカは聞き取ることが出来なかった。
ケーブルカーから見える街の景色は灰色がかっていて、空は濃いグレーになっていた。
「……こんな簡単に出入りできるなんてこえーな」
筒井筒が長く息を吐く。
どうやら三人は異界に入れたようだ。そこに「無事に」とつけるべきかどうか、ニカは思い悩んだ。
ケーブルカーが大きく揺れて、動きが止まる。
麓の駅に着いたのだ。
白い煙のようなものがケーブルカーの扉の鍵と、出入り扉を開けて回る。
三人は淡々と仕事をしている煙のようなものを横目に、駅のプラットフォームに降り立った。
降りてすぐ見える改札口の向こうに、画面が点灯したスマートフォンを持った異世界先輩が立っていた。
「あれ、ベンチにいるんじゃなかったのか?」
筒井筒の少々からかいとも取れる言葉に、異世界先輩はなにも言わず、スマートフォンの通話を打ち切ったようだ。そのままスマートフォンをスリープ状態にしたらしく、異世界先輩の顔を照らしていた画面の明かりが消える。
「異世界先輩、早く帰りましょうよ」
ニカはそう言って異世界先輩を見た。
「次の発車時刻まではまだ時間があるよ」
「じゃあなんかしゃべって時間潰すか。こっち来いよ、異世界」
筒井筒はそう言ったが、異世界先輩はなにも言わなかったし、足を動かす気配もなかった。
ややあって、異世界先輩の唇が動いた。
「どうして来たの?」
「はあ?」
「また無事に帰れるかなんてわからないのに。私、責任なんて取れないよ」
「だれもお前にそんなこと言ってないだろ」
「じゃあ、そのうち言うことになるかもね」
「おい……」
筒井筒は苛立っているというよりは、戸惑いの強い声を出した。
「こんなことになるなら、仲良くするんじゃなかった」
「おい! 異世界――」
「つっくんや美平くんが、私に好意を持ってることはわかってるよ。私だってそういう風に振舞って、ひとの好い人間の気を引いたつもりだったから。けど、今は後悔しかない。こんなことになるなら、仲良くするんじゃなかった」
異世界先輩の吐露した内容に、呆気に取られたのは筒井筒と宇津季だけではない。ニカも言葉を失って、口を挟むことが出来なかった。
いつも微笑を浮かべている印象のあった異世界先輩は、同じように黒い瞳を細めていたが、その顔は悔恨に歪んでいた。
「……もう長いこと『漂流』し続けているのに、いつも失敗ばかりで嫌になる。異世界で生きるために他人の好意や憐れみを利用しても、感じるのは後悔ばかりだし。本当に、こんなことになるなら、仲良くするんじゃなかったって、心底思うよ」




