黒芙蓉寮の×××先輩(1)
「なあ、黒芙蓉寮って知ってる?」
ちょうど同室の田中が数人の同級生たちと玄関に集まっていたので、ニカはどこかへ行くのかと問うた。
隣の宇津季はまったく興味をかき立てられないとばかりに無表情だ。
ニカと宇津季は課題が一段落し、飲み物で喉を潤したくて相部屋のある上階から一階へと降りてきたところだった。
そんなニカの問いかけに、田中は質問で返す。
「黒芙蓉寮?」
「なんでも最近まで廃寮になっていた呪われた寮らしい。けど、最近復活してひとりだけ寮生が入ったんだってさ」
「なんで?」
「さあ? でも噂によると黒芙蓉寮の寮生っていうのは生贄らしい」
「いや、生贄捧げてどうするんだよ……。意味不明な噂だなー」
「わかんねーけど、なんか面白そうじゃん? だからこれから黒芙蓉寮をちょっと見に行こうって話しててさー」
「課題は終わったのかよ?」
「息抜きも必要だって」
ニカと田中が話し込んでいる横で、宇津季は白けた顔をしていた。
宇津季は真面目なほうなので、まだ課題を終わらせていないらしいにもかかわらず、物見遊山的に黒芙蓉寮を見に行こうとする田中の行動が理解できないのだろう。
「――今、黒芙蓉寮の話してたか?」
そこへ、二年生の筒井筒が顔を出した。
筒井筒は厳しい先輩というわけではなかったものの、そのように声をかけられれば、田中たち一年生は身構えてしまう。
そんな一年生の様子を見て、すぐに筒井筒は「ああ、違う違う」と言った。
「別に怒ろうってつもりで来たんじゃないから。黒芙蓉寮見に行くのは止めねえけど、門限は守れよ? あと課題の締め切りもな」
それからちらりとニカと宇津季へ視線をやる。
「龍田、美平、ちょっと話したいことがあるんだが」
「え? なんですか?」
「ちょっと込み入った話だから俺の部屋に来てくれないか? 同室のやつはサークル活動でまだ帰ってきてないから」
そこまで言われてしまうと、筒井筒の頼みを断るのは難しい。
先輩の部屋に入ったことなどは当然ないニカと宇津季は、緊張しつつ、筒井筒のあとに続いて階段を上った。
筒井筒は二年生なので、その部屋はふたり部屋だ。
部屋の片側半分は男子高校生の自室にしてはよく整頓されていて、筒井筒の領域だとよくわかる。
筒井筒は部屋の中央付近にある、ローテーブルの周囲に置かれたクッションのひとつに腰を下ろし、ニカたちにもクッションに座るよう促す。
ニカも宇津季も、落ち着かない気持ちでクッションの上に座った。
「単刀直入に言う」
筒井筒は難しい顔をしながら、そう前置きをする。
「俺たち、どうやって『神隠しコテージ』から帰ってきた?」
「……えーっと、連休中の話ですよね?」
「……船とか乗り継いで帰ってきました」
「ああ、そうだな。船に乗って島まで戻って、路面電車に乗って、そのあとケーブルカーに乗ったはずだよな」
「ええ。そうですけど……」
ニカはそこまで言って、なんだかものすごい違和感を覚えた。
宇津季をちらりと見やれば、その眉間にはしわが刻まれていた。
「えっと、オレたちちゃんとケーブルカーに乗って、学園に帰ってきたんですよね? なんか、連休最終日のそのあたりの記憶だけ曖昧だなーって今気づいて……」
「おれも……なんか、すごく気持ち悪い」
麓の街から学園への交通手段は実質ケーブルカー一択なのだから、今学園の敷地内にいるということは、ケーブルカーに乗ったのはたしかなのだ。
けれども連休の最終日にケーブルカーを利用して学園に戻ったときの記憶だけが、ない。
動揺するニカと宇津季を見る筒井筒は、変わらず難しい顔をしていた。
「お前たちも忘れてるんだな」
そう言って筒井筒はため息をつく。呆れているというものではなく、ひどく疲れているといった風のため息だった。
「――そもそも、俺たちがどうして『神隠しコテージ』なんてところに行くことになったのか、思い出せるか?」
「アルバイトのためですよね?」
「ああ、そうだ。けど、そういうアルバイトがあるって話を持ってきたのはだれだ?」
ニカも宇津季も、筒井筒の質問に答えられなかった。
「あの、なんなんですか、これ?」
ニカは硬く強張った声を出す。
筒井筒はもう一度、疲れたようなため息を吐き出したあと、覚悟を決めたような眼差しで言った。
「俺たちは異界駅に迷い込んで、そこから脱出するために異界のケーブルカーに乗り込んだ。それでなぜか元の世界に帰ってこられた。けど――『異世界』だけがあっち側に取り残されてる。だから、俺はこれから『異世界』を迎えに行く」
異世界。言葉通りならば「こことは異なる世界」を指す単語だ。けれどもそう受け取った場合、筒井筒のせりふはおかしなことになる。
異世界。筒井筒がそう呼ぶ相手は決まっている。ニカたちはそれを知っている。
異世界。
――異世界先輩。
その言葉が頭に浮かんだ次の瞬間、ニカの視界は一瞬だけブラックアウトした。




