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初恋の相手が忘れられないと婚約破棄されたら、心の声が聞こえる様になったので、相手を探してあげることにした。  作者: 四宮 あおい


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4/10

男爵令嬢ニーナ

 茶会の当日は、快晴だった。


 ホーエンベルク公爵家の庭園は、初夏の花々で彩られていた。白いパラソルの下に設置されたテーブルには、上質な磁器のティーセットが並べられている。


 アネットは、いつも以上に入念に身支度を整えた。銀髪を優雅に結い上げ、淡い青のドレスを纏う。鏡に映る自分の姿は、完璧だった。


 だが、その目には緊張が宿っていた。


 今日会うニーナが、もしかしたらハインツの探している初恋の人かもしれない。そして、その人物がどのような心を持っているのか、今日明らかになる。


(落ち着きなさい、アネット。貴女は公爵令嬢。どんな真実が明らかになっても、冷静に対処するのですわ)


 自分に言い聞かせながら、アネットは庭園へと向かった。



 ~~~ 



 ニーナ・フォン・グラヴナーは、時間きっかりに現れた。


 彼女は噂通りの美少女だった。薄い金髪が陽光を受けて輝き、淡い緑色の瞳は清らかな水のように澄んでいる。華奢な体つきで、まるで風に吹かれれば消えてしまいそうな儚さがあった。


 彼女は深々とお辞儀をした。その所作は優雅で、完璧だった。


「アネット様、お招きいただき光栄ですわ。わたくし、このような素晴らしい機会をいただけるとは思いませんでした」


 声も美しかった。控えめで、それでいて品があった。


 アネットは優雅に微笑んだ。


「こちらこそ、来てくださってありがとうございますわ、ニーナ様。以前から、お会いしたいと思っておりましたの」


 二人はテーブルに着いた。使用人が紅茶を注ぐ。


 アネットは能力を最大限に集中させた。ニーナの心の声を聞くために。


 だが、最初はなかなか聞こえてこなかった。ニーナの表情は穏やかで、警戒している様子はない。


「アネット様のお庭、本当に美しいですわ。特にこの薔薇、見事ですわね」


 ニーナは庭園を見回しながら、心から感嘆しているように見えた。


「ありがとうございますわ。うちの庭師が丹精込めて育てておりますの」


 当たり障りのない会話が続く。アネットは慎重に、少しずつ核心に近づいていった。


「ニーナ様は、社交界にあまりお顔を出されませんわね。何か理由でも?」


「ええ、実は……、わたくし、身体が弱くて。頻繁に外出すると疲れてしまいますの」


 ニーナは儚げに微笑んだ。その表情には、どこか諦念のようなものがあった。


 その瞬間、アネットの頭に彼女の心の声が響いた。


『まさか公爵令嬢が私に……? これはチャンスだわ。ここで上手く立ち回れば、上流階級とのコネクションができる』


 アネットは内心で驚いた。だが、表情には出さなかった。


 ニーナの心の声は、表面的な言葉とは違った。そこには、計算が含まれていた。


「それは大変ですわね。でも、今日はお元気そうで安心しましたわ」


「ありがとうございますわ。アネット様にお会いできる機会ですもの、無理をしてでも参りたかったんですの」


 表面上は謙虚な言葉。だが、心の声は違った。


『公爵令嬢と親しくなれば、社交界での立場が上がる。婚約破棄された今なら、同情を買いやすい。利用できるわ』


 アネットは紅茶を一口飲んだ。そして、話題を変えた。


「ニーナ様、王都の夏祭りはお好きですか?」


「夏祭りですか? ええ、好きですわ。幼い頃から、毎年楽しみにしておりました」


「それは奇遇ですわね。わたくしも大好きですの。特に十年前の夏祭りは印象的でしたわ」


 アネットは慎重に、罠を仕掛けた。


 ニーナの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。それはわずかな変化だったが、アネットは見逃さなかった。


「十年前……、ですか」


「ええ。あの年は特別でしたわ。途中で雨が降りましたわよね」


「ああ、そうでしたわね。確か、夕立でしたわ」


 ニーナは微笑んだ。だが、その心の声は激しく動揺していた。


『十年前の雨……、まさか、あの時のこと? 迷子の男の子に傘を貸した……、いや、待って。これは偶然の話題? それとも、何か意図がある? 慎重に対応しないと』


 アネットの心臓が速く打った。


 ニーナは、十年前の雨の日のことを覚えている。迷子の男の子に傘を貸したことを。


 つまり、彼女がハインツの初恋の人である可能性が高い。


 アネットはさらに踏み込んだ。


「あの日、わたくし、困っている方を助けた覚えがありますの。ニーナ様は、そういったご経験は?」


 それは、明確な誘導尋問だった。


 ニーナは少し考え、そして儚げに微笑んだ。


「そういえば……、ありましたわ。迷子になっている子供に、傘を貸して差し上げたことが」


「まあ、素晴らしい! それは男の子でしたか、女の子でしたか?」


「男の子でしたわ。とても困っている様子で、放っておけませんでしたの」


 表面上は、純粋な善意を語るニーナ。だが、心の声は全く違った。


『ああ、やっぱりあの時のことだわ。貴族の男の子に傘を貸した。母が言っていたのよ、「貴族の子供には親切にしなさい。いつか役に立つから」って。あの時は面倒だったけど、今になって役立つかもしれないわ』


 アネットは息を呑んだ。


 ニーナは、純粋な善意で傘を貸したのではなかった。母親の教えに従って、打算的に行動していたのだ。


 そして、心の声はさらに続いた。


『この公爵令嬢、なぜこんなことを聞くの? まさか……、あの男の子が誰か知っているの? もしかして、重要な人物? だとしたら、これは大チャンスだわ!』


 アネットは冷静さを保ちながら、さらに情報を引き出すことにした。


「その男の子、どのような子でしたの?」


「金髪で、碧眼でしたわ。貴族の子供だということは、服装で分かりましたの。きっと良い家のお子様だったのでしょうね」


 完全に一致していた。ハインツの容姿と。


「素晴らしい善行ですわね。その後、その子とは会われましたの?」


「いいえ、あれきりですわ。でも、あの子が幸せに育っていることを願っていますわ」


 表面上は、無償の優しさを示すニーナ。


 だが、心の声は邪悪だった。


『あの男の子が誰なのか、絶対に調べないと。もし侯爵家とか、それ以上の家の子息なら……、私にもチャンスが巡ってくるかもしれない。婚約のチャンスが! 男爵家の娘である私が、上流貴族と結婚できるなんて、夢のようだわ!』


 アネットの血が凍った。


(……この方、完全に打算で動いていますわ。『夢のようだわ』って、まるで玉の輿狙いの悪役令嬢ですわ! ハインツ様、こんな方に十年間想いを馳せていたなんて……)


 だが、アネットはまだ確信を得るために、もう一押しする必要があった。


「実は……、わたくし、その男の子がどなたかを知っているかもしれませんの」


 ニーナの目が、一瞬だけ輝いた。だが、すぐに控えめな表情に戻った。


「まあ、本当ですの? それは……嬉しいですわ。もしお会いできるなら、あの時のお礼を言いたいですわ」


 表面上は謙虚な言葉。だが、心の声は興奮していた。


『来た! 絶対に誰なのか聞き出さないと! もし本当に良い家の子息なら、私はその恩人として接近できる! 財産も地位も、全部私のものになる! あの馬鹿な男の子、十年前の傘一本でメロメロになるなんて、ちょろいわ!』


 アネットは、紅茶のカップを置いた。手が震えそうになるのを、必死に抑えた。


(……『ちょろい』って言いましたわね今!? しかも心の声、口調が悪すぎますわ! 表の清純さは完全に演技だったんですのね! こんな人が、ハインツ様の初恋の人だなんて……)


 アネットは深呼吸をした。そして、決断した。


 まだ全てを明かすべきではない。もっと証拠が必要だ。ニーナの本性を完全に暴き、ハインツに真実を見せるために。


「その方は……、侯爵家の子息ですわ」


 アネットは静かに言った。


 ニーナの表情が、一瞬だけ歓喜に染まった。だが、すぐに儚げな微笑みに戻った。


「まあ……、侯爵家の。それは、大変名誉なことですわ」


『侯爵家! 侯爵家よ! これは大当たりだわ! 私が侯爵夫人になれる! 財産も地位も、全部手に入る! 母が聞いたら喜ぶわ! あの貧乏な男爵家から抜け出せる!』


 ニーナの心の声は、もはや醜悪だった。


 アネットは優雅に微笑んだ。


「その方は、今でもあの日のことを大切に覚えていらっしゃいますわ。いつか、ニーナ様にお会いしたいとおっしゃっていましたの」


「それは……、光栄ですわ。ぜひ、お会いしたいですわ」


 ニーナは完璧に、清純で謙虚な令嬢を演じきった。


 だが、その心の声は野心に満ちていた。


『絶対に会わないと! そして、あの時の優しい少女を完璧に演じるのよ。初恋の人として、彼の心を掴む。結婚して、侯爵夫人になる。そして……』


 アネットは、それ以上聞きたくなかった。


 だが、能力は容赦なくニーナの心の声を伝え続けた。


『結婚しても、彼のことなんて愛さない。結婚はビジネスよ。私には愛する人がいる。平民だけど、優しくて素敵な人。侯爵様の金で、私たちは幸せになるの。完璧な計画だわ!』


 アネットの心が、怒りで震えた。


 ニーナには、既に恋人がいた。平民の男性と。そして、ハインツと結婚した後も、その関係を続けるつもりだった。


 これは、もはや打算を超えた、詐欺だった。


(……許せませんわ。こんな女性に、ハインツ様を騙させるわけにはいきませんわ。彼は確かに理想主義的で、世間知らずですわ。でも、それは純粋だからですの。そんな彼を、こんな悪女が利用するなんて……)


 アネットは決意した。


 ニーナの本性を暴く。そして、ハインツに真実を見せる。それが、元婚約者としてできる最後の誠意だと。


 茶会は、表面上は和やかに終わった。


 ニーナは何度も感謝の言葉を述べ、優雅に去っていった。その姿は、まるで清純な天使のようだった。


 だが、アネットは知っていた。その天使の仮面の下に潜む、悪魔のような本性を。


 一人残されたアネット。


 彼女は庭園のベンチに座り、深く息を吐いた。


「ニーナ・フォン・グラヴナー……、貴女、とんでもない悪女ですわね」


 アネットは静かに呟いた。


「でも、わたくしも負けていませんわよ。貴女の計画、全て打ち砕いて差し上げます。覚悟しておきなさい」


 アネットの目に、冷たく鋭い光が宿った。


 それは、真実を求める者の目であり、復讐者の目であり、そして何より、大切な人を守ろうとする者の目だった。




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