それぞれの道
晩餐会から一週間が経過した。
社交界は、ニーナの醜聞で持ちきりだった。グラヴナー男爵家は王国に正式な謝罪を行い、ニーナは社交界から永久追放された。彼女の恋人であったダニエルも、商会から解雇されたという。
一方で、アネットの評判は複雑だった。
彼女を賞賛する者もいた。
「公爵令嬢の威厳を示した」
「悪女を暴いた英雄」
と。
だが、恐れる者もいた。
「あの冷静さは恐ろしい」
「元婚約者にあそこまでするなんて」
と。
アネットは、それらの評判を気にしなかった。
彼女には、もっと大切なことがあった。
それは、自分自身と向き合うこと。
~~~
アネットは、事件の後、一時的に社交界から身を引いた。
公式には休養のためとされていたが、実際は、心の整理をするためだった。
屋敷の書斎で、アネットは一人、静かに過ごしていた。
心の声を聞く能力は、徐々に弱まっていた。以前ほど鮮明には聞こえなくなっていた。
だが、完全には消えなかった。
時折、強い感情を持つ人の心の声だけが、聞こえてくる。
それは、呪いなのか、それとも贈り物なのか。
アネットは、まだ答えを出せずにいた。
ある日の午後。
侍女のマリーが、お茶を持ってきた。
「お嬢様、お客様です」
「お客様?」
「はい。ハインツ様が、お見えになっています」
アネットは、少し驚いた。
晩餐会以来、ハインツとは会っていなかった。彼が何の用だろうか。
「お通しして」
応接室に現れたハインツは、以前とは違って見えた。
表情には、以前のような柔らかさはなかった。代わりに、どこか引き締まった、大人びた雰囲気があった。
「アネット、来てくれてありがとう」
「いいえ。それで、今日は何の御用ですか?」
アネットは、丁寧だが距離を置いた口調で尋ねた。
ハインツは、深く息を吸い込み、そして深々と頭を下げた。
「改めて、謝罪をしたくて来たんだ」
「謝罪は、既に受け取りましたわ」
「いや、足りない。僕は……、本当に愚かだった」
ハインツは顔を上げた。その目には、真摯な光があった。
「初恋という幻想に囚われて、目の前にいた本当に素晴らしい人を見失っていた。君がどれだけ優れた人か、どれだけ僕のことを考えてくれていたか。それを、僕は全く理解していなかった」
ハインツの心の声が、聞こえてきた。
『アネットは、最後まで僕のことを考えてくれていた。あの晩餐会での行動も、僕を守るためだった。なのに、僕は彼女を傷つけた。取り返しのつかないことをしてしまった』
アネットは、静かに微笑んだ。
「ハインツ様、貴方は成長されましたわね」
「え……?」
「以前の貴方なら、こうして自分の過ちを認めることはできなかったでしょう。でも今、貴方は現実を見ている。それは、大きな成長ですわ」
ハインツは、複雑な表情をした。
「でも、その成長は、君を傷つけることで得たものだ。代償が大きすぎる」
「いいえ」
アネットは首を振った。
「人は、痛みを通じて成長するものですわ。貴方も、わたくしも。今回のことで、わたくしたちは多くを学びました。それは、無駄ではありませんわ」
ハインツは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「アネット、僕は……、もう一度やり直すことはできないだろうか」
アネットの心臓が、一瞬速く打った。
「やり直す……、とは?」
「婚約を。いや、せめて友人として。僕は……、君を失いたくない」
ハインツの心の声が、聞こえた。
『アネットは、僕が求めていた全てだった。優しさ、知性、強さ。それを、僕は幻想のために捨ててしまった。今さら戻れるとは思っていない。でも……、せめて、彼女の人生の一部にいたい』
アネットは、深く息を吐いた。
「ハインツ様、わたくしは……、貴方の気持ちは嬉しいですわ。でも、答えは『いいえ』ですわ」
ハインツの表情が、悲しみに染まった。
「そうだよな……、当然だ」
「誤解しないでくださいまし」
アネットは、優しく言った。
「わたくしは、貴方を憎んでいませんわ。むしろ、感謝しています」
「感謝……?」
「ええ。婚約破棄がなければ、わたくしは完璧な令嬢を演じ続けていたでしょう。本当の自分と向き合うこともなく。でも、貴方のおかげで、わたくしは変わることができました」
アネットは微笑んだ。
「わたくしは、新しい人生を歩み始めています。それは、貴方のいない人生ですわ。でも、それで良いのです」
ハインツは、ゆっくりと頷いた。
「分かった。君の幸せを、遠くから見守らせてほしい」
「ありがとうございます」
二人は、静かに微笑み合った。
それは、恋人としてではなく、互いの成長を認め合う、成熟した関係だった。
ハインツは立ち上がり、最後にもう一度深々とお辞儀をして、部屋を去っていった。
アネットは、その背中を見送りながら、心の中で呟いた。
(さようなら、ハインツ様。貴方の人生に、幸多からんことを)
そして、彼女は本当の意味で、過去と決別した。
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その夜、アネットは父に呼ばれた。
書斎に入ると、ホーエンベルク公爵が椅子に座っていた。
「アネット、座りなさい」
「はい、お父様」
アネットは、父の向かいに座った。
公爵は、娘を見つめた。
「アネット、お前はこれからどうするつもりだ?」
「と、おっしゃいますと?」
「婚約の件だ。ハインツとの婚約は破棄された。次の縁談を考えなければならない」
アネットは、予想していた質問だった。
「お父様、わたくしは……、しばらく、結婚については考えたくありませんの」
公爵は、少し驚いた表情をした。
「なぜだ?」
「わたくし、自分自身と向き合いたいのです。今まで、ずっと周囲の期待に応えることばかり考えてきました。でも、これからは、自分が本当に望むものを見つけたいのです」
アネットは、真剣な目で父を見た。
「お父様、わがままを言って申し訳ございません。でも、これだけは譲れませんの」
公爵は、しばらく黙っていた。
そして、その心の声が聞こえた。
『アネットは、本当に成長した。自分の意志を持つようになった。それは、父として嬉しい。だが……、心配でもある。この子は、これから一人で歩いていくつもりなのか』
公爵は、深く息を吐いた。
「分かった。お前の意志を尊重しよう」
「お父様……!」
「だが、条件がある」
「条件、ですか?」
「二年だ。二年間、お前に自由を与えよう。その間、お前は自分の望む生き方を模索しなさい。だが、二年後には、改めて結婚について考えてもらう」
アネットは、驚いた。
父が、こんなに譲歩するなんて。
「ありがとうございます、お父様!」
公爵は、珍しく優しい表情を浮かべた。
「アネット、お前は我が娘だ。お前の幸せを、父は誰よりも願っている」
『不器用な父で、すまない。でも、これが僕にできる精一杯だ』
アネットは、涙が出そうになった。
父の不器用な愛情が、心に染みた。
「お父様、わたくし、頑張ります」
「うむ。期待している」
父娘は、互いに微笑み合った。
読んでくれた皆様、本当にありがとうございます!
物語としては、一旦これでキリのいいところまで終えました。
実は、完全に最後まで書いてはいるのですが、このまま終わるか、続編を作るかで悩んでいますw
感想で反応頂ければ幸いです。
他にもいくつかの作品を掲載しています。私のユーザページから見れるので、読んでもらえればとても嬉しいです! リアクションもお待ちしています。よろしくお願いします!




