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禁断の忠誠  作者: 海野雫
第六章 夜に交わす誓い

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6-1

 深々と雪が降り続き、蒼華殿そうかでんは白に包まれていた。木々は雪を湛えて寒さに耐えているようにひっそりとしている。枝が重みで軋む音が、時折静寂を破った。


 静けさを打ち破るように、焼けた政務棟の瓦屋根を修復する音が遠くから鳴り響いていた。槌音が規則正しく響き、職人たちの掛け声が冬の空気を震わせる。


 魏嵐ぎらんの反乱から数日。凌雪りょうせつは政務棟の修復作業全体を任されていた。朝早くから現場へ足を運び、工事の進み具合を確認することが日課になっている。


 凌雪は厚い外套を羽織り、雪を踏みしめながら政務棟へ向かった。白く立ちのぼる息と、頬を刺すような寒さが身を引き締める。


 政務棟の前には、すでに工部こうぶの職人たちが集まっていた。たくましい職人たちが手際よく足場を組み、屋根の修理にあたっている。凌雪は手で日差しを遮りながらその様子を見上げた。


 新しい瓦が次々と運ばれ、職人たちの手で丁寧に葺かれていく。職人たちの見事な手際に、凌雪は思わず感心してしまった。


中庶子ちゅうじょし様、あまり近づくと危のうございますよ」


 瓦を運んでいた宦官が凌雪に気づき声をかけてきた。若い宦官で、額に汗を光らせている。


「本来なら、私も作業に加勢したいのだが……」


 凌雪は左肩に手を当てた。李徳謙りとくけんと刃を交えた際の傷がまだ痛む。反乱の際に負傷した兵を先に治療にあたらせたため、凌雪の傷の治りは遅かった。医官には何度も診察を勧められたが、他にもっと重傷の者がいる以上、自分のことは後回しでよいと思っていた。


「政務棟の被害が西庁だけで収まって本当によかった……」


 凌雪は修復作業にあたっている職人や宦官に礼をいって東宮へと向かった。


 道すがら、焼け跡から立ちのぼる煙の残り香が鼻をついた。魏嵐は自分の執務室に火を放った。おそらく、すべての証拠を消すためであろう。元宰相派の者たちからは、魏嵐の不正や貴族との癒着があったという噂を聞くことができたが、その証拠も焼けてしまい、真相は結局わからずじまいとなった。


 ――それほど国王というものは魅力的なのだろうか……。


 東宮への道すがら、凌雪は再びそのようなことを考えた。景耀けいようの側で見る限り、楽な仕事ではないと感じている。民に心を砕き、宮で働く者に気遣いをする。舞い込んでくる奏書にくまなく目を通して対応しなければならないのだ。それに加えて、近隣諸国との外交、豪族たちとの駆け引き、軍事の采配——すべてが王の双肩にかかっている。


 早朝から深夜まで政務に追われ、私的な時間などほとんどない。常に誰かに見られ、評価され、ときには命を狙われる。それでも根を上げることなく、常に前を向いて凛とした姿をしている景耀は、まさに王としての素質が備わっているといえよう。


 庭園を通りかかると、雪が深く降り積もっていた。石灯籠も半ば雪に埋もれ、池の水面は完全に凍りついている。その中で、椿が真っ赤な蕾を今にもほころばせようとしている。雪の白と椿の赤のコントラストが鮮やかだった。そのたたずまいに、景耀の強さが重なって見え、凌雪は思わず微笑んだ。


 ――殿下も、この椿のように、厳しい冬を耐え抜いていらっしゃる。


 書房控えの間に戻ると、小宦官たちが忙しく動き回っていた。墨を磨る者、書簡を整理する者、炭を運ぶ者——それぞれが自分の仕事に励んでいる。


「戻った」


 小宦官たちに声をかけると、一斉に凌雪に向かって拱手をする。


「中庶子様」

「お帰りなさいませ」

「政務棟の方はどうでしたか?」


 年若い宦官たちから矢継ぎ早に声をかけられ、凌雪は苦笑いする。以前は白い目で見られていたのが嘘のようだ。


「すっかり懐かれてしまいましたね」


 韓文かんぶんが後から軽く拱手をしながら近寄ってきた。控えの間の小宦官たちの態度が変わったのは、反乱が鎮圧された後だった。裏切り者とされた李徳謙を凌雪が討ったと知ると、たちまち控えの間の英雄になったのである。


「まぁ……。嫌われっぱなしよりは……」


 凌雪は照れたように頭を掻いた。何より、若い宦官たちには自分のような辛い思いを味わわせたくなかった。宦官というだけで見下され、たとえ実力があっても引き上げられない――そんな状況がなくなってほしい、と願っていた。


 実際には、頭の回転が速い者も多い。字が美しい者、計算が得意な者、記憶力に優れた者もいる。こうした優秀な人々を、下働きだけで終わらせてしまうのは本当にもったいない。きっと景耀殿下なら、身分ではなく実力で人を評価する国を築いてくれるに違いない。


「ところで殿下はどちらに?」

「怪我をした兵たちの慰問じゃないですかね」

「お一人で?」

蘇鳴そめい将軍と陳都尉ちんといが共をされています」

「それなら安心だ」


 宰相であった魏嵐が捉えられたとはいえ、投降せずに機会をうかがっている者も宮中にいるかもしれない。景耀の身に何かあってはならない。


「私は書房で仕事をしているから、何かあったら声をかけてくれ」

「承知いたしました」


 韓文は拱手をして頭を深く下げた。


 その様子を見て凌雪は東宮へ初めてきたときのことを思い出していた。ここに足を踏み入れたときはみんなが白い目で見てきた。宰相からの推挙だったということもあり、宰相派が送り込まれたと勘違いされ、どこに行っても嫌がらせをされた。


 食事に砂を混ぜられたり、書簡を隠されたりしたこともあった。それでも凌雪は「天下を守る」という信念を貫き、黙々と仕事をこなしてきた。景耀のために、この国のために――その思い一つで。そしてようやく、東宮のみんなに受け入れられるようになったのだ。


 書房に足を踏み入れる。李徳謙と対峙して書簡などが散乱していたが、今はほとんど元通りになっていた。割れた硯も新しいものに取り替えられ、血に染まった床も綺麗に拭き清められている。


 あの日のことを思い出すと、凌雪は胸が痛んだ。李徳謙は景耀を慕うあまりに魏嵐に利用されたのだ。


 ――あのとき、刃をおさめてもらえたら、命を落とすことがなかっただろうに……。


 李徳謙は、景耀が最も信頼していた臣下の一人だった。景耀の幼い頃から東宮に仕え、景耀の成長を見守ってきた。その忠誠心は本物だったはずだ。だが、その忠誠心が歪んでしまった。景耀を守るためという大義名分のもと、魏嵐の甘言に乗ってしまったのだ。


 これからは自分が李徳謙の分まで景耀を守っていかなければと心に決めた。


 机につくと、山のように積み上げられた書簡を見上げる。修復工事の見積書や職人への支払い明細、資材の調達書など……、どれにも目を通し、承認印を押す必要があった。


 両手で頬をぱんっと叩いて「よし!」と気合を入れた。


 今の最優先事項は燃えた政務棟の復旧工事だ。補修指揮の書類を整理しながら、筆を入れていく。感傷に浸っている余裕はなかった。凌雪は目の前の書簡に目を落とし、そのことに集中した。


 筆を走らせること数刻。ふと顔を上げると、窓の外はすでに夕暮れどきだった。橙色の光が雪を染め、幻想的な風景を作り出している。


 そのとき、書房の扉が開いた。


「凌雪、まだ仕事をしていたのか」


 景耀が入ってきた。外套には雪がつき、頬は冷えで赤く染まっている。


「殿下、お戻りになられましたか」


 凌雪が立ち上がろうとすると、景耀は手で制した。


「座っていろ。怪我人の慰問に行っていた」

「兵たちの様子はいかがでしたか?」

「皆、回復に向かっている。医官の腕は確かだな」


 景耀は凌雪の隣に腰を下ろした。その距離の近さに、凌雪の心臓が跳ねる。


「凌雪の傷はどうだ?」

「もう大丈夫です。かすり傷のようなものですから」

「嘘をつくな。李徳謙の剣は深く入っていたはずだ」


 景耀の指が凌雪の肩に触れる。傷のある箇所を確かめるように、そっと撫でた。


「痛むか?」

「いえ……殿下が触れてくださると、不思議と痛みが和らぎます」


 凌雪の言葉に、景耀は小さく笑った。


「相変わらず、口が上手いな」

「本心です」


 二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。


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