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禁断の忠誠  作者: 海野雫
第四章 揺らぐ玉座と誓い

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4-6

 秋の夜風が書房内を吹き抜けると、壁際に置かれた絹張りの灯籠の火がゆらりと揺れた。格子窓の外では虫の音が鳴り響き、秋の夜を賑やかにしていた。


 書房内では景耀けいよう凌雪りょうせつ二人が黙々と書簡に目を通し、筆を動かしていた。凌雪が目を上げると、景耀の顔に青銅製の燭台から灯りが明るく落ちて、彼の容貌を一層美しく見せていた。


 その表情はどんな困難をも乗り越えようとする強い意志が満ちているようにも見える。


 ――殿下は不安に思われることはないのだろうか。


 景耀は常に威厳を保ち、弱音を吐かない。だが、彼も一人の人間だ。きっと心に抱えるものがあるはずだ。それを吐露できる存在になれればいいと思ってしまい、かぶりを振った。


 ――私ではそんなお役目、到底できるはずなんてない。ただの宦官なのだから……。私はただ、殿下の盾になるのみ。


 景耀の特別になりたいと想っても、身分違いもはなはだしく、それは叶わない。景耀が凌雪によくしてくれればくれるほど、彼に対する想いが強くなる。それを抑えるのが辛く苦しい。


「凌雪」


 景耀のことを考えているところに声をかけられ、体がビクッと震えた。


「は、はい……」

「なんだ、何かあったか?」

「い、いえ。何も……」


 頬が熱くなっているのを隠すように俯いた。机の燭台から淡い光が凌雪の陰を落とす。


「そろそろ寝殿へ戻ろうと思う」

「はっ。では、灯籠の火を――」


 凌雪はそういうと、壁際の灯籠の火を落としていった。


「では、殿下参りましょうか」

「お前の机の燭台の火を落としておらぬぞ」


 景耀は凌雪に書房に戻る必要がないといっているようだった。


「わたくしにはまだやるべきことが……」

「今宵は私の寝所まで共をしてくれないか」


 寝所――景耀の私的空間へ一緒に来てくれといっているのだ。凌雪は戸惑いを隠せず、俯きながら口を開いた。


「身の程をわきまえず、恐れながら――」

「別に無理にとはいっておらん。決めるのは凌雪、お前だ」

「……っ!」


 つい今しがた、景耀の特別になりたいと想っていたのが顔に出ていたのだろうか。けれど、身も心も景耀に捧げると決めている以上、断る理由などない。


 凌雪は拱手をして一歩進み出た。


 景耀と凌雪は言葉を交わすことなく寝殿へ続く回廊を歩いていた。吹き抜ける風が冷たく、思わず肩をすくめた。月明かりが石畳を照らし、二人の影が長く伸びている。


 寝殿前の大扉に着くと、景耀はそこにいた衛兵長に向かって指示を出した。


「今宵は外扉のみの記録だけでよい。内扉は閉めておくゆえ」

「はっ!」


 衛兵長は拱手をし、深く頭を下げた。



 寝所に足を踏み入れると、内扉が静かに閉じられた。その瞬間、外の灯りが遠のき、二人きりの空間になった。香炉の火が揺れ、静寂が落ちた。


 寝所は灯籠に一箇所だけ灯りが入っているだけでほの暗かった。景耀は奥の寝台の前の長椅子に腰掛けて、ため息をついた。


 その横顔からは、普段の冷徹な王太子の面影が消え、ただ一人の男としての素顔がのぞいていた。


「私は……お前が狙われるたびに理性が揺らぐ」


 そんな顔を見せられ、心が穏やかでいられるはずもなく、凌雪の心臓は高鳴った。


「王太子としては愚かだが……男としては当然だと思ってしまう」


 景耀は一拍置いて凌雪の目を見つめ、手を握りしめた。その手はあたたかく、力強い。


「私は、凌雪――お前のことが好きだ」

「殿下……」


 凌雪は息を呑んだ。まさか、景耀が自分のことを好きだなんて思ってもみなかった。胸の奥が熱くなり、涙が込み上げてくる。


 だがしかし、それをすんなりと受け入れることはできない。


「殿下、恐れながらわたくしは殿下の弱点になります……」


 すると景耀は凌雪の腕を引き寄せ、抱きしめた。その腕は強く、優しい。


「前もいったであろう。弱点とは守るものの別名だ。私が必ずお前を守る」

「……殿下」


 凌雪は嬉しさが込み上げ、涙があふれ出た。今まで誰に愛されることのなかった人生。そこにあたたかい光が差し込んだように感じられた。


「わたくしは殿下のために生きています。弱点であるなら、弱点のままあなたの盾になりたい」

「……凌雪」


 景耀はゆっくりと立ち上がり、指先で凌雪の頬を撫でた。その指先に熱がこもっているようで撫でられたところが熱い。


 その指が顎までくると、凌雪の顔を上に向かせた。景耀の顔がゆっくり近づき、唇が重なった。


 最初は鳥が啄むような軽いものであったが、徐々に深さを増していく。しんと静まり返った寝所に二人の荒い息と水音が響き渡った。


「殿下……」


 接吻くちづけの合間に凌雪が囁くと、景耀はそのまま寝台へ凌雪を押し倒した。衣の紐を解く衣擦れの音が大きく聞こえる。


 景耀は首筋に唇を這わせながら、ゆっくりと下へと下がっていった。唇がたどった皮膚は熱を持ったように感じる。


 ふと、景耀の動きが止まった。


「殿下?」


 凌雪が声をかけると、景耀は悲しげな表情をして肩の傷を見つめていた。


「すまない……。このような傷を負わせてしまって」

「このような傷、大したことありません。わたくしは殿下がご無事だったので嬉しいのです」


 そういうと凌雪は景耀に唇を落とした。


「殿下……、お慕い申し上げております」

「……っ!」


 そこから堰を切ったように唇を深く重ねた。荒い息遣いと衣擦れの音だけが静かな寝所に響く。


 景耀の唇が頬を、首筋を、鎖骨をたどる。触れられるたびに、体中が熱を帯びていく。凌雪は目を閉じ、その感覚に身を委ねた。


「凌雪」


 低く甘い声で呼ばれると背中に電流が走る。後ろから強く抱きしめられ、景耀の熱が凌雪の中に侵入してきた。


「殿下っ……」

「私のことを名前で呼んではくれぬか」

「そ、それはなりませんっ……」


 凌雪は震える声で答えた。だが景耀はさらに強く抱きしめてくる。


「この寝所の中にいるときだけでもいいから……」


 その声は懇願するようで、拒めなかった。


「景耀……さまっ……」


 凌雪は景耀に接吻くちづけた。灯籠が二人の影を壁に浮かび上がらせる。その姿は、まるで空に舞う龍たちのようにも見えた。


 格子窓は閉められ風が入ることなどないのに、一瞬灯籠の火が揺れた。香炉の煙もゆらゆらと揺蕩っている。


 時間が止まったように、二人は互いのぬくもりだけに包まれていた。



 しばらくして、景耀は腕の中にいる凌雪の髪を指先で優しく梳いた。凌雪は顔を上げ、静かに景耀の顔を見つめた。


「景耀さま……」

「なんだ?」

「いえ。幸せすぎて、夢じゃないかと思っただけです」


 景耀はふっと小さく笑った。その笑顔は優しく、あたたかかった。


「夢じゃないぞ。ほら」


 そういうと凌雪の手を景耀の心臓に当てた。とくとくと早く脈打っているのがわかる。


「凌雪が触れると、胸の中心がこのように鳴り響く」


 景耀は凌雪の額に唇を落とした。二人の呼吸が重なり、灯籠の灯りがわずかに青く揺れた。


 その灯りのせいか、景耀のへそのあたりが青白く光っているように見えた。景耀の体が少し熱く感じる。


 ――龍の印……。


 凌雪は思った。やはり景耀は、龍の血を引く者なのだ、と。


「景耀さま……」

「もう眠れ」


 そういうと景耀は凌雪を強く抱きしめた。景耀の鼓動が心地よく凌雪に安心を与えてくれた。その音を聞いていると、いつの間にか瞼が閉じ、眠りについた。


 ――この幸せが、ずっと続きますように……。


 そんな願いを胸に、凌雪は景耀の腕の中で深い眠りに落ちていった。


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