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禁断の忠誠  作者: 海野雫
第四章 揺らぐ玉座と誓い

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19/30

4-4

 先日の政務会議以来、宮中の空気がぴんと張りつめている。書房を吹き抜ける風は爽やかなのに、肌を刺すような冷たさがあった。


 東宮書房の控えの間では小宦官たちが忙しく動き回っている。


「これらの書簡を李詹事(りせんじ)の元へ持って行ってまいります」

「政務棟へ行ってまいります」

「この書簡はどこの案件ですか?」


 多くの書簡が集まるようになり、小宦官の手が足りない。凌雪りょうせつが人を増やしたいと李徳謙りとくけんに進言したが、「東宮の他の場所から動かせる人員がいない」とあっさりと断られた。


 凌雪は自ら控えの間と書房を行き来する。走り回るように動いても、それでも書類は減らなかった。


「しばらく書房内で仕事をする。何かあったら声をかけてくれ」


 控えの間に残る小宦官へ声をかけ、書房に入った。


「お前も忙しいな」


 書房に入るなり奏書から顔を上げずに景耀けいようがいった。


「はい。控えの間の手が足りませんゆえ……」

「凌雪、これを」


 景耀は先ほどまで目を落としていた奏書に筆を入れ、差し出した。凌雪は執務机に近づき書簡を受け取ろうと手を伸ばすと、景耀の指先が触れた。


 その瞬間、景耀は自分の指を凌雪の指にそっと絡めた。触れ合った指先に熱がこもる。


「……っ!」


 心臓が跳ね上がる。こんな不意打ち、卑怯すぎる。


「凌雪、あまり無理をせぬようにな」

「はっ!」


 景耀は目を細めて優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、凌雪の頬は一気に熱くなり、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 ――ダメだ! 仕事に集中しないと!


 景耀はそんな凌雪の様子を楽しむようにじっと見つめていた。その視線が熱い。そして名残惜しそうに指を開放するといった。


「そちらの書簡を宰相府へ持って行ってくれ」

「承知いたしました」


 凌雪は赤くなった頬を隠すように俯きながら、書房を後にした。



 宰相の執務室に向かう途中、誰かの視線を強く感じた。気のせいではない。政務会議以後、書房を出るたびに背後に人の気配を感じている。


 ――私など監視しても仕方がないのに。


 そっと振り返るが、回廊は静まり返り、誰の姿も見えない。だが、気配だけは確かに残っている。


 官吏ではなく、刺客でも送り込まれているのかもしれない。そこまで重要な存在であるとは思えないのだが――。そう思いつつ、極力足音を立てないように注意深く進んだ。


 途中、庭園を通りかかると、花の季節はすっかり終わり、庭の木々も赤や黄色に色を変えて冬支度を始めているようだった。庭園から吹き抜ける風がひんやりと肌を刺す。


 凌雪は宰相執務室の控えの間に到着すると拱手をした。


「王太子殿下より書簡をお預かりしてきました」


 一斉に凌雪に冷たい視線が突き刺さる。


「また、中庶子ちゅうじょし殿がいらっしゃったぞ」


 控えの間に冷ややかな笑いが響き渡る。その笑い声は耳障りだ。


 奥に座っている書記官が近寄ってきた。


「確認しますゆえ、そちらでお待ちください」


 書房に続く大扉の前で待つようにいわれ、書記官が書簡を確認するのを待った。


 すると、中から聞き慣れた声が聞こえてきた。


『このところ、私を遠ざけていて監視ができないのです』

『それをやるのがお前の仕事だろう? それとも私が手を貸そうか?』


 冷ややかな笑い声が響き渡る。


 一人は宰相であることはすぐにわかったが、もう一人は聞き覚えのある声であることに気づいた。


 ――李詹事りせんじ


 監視をするとは、誰を監視するのだろうか。もしかして、李徳謙は――。そう考えると、全身の血の気が引くのがわかった。


 ――やはり、李詹事は殿下を裏切っているのか……。


 胸が締め付けられる。信頼していた重臣の裏切り。それは景耀にとってどれほどの痛手だろうか。



 東宮控えの間に戻ると、韓文かんぶんが声をかけてきた。


「中庶子様」

「どうした?」


 韓文は声をひそめていった。表情は真剣そのものだった。


「このところ、東宮内に宰相派の者が頻繁に出入りしているようです」

「それは本当か?」


 凌雪は眉をひそめた。東宮内に――景耀の領域に、宰相派が侵入しているのか。


「何か探っているやもしれませんゆえ、お気をつけください。宰相の気に障ることをすれば、害されることも……」

「覚悟の上だ。私は殿下をお守りするのみ」


 凌雪は拳を強く握りしめた。周囲が敵ばかりの景耀を守れるのは自分だけだ。それが自分の存在意義なのだ。


 凌雪は最近、回廊に出るたびに誰かの視線を感じていたことを思い出した。


 ――もしものために衛兵を増やした方がいいかもしれん。


 東宮には、どこか不穏な空気が漂っていた。



 夜になり、宦官たちが回廊の灯籠に火を入れ始めた。以前より書房前には多くの灯籠が配置され、兵も増員された。できうるかぎりの準備は整えているつもりだった。


 しかし、これだけで完全に防げるわけもない。以前、東宮の中庭に刺客が入り込んでいたということもあったからだ。


「殿下、外を少し見てまいります」

「ああ」


 景耀は書簡から顔を上げ、うなずいた。


 回廊に出ると、夜風が肌を撫でていった。その冷たさに思わず身震いをする。月明かりが石畳を照らし、影が長く伸びている。


 角を曲がると空気を切る音が響き渡り、細身の飛鏢が飛んできた。凌雪の肩をかすめ、格子窓に刺さった。


「何者!」


 凌雪はすかさず袖に隠し持っていた短剣を抜いた。すると、回廊の外から数人の官吏の姿をした者が出てきた。


 しかし凌雪は彼らの姿を見て、すぐに正体を見抜いた。その動きは官吏のものではなく、まさしく刺客だった。


 そしてすぐさま大声を上げた。


「刺客が侵入しておるぞ!」


 その声を聞くと、刺客たちは一斉に凌雪へ襲いかかってきた。暗器が空を切り、凌雪に向かってくる。それを短剣で弾き飛ばし、襲いかかってくる刺客に応戦した。


 軽い身のこなしで刺客を倒してゆくが、相手は多勢だ。


 ――この先に行かせるわけにはいかない! 


 凌雪は必死に応戦するが、一人でどこまで持ちこたえられるかわからなかった。襲いかかってきた刺客を剣でいなし、攻撃を加えようとしたとき、別の刺客から放たれた飛鏢が凌雪の右肩を貫いた。


「うっ!」


 鈍い痛みが肩から広がり、血がぽたぽたと落ちる。視界が一瞬、真っ白になった。


 そのとき、回廊を急ぐ靴音が聞こえ、振り向くと多くの衛兵がやってきた。それを見た刺客はすぐにその場を後にした。


 凌雪は肩を抑えた。どくどくと血が流れ出て指先から滴ってくる。生ぬるい血が手を伝う。


「殿下、おやめください! まだどこかに刺客が潜んでいるやもしれません!」


 回廊の先で衛兵が叫ぶ。その様子からすると、どうやら景耀が様子を見に来たらしい。


「かまわぬ!」


 景耀の声を耳にすると、膝が崩れ落ちた。力が抜けていく。


 ――よかった。殿下がご無事で……。


 徐々に視界がぼやけて意識が遠のいた。



 目を覚ますと、白い天井が目に入った。薬草の香りが鼻をつく。見覚えのある天井だ。


「うぅっ……」


 肩の痛みで思わず唸り声を漏らした。それを聞いた老医官が近づいてきた。


「目が覚めましたかな? またお会いしましたな」


 老医官は優しい笑みを凌雪に向けた。


「……わたくしは……?」

「殿下自ら血まみれの中庶子殿を医局まで運ばれたのですよ。いやはや、驚きましたなぁ」 


 医官が目を細めて微笑むと、凌雪は驚きで思わず目を見開いた。


 殿下が――自分を運んでくれたのか。


「止血はできておりますゆえ、今日は自室でゆっくりとお休みください。殿下は数日養生するように仰せでしたぞ」

「そうですか……」

「中庶子殿はお若いゆえ、すぐに傷も癒えましょう。飛鏢に毒も仕込まれていなかったため、命拾いされましたな」


 ――私を排すつもりなら、毒が仕込まれていてもおかしくない。だがそれがなかったということは、殿下に対する警告か?


 そう考えると胸の中がざわついた。


「ありがとうございます。今日は部屋で養生したいと思います」

「あまり無理をなされなさんな」


 凌雪は医官に礼をいうと自室へと戻った。


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