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禁断の忠誠  作者: 海野雫
第三章 秘めた炎

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3-4

 翰林院かんりんいんから解放された翌日から、日常が戻った。


 凌雪りょうせつが書房内の机で密書を見つけてからは、特に何事もなく日々が過ぎている。あの密書は罠だったのだろうか、としか思えなかった。


 だからといって気を緩めるつもりはさらさらなかった。景耀けいよう蒼嶺国そうれいこくの正当な後継者である。国王の子は彼以外残っていないにもかかわらず、春の宴で命を狙われた。


 本来は、後継者争いが必要ないはずなのに――。それでも争いが続いているのは、この国を乗っ取ろうとしている人物がどこかにいるからだ。


 以前、魏嵐ぎらんが参謀と玉座について話していたのを耳にした。やはり宰相派が玉座を狙っているということで間違いないのかもしれない。


 ――権力とは、それほど魅力的なものなのだろうか……。


 宦官である凌雪は権力とは無縁の世界で生きてきた。毎日が生きるので精一杯。そんな中で、日々研鑽を積んできたのだ。


 凌雪が景耀の側で執務を行うようになって感じたことは、王太子は決して権力を笠に着ていない。国王の代理で執務を行っているのだから、鶴の一声で物事が決まりそうなものの、景耀は一つずつ議論を重ね、慎重に国政を決めている。


 それは、国民を大切に思っているからこそだ。どうすれば人々が豊かに、幸せに暮らしていけるか――それだけを考えているのだ。


 政務棟へ向かう回廊を歩いていると、湿り気を帯びた風が凌雪にまとわりついてきた。額に汗がにじむ。空を見上げると、今にも泣き出しそうなほど、真っ黒な雲が垂れこめていた。


「嵐が来そうだな……」


 凌雪は先を急いだ。回廊を駆け足で進む。雷鳴が遠くで鳴り響いている。



 急な雷雨が訪れ、書房の中は一気に暗くなった。凌雪は慌てて青銅で作られた重厚な燭台に次々に火を入れる。しっとりとした風が灯火をゆらす。


「夏は昼が長いのに、今日は嵐か」


 景耀は走らせていた筆を止め、窓の外に目をやった。激しい雨が窓を叩いていた。


「降ってまいりましたね。政務棟に行った際に真っ黒な雲が立ちこめていましたゆえ……」


 凌雪が窓を閉めようと近づくと、景耀がそれを制した。


「よい。閉め切ると蒸し暑くなるだろう」

「では、このままで……」


 窓から離れかけたそのとき、回廊に囲まれた中庭で人影を見た気がした。


 ――ん? あれは?


 だが外は土砂降り。庭の木々が雨に打たれて人の影に見えただけかもしれない。雷光が一瞬中庭を照らし、影が揺れる。


 ――気のせいか……。


 凌雪は机に戻り、山のように積み上げられた書簡に目を通した。さらさらと筆の走る音が響き渡る。今夜は、空気がどこか張りつめているような気がした。


 外では雷が鳴り、雨が激しく降り続けている。時折、稲妻が空を裂き、書房内を青白く照らす。


 いつの間にか夜は更け、雨も止んでいた。厚く立ちこめていた雲が晴れ、月明かりが差し込み始めている。


 景耀は筆を置き、伸びをした。


「そろそろ寝所に戻る」

「承知いたしました」


 すると、景耀が真剣な眼差しで凌雪を見つめた。その瞳には、決意のような光が宿っていた。


「寝所まで共をしてくれぬか」

「わ、わたくしが……、ですか?」

「もしものときのために、寝所の場所ぐらい、覚えておいても損はないだろう?」


 目を細め、いたずらっぽく笑う景耀は、年相応の一人の青年のように見えた。しかし、その瞳の奥には、真剣な光が潜んでいた。


 ――普段はお一人で寝所へ戻るのに……。今日はどういう気分でいらっしゃるんだ?


 不思議に思ったが、中庭に人影のようなものを見たことを思い出した。凌雪の胸の中がざわついた。


 ――もしかして、殿下も何か感じていらっしゃるのか……?


 手提げ灯に火を入れ、書房奥の回廊につながる扉へと向かう。


「殿下、こちらへ」


 扉を開け、外に異変がないかを確認して景耀を誘導する。


 この回廊の先は、王太子専用の私的空間であり、通常、臣下は立ち入ることが許されていない。屈強な武官たちが警備しているため、鼠一匹たりとも入り込むことはできない。


 そこに向かう回廊に凌雪は立っている。それを実感すると心が震えた。自分が殿下にどれほど信頼されているか――その重さが胸に迫る。


 手元の灯りで景耀の足元を照らしつつ、凌雪は並んで回廊を歩いた。二人分の靴音が静かな回廊に響き、湿った風が二人のまわりをそっと包み込んだ。


 雨上がりの空気は重く、肌にべたりとはりつく。月明かりが中庭の水たまりに差し込み、煌めきを放っている。


 中庭を通り過ぎようとしたそのとき、何か光るものを凌雪の目の端がとらえた。


 回廊の影から、金属が風を切り裂く鈍い音が走った。咄嗟に景耀を背に隠すように前に出た。


「殿下っ!」


 細身の飛鏢が凌雪の肩口をかすめ、鈍い音とともに衣が裂けた。鋭い痛みが走り、温かいものが肩を伝う。


 ――血が……!


 だが今はそれどころではない。


「殿下、こちらへ!」


 不敬を承知の上で、景耀の手首を掴み、自らの体で殿下を庇いながら回廊を走り抜けた。景耀の手は驚くほど温かかった。


「刺客が入り込んでおるぞ!」


 景耀は守られながらも大声を張った。その声は力強く、恐れを感じさせない。


 すると、寝殿近くで警備をしていた武官がすぐに集まってくる。足音が複数響き、剣を抜く音が聞こえる。


「凌雪、こちらだ。この回廊を進め!」


 景耀が指し示す方向へ二人で全速力で走った。後を振り返ることなく、ただひたすら真っすぐに。


 凌雪の肩から血が流れ落ちるが、かまっている暇はない。息を切らして着いた先は、離宮だった。その一室に二人は飛び込んだ。


「ここまでは追いかけて来んだろう」


 息を切らしながら景耀がいった。凌雪へ振り返った景耀は肩口の衣が破れ、血がにじんでいるのを見て目を見開いた。


「凌雪、大丈夫か? 怪我をしておるのではないか?」


 景耀の声には明らかな動揺が含まれている。その蒼い瞳が心配そうに凌雪を見つめる。


「殿下、ご心配にはおよびません。衣が少し裂けただけでございます」


 本当は痛みが走っているが、景耀を心配させたくなかった。


「そうか……」


 それを聞くと、景耀は安堵の表情をにじませた。だが、その目はまだ凌雪を心配そうに見つめている。


「ところでこのようなところに入り込んでよろしいのでしょうか?」

「かまわぬ。離宮はほとんど使われておらんからな。しばしここで、騒ぎがおさまるのを待とう」

「はっ」


 凌雪は室内にある燭台に火を入れると、安堵のあまり脱力した。壁に寄りかかり、大きく息を吐く。


 景耀は凌雪にそっと近づくと耳元に口を寄せた。


「やはり今日は凌雪に共に来てもらってよかった」


 低い声で囁かれると、凌雪の背筋に電気が走った。体中が熱くなる。


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