へれな、追いかける決意と涙の予感
「でみが……べらと逃げた?」
誰かがそう言った瞬間、教室の空気が変わった気がした。
ぼくは振り返る。そこにいたのは、へれなだった。
彼女は、図書室の常連で、静かに本を読むのが好きな文学少女。
でも、ぼくは知ってる。彼女が読んでいたのは、恋愛小説ばかりだったこと。
そして、ぼくのことをずっと見ていたことも。
へれなは、手にしていたノートをぎゅっと握りしめていた。
そのノートには、ぼくの好きなもの、嫌いなもの、口癖、歩く速さ、好きな本――全部、書いてある。
彼女が、どれだけぼくを見ていたか、ぼくは知っていた。
でも、それを知ったとき、正直ちょっとだけ怖くて、でも……少しだけ嬉しかった。
「でみは、わたしのこと……見てくれてたと思ってたのに……」
へれながそう呟いたとき、ぼくは言葉を返せなかった。
彼女の瞳が、今にも涙であふれそうだったから。
でも、へれなは泣かなかった。
制服のスカートをぎゅっと握りしめて、教室を飛び出していった。
その背中を、ひろが追いかける。
「へれな! 待って!」
ひろは、ぼくの親友で、筋肉と友情に生きる熱血男子。
へれなに片思いしていることは、ぼくも知っていた。
でも、彼はいつもへれなの気持ちを尊重していた。
だからこそ、今、彼女の背中を追いかけたんだと思う。
「でみを追いかけるのか?」
ひろの問いに、へれなは少しだけうなずいた。
「……わたし、でみのことが好き。ずっと、ずっと好きだった。だから、行く。行って、ちゃんと伝えるの。魔法とか、婚約とか、そんなの関係ない。わたしの気持ちは、本物だから」
その言葉を聞いたとき、ぼくの胸が少しだけ痛んだ。
へれなの気持ちを、ちゃんと受け止めていなかったことに、気づいたから。
ひろはしばらく黙っていたけど、やがて少しだけ笑って言った。
「じゃあ、俺も行くよ。でみのことも、へれなのことも、ちゃんと見届けたいから」
へれなは驚いた顔をしたけど、すぐに笑った。
その笑顔は、少しだけ泣きそうで、でも確かに強かった。
こうして、ふたりはぼくを追って、まなつの森へ向かった。
恋の矢印が、さらにぐるぐると暴れ出す予感を抱えながら――。