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第7話 エリーゼ=アルセリアの過去

  エリーゼ=アルセリアの過去──冷たい館で


 アルセリア侯爵家。

 それは、王国で現アルゼリア侯爵の時に、伯爵家から侯爵へと昇爵している。

 代々王家に忠誠を誓い、地位と富と名声を築き上げてきた名家。その一族に生まれたことを、幼いころのエリーゼは心から誇りに思っていた。


 ──だが。


 エリーゼにとって、その誇りは次第に、重く冷たい鎖へと変わっていった。


**


「……エリーゼ、どうしてそんな泥だらけになっているの? みっともないわね」

「す、すみません、姉様……」


 幼い日、庭園で遊んでいたときのことだ。

 美しい姉カリーナが、白いレースのドレスを汚したエリーゼを見下ろして、軽蔑を隠さずに吐き捨てた。


 カリーナは、アルセリア家の誇りだった。

 誰もが見惚れるような金髪碧眼、美貌、賢さ、そして気品。

 両親はカリーナを溺愛し、あらゆるものを与えた。

 ドレスも、宝石も、馬車も、家庭教師も──。


 一方、エリーゼは……その陰に追いやられた。

 与えられるのは、カリーナのおさがりの服。

 読み古された本。傷だらけの小物。

 何をするにも、「カリーナ様の邪魔をするな」「お前は控えめにしていろ」と言われ続けた。


 けれど、エリーゼはそれでも必死に、認めてもらおうと努力した。

 勉学に励み、礼儀作法を学び、舞踏会ではぎこちないながらも微笑みを絶やさなかった。

 父や母に褒められたくて、ただそれだけのために。


**


「エリーゼ、お前は来なくていい。今日はカリーナの晴れ舞台だからな」

「……はい、父上」


 初めての大舞踏会の日、そう告げられたときの、胸の奥を締めつけられるような痛みを、エリーゼは今でも覚えている。


 冷たい石畳の廊下に一人座り、遠く響く音楽と笑い声を聞きながら、膝を抱えて震えていた夜。

 誰にも、気づかれないように。

 誰にも、見つからないように。


「エリーゼ、お姉様にお茶を運びなさい」

「エリーゼ、今すぐ庭の掃除をしておきなさい」


 召使いのように使われる日々。

 それでも、カリーナの笑顔のために、両親に褒められるためにと、エリーゼは逆らうことなく従った。


 だが、何をしても、誰もエリーゼに優しい言葉をかけてはくれなかった。

 時には、カリーナがわざとエリーゼの失敗を大げさに告げ口し、母親が平手打ちをすることさえあった。


**


「どうしてあなたは、いつもカリーナの足を引っ張るの? 恥ずかしい子」

「……すみません……母上」


 その言葉が、どれほど心をえぐったか。

 どれほど自尊心を削ったか。

 どれほど、泣きたくても泣けない夜を過ごしたか。


 エリーゼには、もう分からなかった。


**


 それでも。

 まだ小さかったエリーゼは、信じていた。


「いつか、ちゃんと見てもらえる日が来る」

「いつか、私にも微笑んでくれる日が来る」──と。


 その希望だけを胸に抱きしめ、日々を耐えていた。


 ──そして、数年前。


 エリーゼに婚約の話が持ち上がった。

 相手は王家の第一王子、シャルル=レインハルト。


「これでようやく、父上や母上に認めてもらえる」

 エリーゼは、涙が出るほど嬉しかった。

 必死に舞踏の稽古に励み、マナーを磨き、身なりを整えた。


 だが、カリーナは許さなかった。

 嫉妬──それとも、単なる嫌がらせだったのか。

 エリーゼの幸福を、姉は決して許そうとしなかった。


**


「ねえ、エリーゼ。知ってる? シャルル様は、本当は私に一目惚れだったのよ」

「……そんな、はず……」

「嘘じゃないわ。だって、私たち、今でも文をやり取りしているもの」


 微笑みながら、毒を盛るように。

 カリーナは幾度となく、エリーゼの心に傷を刻みつけた。


 舞踏会では、わざとエリーゼのドレスに飲み物をこぼす。

 王子の前では、エリーゼを悪者に仕立て上げるような言動を繰り返す。

 小さな積み重ねが、次第に王子の心を蝕み、エリーゼへの信頼を削っていった。


 エリーゼは、耐えた。

 必死に、信じた。

 けれど──


 それら全てが、無駄だったのだと、

 今、エリーゼは知った。


**


 冷たい石畳の広間。

 嘲るような姉の笑み。

 顔を背ける両親。

 ──そして、婚約破棄と国外追放。


 すべては、初めから決まっていたのだ。


「……私、は……」


 エリーゼの中で、何かが静かに壊れていった。


 この世界で、自分に味方してくれる者などいない。

 この家に生まれたことすら、間違いだったのかもしれない。


 涙は、出なかった。

 泣く価値すら、失っていた。


 エリーゼはただ、兵士たちに引きずられるようにして、王宮を後にした。

 ──誇り高きアルセリア家の、捨てられた娘として。

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