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第5話 アルセリア侯爵から見た追放劇

  アルセリア侯爵視点 ――「父が選んだ沈黙」


 あの日、王宮の広間は、やけに静かだった。


 赤絨毯に覆われた白亜の大理石の床。燭台(しょくだい)の灯りが壁を照らし、まるで舞台装置のように整えられた玉座の間。私は、その空間の中で、ひとり沈黙を守っていた。


 玉座の前に(ひざまず)く少女──エリーゼ。私の娘だ。……いや、違う。私にとって、何より大切な、罪滅ぼしの証そのものだった。


 あの子は、私が犯した罪の結晶だ。


 隣国・フリューゲルの王女との政略の果てに生まれた命。あれは王命だった。王女を我が国に繋ぎ止めるため、形だけでも「愛」を演じねばならなかった。そう言い聞かせていた。だが、気づけば私は、本当に王女を愛していた。


 そしてエリーゼが生まれた。私の過ちであり、贖罪(しょくざい)であり、誇りでもあった。──だが、その代償に、私は王女を失った。


 正式な婚姻関係を結ばぬまま亡くなった王女。その死に不審を抱いたことはある。医師は「産後の体調悪化」と診断したが、あれほど元気だった王女が、わずか数週間で命を落とすなど、今にして思えば不自然だった。


 けれど、真実を暴こうとは思わなかった。いや、思えなかった。既に私は侯爵位を授かり、王からも爵位と領地の恩賞を与えられていた。全てを壊すには、あまりに多くを背負いすぎていたのだ。


 その代わり、私はエリーゼにすべてを注いだ。


 カリーナにも、もちろん愛情は注いだ。だが、エリーゼに向ける感情は、父としてのそれだけではなかった。罪悪感と、後悔と、王女への誓い。そのすべてを背負わせてしまった。


 妻は黙って受け入れた。表面上は。だが彼女の視線は冷たく、娘に向けられる微笑みは、作り物のように歪んでいた。


 ──それでも、私は見て見ぬふりをした。


 エリーゼは、よく笑う子だった。気丈で、努力家で、誰よりも優しく。母から冷遇されても、姉から疎まれても、決して恨むことなく、まっすぐに成長してくれた。


 だからこそ、この日が来たとき──私は、何も言えなかった。


「エリーゼ=アルセリア。貴様との婚約は、ここに破棄する」


 王子の言葉が広間に響いた瞬間、エリーゼの肩が震えたのを見た。だが、私は立ち上がらなかった。目を逸らした。妻が、カリーナが、王子が、私に向ける無言の圧力の中で、私は立ち上がることができなかった。


「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」


 くだらぬ理由だった。事実無根であることはわかっていた。エリーゼがそんなことをするはずがない。だが、すでに状況は動いていた。王子はカリーナを選び、腹には王子の子が宿っているという。ここで異を唱えれば、私の地位も、家も、娘もすべてが終わる。


 いや、それは言い訳だ。ただ、私は──怖かったのだ。


 かつて、王の命に逆らえなかった自分と同じように、今度は王子に逆らうことができなかった。


 私は父親である前に、侯爵だった。家の長として、家名と領地を守る責務を選んだ。


「私は、姉様にも王家にも……そんなこと……していません……!」


 涙ながらに訴える声が、胸を刺した。立ち上がりたかった。否定したかった。だが──できなかった。


「国外追放を命じる」


 その言葉とともに、私の娘は「罪人」として縛られ、連れて行かれた。泣き叫ぶでもなく、罵る(ののし)でもなく、ただ静かに、誇り高く。

 

──まるで、本当の王女のように。


 扉が閉じる。その音が、やけに遠くに響いた。


 静まり返った広間。誰も何も言わなかった。カリーナは勝ち誇ったように王子に寄り添い、妻は満足げな表情を浮かべていた。


 そして私は、ただそこに座っていた。


 あの日、私はエリーゼの父であることをやめたのだ。


 夜。屋敷に戻った私は、ひとり書斎にこもった。


 エリーゼの幼い頃の絵が机の隅に置かれていた。私に向かって笑う、小さな少女。今でも覚えている。初めて「父上」と呼ばれた日のことを。


 その声が、もう聞けない。


 私は、父として、最も大切なものを守れなかった。


 侯爵家は守った。地位も、名誉も、跡継ぎも。


 ──だが、魂はとうに失っていたのだ。


 あれから何度も夢を見る。


 誇り高く王宮を去っていくエリーゼの背中。誰よりも美しく、誰よりも遠い。


 私は一生、あの子に顔向けできぬまま、墓に入るのだろう。


 けれど──願わくば。


 いつか、あの子がもう一度、笑える日が来ることを。


 そしてそのとき、どうか私のことなど、完全に忘れていてくれ。


 ……それが、私にできる唯一の「償い(つぐない)」なのだから。









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