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第4話 アルセリア侯爵夫人アントワーヌの回想

 アルセリア侯爵夫人視点 ――「あの子が消えた日」


 あの日の王宮広間は、まるで冬の夜のように冷たかった。


 燭台(しょくだい)の光に照らされた白亜の壁、紅の絨毯(じゅうたん)、その中心に跪く(ひざまずく)一人の少女──エリーゼ。その姿を見下ろすたび、胸の奥に沸き上がる感情は、憐れみなどではなかった。むしろ、あの子がとうとう"消える"日が来たことに、私は心の底でほっとしていたのだ。


 エリーゼ=アルセリア。あの子は、私の夫と隣国の王女との間に生まれた子だった。


 私は決して忘れない。夫が「政略の一環だ」と言って、わが国を訪問していた強大フリューゲル国の王女と夫が恋に落ちたのだ。

 それは国王からの命令であり、策略だったと説明された。隣国の姫を人質のように我が国に滞在させることができれば、あわよくば嫁がせれば、この国の防衛上、安全であると。

 そこから王女と私の人生は狂い始めたのだ。

 わたしは夫と王女が恋仲になると、邪魔者扱いされた。

 一時的な策略だ。もしこれが上手くいったら我が家は伯爵家から侯爵家へと、さらに、領地も増やしてくれると国王と約束を取り付けた。

 一時的に、領地に戻っていてくれ。必ず迎えをよこす。しばらくの間、我慢してくれ。君を愛しているよ。そう言われ、わたしは赤子だった娘と一緒にしぶしぶ領地への引きこもった。


 悔しかった。王女も夫も許せなかった。その後は、私は暗躍した。エリーゼの母は、病死などではなかった。──私が、手を回したのだ。


 あの女が王女というだけで、私の夫に特別な感情を持たれていたことが耐えられなかった。産後の弱った身体に、十分な休息も医術も与えられないよう取り計らった。直接手を下したわけではない。だが、あの女が長く生きられないように仕向けたのは確かだ。


 それでも、あの子は残った。エリーゼという名で、堂々とアルセリア侯爵家の娘として育てられた。侯爵は彼女に深い愛情を注いだ。まるで罪滅ぼしのように。私はそれを、耐え難い屈辱と感じた。


 けれど、私は貴族の女。表向きには慈母を演じ、彼女に上等な教育と衣服を与えた。娘として恥じぬように育てた。だがその瞳を見るたび、胸の奥に渦巻く黒い感情は募っていった。


 ──なぜ、あの子ばかりが愛されるのか。


 カリーナは、私の娘。正当な、誰から見ても非の打ちどころのない令嬢として育ててきた。なのに侯爵は、エリーゼにだけ優しかった。あの子の髪がふわりと揺れるたび、あの女の姿がちらついた。あの微笑み。あの声。──あの忌々しい記憶。


 だから私は、機を待った。エリーゼがその立場を失う日を。


 シャルル王子が、カリーナに目を向けたとき、私は確信した。これは運命なのだと。あの子が消えるべき日が、ついに来たのだと。


 カリーナは幼いころから私に似て、策略に長けていた。何を言えば人の心を動かせるか、どんな涙を流せば男が従うか──すべて教え込んだ。シャルルのような単純な男なら、操るのは造作もなかった。


「王子、姉が私にひどいことを……」


 そう耳打ちしただけで、彼は即座に信じた。何の証拠もなく、それでも王子は、カリーナの涙を真実だと受け止めた。そして、王子の子を身籠った。計画は完璧だった。


 婚約破棄と国外追放。


 誰もエリーゼをかばわなかった。侯爵ですら──いいえ、あの人はただ黙っていた。もはや彼女を守る術がないことを悟っていたのだろう。あるいは、私がその耳元で囁いた言葉を信じたのかもしれない。


「カリーナのお腹には王子の子がいます。だから、いずれあなたの孫が国王ですよ」


 広間の片隅から、その場面を眺めながら、私は心の中でささやいた。


 ──さようなら、エリーゼ。


 お前は、この家に生まれるべき存在ではなかった。お前の母もまた、手に入れるべき幸福ではなかった。私はそれを正しただけ。何が悪いのかなどと、今さら問う気もない。


 ただ一つ、言えることがある。


 私がこの手で守ったのは、私の地位であり、私の娘であり──私の誇りなのだ。


 あの子が消えたあの日、私はようやく息ができるような気がした。


 けれど。


 ──それでも、エリーゼは振り返らなかった。


 拘束されながらも、あの子は泣き叫ばず、罵らず(ののしらず)、ただ黙って、毅然と王宮を去っていった。


 まるで、誰よりも誇り高い王女のように。


 ……それが、少しだけ、癪に障った(しゃくにさわった)

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