3. ウィリアム襲来
部屋の中には、お父様と弟のディートリッヒ、そして私と同じくらいの歳の女の子・・・のようにしか見えない男の子がいた。
顔はルべウス小父様に全く似ていないが、雰囲気がどことなく似ている。
ルべウス小父様と同じ、ルビーのような深紅の瞳は美しく神秘的な光を讃えていて、秘められた激情を感じさせる。まるですべてを焼き尽くす炎のようだ。肌は白く滑らかな陶器のようで、夜露のような射干玉の髪は緩く1つにまとめられ、肩から垂れている。彼の持つ雰囲気と相まってツンっとした鼻筋は少々傲慢さを感じさせるが、はっきり言って物凄く可愛い。
瞳の色や、髪の色、眉の形など、パーツごとではルべウス小父様に似ているのだが、全すべてを合わせるとあまり似ていない。
ルべウス小父様はどちらかというと色男という言葉が似合う。こんなに儚げな女の子のような顔ではない。
私たちが入室するとお父様はにこやかに迎え入れてくれたが、ディートリッヒは目に見えて安堵の表情になった。
「ウィリアム様、私の娘たちを紹介させて下さい。」
お父様ががそういうと、ウィリアムと呼ばれた男の子がちらりとこちらに視線を向けた。
そしてそのままじっと私を見つめ続ける。
「あなたが、アイリス嬢か?」
「・・・・・。」
「あなたが、アイリス嬢か?」
「・・・・・。」
彼の声のあまりの可憐さに思わず呆けてしまうと、ウィリアム様は怪訝な顔をしながらもう一度同じ言葉を繰り返した。
それでも、私が何も言えずにいるとウイリアム様には見えない角度でお姉様に袖を引っ張られた。
私はようやく我に返り、慌てて口を開いた。
「申し訳ございません。あまりにお美しい声でしたので聴き惚れてしまいました。仰る通り、私がアイリス・ブラウンです。お初にお目にかかります。」
私は表情を取り繕いながら、授業で学んだ通りのカーテシーをした。家族以外に披露するのはこれが初めてだがうまくできただろうか。
「私も、ご挨拶させてくださいませ。アイリスの姉のキャサリンでございます。」
私に続いて姉も挨拶をしたが、ウイリアム様はお姉様には一瞥もしなかった。なんて無礼なのだろう。
ウィリアム様はいきなり立ち上がると素早く私に近づいてきた。その行動を見てヴァーリとトールが私を背に隠すように前に出ると。双方、真正面から睨み合う形になった。
「どけ。」
「その御命令には従いかねます。」
「もう一度言う、どけ。」
「出来かねます。」
ひんやりとしたウィリアム様の声と突き刺すような瞳を意にも介さず、ヴァーリがあっさりと要求を拒否する。お父様の大事なお客様に向かって失礼ではないかと心配になり、ちらりとお父様を覗き見る。すると、それに気づいたお父様は彼らをチラリと見て心配ないとでもいうかのように私に視線を移し、先ほどまでの笑顔に戻った。それどころか優雅に紅茶を飲み始めた。本当にいいのだろうか......。
「貴様、誰に向かって物を言っているかわかっているのか?」
「お嬢様にさえ名乗られていない方のお名前など存じませんね。」
「そうか、では改めて。私はウィリアム・ルべウスである。そなたの言うように名乗ったぞ、そこをどけ。」
「出来かねます。」
ウィリアム様の額に青筋が浮かんだ。
「何故だ⁉」
「私はお嬢様の護衛ですので。」
「少し話をするだけだ。」
「でしたらこのままどうぞ。」
「きっ、さまぁ!」
遂に我慢ならなくなったのかウィリアム様の頬にさっと朱が散り、一気に眉がつり上がる。
しかし、端からは幼い女の子が年上の青年に向かって癇癪を起しているようにしか見えず、実に微笑ましい。お父様とお姉様もニコニコと様子を見守っているだけで何も口を挟まない。唯一、ディートリッヒだけは顔を青ざめさせて止めに入りたいけどできないというように苦しそうな顔をしている。
将来、父の跡を継ぎ帝国中に名を轟かせるブラウン商会の会長になるのだから、もっとどっしりと構えてほしいと思う反面、今の私には彼の気持ちが痛いほどよくわかる。
幸いなことにウィリアム様も分別はあるのかプルプル震えるだけで手は出してこない。
ヴァーリはウィリアム様の怒りなどどこ吹く風と言った様子で全く気にしておらず、トールは静かに事の成り行きを見守っている。
この状況を何とかできるのはヴァーリの主である私しかいない。
仕方がないので仲裁するためにおずおずと口を開いた。
「ヴァーリ、トール。大丈夫だから下がりなさい。」
私がそういうと彼らはすっと私のすぐ後ろに下がった。
ウィリアム様が私に何かしようものならすぐに抑え込めるように。
「ウィリアム様、私の護衛が失礼いたしました。しかし、彼らも己の役目を果たしただけですので何卒ご容赦くださいませ。」
「ふんっ、わかっている。私はただ・・・、いや、いい。気にするな。」
そういってウィリアム様はプイっとそっぽを向いてしまわれた。
可愛い。
正直、貴族としてはあり得ない行動だがまだ10歳だと考えると仕方がないだろう。
それに、ルべウス家のご子息だというのならばこの態度でも許されるのだ。
「改めて確認させていただきたいのですが、ウィリアム様のお父様はルべウス小父様......オブシウス様ということでよろしいでしょうか?」
「半分正解で半分外れだ。」
「と、おっしゃいますと??」
「私の父はアルバート・ルべウス、オブシウス・ルべウスの弟だ。子供のいないオブシウス小父上に少し前に養子に出されたのだ。」
「え......。オブシウス小父様にはご子息が1人いて、ご息女の出産の際に奥方共々なくされたのでは......?」
「もともと、伯父上はあの女を妻と認めていなかった。その娘も本当に伯父上の子供かどうか・・・。まぁ、実際の内情なぞ周囲の人間に都合がいいように面白おかしく尾ひれがついて広がっていくものだ。貴女もブラウン家の令嬢ならこのくらいのことご存じだろう。とにかく、あの女が死にんだことで利益を求めた分家どもやご隠居辺りから後妻を押し付けられそうになった伯父上が急いで私を養子に迎えたのだ。まったく、公爵家の地位に群がるクズどもめ。」
「公爵家.....?」
「ああ。」
「ウィリアム様が?」
「そうだ。知らなかったのか?」
「オブシウス様が公爵様ということでしょうか?」
「私の養父だからな。」
私はあまりの衝撃に眩暈を感じた。
もし本当にオブシウス小父様がルべウス公爵というなら、毎年建国祭の時にうちに来るなんてどうかしている。建国祭では国内の貴族が一堂に会して皇帝に拝謁しなければならず、都には有力な貴族や学者、地方の権力者などが一堂に会する。基本的に帝都を簡単には離れられない都の貴族にとって、各地の情報を集められるこの時期はとても貴重なはずだ。
「私もいまだに何の冗談だと思うが、間違いなく伯父上がルべウス家の当主だ。ほとんどの仕事を名代の父上に押し付けて遊びまわっているがな。」
私は唖然として二の句が継げなかった。
視界の端でトールがピクリと動いたかと思うといきなり、背後から誰かに抱きしめられた。
「きゃっ!」
「ウィリアム、これほど世話をしてやっているにもかかわらず、リアに私のことをそんな風に話すとは感心しないな。実に残念だよ、罰として君は今すぐ帰ってルシウスの手伝いだ。」
「この声は、ルべウス小父様ですね!」
「正解だよ!リア。」
「もうっ、いきなり背後から抱きしめないでください。すごく驚いたんですから。」
「ふふっ。」
ルべウス小父様が耳元で話すので少しくすぐったい。
私はくるりと体を回すと改めてルべウス小父様に抱き着いた。
「ルべウス小父様、遅いですよ。」
私が非難の思いを込めてルべウス小父様の胸元で頭をぐりぐりすると、小父様は蕩けるように破顔して私の頭を撫でてくれた。
その様子をみて、ウィリアム様は思いっきり顔を引きつらせる。
「リア、会いたかったよ。私の愚息がすまなかったね。誰に似たのかどうにも忍耐が足りない。約束した時間通り来ないと迷惑だろう?」
「遅刻常習犯の養父上にだけは言われたくありませんね。それに父上はいつもいつも執務から逃げ出しているではありませんか。本気でやれば人の5分の1の時間で終わるのに。そして、そのしわ寄せが私の父上や公爵家の文官たちに来るのです。少しは彼らの献身に報いたらどうですか?まずは、アレキサンドル帝国公爵家当主としての気品と慎みを思い出すところから始めることをお勧めします。いい歳したおじさんが背後から女の子抱きしめてにやけてる姿が非常に気持ち悪く見苦しいです。」
ウィリアム様が絶対零度の瞳で小父様を睨みつける。
私や他に被害が出ないように配慮しているが、先ほどから魔法で氷の礫が小父様の手や足や顔を狙って飛んできている。
勿論、小父さんはそれをすべて熱で相殺して歯牙にもかけていない。
なんとなく湿気が増えたかなと感じると、心地よい風が吹いて空気中の水分を飛ばしてくれる。
これぞ能力の無駄使いだ。
「父上は、当主は養父上なのだから好きにさせておけと言って甘やかしすぎなのです。養父上が家督を継いでから一度も国の正式行事に出席していないではありませんか。何くれと理由をつけて名代である父上を行かせてばかりで。だから、養父上がうつつを抜かしている女性がいるというブラウン商会を探るために養父上より先に来たのです。それなのに、その女性が私とそう歳も変わらぬ少女だったなんて......。伯父上は恥というものを知らないのですか?」
「ん~。なら今すぐお前が家督を継ぐか?あまりお勧めしないが、こんな地位いくらでも譲ってやるぞ。」
小父様がいつも通り優雅に微笑みながらとんでもないことを言う。ウィリアム様はあまりの言い草に眉間を吊り上げた。
「なんてことをおっしゃるんですか!大体、あなたはいつもいつも。」
「小父様、小父様、毎年建国祭の日に私に会いに来てくれるのは嬉けれど、お仕事はしなくてはいけないわ。その、私が口を出すべきことではないかもしれないのだけれど・・・・・。」
ウィリアム様から怒りで魔力があふれ出てきていたため慌てて口を挟む。
「リアは困った顔をしても愛らしいな。これからのもっともっと美しく成長していくんだろうね。けどね、僕がここに通っていることはルシウスも賛成しているだよ。だから大丈夫だ。まぁ、本当はルシウス自身が来たがっているけどね。」
ルべウス小父様はそう言って私の頭を撫でた。私はルシウス小父様という方に会った覚えがないので不思議に思いそのことを訪ねようとしたが、ちょうどいいころ合いと見たのか父が話し出したので聞くことはかなわなかった。
「ようこそおいで下さいました、ルべウス様。お出迎えができず申し訳ございません。」
「構わない。座ったままで結構。私が玄関を通らないのはいつものことだろう?気にするな。」
私はそっと心の中でつぶやいた。・・・小父様、少しは気にしてください。
「そういっていただけると有難い限りでございます。少々予定とは異なりますが、もしルべウス様のご都合がよろしければこの後、アイリスに魔法の指南をしてはくださりませんでしょうか?ルべウス様がいらっしゃる時でないとなかなか魔法の練習はさせてあげられませんから。」
お父様、素晴らしい提案だわ、私が期待を込めて見上げると、オブシウス小父様は笑顔で了承してくれた。
「もちろん、構わないとも。もともとそのつもりだったからな。ではウィリアム、其方はもう帰りなさい。どうせ、私がうつつを抜かしている相手の調査なんていいつつも、リアに会いたかっただけだろう?其方、この前私の寝室に潜り込んであれを盗み見ていたものな。」
ルべウス小父様がそういいながら私から離れ、ウィリアム様を促す。
「なっ、何のことでしょうか...?」
「馬鹿者、表情に出過ぎだ。そのような有様では古狸どもに足元を掬われるぞ。」
「....。以後、注意します。」
「ふんっ。それから其方が私のコレクションをこっそり持ち去ってニマニマと気持ち悪い顔で度々見ていることも知っている。顔の造形は私にもルシウスにも全く似ていないのに、そういうところばかり受け継いでいて誠に残念だ。」
「うわわわわわ!やめて下さい、私はそんなことしていませんっ!」
「嘘だな、チェストの隠し棚に大切に保管して毎晩寝る前や、何か気に入らないことがある旅に独り言を言いながらもうs...」
「わ、わかりました!帰ります、帰って父上を手伝えばよいのでしょう!?」
「わかれば結構、最初から素直にそう返事をすればよかったのだ。そして、ここには私が許可するまで近づいてはならない。リアにもだ。」
「それはあまりにも理不尽ではありませんか!」
「ウィリアム、返事は?」
先程までとは違い、オブシウス小父様が真剣に問いかける。
「・・・・・・。」
「返事は?」
「承知いたしました。帰って父上の執務の手伝いをします。」
「大変結構。」
遂にウィリアム様が折れた。
なんだかんだ言ってもウィリアム様はオブシウス小父様にさからえないようだ。
ウィリアム様は先ほどの小父様の発言が余程恥ずかしかったのか、私と目を合わせないままぼそりとつぶやいた。
「リア、スコラーで待ってる。」
「あぁ、そうだな。お前ももうスコラーに入学したのだから寂しくとも養父と一緒に寝る歳ではないだろう。気持ち悪いので私の寝室への出入りを禁じる。」
「ち、ちがっ、あれは不可抗力でリアの写真が見えたから・・・。」
「いいから無駄口を叩かずさっさと帰りなさい。」
これ以上何か言われてはたまらないと、ウィリアム様はお父様たちには目もくれず一目散に帰っていった。
「お、お見送りいたしますっ!」
ルートヴィッヒだけはこの空間から逃げ出すようにウィリアム様についていった。
どうやらかれは公爵家長男にも関わらず、護衛も側仕えも連れずに来たらしい。
ルべウス小父様もいつも1人で身軽にやってくるが、この国の公爵家はいったいどうなっているのだろうか。
「やれやれ、10歳の割にかなり大人びているせいか、ああいう子供らしい姿を見ると安心するな。ブラウン、キャサリン嬢、愚息がいきなり押しかけてすまなかった。先ほどの会話の通り、私からの連絡なくウィリアムが訪ねてきた場合、速やかに追い払ってくれ。私が許可しよう。平民相手に魔法を使うほど愚かではないし、何よりもう来ないとは思うが。」
「かしこまりました、ルべウス様。して、本日の昼食はいかがされますか?」
「リアと一緒に食べたいところだが、生憎、ウィリアムのせいでこちらの予定まで狂ってしまったからリアに魔法を教えたら帰るよ。まったく、誰に似たのやら。」
「あら、自分の意のまま気の向くまま行動するところはルべウス小父様そっくりじゃないかしら?どうせ小父様の突然の予定変更になれている側近たちは、文句を言いつつきちんと対応してくれますよ。それに、帰ると言いつつ、いつも通りサッピールス様のところに行くのでしょう?お見通しですよ。」
「はははは、リアには隠し事ができないな。」
小父様が、そんなところも愛らしいと私の頬を撫でる。
小父様のことなら、小父様がいきなり思いつく突飛な発想以外は、なんだってわかるつもりだ。
「では、いつもの森に行きましょう!私、待ちきれないの。」
「あぁ、もちろんだよ。私の小さな姫。」