2.建国祭の朝
「いやー!お母さまぁぁぁッ‼」
「アイリス様ッ‼」
必死に手を伸ばすと誰かが私の手を掴んだ。
はっと目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込んでいるトールの顔があった。
「トール......。」
「悪い夢でも見ましたか?」
私がこくりと頷くと、トールは何も言わずそっと私の頭を撫でてくれた。
ここ最近、私は何度も同じ夢を見る。私は生まれも育ちも、アレキサンドル帝国で父は一代で富を築上げたやり手の大商人だ。母も健在で、頼りになる姉と、商会の跡取りである優秀な弟もいる。母の子供は私たち3人だけだが、父には母の他に愛妾が3人いて、私は直接顔を合わせたことはないが、さらに4人兄妹がいるらしい。
夢の中の私は「リリアム」と呼ばれていて、知らない美しい女性をお母様と呼んでいる。
夢に出てくるヴァーリやトールに何度このことを話しても、毎回決まって、私は間違いなく商人である父と母の子供だと言われ、小説の読み過ぎだと諭される。
私はトールの手のぬくもりと見慣れた藤色の瞳に安堵すると同時に、全身汗だくになっていることに気づき、だんだん気持ち悪くなってきた。
「トール、着替えたいからアンナを呼んでくれる?」
「わかりました。」
トールはすぐさま部屋を出てアンナと数人のメイドを連れてきてくれた。私はアンナとエミリーとマリーを連れ、衝立の向こうで着替え始める。
「お嬢様、本日は建国祭でございます。朝食後、いつも通り歌、マナー、ダンスの練習を行っていただきます。昼食はお客様がお見えになるので旦那様と共にお取りください。そして、午後からはマキシーネ夫人より歴史と算術講義がございます。すべて終えられ、お嬢様がご希望されればヴァーリ様とトール様を警護につけて建国祭を見に行っても良いと旦那様から許可を得ております。」
アンナが私を着替えさせながら今日の予定を伝える。
「まぁ!そのお客様はというのは、ルベウス小父様ではなくて?毎年、建国祭の日は私に会いに来てくださるもの!」
「左様でございます。」
「今日も魔法を見ていただけるかしら?」
「魔法の授業についてはルべウス様のお時間次第ですが、恐らく問題はないと思われます。また、本日はルべウス様のご子息もいらっしゃるそうです。旦那様から、くれぐれも失礼のないようにとのことです。」
ルべウス様はお父様に目をかけてくださっていている貴族の方だ。わたしにとっては当たり前のことになってしまっているが、アンナたちの話によると高位貴族が大事な建国祭の日に、たかが一商人の娘に会いに来るなんてありえないらしい。
このアレキサンドル帝国は、皇帝の直轄領と、7つの公爵領、その他の中小領地からできている。その中でもサマラグダス公家、ルべウス公家は建国時から皇帝の両翼と呼ばれ、絶大な力を誇っている。アレキサンドル初代皇帝はアレキサンドライトと同じ特性を持つ美しい瞳を有していたらしい。宝石の王様たるアレキサンドライトは神秘的な輝きを持ち、昼と夜で色を変え、「昼のエメラルド、夜のルビー」と呼ばれている。今のアレキサンドル帝国の皇族は緑か赤の瞳で、初代の特性は受け継いでいないらしい。そのため、直系は必ず緑の瞳になるサマラグダス王家、同じく直系は必ず赤い瞳になるルべウス王家、そして国教であるシュムック教の教会は今の皇帝を皇帝と認めていない。
小父様もルビーのような赤く美しい瞳をしており、ルべウスの性を名乗っていることから、ルべウス公家に連なる方だろう。
さすがに、建国祭当日にたかが商人の娘にほいほい会いに来るような方なので、名門ルべウスとはいえかなりの傍系だと思われるけど。
「まぁ!ルべウス小父様って結婚していらしたの!?しかもご子息までいらっしゃったなんて信じられないわ!確かに、年齢を考えると全くおかしな話ではないのだけれど......、正直、あの性格なら奥様は相当困っているのではないかしら?」
ルべウス小父様はとても優しくて、私の知る中で最高の魔法使いだ。だけど、物凄く変な人なのよね......。まさか、ルべウス小父様が子持ちだったとは思ってもみなかったわ。
皇室・公家の直系は必ず魔法が使える。多くはないがそれらの家の傍系からも一定数、魔法が使える者が生まれるらしい。また、本当にごく稀に平民にも偶発的に生まれてくることがある。私はそのまれな平民の魔法使いだ。基本的に魔法使いが生まれた場合、魔法管理院に届け出をして、登録しなければならない。これに登録することにより、国からの庇護が得られ、スコラーに通い魔法を制御する術を学ぶ権利が与えられる。
しかし、平民の魔法使いなんて大抵は貴族からは疎まれるか都合よく利用される存在なので、ほとんどの場合は国から庇護を受けていても、貴族の後見がなければスコラーに入学する前に魔力を暴走させられ、弾圧されるか、奴隷に落とされるかだ。
「ルべウス様の奥様は既に他界されているそうです。第二子をお産みになられた際にお子様ともども......。」
「そうだったのね。それは、さぞ小父様もお辛かったことでしょう。」
小父様はあまり自身のことを私に話したがらないから知らなかった。
しんみりとした空気が漂う中、扉をノックする音が響いた。
トールが扉に近づき、対応する音が聞こえる。
私もちょうど身支度を終えたので、衝立からアンナだけを連れて出る。
「何かあったの?」
私が声をかけると困惑した顔でトールが振り向いた。
「どうやら、ルべウス様のご子息がもう到着なされたようです。応接室で現在旦那様が対応なされています。」
「え!?もういらしたの??お約束は午後からよね?まだ私、朝食も終えていないのだけど......。」
アンナもトールの言葉に表情を険しくさせた。
「ひとまず、アイリス様は旦那様がご対応されているうちに、お部屋で朝食をお取りください。エミリー、すぐに朝食の用意を。非常識な行動でもお貴族様が相手ですから失礼のないように、何とかするしかございません。」
アンナの指示を受け、エミリーは足早に部屋を出ていった。
全く、困ったものだわ。けれど、あのルべウス小父様の息子なら仕方がないわね。さすがに、今の小父様がここまで非常識な行動をとることはないでしょうけど、小父様も昔はかなりの問題児だったらしいもの。前に、小父様の側仕えがこっそりと教えてくれた。
「アンナ、予定が多きく変わってしまうでしょう?アンナも言っていたようにいくら突然で、困ったお客様だとは言え、ルデウス様のご子息だもの。優先しないわけにはいかないわ。」
「ええ、お嬢様。諸々の調整の為、給仕をエミリーに任せ、お嬢様がお食事を召されている間に少々席を外してもよろしいでしょうか?」
「ええ、許可するわ。アンナだけでは手が足りないでしょう。マリーを付けます。」
「ありがとうございます。そろそろ、ヴァーリ様もいらっしゃるはずです。」
「わかったわ。」
しばらくすると、エミリーが戻ってきて私は手早く朝食を食べる。朝食を済ませるとヴァーリが来たので、ヴァーリとトールを連れて応接室へ向かう。部屋を出て、階段に向かうと、ちょうど踊り場でキャサリンお姉様と合流した。
「お姉様。おはようございます。」
「おはよう、リス。お客様のことは聞いているでしょう?応接室に急ぎましょう。どう考えてもご子息の目的はあなただもの。早く向かわなければ、お父様が困ってしまうわ。」
私は護衛のトールとヴァーリを連れているが、お姉様が連れているのはメイドのリナだけだ。お父様は魔法が使える私を将来的に貴族と縁づかせるつもりの為、その時に恥ずかしくないように私だけ家の中でも極力貴族らしい暮らしをさせてもらっている。大抵の場合、屋敷内にいる間は護衛にはトールがついていて、街に行ったり、お客様を迎える場合はヴァーリも加わる。ヴァーリが私についていない時に何をしているのかは尋ねても教えてもらえないのでわからない。
ちらりと横目でヴァーリを盗み見る。精悍な顔つきで、実直な騎士の顔だ。トールと同じ藤色の瞳からは強い信念が感じられ、非常に頼りがいがある。
応接室の前に着くころにはアンナとマリーも戻ってきた。
アンナが扉をそっと開け、中に入りお父様に私たちの到着を伝える。
少しもしないうちにお父様がルべウス様のご子息から許可を得て、私たちを部屋に迎え入れる。