1. 託された希望
「探せ!絶対に殺さず捕らえろ!」
「応‼」
男たちの野太い声が暗渠に響き渡る。
震える母に抱かれながら、私はわずかな護衛と共に必死に追手から逃げている。
「もう少しで出口です。」
ヴィーザルの声に、母は私を抱きしめる腕にさらに力を込めた。しばらくすると、整備された石畳の道からゴツゴツした土がむき出しの路へと変わり、生ぬるい風を感じるようになった。
「こちらで、少しお待ちください。伏兵がいないか確認してまいります。」
母は息を切らしながらも、その言葉に頷き、身をかがめた。
「お母様?」
私は不安な気持ちを抑えきれず、母の目を覗き込んだ。
「はぁ......、はぁ......、大丈夫、大丈夫、よ......。あなたのことはこの母が、必ず......、守ります。」
母はそう言うと優しく私の頭を撫でた。
少しして呼吸が落ち着いてくると、母が常に身に着けているモルガナイトのネックレスを外し、逃げている間ずっと握りしめていた指輪をモルガナイトの隣に通し私の首に着けた。
「いいですか、リリアム。これをあなたに授けます。絶対に誰にも話したり、見せたりしてはなりません。母と約束してくれますね?」
これまで私がいくらねだっても与えられなかった宝石が今、私の首にある。
母はこれまで見たことがないほど真剣な表情で私を見つめた。
私が気圧されながらも神妙な顔で頷くのを見て、母はほっと表情を緩め、指輪のついたネックレスを私の服の中に隠した。指輪は母がずっと握っていたせいかほんのり温かかった。
斥候として、出口を調べに行っていたヴィーザルが戻ってきて、母に報告する。
「出口に敵兵はおりません。外は激しい雷雨で危険ですが、夜陰に紛れて逃げるには最適です。」
「わかりました。」
母はその報告に小さく安堵の吐息を漏らし、くっと顔を上げて騎士たちに命令を下した。
「私はここでモージとスルーズと共に敵兵の足止めをします。その間に、ヴィーザルはリリアムが逃亡中に死亡したように見せかける工作を。ヴァーリとトールはアレキサンドル帝国までリリアムへ付き従いなさい。ヴィーザルは工作終了後、アレキサンドル帝国でヴァーリたちと合流。ルベウス公家に庇護を求めなさい。」
「「「はっ!」」」
ヴィーザル、ヴァーリ、トールが了承の意を示した。彼ら兄弟の父は皇国戦士団の団長だ。末の息子にあたるトールまだ幼く私より3つ年上で正確にはまだ騎士ではないらしい。しかし、今日は式典ということで騎士団長の家族枠で参加していた。トールと私は幼馴染で私は彼を実の兄のように慕っている。そのためトールがついてきてくれると聞きほっとした。
「お待ちくださいっ!足止めは我々だけで十分です。皇后様は姫様と共にお逃げください。」
「モージの言う通りですっ!」
モージが血相を変えて抗議した。スルーズもそれに続く。
「あの男は、私には手出しできません。私を害すれば、アレキサンドル帝国への宣戦布告となります。だからこそ、敵は血眼になって私とリリアムを探しているのです。殺さず捕らえるために。あなたたち2人だけに任せるよりも、よりリリアムが逃げる時間が稼げるでしょう。それに、私も敵に捕らえられる気はありません。モージとスルーズがしっかり守ってくれるのでしょう?」
母はいたずらっ子のように笑って2人を見つめる。
モージとスルーズは目配せをした後、仕方ないというように肩を竦めて了承した。
「我らの姫様の頼みですからね。」
「必ずやお守り持ちいたします。」
二人だけは母が幼いころから付き従っており、母の輿入れの際にもついてきたのだ。そのため、母も全幅の信頼を寄せている。
母は二人を見つめて軽く頷いた後、私の方に顔を向けた。
「私の愛するリリアム。あなたの成長を見守ることができなくてごめんなさい。不甲斐ない母でごめんなさい。けれど、これだけは忘れないで。父も母もあなたを心から愛しています。どうか生きて幸せになってちょうだい。ヴァーリの言うことをきちんと聞いて、好き嫌いしないでご飯をしっかり食べるのですよ。アレクサンドル帝国まで行けば、あなたの叔父さんがきっとあなたのことを守ってくれます。すべてが片付いたら迎えにいきます。しばしの別れです。愛しているわ......私たちの希望の子。」
母は涙を堪えるように微笑むと、最後に私を力強く抱きしめてヴァーリに託した。
「ヴァーリ、トール、リリアムを任せます。必ず、守り抜きなさい。」
「「はっ。」」
私はその時、母が言っていることも、今の状況も半分も理解できていなかったと思う。
ただただ私は母と引き離されることに強い不安と焦りを感じて、母に向かって思い切り腕を伸ばした。
「いや、いや、お母さま!」
私は必死にヴァーリの腕から逃れようとするが、がっちりと抑えられていているせいでヴァーリの腕から全く抜け出せない。
「離して!ヴァーリッ‼お母さまが、お母さまがッ!」
母はそんな私を見て、片手で私の目を塞ぎ、私の額に口付け魔法で私を眠らせた。
「ソムス・プラシーデ(穏やかに眠れ)。」
意識が遠のいていく中、母と護衛騎士が互いの武運を祈っているのが聞こえた。