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畦道 ー日陰少女の全力疾走ー

作者: 寿甘

 家路に着く道を歩く。

 それは長い、長い畦道。

 「この場所には何もない」。皮肉混じりに呟く俺の横で、彼女は何を思ってるのだろうか。

 「そんなことないよ」なんて言われたら、俺はどんな言葉を返せるだろうか。

 この口で、俺はどんな言葉を語るのだろう?

 その口で、彼女はどんな言葉を語ってくれるのだろうか? 


 

 

 彼は高校を卒業したら都会へ行くと云った。

 それを初めて聞いた時、私は頭が真っ白になったのは覚えている。視覚も聴覚も味覚も嗅覚も触覚も、全てが麻痺したような感覚に襲われた。

 頭の中での疑問や否定は、その日の快晴とはまったく逆に靄が掛かり、思考を停止にさせた。

「そう」

 事務的な声だったと思う。だけど、その一言だけで精一杯だった。いや、精一杯というよりは『それしかなかった』のだ。

 彼に掛ける言葉なんて、それ以外思い当らなかった。

 だってそうじゃないか。私は学校でも無口な方だし、現代文の評価は十点満点中三点だし、小学生の時の成績表には『もっと自分をアピールしろ』と毎年書かれたような人間だし……仕方ない。

 

 何より彼は、何時でもこの町の文句を言っていた。だから、彼が何時かこの町を飛び出すのは漠然ながら感じていたのだ。

 それに私から見ても彼は、こんな田んぼに囲まれて、学校の校庭に猪が出たり、コンビニが二十時に閉まってしまうような田舎町に居るような人間ではないと思う。

 いつでも何処か遠くを見つめ、探究心を煮つめ続け、何というか『心此処に在らず』といった感じの男だったから。

 だから、私は彼がそんな事を言って、多少動揺してしまったものの、直ぐに納得して、それより彼を応援したいと思えた。 

 しかし――。

 しかし寂しくもある。

 彼は高校での数少ない友人の一人だったし、彼のおかげで少なからず他の友人も増え、いつでも私を引っ張って行ってくれたから。

 だから、その手がなくなるのは私の今後の人生には痛手だと感じるし、彼が話す世界情勢の話題を話し半分で聞く時間がポッカリと空いてしまうのは、私の人生の中でそれなりに寂しい事ではある。

 けど、彼が選んだ人生なのだ。それを私のような日陰日和の女が、あれこれ言うのは失礼な事だ。

 だから応援しよう。

 心の底から応援しよう。だから私は一言だけ――。

「頑張って」

 と言った。

 すると、彼は少し沈黙した後に――。

「今以上に頑張れって? 酷な事言うね」

 と笑いながら言った。

 

 彼の言った意味が分からなかった。




 季節は淡々と流れて卒業式。

 校長の話しを話し分子くらいの気持ちで聞き、卒業生代表の挨拶でそれなりに感動して、在校生の歌う『贈る言葉』を聞いて音痴だなと思い、卒業証書を受け取る時に、まず右手から出すのか左手から出すのか? と考えている内に、無事、卒業式は修了した。

 みんなと卒業文集の裏に思い思いの綴りを書いたりして、私、この学校なんだかんだで楽しめてたじゃん。なんて思っていると、彼の姿が見えないのが分かった。

 私は、何の気無しに彼と私の共通の友達に聞いてみると、「明日、出発するから家帰ってすぐに引っ越しの準備をするらしい」とのこと。

 なんて冷たい男だ。

 みんなと別れの言葉を交わし、といっても半分以上が地元の大学に通うとの事なので、さしてそんな重い空気ではなかったのだが、とにかく建前上、別れの言葉を交わして学校から出る。

 帰りの畦道を独りで歩き、いつもより歩調が軽いのを感じた。

 それはそうだろう。いつもは二人分の幅しかなく、整備のされていない道を二人で歩いていたのだ。

 堂々と真ん中を歩き、いつもより十分程早く自分の家に着いた時には、自分がどれだけこの三年間無駄な時間を浪費していたのかを痛感させられた。


 家に着きもう使わない鞄を何時もの癖でベットに放り投げると、携帯が鳴った。

 彼だ。

 いつもの調子で電話に出ると、彼もまたいつもの調子で軽い挨拶を交わす。

「いよっす」

 と彼。

「嫌っす」

 と私。何時もの挨拶だ。

「あんさ。渡したいモノがあるんよ。ちょいと何時もの所、来てくれる?」

「めんどくさいんですけど」

「引っ越し祝いと思って貰ってよ」

「それって逆じゃない?」

「なんかくれるの?」

「生憎、私の家は貧乏なので」

「世知辛い世の中だからな。寄付してやるよ。だから来て」

「……」

「あんがと。んじゃ五分後ね」

 そう言って、彼は電話を切った。

 いつもこの調子だ。私が無口なのをイイ事に彼はいつも無理やりに私を呼び出す。そこだけ聞くと、少し前に女友達と読んだ卑猥な小説のようで……行こう。



 何時もの所。

 あの畦道の事だ。

 私は時間キッカリに畦道に着くと、彼は居た。制服のままで所在なさげに辺りを見回してる姿を見ると、「そんなんで都会でやっていけるのか」と思ってしまう。

 少し離れた先から観察していると、彼が私を見つけ、何時もの様にはにかんだ笑顔で手を振る。それに対して、私は無表情で返答する。何時もの事だ。

「相変わらず無表情が似合うな」

 失礼な事を云う男だ。これだから高校三年間彼女が一人もできなかったのだ。

「今、『失礼な事を云う男だ。これだから高校三年間彼女が一人もできなかったのだ』とか思った?」

「……エスパー?」

「伊藤さんには敵わねえよ。アイツは凄いぞ。何が凄いって、凄くもないのに凄いと思わせる所が凄いんだ。俺が女なら抱かれてもいいね」

「私は御免蒙るわ」

「だけど、一緒にバックの中には入りたいだろ?」

「何故かそっちの方が卑猥な感じね」

「ははっ。ムッツリ女め」

「……」

「因みに、先程の返答はこうだ。お前も三年間彼氏なんて者いたか?」

「うっさい」

 彼の肩に一発ゲンコツを当てようと思ったが、見事に彼はその手を受け止めた。運動神経はいいのだ。

 彼の手が少し汗ばんでいる。しかし不快には思わない。

 その状態のまま、彼は口を開く。

「と、言う訳でお前にプレゼントだ」

 そう言いだした彼だが、左手は絶賛私の拳を抑えているし、右手にはそれといった物もない。

「どこにあるのよ」

「ここ」

 そう言って右の親指を自分の制服の胸元辺りを差す。

「制服?」

「……は?」

「いや、私、男装趣味とかないし」

「いや、おい、待て待て」

「まぁ、制服って男ものでも売れるって聞いた時はあるけど」

「……」

「けど、学ランよ? そこまで需要はないと思うのよね」

「……お前って無神論者か? はたまた無痛患者か?」

「失礼ね。ガウタマ・シッダールタさんの事好きよ」

「なんでセイクリッド語形で言うんだよ。釈迦で良いじゃん」

「嫌よ。可愛げがない」

 彼が如何にも不機嫌な顔をした。何かマズイ事でも云ったのだろうか?

 しかし、すぐに彼はいつものはにかんだ笑顔を作った。

「ははっ。んじゃ生活費の足しにでもしてくれ。お前には敵わないわ」

「やっと分かったか、馬鹿め」

 そう言うと彼は、自分の学ランを脱ぎ、私に渡した。

 言わずもがな、学ランを脱いだ彼はティシャツ一枚という三月後半にはあり得ない格好になったのだが、彼は気にしてないようだ――やはり都会へ行かせるのは不安だ。

 そんな親心のような考えを頭で廻らせていると、彼はばつが悪そうに喋り出した。

「いやはや、寂しくなるな」

「まぁ、そうね」

「お、お前にしては素直だね」

「うっさい」

「ははっ。素直は良い事だ。俺も見習いたいもんだよ」

「そんなことないよ」

「ん?」

「だってそうじゃない。自分の進路をしっかりと見いだせて、それに向かって歩いてるんだもん。自分の中で言い訳を作らずに素直な考えで前に向かって歩いてるわ。それって素敵な事じゃない?」

「そんなできた男じゃないよ」

「それも知ってる」

「お前は素直過ぎるな」

 そう言うと、彼は私の頭をいつものように小突いた。このくだらない会話もできなくなるのは本当に寂しくなる。

「けどさ、まだまだだよ。素直になり切れない自分ってのがまだいる。これから直せばと思うんだけど、これからじゃ遅いんだ」

「んじゃ、今すぐ直しなさいよ」

「……やっぱ直らないわ」

「それは残念」

「残念だ」

 沈黙。

 重い沈黙が私達を襲った。

 いや、特にもう話す事もなくなったので、そろそろ帰ってもいい頃だろう。だから、いつものように私から話を締めて、帰ろうとしたのだが、どうにも言葉が出てこない。

 あぁ、そうか。私は心の底から寂しいのだ。

 こんなくだらない会話も、無駄な時間も、全てが無くなってしまうのが寂しい。

 あの狭い畦道を二人で非効率に歩く時間が無くなるのが寂しい。だから、私は終わりの、締めの言葉を言うのを躊躇っている。

 ――私も素直じゃないみたい。

 そんな事を知ってか知らずか、今日は彼から締めの言葉を言い出した。

「んじゃ、そろそろ戻るわ」

「……そう」

「あれ? 少し寂しくなっちまった?」

「さっきも言ったじゃない」

「そいつは失礼なこって。まぁ……でもな」

 彼は次の言葉を躊躇っているようだった。しかし、意を決した彼は顔を赤らめながら言った。

「俺は寂しくはないんだ」

 この男は何を言ってるのだろう。今までの会話度外視のそんな一言に私は目を細めた。

「いや、今気づいたってのが本音ね。寂しくないんよ、お前と別れても寂しさなんてモンはなんも湧きでてこなかった事に、今気づいたさ」

「喧嘩売ってる?」

「俺を恨むなよ。こんな夢見がちな痛い少年に育て上げた親を恨むんだな」

 そんな正しく靄の掛かった言葉を言い捨てて、彼は自分の家に戻って行った。

 取り残された私は、まるで親の敵を見るような眼で彼を睨んで、溜息一つ零し、同じく家に戻った。


「なんなの、あの一言は。こっちが最後だから素直に寂しいと言ったのに、あの煮え切らない一言はなんなの?」

 そんな独り言を呟くのは自分の部屋。

 夕食も済ませ、明日からの春休みをどのように謳歌しようか考えようとしたが、彼のその一言が頭から離れてくれなかった。

 まったく、酷い別れ方だ。最後くらい握手でも交わして、「また何時か会いましょう。ニコッ」なんて青春ドラマ宜しくな別れ方を期待してたのに、彼は全然気付いてくれなかった。

 これだから彼女ができなかったんだ。馬鹿め。

 あぁ、いいですよ。そっちがそんな別れをするなら、こっちも明日、駅まで送りに行かないですよ。勝手に都会に行ってティシャツ一枚で右往左往しちまってくださいよ。本当にいいですよ。いや、本当に……。

「……本当にいいんだよね?」

 自分でも訳の分からない言葉を呟いて、これ以上は私の容量不足だと感じ、無理やりに瞼を閉じた。



 眠れなかった。

 いや、本当に一睡もできませんでしたよ。

 頭は朦朧としてるのに、身体が疼くというかなんというか、私の貧そうな胸辺りがバクバクと大太鼓のように打ち鳴らされて、眠れなかった。

 布団の中でゴロゴロとしながら、時計を見た。

 もう十一時だ。

 彼は確か十一時半の電車で行くと言っていた。

 そして次に机の上を見つめる。

 彼の制服と私の制服が重なっていた。

 もう着る事もないのに、その服はまるで躍動を感じるように其処に強いイメージを醸し出している。

 私は布団から出て制服を着た。

 

 彼の制服を。


 男もののサイズは、やはり私には大き過ぎた。肩は落ち、丈も長く、まるでミニスカートを履いているように太股の辺りが擽ったい。

 全てのボタンを閉じ終え、襟元のホックを着けると首の辺りが絞められてるように感じた。男子はこんな物を三年間も着ていたのか、御苦労さまです。

 けど、なにより私を驚かせたのが彼の匂いだった。

 あぁ、やはり同じ人間でも、男と女は身体的な事ではなくて、もっと奥の方から違う生物なんだと思わされた。

 そんな匂いを全ての五感で感じていると、不意に涙が零れた。

「あれ? 私、何泣いてるんだ……」

 彼の匂いは五感全てを麻痺させて、眼球さえも麻痺させたようだ。意識しても涙は零れてきて、彼の学ランに染みが出来る。

 何度も止まれ、と心で叫んでも止まらない涙。


「あぁ、そうかぁ……」

 その時、私は分かってしまった。

「……私も寂しいんじゃなかったよ」

 自分でも無意識の内に抑えてた感情は涙と言葉で零れ落ちる。


「私は、寂しいんじゃなくて恋しかったんだ」

 

 その言葉と同時に私は走り出していた。

 


 何時もの畦道がまるで違う風景に見えた。日本晴れの本日は寒がりの私でも少し汗がにじみ出るほどで自分でも情けなくなる。

 しかも、今の私の格好ときたらパジャマの上に学ランという、なんとも稀有な格好。そんな格好をした女が、四月から大学に通うのだ。これもゆとり教育の弊害か。

 そんな事はない。

 私は自分に言い聞かせた。 だってそうじゃないか、友人の、いや彼の、いや一人の男の、いや好きな人の為にこんなにまで素直に全力で走り続けている私が弊害な訳がない。

 汗と涙で、顔は見せれるようなモノじゃない――それでも走り続ける。

 逢った所で私はどんな言葉を言えばも分からない――それでも走り続ける。

 彼は私にどんな言葉を言ってくれるのかも分からない――それでも走り続ける。

 あいたい、アイタイ、会いたい、逢いたい、合いたい――!

 

 

 この長い畦道を越え、学校を通り越し、その後もカナリの距離を走り続ける。

 時間も間に合うかも分からない。

 それでも私は走り続ける。

 例え逢えたとしても、その後の事だって何も考えてない。

 この口で、私はどんな言葉を語るのかも。

 その口で、彼はどんな言葉を語ってくれるのかも。

 私には分からない。

 それでも、彼の顔を見たいと思う、この素直な感情は素敵な事だと思える。

 

 あぁ、そうだ。

 最初に云う事は、今、決まった。

 彼がその言葉を聞いたら、どんな顔をするかはなんとなく想像できるが、どんな顔をされようがまず一発ぶん殴ってやろう。

 

「はぁ……はぁ、素、直じゃ……ない……奴!」

 

 自分の事を棚に上げて、その言葉を復唱して私は畦道を全力で走り続けた。

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